つれづれに

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 今朝のモーニングショーで、20,30歳代の独り者の男女に、
『クリスマスイブを誰と過ごしてますか?』の質問に、7割弱が
「クリボッチ」 ―クリスマスを独りボッチに過ごす造語―で過ごして
いると答えていた。 2割強が、恋人と、7%が友人とか。
 何ごとも上位、2割が恵まれた状況ということか!



・・・・・・
2092, 下流喰い -2
2006年12月25日(月)

           おっW(^O^)Wはようございます
                  ー 読書日記
 前回では概要を中心とした内容だったが、ここでは、
 消費者金融の世界の生々しい現場のレポートを中心に抜粋しながら考えてみる。
 駅のダンボールの住人(ホームレス)の殆んどが多重債務者という。
 一歩踏み外すと、誰もが陥ってしまう世界である。 
     350万人といえば30人に1人が多重債務者。ということは、
     10世帯のうち1世帯が多重債務者が存在していることになる。
     4世帯に一軒が高利貸しの金を借りていること自体が異常である。
     時代が変わってしまったということである。
     消費者金融の顧客が、どういう経過をたどって多重債務者になっていくかが
     詳しく書いてあり、大手消費者金融会社が彼らを罠に落としていく様が生々しい。
 
ーまずは、生々しい実態の部分を抜粋して考えてみようー
 
*多重債務者の平均像とは*
  --------- 
 いま私の手元にある事業団がまとめた
 「多重債務者の平均像」という資料がある。
 その資料によると、
 ?多重債務者の借り入れ目的の筆頭が「生活費補填」で、女性の割合が高い。
 一般に女性は男性に較べて年収が低い上に、債務件数も男性を上回る傾向がある。
 ?年収は平均240万円で、借り入れ時より20万ほど減収している。
 ?債務件数は八件で、現在の債務残高は約335万円。
 ?ひと月あたりの返済額は14万円。 
 何処にでもいる若者の姿が眼に浮かぶが、
 債務件数が平均八件とは異常である。
 
     *おんな市場*
      -----
     眼を疑ったところは
     ー「借金総額+50万」で売られる女ーである。
     これが本当に日本国内のことか?信じられない思いである。
     --
    〔明るいラウンジ内には、すでに40代から50代の30人以上の男達が
     集まっていた。ホストクラブの店内で、それは唐突に始まった。
     パンティ一枚きりで胸を両腕でかばった女達10人が、店の奥から出てきた。
     平均20~40代半ばといったところか。
     彼女らは全員腹の部分に直接マジックで書かれていた。
     
     意外だったのはその表情に蔭はなく、あっけらかんとしていた。
     もちろん入札といっても、威勢のかけ声があるわけではない。
     男たちはメモに金額らしきものを走り書きし、清算は後払いのようだ。
     同行した飲食店主に聞いてもらうと、どうやら値段は、
     「借金総額+50万」らしい。
     
     落札された女は、業者から住まいを提供され、‘年季が明けるまで’
     最低の生活は保障される。 通称、「やみ金」とよばれる荒っぽい手合いが、
     債務者の命を奪うところまで追いかけてくるのだ。
     彼らにロックオンされたら、おそらく逃げ道はないー。〕
 
 *ターゲットは低所得の若者*
  ------------
 消費者金融の顧客像をもう少し細かく触れておきたい。
 ・大手消費金融の新規顧客の72?が男性であり、
 ・年齢は「30歳未満」が44?、
     「30~40歳未満」23?、と40歳未満が三分の二を占める。
 ・収入面では、81?が「500万未満」で、「400万未満」が65?、
  300万未満」が42?とつづく。
  
  これでも日本はいまだに「現金社会」であり、家計支出に占めるカード決済は
  アメリカの半分にも満たない。
  携帯電話からの「お財布ケイタイ」など新しい決済機能を考えると、
  さらに多重債務者の数は増えていくだろう。 
 
     *やみ金の資金源と手口*
      ----------
     彼らの経営資源といえば、次の三つになる。
     ?タネ銭(金主)
     ?携帯電話
     ?銀行口座 である。
    これを見ただけでピンとくるだろう。
    そう、やみ金と「オレオレ詐欺」「架空請求詐欺」「振り込めさぎ」などが、
    イコールの関係にあることが一目瞭然だからである。
    ちなみに振り込め詐欺の世界では名簿、携帯電話、他人名義の銀行口座の三つは、
    犯罪遂行上、欠かすことのできないツールとして
    「三種の神器」などとも呼ばれている。
    主に電話を使って債務者を脅し上げ、金を振り込ませるー犯罪の基本的手口は
    違えども、バリエーションは実に様々である。 
     02年から03年にかけて一斉に摘発された山口組系五菱会は
     独自に開発したマニュアルで、被害者と顔を合わさない「非対面式」をとって、
     その手口は、電話のかけ方や騙しのテクニック、電話で警察に扮したり、
     被害者の親族に扮したりするもの。
     暴力団特有の弱者を徹底的に喰いつくすものだ。
 
     自己破産者や多重債務者の周囲には、闇のネットワークが二重三重に張り巡らされ、
     ヤミ金融業者から勝手に金が振り込まれる「カラ貸し」もある。
     いったん振り込まれたものを使ってしまうと、一日100回以上の督促・恫喝の電話が
     自宅やアルバイト先、親戚、知人宅、子供の通う学校までかかってくる。
     さらに頼んでないタクシーが迎えにきたり、大量の宅配ピザや寿司屋の出前が
     きたりする。ちなみにヤミ金融界ではキャッシュカードと銀行口座がセットで
     販売されていて、専門の「口座屋」まで存在する。
  ーーーーー 
 それにしても、これでは日本は無法地帯ではないか。
 銀行に行くと、高利貸しのヤクザまがいの男が入金のため闊歩している。
 ??銀行のヤクザまがいの恐喝場面に私自身も出会ったことがある。
 この国は、アメリカの隷属国家! その完成の姿が若者に出ている。 
 しかし狂っているのは誰だというのか?!
 魚は頭と尻尾から腐るというが!
  
 確かに、情報化社会の進歩は目を見張るものがあるが、
 反面こんな狂った社会を見るとは思わなかった!
 これもグローバル化の一端の現象なのだろう! 
                (o ・д・)ツ  バイ!
 ・・・・・・・・
 2005年12月25日(日)
1727, 中野ブロードウエイ  -1
                (゚∇^*)オハヨ♪~
中野ブロードウェイ」は
 JR中野駅の前にあるショッピングモールの一番奥にある。
  中古漫画など、コレクターズアイテムを扱うお店が集まることで知られる。
   その近くに住む知人に案内されるまで、その存在を知らなかったが、
    一歩足を踏み入れて驚いた。
    猥雑な?店がところ狭し並んでいて、根暗な感じの男や東南アジア・韓国・
    中国人などでどの店も満ち溢れていた。
    上海の場末のモールという雰囲気である。
    不気味?な雰囲気で、最近はオタクだけでなく一般の客が
   異様な面白さに引かれて集まってくるという。
  地下1~4階までは、フロアごとに商店会が組織されていて、
 それぞれが「ビルの中にある商店街」になっている。〔ワンフロアー1000坪位か〕
また5~10階は住居フロアになっている。 
ここは1960年代最先端スポットであったが、
 今ではマニアックな買い物が楽しめる場所として秋葉原と同じぐらい全国レベル、
  いや世界レベルに知られる観光ゾーンにもなっている。  
         ∪・ェ・∪ イヌ (=・ェ・=) ネコ
         (・ x ・) ウサギ (・(エ)・) クマ    
   骨とう屋、宝飾品店だけでなく、ペットショップ、
    漫画、アニメはもとより、フィギュア、食玩、オーディオ機器など、
    いわゆる“オタク”な人々がお宝を探しにやってくる。
    そういう店が2、3階に集中していて、異様な雰囲気を醸しだしている。
               ((≡ ̄♀ ̄≡))/T タケコプター ドラえもん
               └|∵|┐ はにわ (=゚ω゚=) たまちゃん
    地下にはアメ横のような食料品店や、安くておしゃれな衣料品の店がそろっている。
    バッグ、化粧品、寝具など、くらしに身近で気軽に入れるお店も多くある。
   その一角には西友があったが、何か場違いであった。
   一言でいうと、
  お宅?を中心にした客層を狙ったレアモノのショッピングモールである。
 前のアメ横イカガワシサがプンプンとしている。
 ブラックの商品が多く流れている雰囲気がよい。

   サロンに、ここのHPを貼り付けておきます。 
      -つづく
  ・・・・・・・・・・ 
  2004年12月25日(土)
1362, 金に泣く人笑う人 -2
             読書日記             
第五章の「男と女の金の相関」
ー「ヒモのAとイロのB」の内容が面白く、かつ悲しい。

 まずはヒモの話である。
ーヒモのAはなんの変哲もない二十代後半である。
 ホストクラブで働くような男ではない。
  むしろ風采の上がらないセールスマンといったタイプである。
   この男に18人の女性がどうして貢ぐのか。
   いくら考えてもわからなかったが、何回か会っているうちに、
    この男には特殊の偽善性があるのがわかった。

    虚言癖がごく自然に具わっているのが徐々にわかった。
    その理由は、Aと会う場所がその都度変わっていて、彼はどの雰囲気にも
    自然に溶け合っているのだ。
    場所は喫茶店という外の店でなく、常に違った女性の部屋であった。
    OL,ホステス、居酒屋の女将、学生、看護婦とさまざまであった。
   彼はどの部屋にも溶け込む男であった。
   どの部屋にもピッタリと合っていたものだ。

  ヤドカリ男は見事なカメレオン野郎でもあった。
 転々と、2~3日で次の女の部屋に移っていくのだ。
 だから、平均して二ヶ月に一回の割合になる。

 彼は一貫して同じ職業を名乗っていた。
 外資系の薬品会社のセールスマンであり、二ヶ月に一度は日本の土を踏む、
  という生活をしていると偽っていた。

   18人の女性はまんまとこの口車の乗せられたことになる。
   大阪、京都、神戸、姫路といった具合に女性たちを分散していて、
    一日の仕事は、女性の部屋から他の女性に電話を短く入れることである。
    偽の国際電話であることはいうまでもない。
     女達はこの電話を頭から信じていたのだ。

     小道具としては、洋書が二冊と外国のマガジン一冊で十分だといっていた。
    海外に出たこともないのに、海外の情報に精通していて、
    彼女たちに外国の街の模様をさりげなく寝物語にしてやるだけで、
   久しぶりに帰ってきた彼を暖かく迎え入れていた。
   パリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、フレンツェ、サンフランシスコ、
  サンパウロ・・・といった地名が女性たちを操るのはかれは十分に熟知していた。
 女性から見れば、自分の部屋にいる以外は外国暮らしをしていると思えば
 安心することを知り尽くしていたのだ。

 このAには一つの隠し玉があった。
  それは女性の部屋を立ち去る時に、必ず女性の宝物「宝石、指輪の類)を
   一個失敬していくのである。大した額のものではない。
    この持ち出した品物は次の女性のプレゼントをするのだ。
    B子の物はC子へ、C子の物はD子に、とリレーされていくのだ。
     香水の場合や、ベルトの時もある。
     このさりげないプレゼントで彼女たちは十分に満足が与えられるという。
     一種の天才色事師といえる。これほど効率的なプレゼントはない。

    このAは現在何をしているかというと、創作に励んでいるいるのである。
   作家を目指しているようだ。・・・・
 ーーー
以上だが、この女性版が飲み屋や、クラブのママさんである。
 多くの鼻の下の長い男や、若い男を、そして旦那を操るのである。
  クラブ・スナックの世界は、間接的な仮設自由恋愛の世界である。
   自分と手伝いと称したアルバイトのスタッフの女性を、使い分けて
   自由恋愛世界を演出して一夜を遊ばせる世界である。

   売春するわけでないし、ただ話をして、歌を歌い、踊るだけの世界である。
    世界広しといえども、日本だけのシステムである。
    その中では、ホステスやママは数人の男と??、先ほどのヒモのような
     綱渡りをしているケースも聞くが。
     大分は真面目なケースが多いが?
    次はイロの方である。
            - つづく
 ・・・・・・・・
2003年12月25日(木)
995, クリスマス-2

昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、
 その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。

  ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先の
   ジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、半年経っていた。
    会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。
    2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。
     5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の立ち上げの責任者に
     取立てられていた。
     それにしても、あまりにも過酷であった。

     当時のスーパーは、まだ得体の知れない新参の危うい小売屋でしかなかった。
    濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている日々だった。
    現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。
   それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。
  いや今もそうだが。

話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーを
やったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。
 その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、
 これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。
  そうなら何処かで記憶が残っているだろう。
   クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。
   それにしても、あまりに異常の世界であった。
    合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。
    の先兵は如何立場かという知識は全く無かった。

    先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。
    信じられないような光景が色いろあった。

   ところで、その年の年越しを思い出した。
  宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。
 当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。
 それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。

 刺激が強すぎた日々でも、芯には染まらないのが私の特性である。
 これは武澤ゼミのお陰であるし、また欠点かもしれない。
 また創業という目的があったためである。

  「クリスマス」や「年越し」という視点で、過去を切り取ってみると
    色いろのことが記憶の底から湧き出てくる。
 
        メリークリスマス!
・・・・・
2002年12月25日(水)
621, 電子辞書を初めて買った実感

今回のパタゴニアの旅行で、ある人が電子辞書を持ってきていた。
常に持ち歩いて,ことあるごとに使っているのを見て早速買った。

買ってすぐに感じた事はとにかく便利な事だ。
携帯電話でその代用をしている人はその必要はないのだろうが。
結構身近においておくと使うのだ。あれば使う至極当然である。
インターネットで調べられるが、電子辞書は電源を入れて立ち上げての
手間が少なくて済むのがよい。

私が買ったものは超ミニパソコンの型をしている。
10冊以上の辞書がコンパクトに収められていて手軽に広辞苑
百科辞典カタカナ語や漢字辞書がひける。
また分野別に辞書機能ー人名や地名や慣用句別にもひける。

1度調べたものは栞や単語帳に収まるのも便利である。
スーパージャンプで同じ単語を他の辞書で飛んでひける機能もある。
こういう機能の存在や便利さは実際買ってみて初めてわかる。
パソコンより実際のところ早く買うべき商品であった。

私の買ったものは家庭の居間用に最適な辞書を揃えてあるものだ。
ー手紙文作成機能や料理機能もついている。

数日使っているが、家内の方が頻繁に使っている。
文字サイズも大と小があり切り替える事ができ便利である。
時々家電の売り場で見ていたが、実際買ってこの便利さがわかった。

インターネットや電子辞書を使ってみて、頭がよいとは如何いうこと
なのか解らなくなってきた。

・・・・・・
2001年12月25日(火)
280、喩え話

かなりキワドイ難しい内容だ。これほど危ない内容はテーマに出来ない。
何で?あまりに本質的な内容になるからだ。それは能力の限界の
表現になる。浅い知識の底を見せてしまうからである。
といって、今更という気持ちで書いてみよう。

キリストも仏陀も喩え話の名人だったという。

難しい話も喩え話で一瞬に理解でき、かつ理解させる事が可能になる。
本質を心象風景で、いや心象画でー心的視覚化する事だ。

喩えー易しく噛み砕き、かつ事例に置き換えることか。
喩えのほうが本質より,より中心をついている場合が多いのは何故か?

イソップ話の内容はあまり知らないが、
「かなり深い喩え話が含まれている」のではないかと想像できる。
神話もその国の潜在意識という。

おとぎ話も昔話もそうだという。ジョークもユーモアも、
庶民の笑いに転化した喩え話が多い。

「暗い子狐」など、自身の心象風景そのものだ。ハワイなどでは出てこない
喩え話である。雪国の特化された生き物だからだ。

喩えはその本質の中心をつかまえてないと、転化できない。
逆にそれさえしっかり把握していれば、可能である。自分の心象風景に
置き換える作業である。そして心象風景の中から、その中心をより
把握させる置き換え作業である。

いずれにしても、自分の理解のためにも喩えを使うことも大事である。
鯰とかーとらえどころのないやつ。ムジナー??とか、動物に喩えるのも面白い。
キリストの「右頬を殴られたら、左頬を出せ」など、キリスト教の教えを
喩えで一言で表現している。

・・・・・
ある時間の断片
12月25日 1968年
11時に起床。
午後本を読んだり、食事をして過ごす。
夕方、米林が帰省をしていく。
夕食後、会社の論文の構想を色いろ書いてみる。
21時に、市川さんの友人等5人を引き連れて赤坂に行く。
いざ中に入ろうとすると、誰も物怖じをして入ろうとしない。
ここまできて何だろうと強引に入れようとするが3人が逃走する。
やっとのこと市川さんと、あと一人を入れる。
入って、踊りだせば後は狂ったように踊りだした。
24時に帰寮。
変な学生時代最後のクリスマスであった。
来年はどんなクリスマスを過ごしているだろうか。

ー2003年12月24日記
その一年後のクリスマスは、ジャスコに勤めて四日市から神戸に転勤になっていた。
神戸の垂水という街であった。凄い世界であった。
転勤直後に瀬戸物の叩き売りをやらされたり、店舗の大改築の真っ只中にいた。
クリスマスの日は、おぼろげな記憶だが寿司屋で仲間内で飲んでいた思い出がある。
神戸の場末のストリップ小屋に、現地の店の先輩に連れて行かれたりしていた。
興味より気持ちが悪いというのが実感であった。
その時は、もう靴屋ー靴部門の責任者であった。僅か八ッヶ月である。
まだ憶えているのが、年越しに宿直で年越し時間に床屋に居たことだ。
何か侘しい寂しい時間の中にいた。
何が流通革命だ!というのが、実感であった。
いま考えてみると、半分正しく半分は純粋になれなかったのだろう。