つれづれに

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 再び、日常の日々が始まった。これから暑い日が続く。
オリンピックも後半に入ってが、今のところ大きなテロはない。
金の数が国家の威信など言っている時代は終わったのかもしれない。


・・・・・・
3796, 「役に立つ」とは?
2011年08月17日(水)
  * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか?
 私たちは、何時の間に、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断している。
その是非は色いろあるが・・しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果
でしかないことに気づいている。教養は、その最たるもの。教養を役立てるために
身につける人はいない。これは目的でも手段でもなく、人間性の素養として積み
上げること、そのことに意味(価値)がある。哲学などは、目先、役に立たない。
しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていくのが人生である。 
それを放棄し、目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な
人の意見に従って判断、決断をしてしまい、重大なミスをする。
その辺のところを、今回の変動の中で、しっかりと見せてもらった。
(実は、その最たるものが自分?) ~ 哲学者の池田昌子は、著書の中で、
鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」)~
【「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮に
なっている。「学問をするところ」であったはずの大学という場所が、レジャー
ランドか、就職予備校に変わった世の流れに呼応しているのだろう。「学問」
すなわち「役に立たないこと」、「学者」すなわち「役立たないことをする人」、
そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりとできあがっているようにみえる。 
・・(中略) ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論
に対する科学技術の関係に明らかなように、生活と生存に直接に関係するものの
ことを人は「役立つ」と言う。相対性理論は役に立たないが宇宙開発は役に立つ。
解剖学は役に立たないが、医療技術は役に立つ。とはいえ、それぞれ前者あって
の後者なのだから、この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。
文科、この無用の長物、経済学者が金持でないことが学者が無用であることの
最たる証拠だと、妙な理屈を言った友人がいるが、それなら中世の英文法に
基づくシェークスピア解釈を一生の仕事にしている学者はどうなる。
古代バビロニアの懊形文字の読解に全生涯を賭けている学者の立場はどうなる。
 ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、この学科を選ぶ
ことは就職を捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。が、そういったことが
どういったこととかを考えることこそ先決であるはずだ、という理屈は、
私にとってあまりに自明なことだったので、考えるために哲学科を選ぶことに
迷いを覚えるはずもなかった。まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚から
ずれてきてしまうその核心部ではあるのだけれど。その生活と生存に直接に関係
するという意味で、「最も役に立たない」と思われている哲学という学問を、
学問の府から追放せよという動きが文部省内にあると最近聞いた。こんな時代、
実学以外に余計な金は出せないと。そういえば、「総合人間学部」とか、
よくわけのわからない学部の一分科として哲学科があるのを目にしてはいた。
あれは、そういうことだったのか。】
▼ この随想日記の長期講読の皆様も、今回の倒産劇で「偉そうに言っているが、
 何だい、この様は」と思ったに違いない。 私自身が「偉そうに書いてきたが、
所詮は、こんなもの。自分の脳内を、そのまま公開した結果である。止めるなら
今回がチャンス。」と少し、動揺をした。が、しかし、「目的は、自分の『弧』
の中の内側をネット上で世界を公開することで、ネット世界を身近にすること、
そして、現象世界を、冷静に見つめる直すことが出来ることである。
役に立つ立たないは現象社会の波間の判断でしかないのは、今さら。」と、
気持ちを持ち直し続けている。ある意味、断層で自分の支えでもある。役に立つ
以前の問題。振り返ると、役に立たないと思っていたことが逆に役立った方が
多いのに気づかされる。目標地点が明確でないから、それが分からないのである。
所詮、死んでしまえば同じだが。

 ・・・・・・・
3431, 我が家に新しいテレビが ー2
2010年08月17日(火)
 * 新しいTVについて ーとにかく画面が抜群に綺麗ー
(以下、字数の関係でカット2012年08月17日)
Yahooのバードウォッチのコピーしておきます。


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3056,人生は旅である
2009年08月17日(月)
 『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、
沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄ある言葉があったので、その幾つかを紹介する。
・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」
・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」
・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。その解決プロセスが人生も旅を
 豊かにする。
・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところ
 になる。その街での偶然と奇遇などの出会いがあり、それにより次の展開
 が違ってくる。そこは人生の交差点であり、人と人との交差が人生も旅を作る。
・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。 それは歩く旅ならバックの
 中の食料に喩えられる。
・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。
 人生でも、それが大きな要素になる。
・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければ。
▼ 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にも
 チャレンジする必要性が分かってくる。そこで出会う感動と、未知との遭遇
こそが人生を豊かにしてくれる。人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も
我われは殆ど知らないが、旅の多くの経験を通して様々な邂逅が可能になる。
地球に知的生物として生まれてきたからには、大自然も、文明も、文化も可能な
限り見聞し、感動することで世界を広めた分が自分の世界。旅に出る前の、あの
ワクワクした高まりが青春であり、晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感。
そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、
書きながら内省をしている。まだ与えられた人生の有り難みが足りないような
気がする。旅路の果て。パタゴニアの果ての街で夕日を見ながら老齢の残り日
とはこんなものか、アレが人生の全てを照らしたイメージか、と思ったが。
そう新幹線からみえる弥彦山の日没にも。あと12年で後期高齢者
一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。
さて何をするか、何をしないかを真剣に考えないと。 
         (;-""-);'↑
ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー
            ー ~~ ー は感想です。
<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも
 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーと
 マックとしばらく一緒になったが、ふと気付くと、この二人はなんと立派な、
 寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。じっと見ていると、
 彼らは賢明なばかりではなく驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。
 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
ー人間の価値とは何か?最近、解らなくなってきた。
 誠実であるということ、そして努力をし続けること、他人と比較しないこと、
 知恵を出す術を知っていること、他人ことを気遣いすること、
 他人に笑顔を浮かべること、迷惑をかけないこと。その基準で図れば解るはずだがー
<労働者としても、また人間としても比類ないニグロが幾人か波止場にいるのを
 知っている。この人たちは柔和で、誠実で、非常に有能である>
ー結局は、アメリカこそヒンズー教のような差別・階級社会である。
ー字数制限のためカット (2015年8月16日)