<『終わった人内館牧子(著)>
 これは、アマゾンのHPで見つけた本。 リタイアをした身にとって、
終わった人』は、身にしみる。団塊の世代が、この数年で大量に職場から
押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わってない、
その端にいる人ほど一歩先に終わった人に、言い放ちたい言葉でもある。
還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。
 まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。
恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。
  〜アマゾンの内容説明より〜
≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。
 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。
図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。
職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。
妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、
思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか?
  〜アマゾンのビュアーの声より〜
《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで
「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて
いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、
身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代
壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職
(あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で
約1億3,600万円(275〜6頁)の★「卒婚」(358頁)物語。
(しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう)
★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚
という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き
な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。
  〜印象に残った箇所〜
「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、
 結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、
 半年や一年で終わります」      (217頁)
「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」
                   (239頁)
「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、
 生きてるついでにするものだよ」   (252頁)
「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人
 とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、
 何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな
 ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな
 ことではないか」          (287頁)
「今後、介護やあなたの世話をする気はない。
 でも、離婚という形は取りませんから」★卒婚(292頁)
「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、
 同窓会に来ないというのはよくわかる」(314頁)。
「思い出と戦っても勝てねンだよッ」  (319頁)
「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁)
「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」(366頁)。
▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、
 こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、実家の関連会社の社長に、
しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。
それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも? 
終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私? 
で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!

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5269,凶器としての狂気    〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月18日(火)
            〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦
   * 凡庸な人生からの離脱 〜凶器としての狂気
 創業には、準備、準備、準備、そして準備が必要である。
新たな絵図面を信じ、ただヒタスラ、日々を過ごしている姿は狂気でもある。
そして、いざ実行段階では、自身が凶器そのものである。それも軟弱な
我が身を知れば知るほど、その刃を鋭くするしかない。それが若さでもある。
「人生、小説とは違う。弱者は悪、強者は善」と、目先の問題解決に立向かう。
 ある哲学入門書、『哲学を自分でつくる』瀧本往人著、の小項目、
「凶器としての狂気」を目のあたりにした時、ピンときた。この年齢まで生き、
人生を達観すれば、競争社会を生きること自体が「凶器としての狂気」の意味が
少なからず実感できる・・ 極限の境は狂わないと越えない! 〜その辺りから
≪・精神の三態、つまり駱駝から獅子、幼な子へ、という精神の変化をニーチェ
 は描いていた。 駱駝とはたくさんの荷物を運ぶ存在で、重ければ重いほど
そこに自分の強さを感じとる。ギリシア古典の文献学的研究に勤しんだころの
ニーチェは駱駝だろう。
・しかし駱駝は荷物を運んでいる途中で突然獅子となる。それは、つまり世界
が見通せたことにより明確な探求の対象がくっきり見えたということであろう。
ニーチェの場合は、キリスト教道徳である。獅子はそのもっとも強大な対象と
正面から対峙し克服しようと試みるものの、批判することだけが可能である。
・そこで獅子は幼な子へと変わる。幼な子は何も知らない。何のしがらみもない。
そこで新しい価値が創造される。幼な子は、「ひとつの新しいはじまり」
「ひとつの遊戯」「ひとつの自力で回転する車輪」「ひとつの第一運動」
「ひとつの聖なる肯定」である、と二ーチェは言う。
実際にニーチェは、生を絶対肯定し、「永劫回帰」といった指標を示し、
「超人」としての生き方までも描きだした。それはまだ「駱駝」や「獅子」
を経ていない人には、理解しがたいのかもしれない。
その過程を経ている人にとっても、得体がしれないかもしれない。
私自身、自分がいずれにあてはまるのか、うまく考えられない。
 〜幼な子の超人とは、一体何者であろうか。二つの道筋が想像できる。
 一つは、ニーチェ自身もそうであったが、過去の記憶を忘却し世間のしがらみ
に束縛されないような生き方である。幼な子というよりも老人に近いイメージ。
この場合、「永劫回帰」という考え方も親近性がある。しかし、これは当初の
二ーチェが考えた超人とは少し異なってくる。つまり、自らの「強さ」を有し
新たな価値を創造するような存在ではなく、老成、老熟、高熟、つまり
「人を超えた存在」というよりも「熟した人」である。 
 そこでもう一つのイメージが現出する。自らを狂気にするか、もしくは、
狂気のふりをする、というものである。しかもそれは、本当は狂気に陥って
いるわけではないのにもかかわらず、そのような生き方を選ぶ。
 ・・(中略) 誰にも理解されないで生きることはたやすいことではない。
他者からの承認を媒介にせずに、どうにか生きようと努力すること、人間一般
ではなく、人間を超え出ようとする意欲を持ち、それを実践すること、
それがニーチェの「生きる意志」である。自立とはそういうことではないか。 
 いかがだろうか、「自立」とは、両親と別居し、自分で稼いで、生活をして
いる、ということとは、実は程遠い。それは「自炊」や「自活」にすぎない。 
 自身を追いこみ、他者とのしがらみの中で、孤高に生きること、そこにしか
自立はないとすれば、あなたはそれを望んでいるのだろうか。結局、私たちは
「主」でなく「奴」としてささやかな幸せをもとに生きていれば満足なのでは
ないだろうか。 超人への一歩を踏みこむことは、まだたやすい。しかし、
その渦中で生き続け、死んでゆくのは、敢然たる気概と勇気が必要。
あなたには、それがあるだろうか。 ≫
▼ 準備15年を含めた創業45年の人生は、精神の三態、つまり駱駝から獅子、
 幼な子へ、という精神の変化を経験する。だから、結果がどうであれ、
充実感が残る。別に誰に理解してもらえるかどうかは、問題外である。
問題は、孤高の世界で自立出来ているかである。だから、あれはあれで良い!
 私が最も嫌うのは、何事もなく御堅い地元企業で何事もなく、定年を向かえ、
凡庸を最善と信じ、OBとなっても群れ、比較社会で満足している幸せな方々。
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4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は?
2014年08月18日(月)
   * レンタルチャイルド
 今回のタイ・バンコクの日本人男性が所有するマンションの部屋で、
9人の乳幼児が保護された件で、タイ警察はDNA鑑定を行った結果、同一男性と
発表、それが日本人のタネかは今だ不明。 これで直ぐに思い出したのが
『レンタルチャイルド』石井光太著である。ーまずは、レビューからー
《 2002年から数年かけて著者はインドの貧民街で取材する。人づてにマフィア
にインタビューまで。目をつぶされた子供にも話しかける。不潔で臭くて底なし
沼みたいな暗い話。浮浪者との会話の間に挟まれる街の描写がえげつない。
だいたい貧民街自体がゴミ溜か下水道みたいなものだし。 黄ばんだ砂埃、
どぶ川の異臭、ゴキブリと鼠が路地を這い回り、散乱したゴミや死骸に蛆が
蠢き、虫の群れが飛交い、体臭や口臭、血と垢と泥、小便の匂いが漂う。
文面からジメジメしたまとわりつくような匂いが感じられる。実際には鼻の粘膜
が痛くなるほどの激臭だろう。インドの浮浪児は数万とも数十万いるとも言われ
ている。中にはイモムシみたいに這いつくばって物乞いをしている子供もいる。
憐憫を誘う為にマフィアに手足を切断され無理矢理障害児にされたのだ。
時にはレンタル品として女乞食に貸し出される。浮浪児はそのマフィアを父と
呼び、慕い、庇う。浮浪児は青年になると追い出される。自らマフィアになり、
子供を食い物にしようとする。女の子は売春させられ、子供を産み、その子供が
またレンタルとして貸し出される。奪われる側から奪う側へ。どうしようもない
不幸の連鎖。彼らは教育も受けておらず身体にも障害があるので職につけない。
だから自分より弱者を見つけて奪うしかない。中には哀れみを誘うために自分で
目を潰す青年もいる。稼いだ金でドラッグや売春婦を買う。売春婦にも相手に
されない時は強姦するか獣交する。騙しあい、犯しあい、弱い者は死んでいく。
生きていくために他に方法がないのだ。日本ではどんなに貧しくても努力で
這い上がれるチャンスは多いし、たいていは自分で人生を選択できる。
しかしここにいる人達は運に流されるしかない。全く選択肢がなく貧困から
抜け出せない。しかも大量にいる。どうすればこんな貧困がなくなるのか、
全然わからない。結局誰にも救えない。絶望的で本当に救いのない話だった。》
▼ インドのベナレスの街では、色々の物乞いが観光客にまとわりつく。
 そこで見たのが、マフィアなどにより人工的につくられた子供たちの地獄絵の
ような姿。今回の事件の背景には、決してハッピーでない人身売買の実態が炙り
出されるか、この事件、表向き自殺でウヤムヤになる可能性も十分にある。
そこには、非情な世界が垣間見れる。欧州系の刑事モノで、内臓売買の対象の
人身売買もあった。 まず、日本人男性のタネかどうかである。それ以前に、
生きて出てくるかどうか? マフィアにより?世界の深い闇が、表立ってくる。 
今回の母体の腹貸し料金が100万円。すごい世界である! 一部マスコミ
以外は、深くは追求しないうち、次々出てくる大事件で忘れ去られることになる。
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4537, 閑話小題 ー種銭の話 ー2
2013年08月18日(日)
   * 33年前の新潟駅前シリーズの種銭は、ニ億
 私の創業の野心をみた父親が亡くなる前に、陰に陽に相続に不利にならない
ように条件づくりをしていてくれた。末っ子という不利な立場でも何とか自分の
相続分を確保できたのは、99%父のお陰。亡くなる数年前に、殆どの事業資産を
兄と私と姉と母親の4分割の均等贈与をしていた。これが我家の御家騒動の元。
強引に我田引水をしようとした姉夫婦が自爆してしまったのは生前贈与のため。
こっそり父に「お前のためにしたことだ、憶えておけ」と言われた。で、軋轢の
結果、姉夫婦が『主だった従業員全て私についた、会社をそのまま引き渡すか、
渡さなければ、手持分の株式は悪質業者に売り渡す!』と迫ってきた。
耳を疑ったが、母と兄は激怒、『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』と。 
 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしていたため、「この程度の案件
など朝飯前!」という思いがあった。そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、
34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。結果として、当時の
物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。
 新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価1億、合計2億。 
しかし最後はこれ、悪銭?身に付かずである。しかし、後悔は一切ない! 
長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っている。
ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。
決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。 父の、「長い事業の中では、
何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けた
ビルは、壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。
売りに出したとき、買い手に潰しが効く(スケルトンが可能)構造になるため。 
そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。
・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い)
・親戚家族は事業経営に資本も含て一切入れない(資本は私名義)
・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 
・妻子の連帯保証はなし。
・家内の銀行口座は別。 等々がセフィテーネットになり、何とか今まで
通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、お金の恐ろしさを
感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される
獰猛な虎は、長年かけ飼い慣らすしかない。「リーマンショック以来、既に世界
は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか認めないかである。
大恐慌前提で言動をしてきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。
2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾!
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4162, 節目時に何をしていたか ー2
2012年08月18日(土)
・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、
 一息ついた時。二つ目のホテルの土地を近くに見つけ、買収交渉に入り
 つつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、
 ホテル名も学生服メーカーの名前をつけていた。月〜金曜日はビジネスホテル
 が満室で、土日は学生服の売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。
 この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と裏日本といわれた
 日本海側にも打ち寄せてきた。
・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。
 バブルで日本中が湧き上がっていた。ホテルも280室になり、利益体質が完成
 していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で
 500室を目指すことにした。これも、バブルの影響である。こうして振り返ると、
 戦後の日本経済と命運が全く同じだったことが見て取れる。
・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされた。
 日本経済もバブル崩壊で大不況に突入。それでも、バブルの予熱が日本を
 覆っていた。客室数は280室から500室に舵を切る決断をしてしまった。
 この時期、20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、
 夢にだに思ってなかった。
・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。人生を俯瞰して「やり残したこと
 を還暦まで圧縮して生きる。30年分を9年間に押し込む」と考え、決断。
 今から考えてみて、これは正解。バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。
・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行
 など無我夢中。個人のHPも立ち上げ、生活の中心をネットに移動して二年目。 
 意味・人生を謳歌していた時期。しかし売上は下降曲線に入っていた。
・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、
 何とか目安がたちホッとしていた。二つのホテルが道路拡張工事で買収が
 近い将来あるまでと・・ まさか翌年、リーマンショックが起こるとは、
 夢にだに思ってなかった。
・そして現在である。やはり、この10年も激動期。二つの中越地区の大地震
 そしてリーマンショック、東北大震災で、近い領来には間違いなくリーマン・
 ショックによる大津波が襲ってくる。そうこう考え自分の人生を振り返えると、
 日本経済の光と陰が、ほぼ重ねっていた。経済大震災と東北大震災からして、
 やはり去年三月が引き時。
▼ 5〜10年スパンの節目で振返ってみて、目先の日常にとらわれ、長期的
 視野で決断できない姿が見えてくる。振り返るってみて、人生の折り返しの時節
は34歳。独立の一歩を踏み出した時である。とにもかくにも無我夢中。そして、
人生の後半に入った。11年前の9・11テロの翌月から、売上減がジワジワと
三年続き、その後に中越地震。この時は震災復興関連景気で何とか持ったが、
何とか目安がたってきた2008年9月のリーマン・ショック。この日を境に、
毎年20%半ばの売上減が続き、三年目に入っても同じ下降曲線。
10年前の売上減を加えると、売上が三分の一まで激減。そして、決断。
「年内に、大津波の本体の一波が押し寄せる」という仮説を立て現実を見ると、
末恐ろしいが。
  ・・・・・・
3797, 知的余生の方法
2011年08月18日(木)
4月から、これまで30年の新潟の事業の終焉で、新しい生活に変わった。
サンデー毎日(毎日が日曜日)の生活も思いの他、抵抗なく馴染んでいる。 
定時に家を出て、新幹線で新潟に行き、事務所で時間を過ごし、帰ってくる
生活を「外的時間」とすると、家を中心に気ままに過ごす時間を「内的時間」
というのか? 早朝に、この随想日記を書き上げたり、独り自転車で信濃川
川辺をサイクリングをしたり、スポーツジムで運動をする時間が私にとっての
「内的時間」。社会に出てからは、ひたすら未来へ進むことに関心が向いていた。
それは世界の動向と変化を察知することであった。そこに気持ちが集中している
時は、「外的時間」を過ごしている時である。その中で、ふとした瞬間、
過去の思い出や経験がフラッシュバックし、過去から呼び出される事がある。
良いことだけでなく悪いこともである。過去は自分を形作った日々であり、
これからの人生のベースでもある。 これからは、外的時間から内的時間
の絶対量が逆転する。 渡辺昇一著「知的余生の方法」に次のような一節がある。
【カレルは、時間には2つあるという。1つは物理的な時間。例えば、地球の
 自転を24時間と決めたりするといったようなことだ。
もう1つは「内なる時間」。これを彼は、抜群の比喩で説明している。物理的
時間は世界中同じだが、彼はこの時間を川の流れに例えるとどうなるかと問う。
そして、同じ速さで流れる川に沿って歩く人間を考える。朝早く起きて元気に
満ちて川沿いを歩くと、川の流れが遅いのに気づく。ところが、どんどん歩いて
いって夕方になって疲れてくると、川の流れが速くなっていると感ずる、
というのだ。川の流れは同じ速さなのに、人間が元気な時は遅く見え、疲れて
くると速く感じる。どうしてなのか。「内なる時間」のせいと、カレルは言う。
 若い頃の時間はゆっくり流れる。しかし、年を重ねるとだんだん速く流れる
ようになる。だから老化というのは、実は、時間の流れを速く感じるようになる
ことなのだ。年とともに時間の質が変わってくる、そして、シニアはこの質の
変化に戸惑う。比喩でいえば、20歳の時は時速20キロで流れ、60歳時は
時速60キロ流れると考えればよい。あまりの速さについて行けず、結局は
無為に時間を過ごしてしまうことにもなりかねない。】
▼ ここで、これまでの人生の価値観を大転換し、未来中心に向けていた目を、
 過去にも向け、過去を修正する作業が人生の仕上げになる。人生を逆照射し、
前向きで時どき見ていた過去を、しっかりと後ろに向き直し、見つめ直す時間も
「内なる時間」ということ。これまで読んだ本や、読みかけの本に再チャレンジ
したり、やり残したことなど幾らでもある。それを坦々とこなすことも
内なる時間といえる。そうこう考えると「人生が自分に余白を埋めて欲しい
ことは何かを聞き出すこと」が必要である。私の場合、この随想日記がある。
 毎朝、これを書き上げた後に、字数制限のため、書いた分だけ過去分の一部を
カットする作業がある。これは、過去のエネルギーのカットのように思えて
辛いが、しかし、その時にしっかりと読み返し、再考することになる。
これこそ私の内なる時間になる。

・・・・・・
3432, 再び、死について考えてみる ー1
2010年08月18日(水)
 数日前に近所の家内の友人が急逝した。 最近、「60歳過ぎれば今日明日
亡くなっても不思議でない。今年しか人生が残されていないと一日一生の思いで
生きなければ。だからチャンスがあれば、何ごとも可能な限りやらなくては。」
と話したばかり。 哲学でも、死について多く考えられている。 以下は、
「現代哲学の冒険シリーズ」の【「死」細川亮「恐れと驚きー死と生の問い」】
を参考にして書き上げた。
≪ そこで「死の人称性」は、死を語る上で分かりやすい説明になる。
・まず三人称の死は、「彼らが死んだという過去形」か、
「彼は死ぬだろうという未来形」で語られる。
・一人称の死(私の死)は、過去でも現在ではない。
 将来自分は死ぬだろう、死ぬ運命にある未来形である。
・二人称の死は、「あなたが死んだ」と過去形ではいえない。
「あなたは死ぬかもしれない」とはいいえるが、あまり馴染まない。
弔辞でいう「あなたは死んだ」というのは過ぎ去った過去のことでなく、
葬儀の現在のこと。したがって、あくまで現在の範疇。人の死の人称性の、
一人称、二人称、三人称が、過去・現在・未来の時間性を有している。≫
 ー以上だが、今回のような亡くなる前日に電話をしたが不在といわれた
友人が、翌日、そ連れ添いから「実は死に病で最近になり入院していたが、
朝方亡くなった」と電話があり、家内がショックを受けた、という死に話は、
間接にしか知らない二人称の死であり、もっとも死について考えさせるケース。
そこから逆に、死から生への逆照射をすると、【生きるとは何か】のヒントが、
みえてくる。【私は生まれた】と、逆に私の誕生を過去形でしかいい得ない。
未来の死と、過去の誕生、「現在、生きている私こそ、この世の存在」
ということになる。だから、現在、四苦八苦としても、それを生きる証として
受け止めるのが自然。私の死と誕生の、死の時点は、私にとって特異点。 
この2つの特異点の間が「私が生きている」現在形として語ってよい。
自分の過去も、現在、そして未来を思い浮かべている現在も含め、全てが現在
と言いうるのではないか。そこにベルクソンの時間論の意味が、ある。
時間など人間の主観?の捉え方でしかないと。 で、二人称の死から考え
られるのが、自分の死と生のイメージの絵の書き加え、修正作用となる。
・・・・・・
3057,逆説思考
 2009年08月18日(火)
(字数制限のためカット 2,015年8月18日)