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今日でお盆も終わり、ご先祖様が帰っていく。
5日間のスポーツジムの休みが、何か物足りない日々になる。
 下にコピペした10年前の文章が懐かしい。
 
 今年も両親がお参りをしていた無縁仏の墓参りをしてきた。
母親が、『私の生きている限りで、死ねば、お参りをしなくてもよい』
というが、何か、参ることで、私を守ってくれている気がする。
今朝は、早々に、墓の花を取り除いてきた。

 お盆が終わると、今年の後半に入ったような感覚になる。




・・・・・・・・・

1961, 今日はお盆-3
2006年08月16日(水)

  つれづれに、~お盆~          
                 才八∋ウ_〆(∀`●)

昨日は、終戦記念日!vもう敗戦後、61年になる。

あれから米ソの冷戦などを経て現在に至っているが、
最近は宗教戦争の様相になっている。
それも無差別テロが世界中に日常化してきた。

大規模のイギリスでの無差別飛行機テロ、今回は未然に防げたが、
死ぬ気の連中を阻止することは絶望的だ。
無差別のテロは正当化できるものではない。

終戦直前にアメリカが日本で原爆を二発投下、一般住民を殺戮した
事実と、イスラムのテロと、どこが違うというのだろうか?
それだけアメリカは日本に対して悪いことをしたのだ。
人類に対してといってよい。

アメリカが広島と長崎の原爆で一般人の大量殺戮をしたことを忘れて
しまったのか?b 日本人よ!スターリンと、毛沢東が数千万の自国の国民
を殺戮したことを考えれば、大したことがないと許されて良いのだろうか?


ーところで盆について調べてみたー

正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のことで、
略してお盆という。 
盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、
「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、
そのために供養を営むのが、盂蘭盆会なのです。 

釈尊の弟子の一人、目連尊者という人が、神通力で亡き母の姿を見た
ところ、母親は、餓鬼道に落ちて苦しんでいました。 
何とかして救いたいと、釈尊に尋ねると、
「七月十五日に、過去七世の亡き先祖や父母たちのために、
御馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」
と、教えてくれた。教えの通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦を
のがれ、無事成仏することができたそうだ。
この故事が、盂蘭盆会の始まりといわれている。 

お盆(盂蘭盆会)は、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、
成仏してくれるようにと、私たち子孫が、報恩の供養をする時なのです。
毎年、七月十五日を中心に、十三日を迎え盆、十六日を送り盆といい、
十三日から十六日までの四日間を、お盆の期間とします。
仏教の行事だったお盆が、盆休みをこの時期にとり、故郷のある人は帰り、
我われの生活に根ざしている習慣になって、夏の季節の節目となっている。

盆は、先祖や亡くなった人たちの精霊(しょうりょう)が
灯かりを頼りに帰ってくるといわれ、十三日の夕刻に、
仏壇や精霊棚(しょうりょうだな)の前に盆提灯(ぼんちょうちん)や
盆灯籠(ぼんとうろう)を灯し、庭先や門口で迎え火として麻幹(おがら)
をた焚きます。それが「迎え火」です。

十四日、十五日は、精霊は家にとどまり、十六日の夜、家を去り、帰って
いくという。迎え火と同じところに、今度は送り火をたき、帰り道を照らして、
霊を送り出す。これを、「送り火」という。  

ー                  お茶どうぞ ( ^-^)_且~~~

こんなところだが、現在では、お寺の稼ぎ時のイベント
としか、思えないが・・。  
                   \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・
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2005年08月16日(火)
1596, 概念とは

随想日記を(旅行以外は)必ず書き続けると決心して4年3ヶ月経つ。
その日以来、一日単位の柱がこの随想日記を書き上げることになった。
散歩をしていても、寝ていても、全てこの日記を書き上げることが中心である。
膨大な集中力とエネルギーを使う。
そこまでして何で書き続けるのか?
充実感があるからだ。また、ギリギリのところが面白い。

随想日記とは何かと考えてみると、ミニ物語を創りあげることである。
そのミニ物語も語り続けると、その連続が物語になっていく。

概念は、単語ー> 単文ー> 複文ー> 段落ー> 文章ー> 物語ー>
思想ー>となっていく。
論理的構造をつくることが、概念化ということになる。
過去の歴史上膨大な数の言葉の構造化がなされてきた。

言葉は、空間の存在や事象を命名しただけでなく、
時間の流れについても識別し、過去、現在、未来と命名した。
そして、未来に死に死にゆく存在である事実に気づき、
それが不安や悩みを持つようになる。
これが実存の不安である。
この不安が人間の不幸を生み出す原因になる。
仏教でいうところの煩悩であり、聖書の中でいう、
アダムとイブが禁断の実を食べてしまったことになる。

毎日ミニ物語を創っていると、言葉の構造化の作業がいかに大事かよく解る。
またテーマの選定が難しい。それさえできれば、あとは言葉の構造化の
作業になる。人間は、人生をかけて自分の物語を創りあげていく。
自分の夢、そして目標を追い求めるプロセスを通して物語の創作をする。

夢と志ー意志・意思こそ、人間の根本であり、
言葉の構造化のテーマに、例えることができる。
思いは、言葉の構造とイメージからできている。

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2004年08月16日(月)
1231, エピクロスー哲学についてー29

エピクロスといえば、快楽主義者として「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。
次に印象に残っているのは、「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が
無くなるのだから,本人にとっての死は存在しない」という言葉である。

ー父が死期を悟り、その恐怖に恐れおののいている時に、この言葉を教えた。
父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。
言葉の力を思い知った出来事であった。

エピクロスは、
人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。
快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言した。
しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。
いや逆に、
肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。
官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。
すなわち、官能の享楽「自足」である。
みずから足れりとすることだ。
つまり際限ない欲望から開放されることである。
豪華な食事や家に住んで、心がかき乱されているより、貧しい生活でも魂が安らかに
あるほうがはるかに好ましい。
その為に、思慮を深めることと説いた。
ソクラテスプラトンは「よく考えることが、よく生きること」と、
説いたが、逆に「よく生きるために、よく考える」という人生哲学を主張した。

驚かされるのは、20世紀に登場した人文主義者と非常に似ていることである。
そして現代に広く受け止められている人生観が、紀元前4~5世紀のエピクロス
の哲学において説かれていたのだ。また、仏教の教えにも相通じるところがある。

エピクロスの面白いところは、デモクリトスの原子論を受けついで,この物質界には
原子と空虚以外に何も存在しないと考えているところだ。何も無いところから
原子が現われたり、それが無に帰することなどありえないので、原子は永遠不滅
といえる。しかし、原子の運動は予測がつかず、原子的組み合わさったのも
永遠に存在することはない。 つまり物質的なものは,つかの間の存在なのだ。

短い人生を、目の前の雑事におわれることなく、充実した人生を送ること。
その為に、静かな魂の満ち足りた時間をつくるべきという人生哲学が
2400年前の哲学者がすでに考えていたのである。

ーその為には以下の、ミッション・ステートメントを実行すべしということか。

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2003年08月16日(土)
864, ミッション・ステートメント
          ー改訂版

  死ぬ時に、「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、
 恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」
 と心から感謝していえる人生を生きる。
 
 ーイメージとしてー
 80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリを
 している。陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて家内と二人幸せな
 絶頂にいる。
 
  海外旅行も行きたいところはすべて行った満足感で満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで昔を
 懐かしみながら好きな歌を歌っている。

=そのために以下の憲法を制定する=
  ー堀井八郎の憲法

1、健康であること
 
 (1)食べ物に注意すること
  ・肉食や揚げ物はなるべくさけ魚食に心がける
  ・砂糖・甘味類、インスタント類はさける事
  ・腹八文目に
 (2)定期的に健康食品を飲むこと
 (3)運動を一定量とること
   ウオーキングを一日平均14000~15000歩を確保すること
 (4)ストレスをなくすこと
    ー精神的な健康に勤めること 
  ・一日千回「ありがとう」を言い続ける 
  ・毎朝仏壇に「お経」を唱える
  ・頭の固い人には近寄らない
  ・笑いを生活の中に取り入れること
   ー日曜日を笑いの日にする
  TVで「お笑い番組」を3本以上必ず見る
  ・好きな「秘境・異境ドキュメントTV」や、レンタルDVD
   で映画を週数本はみること。
  ・布団の中ではマイナス思考はしないこと。
   
2、家庭生活を大事にする
 
 (1)家内には自分の伴侶として生きてきたことに満足感を
  もってもらうよう勤める。
 (2)子供や孫たちから「これが私の父です。おじいちゃんです」
  と自信を持っていえるような人間になるー人生を送る。
     子供が「愛情と慰めと理解」を求めて、私のところに来て
    くれるような人間になる。。
 (3)家内とは時間の許す限り一緒の時間を楽しむ
   
3、会社の繁栄維持のために全力を注ぐ
 
 (1)常に長期的視点に立って改革改善に努め、利益体質を
  保つことを誓う。
  存続は社長としての第一の義務であり、その為には
  常に新しい知識を導入していかなくてはならない。
 (2)65歳を引退の時期とみなす。そのための準備をいまから始める。
 (3)会社を良くしておく事は経済的自由を得る為の絶対条件である。
    全力をあげて集中しなくてはならない。

4、自分が自分の人生の創り手であることを認識し、
 自分だけに与えられた役割を果たす。 
   そのためには
 
 (1)経済的に自由であること。
  ・合理的な生活を図る
    贅沢・無駄を廃した生活をおくる
    特に出費に気をつける
  ・最悪に備えた準備は常にしておく
 (2)信頼に足る人間を目指す。
  ・人から信頼されるように勤める
   ー信頼に足りない人間は排除する
    人間関係はこれから大事ネットとして、広く深く創ることに
    するが,卑しい人間は身辺に近づけない。これはよりシビアに
    徹底する
   ー約束は守る
   ー正直である
   -自分の範囲で可能な限り人助けをする
   -悪口・中傷・批判等は言わない。またそれを生活の糧に
    している人は排除する
 (3)自分の天性を大切にする。
  ・アイデアをどんどん積み上げる
  ・新しいことを常に学び続ける
   -常に新しい変化に注意を向けることとする
  ・倫理的・論理的であること
  ・明るさを大事にする
  
5、何事にも囚われた生き方ではなく、自然の流れに沿って
  気楽に 変化を受け止めていける人間になる。 
  
  (1)何事も「一期一会」と真摯に向き合う。
  (2)いついかなるときも「積極的な態度とユーモアと誠実さ」
  をもつ。
  (3)心の声に従って自分の価値観や信念によって行動しよう。
   それに対する批判・悪口は全く無視する。
 
6、自分の趣味の世界を深めていくこと。
 
 (1)海外秘境・異境旅行を年2~3回は可能限り行くこと。
    ー年2~3回の海外旅行は可能な限り続ける
     60歳までに50回の目標はこだわらないが、近づけるよう
   最大限努力する。70歳までに70回を次の目標とする。
 (2)ウオーキングは毎日続けること。
 (3)話題の映画やDVDを見続ける。
 (4)随想日記を書き続けること。
   ーホームページは、これからの時代の最低必要な発信基地であり、
    情報の蓄積倉庫でもある。その維持発展に努めなくてはならない。
    特に、随想日記は大きな発信媒体かつ蓄積倉庫でもある。
 (5)読書を幅広く読むこと。
 (6)気の置けない人との居酒屋通いを続けること。
 (7)常に何事にも興味を持って面白おかしく追求する。
   ー新しい変化に注意を向けることとする。
   デジタル機器なども可能な限り新しいものを身近に置くこととする。
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以上が先回書いたミッション・ステートメントを叩き台にして
書き換えたものだ。
前回より解りやすく一段良くなったようだが、まだ何か足りないような
気がする。
実際、いま実行しているのが倫理的事項以外が、大部分のような気がする
からだ。
この改訂にやはり3時間の集中時間がかかったが、今一度書き直すべきか。

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2002年08月16日(金)
489,送り火ー母への追悼文

今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。
6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文を書いてみた。
もうあと一ヶ月で7回忌だ。
   机の中から偶然出てきた文を書いておく。

  -通夜挨拶ー         
  平成8年9月25日20時

本日は母の通夜にお忙しい中,遠方よりご列席いただき
有難うございました。母も心より喜んでいると思います。

この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の
12時51分に帰らぬ人となりました。

当初は三週間の入院予定で順調に回復しているように見えましたが、
まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。
88歳6ヶ月の命でした。

母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に必ず
飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。
また通夜は明るく華やかに!とのことでした。

私自身29歳の時から21年間、母と同居、
母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。
自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。
母の死で自