つれづれに

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 さて、イギリスの、国民投票、あと3日後にせまった。
もし、離脱派が勝つと、UEの崩壊のドミノ倒しに至る可能性が出てくる。
世界恐慌に入っているとすると、当然の結果である。 維持派が勝てば、
問題の先送りが可能になる。 どっちにしてもEUが瓦解するとみるか、
欧州全体を国家とするか、それぞれの民族を主体とした国家を主体とするか、
歴史的分かれ目になる。 まずは、離脱しないで、維持派が勝つのが順当だろう。
 というわけで、ぎりぎり、維持派が勝つ。これが結論。 離脱派が勝つのも、
有りだが。刺激が強すぎる。


・・・・・・
3373, 凄い時代
2010年06月20日(日)
  *「凄い時代ー勝負は2011年ー」堺屋太一
「はじめに」の前半に、要約がズバリ書いてある。まず、その部分から。
ー「凄い時代」である。一年前は「大昔」、二年先は全く新しい世の中に
 なるだろう。二年前の2008年の洞爺湖畔で8ケ国のサミットが開かれた。
それが一年後にはイタリアで、たった半日だけで、他は13ケ国の拡大会合や
17ヶ国の会合に当てられたのは、国際金融の建て直しと世界大不況の対策。
たった一年で、世界会議の枠組みも、語り合う議題も、変わってしまった・・
2009年の世界経済は政策支援の「集中治療室」状態。各国とも生命維持装置の
カテールが何本もつけてある。しかし、やがて抜きはじめる。その時こそ、
本当の衝撃が始る革命的改革期だ。それが2011年になるだろう。
本当の「凄い時代」である。なぜそうなのか。  
  (字数制限のためカット 2012年6月20日)
・・・・・・・・
2998,他人に厳しく、自分に甘く
 2009年06月20日(土)
 「世界は感情で動く」 ー3      読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
* 他人に厳しく、自分に甘く

2005/03/08
1435, 人生の第四コーナー
私の年齢ともなれば、競馬でいえば第四コーナーを回って最後の直線コーナーになる。
名馬は、この第四コーナーから直線の追い込みに本当の力を出す。
逆にいえば胸突き八丁でもあり、一番大事な時期でもある。

両親の生き様を直接目にすることができた。
それは、長年かけた楽しみを追及することである。
その準備を如何にしてきたかが問題であるが、その一つにお金もある。

先日書いた中年クライシスは、社会的な世界だけで生きてきた人間に生じる。
ライフワークのベースをつくっておかなくては、人生の第四コーナーの直線で
息が尽きてしまう。

今年の4月1日から、私の同期の定年が始る。
私の知る限り生き生きしている人は僅かである。
自分の趣味と独自の世界をつくっていなかった人が多い。

人間には、社会的側面の欲求を満たす側面と
     文化的側面の欲求を満たす側面がある。
直線コーナーまでは、社会的側面の充実が主になり、
その後は、文化的側面の欲求の充実が主となる。

社会的側面を一つずつ剃り落としていく為には本当にしたいことを
見つけることである。そのためには、まずは孤独、孤立を恐れてはならない。
それを恐れていては、社会的仮面ーチンドン屋ーを演じ続ける日々しか
過ごせなくなる。

51歳の年に、ジックリと考える節目の時期があった。
そこで、
「60歳までに、それ以降の人生を全て詰め込んで生きる。
 人生の余白を残さない!やりたいことは、この十年で全てやりつくす」
と決めて、実行してきた。
これは人生設計というより、ある程度の悟りに近かった。

折り返し地点を越えて直線コースに入った中で何を求めたらよいかと考えた。
しかし、その答えはある訳がない。
そこで気楽に「60歳を目標に、それ以降のことを先取りをして
全てやってしまうと考えれば、自ずから多くのやり残したことが見えてくる。
それを周囲の目を気にしないでやり尽す。」と考えた。
今から見ると、それが大正解であったようだ。

その60歳まであと1年、この8年でやり残したことが多い。
が、しかし多くのことも実行した。
このHPも一種の自分史でもあり、遺言でもある。
他人から見たら、この程度のことかも知れないが、一応言いたいこと
は書き残したつもりである。

「定年になったら」とか、
「子供が大学を卒業をしてから」からといって先延ばしにするのではなく、
現在できることを先取りをして、ドンドン実行すべきである。

その為には、世間にドップリつかっている俗物を多く見つけ、
心の中で徹底的に否定することであった。
早く言えば近寄らないことであった。

それでは、「60歳を過ぎたら何をするのか?」という疑問が出るが、
50代で実行してきた周辺で、やり残したことを見つけ一つずつ潰していけばよい。

ところで、ライフワークをどのようにして見つけたら良いか?
私の考えつくした経験からいうと、若い時、それも幼児期とか、
青春時代の、色いろな願望、経験の中にあるヒントがある。
それを考えることが、ある意味の瞑想である。