つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


  今日のYoutube

 大相撲も、もしかして、日本人横綱の誕生かと
思われたが、昨日破れて三敗で、夢破れたり。
結局は、白鵬が優勝だろう。 モンゴル人という、
差別を一番、彼は感じているのだろうが、
その鬱憤を、敗れて力を抜いた力士を、親方に
目がけて投げつけ? 三ヶ月の重傷とは・・
 あまり長くない先に引退になるのか。
むしろヒール役に徹したほうが面白いのかも!

 
・・・・・・・・・
2909, 寝入る瞬間を経験したことがあるか? -2
2009年03月23日(月)
 学者・マギー著「哲学人」が、自宅近くの長岡中央図書館にあった。
この本の冒頭に、5歳の頃に「寝入る瞬間がわかるかでどうか」を3歳上の姉
に聞いたところ、「そんなことを憶えている人がいるわけがないでしょ」と
軽く言われ、そこで自分の眠る瞬間を見張っていたが、出来なかったという。 
それをキッカケに7~8歳の時に指を見つめて一本ずつ曲がるかどうか
試したら、一本ずつ曲がったのを驚きの目で見つめたという。そして10歳
では・・と、身近な疑問が次々と起こってきたという。400pの分厚い本
で上下巻あったが、30分ほど図書館で「寝入る瞬間の経験を何故できないか」
の部分を調べたが、調べた限りではなかった。 これは簡単に論証するには
至難ということである。 カント哲学の分野ということだろうか?
 前回、軽くその答えを書こうとしたが、訳の分からない内容になったのは
当然のこと。マギーが、その後の人生で寝入る瞬間の経験をしたことはなかった
ようだ。もし経験していれば、正直にそこで書いているはずである。 
それを経験したことのない人や、哲学的に「寝入る瞬間を経験することが不可能
と論証された」を信じる人がいるとしたら、私の経験はウソと判断するはず。
しかし、私は間違いなく、その瞬間を経験したのである。数十分の一か、数百分
の一の刹那であったし、それは夢ではなかった。「あ、見た!」という感覚を
今でもはハッキリ記憶している。マギーが「寝入る瞬間を何故、経験できないか」
の論証があるとしたら、如何なる論か推測したが、あまりの好い加減と恥じて、
それならと懲りずに考えたみた。こと、この件に関して私は実際の経験をして
いるのであるが、そうであれば、この大哲学者より私の経験が優っている。
それなら、もし彼が好い加減な論の推測を気楽にできることになる。 
  ーその後の推論は次のようになるー
「寝入る!と思って寝れない。ということは意志では無理である。意志の奥に
ある無意識が引き込む世界で、意識の世界でコントロールは出来ない。その瞬間
は膨大な無意識の世界が意識を無に引き込む刹那な瞬間であり、それは意識は
捉えるには、その瞬間はあまりに短い。その瞬時を見るなどありえないほど、
膨大の瞬時の集まりが大きい。 更にいうなら、無意識(寝入った世界)が
引き込む精神作用は意識世界の作用でコントロール出来るほど浅くはないのは
経験済みである。その瞬間を見るのは、神の姿を見るのに等しいといってよい。
無意識とはそれ位、生物の膨大な記憶が刻印されている。・・ ー
 こんなところだろうが、好い加減なことは大して違いがない。
「神の姿を垣間見た」と類推するのは、言い得て妙だが。

・・・・・・
2545, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー3
2008年03月23日(日)         ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 女主人の一番の栄誉が、J・F・ケネディが館に来訪したことだろうか?
当時、こういうことを言ったら消されただろうが、時間の経過で身に危険が
ないと判断したためだろう。真偽のほどは解らないが嘘までデッチあげない
だろう。所詮ズボンから下のことは、こんなものだろう。政治家は言葉である。
国民に方向をしっかり告げて、底からエネルギーを沸かせればよい。
ともかく、この本、どの部分を読んでも、具体的でおもしろい!
 ーー
ある朝、私はアメリカ大使館から電話をもらいました。「大変重要な人物)が今、
パリにおしのびでいらしていますが、最高に品格のある女性を望まれています」
その話し相手はつけ加えて言いました。
「彼に、その女性があなたの館から来たということを、知られてはいけません。
 私たちは彼女のことを、大使の友だちのマヌカン(モデル)として紹介します」
「まったく問題ございません。私のところにそういった場にふさわしい
パーフェクトなイギリス女性がおりますので、彼女を送ります」  
翌日、娘はとてもエキサイトしてオフィスにやってきました。
「クロード、大統領だったのよ」「えっ、どこの?」と、地球の
支配者達に、何の感動を覚えなくなっていた私は、ぼんやりと尋ねました。
(字数の関係でカット2011年03月23日)

2180, 14歳の君へ -2      
2007年03月23日(金)

オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン!
              ー 読書日記
    ー勉学ー
    についてが、考えさせられる内容である。
    私自身、この歳になって学ぶことが、飛躍的に?伸びている。
    何ゆえかというと、知った分だけ自分が広がっていく実感と、
    充実感がよいから意欲がわくためである。
    それと、このHPを持ったことも含め、情報環境が飛躍的に
    良くなったことである。
    
この20年近く秘境・異境に行きつづけて、大自然や異境の文化・文明との出会い、
感動を重ねている感覚に似ている。ツアーと旅とは似て非なるものである。
それぐらい解っている。旅は目的地そのものへの到達と、そのプロセスを味わうもの。
その困難性やハプニングの中にこそ、味わいがある。
ツアーはプロセスを楽しむが、それは企画された範囲である。
企画側のストーリーの中での、危険を最小限度に抑えて楽しむ遊びである。
しかし一つの事例として、北スペイン「パンプローナ牛追い祭り
の二週間のバスツアー。 旅なれない個人の企画の旅より、
20人位の人が大型バスを一台借り切った方が、効率が良い上に、
最大限の観光が可能となる。
またケニアタンザニアなど個人では危険があまりにも多すぎる。
そこで仲間を集って経費を合理的に使う、これが現在のツアーの価値となっている。

    勉学と少し話が違うようだが、自分の中の知識・見識の蓄積ということでは、
    同じである。 勉学の目的「賢くなるため学ぶ」ことである。
    目的(地)は賢くなることで、良い学校を出て、良い会社に入ることではない。
    良い学校・会社に行けば、賢いやつが多くいるから、賢さの意味や、
    手法・手順が身に付くが、しかし目的(地)ではない。
    そのプロセスこそ重要ということでは、旅の道程を楽しむことに似ている。

ー考えさせられた箇所を抜粋してみるー

ー「14歳の君へ」から
P-60
「勉強ができる」ということと、「賢い」ということは、違うことだとわかるだろうか。
君たちが普通、「あの人は勉強ができる」と言うとき、たいていそれは「成績がいい」
ということだね。だけど、「賢い」というのは、そういうこじゃない。

たとえば、なぜ言葉というのは、そんなふうに活用するものなのか、
なぜ活用することで言葉の意味は変わるのか、そういう問いをもっていることだ。
問いをもって、自分で考えていることだ。あるいはローマ帝国の本を読んだとして、
なぜ帝国は滅んでしまったのだろうか、滅ぶということは人々にとってどういうこと
だったのか、そういう問いをもって、それを自分で考えることだ。
教わったことについて自分で考えることことだ。

君は授業で教わったことを自分で考えたことがありますか。
・・・(中略)自分で考えたことは、決して忘れることがない。
その人の血肉になり、本当の知識になって、その人のものになるのだ。
人が賢くなるということは、こういうことだ。

言葉はなぜ活用するのかを考えるということは、自分がふだん使っている
この言葉について考えることだし、ローマ帝国の崩壊と人々について
考えるということは、同じ人間としての自分の心や行為について考えることだ。
考えるということは、必ず、自分のこととして考えるということだ。
すべて自分に関係のあることとして考えるということなんだ。

P-65
 今の学校の勉強の方法では、学んで知ることの本当の面白さは、
なかなか分らない。だから君は、学校の勉強は学校の勉強として、
自分ひとりで考えることの面白さを追求してゆくのがいいだろう。
本を読むのが一番いい手だ。試験勉強などいくら数をこなしても、
賢くはならないがね。成績を気にしないで、自分の頭で考えよう。

本当に大事なことは、試験や受験の先にこそあるということを、
忘れないでいましょう。人生にとって本当に大事なことは何なのか
ということこそ、自分で考えて知らなければならない問いだ。
「知る」ということが、自分が賢くなって、賢い人生を生きるために知ることで
なければ、知るなんてことに、いったい何の意味があるのだろう。

人類には「学問」という仕事の分野がある。その歴史はとても古くて、
ある意味では「有史」ということ自体がその始まりだといっていい。
人間が動物から分かれて、「知性」」つまり「知る、知ろうとする性質」
を持ったときから、それは始まっていたということだ。
人間は、いつも知りたかったんだ。世界とは何か、宇宙とは何か、
そこで自分が生きて死ぬとはどういうことなのか。

学問をするということは、いつも知りたくて考えてきた人間の知性の営み、
その長い歴史的営みに参加することなのだ。これは魅力的だと思わないか。
過去のどんな立派な人が残した仕事も、自分と同じように知りたかった
人間がしていた仕事だと思うと、何だかいとおしく懐かしいような感じに
なるはずである。

学問よりもスポーツや芸術の方に興味を持つのもよい。
自分の好きな道を行くがいい。
でもどの道を行くにしても、それを本当に「知る」ためには、
自分で考えて自分のものにすること、それは同じだとわかるよね。

ーーー
   解) 14歳の子供に説教するのだから、わかりやすく、かつ
    面白くなければならない。それも勉学の必要性を砕いて説かないのだから、
    哲学者の真骨頂になる部分である。
    このような情報化の時代であるからこそ、「知性」が問題になるのである。
    問を持ち、答えを求める姿勢こそ、学問から得る最大の習性である。
    それが知性となり、教養となっていく。

   「知るということは、賢い人生を生きるため」と、言われてみて、
    果たして私の人生は賢い人生だったのだろうか?と、問い直してみると、
    反省すること大である。
    もちろん、私は賢い人生を過ごしてきましたと思ったとしたら、
    間違いなくバカの人生を過ごしてきた!という逆になってしまう。
   「まあ、いいか!こんなものか!」と、独りブツブツ言うしかないか!

    賢いとは、いま思いつく解釈は、
 「ものごとの本質を、一瞬で読み取る感覚、能力」
 「感動、感激をする能力のある人」である。それと、
 「主体性のある人」である。
               ¥(*^_^*)\ バイバイ 

・・・・・・・・
2006年03月23日(木)
1815, 近聞遠見
         ォ'`ォ'`( ゚,_・・゚)ノ"ォ'`ォ'`ョゥ
先日の毎日新聞のコラム「近聞遠見」の岩見隆夫
岩国哲人の『偽の国』論」が含蓄が深い。
  ーまずは、その内容を紹介してみるー
  
   今週、所用で何年ぶりか、出雲空港に降り立った。
   さらに、JR山陰線の特急<スーパーおき>に乗り、日本海沿いを大田、浜田、
   益田と西に走る。海岸線が目に心地よく、飽きない。

ところで、17年前、この出雲市の市長に、いまは民主党衆院議員の岩國哲人が就き、
イデア行政で話題をまいた。突然市長を辞め、東京都知事選に出馬したこともある。
永田町ではあまり知られていないが、岩國は名物コラム
<一月三舟(いちげつさんしゅう)>の執筆者だ。
タイトルは仏教語で、一つの月も見上げる舟によって異なる、という教えである。

   郷里の「日本海新聞」に毎週1回、400字詰めで約7枚、
   書き続けて10年目に入った。多忙な政務のかたわら、容易にできることではない。
   1月9日付は、<魏(ぎ)の国、偽(ぎ)の国>という題である。
   出雲市の友好都市、漢中市は中国史で名高い魏・蜀・呉の三国時代の舞台になったところ。
   3世紀の日本の政情、風俗などを記した文献「魏志倭人(ぎしわじん)伝」の縁もある。

ところが、同じギでも、最近の日本は<偽の国>に迷いこんでいる、と岩國は嘆く。
過去1年を振り返っても、数多くの<偽>の字がマスコミ報道をにぎわした--。

 ▽昨年の初詣で、各地の神社で<偽札>が使われる。
 ▽西武鉄道の株主名簿が<偽装>され、いわば<偽株>の売買を50年間も許してきた。
 ▽カネボウの粉飾による<偽決算>が投資家を驚かせた。
 ▽永田町でも、日歯連の1億円献金を隠した<偽収支報告書>に司法のメスが入った。
 ▽イラク戦争の名分は大量破壊兵器の存在とされたが、
 これも<偽情報>とわかり、小泉純一郎首相の自衛隊派遣も根拠が崩れた。
 ▽極めつけはマンション、ホテルの<耐震強度偽装>という衝撃的事件だった。
                          (´Д`;)/ヽァ・・・
    本物の影が薄い。岩國は米国の中央銀行を見学したとき、
    本物の金塊が一般見学者用にどしんと置かれているのを見て感激したことがある。
    そこで昨年1月の衆院予算委で、
   「日本銀行本店にうやうやしく展示されている金塊は本物か偽物か」
    と福井俊彦総裁に質問した。 
    答えは、「模造品です」だった。
    プラスチック製の金の延べ棒21本をピラミッド状に積み重ね、
    本物らしく見せているという。
            (*^ー^)/C□~~ コーヒー                  
=毎週土曜日に掲載 岩見隆夫のホームページは
 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/
       毎日新聞 2006年3月18日 東京朝刊
  ーーー

以上だが、それでは先進国といわれているG・8以外の国はどうか?
といわれれば、偽なんてものじゃない!
中国、韓国、フィリッピンはどうか?と、
対象にするほうがおかしいか!
アメリカも同じことがいえるだろう?
真偽とは何か?を、深く考えてないので?と、
いや、こういう視点も大事なことである。
             ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛
 ・・・・・・・・ 
 2005年03月23日(水)
1450, 書く(一人、語る)ということ -2

このHPを開設をして、あと1ヶ月あまりで丸4年になる。
よく書き続けてきたと思うが、私自身にとって開設前と後という位の
大きなインパクトがあった。
書き出して公開するということは知性の乏しさや品性が出てしまう。

20代前半の日記を読んでみると、書き残すという意味と必要性が解る。
問題はその後書き続けてなかったことである。
書き続けていれば、人生は全く違ったものになっていた。

日記など、自分の考えを書き続けている人は1�しかいないという。
それだけ自分の気持を書き連ねることは大変なことである。
記憶として思い出したくないことが人生には多いからだ。

随想日記は、考える生活、語る人生への転換であった。
(それまでも少しはあったが、毎日書き出すことはしてなかった。)
・考えることが少ない生活から、 考える生活へ
・必要なことを求める生活から、  知を求める生活へ
・役立つものを価値としいた生活から、目先は役立たない価値を求める生活へ
・常識に従う生活から、        常識を疑う生活へ
・実生活の利害から物事をみる見方から、 真実を見ようとする生活へ
・日常の会話重視から、          哲学的論理を重視する生活へ
 と変わっていった。  

これは一般社会の見方を根底から否定することになる。
それ以上に自分の知識欲求が、日にちを重ねれば重ねるほど大きくなっていく
ほうが素晴らしい。しかし、興味本位でみている人は少しは納得はするが?、
何か可笑しな戯言に思えるだろう。

過去の天才を調べると、共通点は日記や、詩、手紙などに自分の気持や考えを
雄弁に書いていたという。天才などなりたくもないし、なれるわけがないが、
脳の基礎構造を拡大している実感がする。
4年間書き続けてみて、内面のコペルニクス的な大転換を経験している。
おそらく、このペースであと6年間ー合計10年続けたら、
何かが爆発する予測はできるが、それが具体的に何かはわからない。

一昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、
‘最近の若者が気楽に小説を書くようになった’という特集をしていた。
全く、他の本を読んだことがない若者が芥川賞をとってしまうのだ。
携帯やパソコンでメールをしているので、いつの間にか文章力、
表現力がついてしまっている。
おまけにインターネットやゲームで感覚が研ぎ澄まされている。
彼らの文化もチャンとできているのだ。

言葉とイメージは人間に対し、神が与えた最大の能力(脳力)である。

・・・・・・・・
2004年03月23日(火)
1085, 「80対20」革命 -3 (読書日記)

現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが
求められている。
その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。
ところで、その途方もない
「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか?
この書で解りやすく書いている。

・創造活動の一つは、「既存のものを再構築する」ということである。
「日の下に新しきものなし」と旧約聖書にも書いてある。
一万年前の農業革命も、自然の中に元々あったものを再編成をして、
はるかに生産性の高いものにした。
 そして1750年以降の農業革命は、古来の生産様式を再編成をして、
規模と機械の効力を利用した。
現在のバイオテクノロジーは自然の行為を真似をして、その速度を上げ、
新たな変更を行っているに過ぎない。

・第二の特徴は、
「もっとも大きな強力な力を増大させる」というこである。
自然な力は無数にある。生物も生物でないものも。
創造に役立つものはその中の少数のものだけである。
有益なものは少数しかない。
植物の中で、滋養分が多いのは少数である。
栽培方法でも、優れているものは少数である。
生産物の中で、多産のものは少数である。

・創造の第三の興味深い点は、
「創造は、アイデアと個人がぶつかり結託するときに生じる」ということである。
創造の本質は物理的なものではなく、知的なものである。
マイクロソフトのアイデアは砂漠の砂遊びから生まれたのではなく、色々な
イデアをいじくり回したことから生まれた。
創造に必要なものは、アイデアと個人、それも少数のアイデアと個人である。
偉大な科学的飛躍はすべて、元をたどれば個人や小チームがあれこれ考え
再構築した少数の豊かなアイデアである。

・ビジネスの創造には、第四の特徴がある。
「ビジネスの創造は、顧客にとって価値が向上するものでなくてはならない」
ということである。より多くのものをよりやすく提供することである。

創造をおこなうことが不思議でもなんでもないのは、
科学者の非凡な才能や狂気じみた発明家、霊感を得た起業家だけである。

・・・・・・・・
2003年3月23日 718, 「無名人名語録」
     ー永六輔ー  読書日記
     
 無名人、普通人、一般人……の片言隻句の集成である。
誰かが言いそうで、オレが言ってもおかしくない、と思わせる言葉だ。
こう言っている人はどんな人かと想像を刺激する言葉に満ちている。
普段バカ話を話している時、こんな事をいつもいっていし、高尚な哲学の話より
ずっと親近感を感じる内容だ。  こうなると言葉の収集家といってよい。

ーまえがきー の一部
考えてみると老人たちが何げなくつぶやく「道家」も、江戸時代の「無名人命語録」だ。
少し並べてみる
:堪忍袋の袋を常に首にかけ 破れたら縫え破れたら縫え
:今日ほめて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中
:ぶらぶらと暮らすようでも瓢箪は 胸のあたりにしめくくりあり
:手や足の汚れは常に洗えども 心の垢を洗う人はなし

・「若い奴には教養がないっていいますが、その教養を身につける素養というものが
 ありませんねェ」
・「美人の浮気を不倫というの、ブスの浮気は不貞というの。・・・これも美輪明宏語録」
・「美輪明宏が言っていたけど、美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる」
・「夫婦喧嘩しててね、ダンナ言葉の言葉に、お国訛りが出てきたらそろそろ注意するの。
 訛ったら、その次は暴力なの。だから、相手の言葉遣いをよく聞くようになちゃった」
・「良く風呂が熱いと文句をいただくんですけど、私どものように団体の多い温泉宿は
 風呂を熱くしておきませんと、とても汚れがひどくてねェ。
 ほどよい湯加減ですと、どうしても浴槽の中で身体をこすります。この汚れがバカに
 なりませんので」
・「生きにくい世の中ってのはわかるけれど、/死ににくい世の中でもあるんですよね」は、
 病床の爺さんだろうかだろうか。
・「旅行をリョコウって読まないでさ、リョギョウって読めば、少しは厳しい感じが
 するけれどね……」は、ツアーコンダクターが言いそうな気がする。
・「インドから日本に来て、驚いたことがあります。
 紅茶にレモンを入れることです。/安い、悪い紅茶を使っているからだと思います」
・「狂言では歩くと言いません。/身体を運ぶと言いますね」 通人のセリフである。
・「死刑囚には/最後にタバコをすすめるのですが、/肺癌になるからと断って/刑場に向かった
 男がいましたよ」
・「農業をやっている事に誇りを持てって言う奴がいるけどさ。
 どうやって?どうやったら誇りを持てるんだよ。
 歴史上、農業をやって誇りを持った奴がいたら逢いたいよぉ!
 誇りなんてものは、周囲を見下したとき持てるものじゃないのかい」
・「日本人妻という言葉があるのに日本人夫と言わないのは何故ですかね。」
・「暴力団がいなくなるようだったら、もうその町は活気が無いってことです。」
・「住宅ローンのこと、子どもの受験のこと、親の介護のこと、そして女房のことを考えている
 うちに自殺しちゃったんだって・・・・。/駄目だよ、バラバラに考えなきゃ。」
・「生きるということは、/生き残るということです。」
 「面白い話はいくらでもある。/でも、面白い話し方は滅多にない」
・「しなやか、したたか、つややか、この三つ、
 これが長持ちするコツだすな」
 『無名人名語録』  永六輔 (講談社、1987)
  2003年03月10日  長岡中央図書館
 
・・・・・・・
2002年03月23日(土)
354,偶然の一致 -時差ぼけ

心理学でいうシンクロニシティーである。
今起きてきて、台所の時計が9時16分で止まっていた。
居間の時計も9時16分で止まっていたのだ。
寝室の時計で6時過ぎである事は確かである。
現在は6時21分のはずである。
腕時計を見たら、9時21分になっていた。
ウソじゃないか!ウソじゃない!
そうすると3っの時間が9時16分に一緒になっていた事になる。
台所の時計は止まり、居間の時計は現在9時35分でどういう訳か
今動いている。腕時計を今見ると9時35分である。
(16分から19分たって35分になっていた為、時間が違う)
シンクロニシテーが起こったのだ!

TVをつけたら9時35分であった。
4っつ目の偶然の一致?いや寝室の目覚ましが壊れていたのだ。
お粗末!これが時差ぼけだ。家内は今も寝ている。
それにしても朝4時に目覚ましを見たとき、いやに明るかった!
それに何の疑問を持たないのが時差ぼけである。

たった今起きた小さい迷事件である。

・・・・・・・
<お笑い>
長生きの秘訣
ー百歳のおばあちゃんー長生きの秘訣

百歳のおばあちゃんの処に遊びに来た曾孫、
帰り際に「また来年も元気で会おうね」と言うと、
おばあちゃん不思議そうな顔をして
「お前、体のどこかおかしいのかね?」