つれづれに

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 今日の午後からは、日本橋で学生時代の同級会に出席予定。
20人弱の例年の出席者のうち、この数年で、5~6人が病で、
手術とか、亡くなったとか・・ 何時も、会の終わりに東京駅まで
タクシーに同乗した私を含めた3人の内、一人が二番の脳梗塞で亡くなり、
一人が??ガンで手術。今日は、ひとりで東京駅までタクシーで帰る
ことになりそう。だんだん、他人事でなく、自分にも死神が近づいている?
70歳の心象風景である。 

・・・・・・
2801, イングランド・ツアー ?
2008年12月05日(金)

 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。
ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。
ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、
地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、そこで日本人留学生二人が
私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えて
なかった。今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・
サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、走るように見てきた。
初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的
に(一時間)説明してくれた。翌日、午前中はオプションのウィンザー
の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 
 まずはナショナル・ギャラリー。 
ダビンチ、セザンヌゴーギャンなどの絵画が展示されていた。
特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。周りに誰もいない
ところで、独り数分間対峙できたのは至福の時間であった。絵からは作者の
波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 
絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの
経験である。入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。
世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。

次に大英博物館
エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に
奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。それが何気なく展示されて
いるのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、
多くの資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。
その中でも、一番のコレクションといえば、『ロゼッタ・ストーン』である。 
ウキィペディアによると、
ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト
遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によってエジプトの港湾都市
ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 
暗色の花崗閃緑岩からできていて、岩には文字が刻まれており、エジプト語
ギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。
その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世
エピファネス施政下の紀元前196年に開かれたメンフィスの宗教会議の布告を
書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ
と衆文字(デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】
以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番のコレクションという。
また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・
【世界に金融危機の暗雲が漂う中、英国のスーパーモデル、ケイト・モス(34)
の黄金像が2日、ロンドンの大英博物館にお目見え。 4日から始まる現代彫刻展
で一般公開される。来年1月25日まで。英芸術家、マーク・クインさんの作品で、
50キロの金塊を 使用して作製した。時価にして150万ポンド(約2億
7900万円)。古代エジプト以来、最大という黄金像はギリシャ神話に出て
くる半人半鳥の海の精「セイレン」と名付けられた。
 クインさんは英BBC放送に「ケイトさんは現代の美だが、それでも私の
描く理想には及ばなかった」と話している。】
 (今日のYahooの私のブログに、この記事を載せておきます。 つづく

・・・・・・・・・・
2007年12月05日(水)
2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う!
                オハヨウ (∀`* ゴザイマス!
 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、
平成大恐慌が日本を襲う!が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の
特集の方が理路整然としていた。それでも、なるほど納得できる内容であった。
日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入!
 というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題
のレポートだったが、今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という
論旨である。(前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、
感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた)

私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。
長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。
元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、それでも10月になり
持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。
(今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)
もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。ということは、ほぼ全ての
事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、
「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に??

ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー
 
 疲弊する経済に新たな火種! 
“日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、
不動産ファンド続落、新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す
不気味な「魔のシナリオ」2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う!
■倒産の連鎖が始まった!
ノンリコースローンの問題点
■「新築マンションの完売はウソ」
■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技
 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた
銀行が、地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題
を発端としたバブル崩壊と同じ構図。あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。
すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。
倒産の連鎖が始まった!
都心部の優良不動産の価格上昇が急激すぎて、転売するのも容易ではなく
なってきました。自分がいつ高値で“ババ”を掴まされるか戦々恐々・・」
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以上だが、原油は100ドル、それにともない日用品の値上がり、事実上の増税に、
株価急落、地方経済の疲弊、政治の混乱など、多くの不安要素が重なっている。 
9月に入って、都銀と地元の担当が「マンションと住宅の割引が始まった」
と言っていたが、地元だけでなく全国的な傾向だったようだ。以前から
言われている「2007年から始まる動乱」は起きているのか?
 年を経るほど、大きく姿を現す。 まあ、それもまた娑婆か。
                         ヾ(^ω^*)
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2006年12月05日(火)
2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞
     (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー!

 先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。
その一週間前に見舞いに行った帰り道に、「年内は持たないだろう、
覚悟しておくように!」と、家内に言ったが、そのまま帰らぬ人になって
しまった。病室では風前の灯火という感が漂っていた。2年以上の長期
入院の末で、自然死に近い死に方であった。 享年82歳である。
                      ご冥福を!
 ー追悼で義母のことを書くー
私が知る限り、これだけ幸せを絵に書いたような人に出会ったことがない。
これは家内も誰も認めていることで、こういう人生があるのか?と、思う
ほど静穏な恵まれた人生であった。「穏やかな品位のある穢れのない人」
というのが、義母の正確な人柄の描写になる。数代つづいた婿取り娘の家系で、
幼児の時から無菌培養のように大切に育てられた。母親が4歳の時に亡くなり、
祖母に育てられた。そのため?義母は両親の愛情を知らないで育った。
婿養子の義父は10年前に78歳で癌で亡くなったが、模範的は品行方正の
温厚な人物で亡くなるまで義母に尽くしきった人である。柏崎のロータリー・
クラブ会長などをしていて、誰にも好かれる人であった。義母は柏崎の実家
から数年に一度出るかで出ないで、箱入りの人生であった。一人で柏崎を出た
ことも一度もなく、生活の食事・掃除・洗濯以外は全て亡くなった義父が
執事のように仕えていた。家内とは年に5~6回は遊びに行っていたが、
義父がつききりで歓迎してくれた。

私の家内も、すぐ上の兄が生まれて間もなく死んでしまったため、
その失敗の轍を踏まないように大事に「婿取り」を前提に育て上げられた。
その後、弟が二人生まれたため後をとる必要がなくなり私と結婚する
はめになった。しかし、そのように育てられたためか意識は婿取りより強い。
後は喧嘩の火種になるから書けないが・・ 義母の「幸せの人生」は、私が
知る限り右に出るものはいない。列車などの交通機関も一人で乗ったこともなく、
すべて、義父と一緒か、ごく親しい知人と数年に一度温泉に行く程度であった。
非常に美形で、結婚式の二人の写真は息を呑むほどである。

近所に親しい親戚や友人がいて、夕飯時になると惣菜などが毎日届いていた。
家業も20人ほどの老舗の建材屋で、常に年商以上の流動資産がある手堅い会社。
会社には二人の息子が入っていて、下の息子が会社を引き継いで社長をしている。
この義弟の嫁さんは、私の知人の会社の秘書を紹介してもらった人だ。
娘二人も家内を含めて近くに住んでいて、ホットな雰囲気が常に漂っていた。
世の中には、幸せが身に付いている人と、その正反対の人がいる。
その幸せの最先端にいた人が義母である。その部分は、家内が引き継いでいて、
「世の中、幸せになるのが当然!」と信じて疑わない。
「亭主は執事の如く自分に従うのは当然!」というところまで同じであるから、
堪ったものではないが・・・全く!
   
前に、「煉獄の中にて」というテーマで書いたが、その正反対の世界が、
人生が、義母の人生というと言いすぎだろうか? 地方には、まだまだ、
こういう岩陰の中の「ひっそりした豊かさ」が残っている。例外に近い
のだろうが・・・ 本人が幸せだったかどうかは、本人でないので
知ることはできないが。どこの世界にもある悩み、トラブルはあった
ようだが。突きつめれば皆同じであるが、義母だけは別のようである。
               \\\★ (^_^)/~~ バイバイ
・・・・・・・・
2005年12月05日(月)
1707, 家訓づくりのすすめ -2

 第三章では
「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。
それぞれの事例のなかに、それぞれの事情が生々しく本音で書いてある。
 
  ー子育てに関する家訓の例として
・子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業
・家族は幸せになるためのチーム、みんなで協力し合おう
・小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め
  ー他には
・お金や名声よりも大切なものを持て
・毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶
・家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しようなどがある。
 家訓を通して家族関係を見直すきっかけにもなる。離婚直前の夫婦が、
家訓をつくることで危機を乗り切った真に迫った内容もあった。  
                          )`ε´()`ε´(
  ーその家訓とはー
1、人生は思い通りにはいかないもの、満足と感謝が大切
2、誠実と謙虚と感謝の気持ちで人に接すれば世をおくれる
3、得意げに正義をふるまわすな、むやみに正論をいいたてない
4、あせるな、怒るな、くさるな、自分に負けるな
5、罵声はわが身を振り返る鏡、ありがたい激励と思い 怒らず、
  恨まず、悪口を言わず  (o・_・)=○)*_*)
6、最後まで聞くのが聞き上手、自慢しないのが話し上手、
  聞き上手、話し上手になれ""(・・、) ヾ(^^ )""
 (字数の関係でカット2008年12月5日)
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2004年12月05日(日)
1342, カルフールが撤退
字数の関係でカット(2007年12月5日)

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2003年12月05日(金)
975, 「それぞれの輝ける日々」

 スペインの「パンプローナ牛追い祭り」の再放送を見ていたら、
「それぞれの輝ける日々」という言葉が、ナレーションで流れていた。 
この言葉には「それぞれの人の、輝ける日々」とか、「それぞれの、
人の輝ける日々」と分けることができる。その反面「それぞれのどん底の日々」
もある。この話になってくると、いろいろあるので「・・輝ける日々」に絞る。
人生には「それぞれの人にとっての輝ける日々」がある。
現在書いている「学生時代の日記」は、私にとっての「輝ける日々」の、
ある時期の、記録である。「輝き」という言葉の背後には暗黒がある。
暗黒があるから、輝くのだ。偶然の賜物として倉庫の奥から出てきた
「22歳の日記」を読んでみると、私にとっての「輝ける日々」である。
誰もが記憶の彼方に持っている青春の日々である。 そして現在進行中の人もいる。
青春とは、決して素晴らしいとはいえない。むしろ見っともなくボロボロの状態。
しかし、それが輝きになっている。「輝き」は、光っていることである。
人間が光っていることは、燃え狂っている状態である。 そして背後には
暗黒が大きく口開いている。そこで思い出したのが「一期は夢 ただ狂え」。
 
  世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
  夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ   (閑吟抄)
 
470~480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集
まねてつくった歌の一つである。‘人生など一瞬でしかない。 なら狂ったように
したいことをして生きたいものだ’という内容である。
「一度しかない人生だからこそ、ひかり輝いて生きるべきである」という人生観。
人生を顧みたときに「光輝いていた時」は、何かに狂っていた時である。
人は、それをパラノイヤー偏執狂という。

・・・・・
2002年12月05日(木)
601,ある時間の断片-15
 1968年  10月5日  土曜日
「青雲寮」の過去に書いた内容をコピーしておきます。 2001/12/20
 -青雲寮(わが青春)
私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり早稲田南町のバス停
にも近い住宅地であった。早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24~5室の寮であった。早稲田の学生が3分の1、あとは
各大学の在学生で占められていた。そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が
数人ずつ出ており、汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。
全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。今でも年数回、そこに
今でも住んでいる夢を見る。月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。 
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、勉強に良い環境と言えないが人間勉強と
いう意味で非常に良かった。自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に飲みに
つれてもらったりした。音羽鳩山御殿も数回行った憶えがある。その関係で
軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。
その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。 
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモ、女狂い有り。哲学専攻でいつも
一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。クソ真面目のいやみな先輩、
学生運動の闘士有り、現在振り返ってみても非常に面白い寮であった。
学生時代は「この寮と、武澤ゼミと、一ヶ月間の欧州旅行と、クラブ」
を除いては考えられないが、いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間
でも、この寮の存在―特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。  
父がこの寮に卒業の八ヵ月前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、
いかに凄いか想像出来るのでは。 (昭和40~44年) 2001/05/24
・・・・・・・・・・
2001年12月05日(水)
260倒産ー2

新潟鉄工所の倒産の影響は私の想像以上になりそうだ。 
その重みを解かってなかったのが本当のところだ。
地元に生まれ育った人は、実際かなりショックのようだ。
息子が新潟鉄工に勤めているだけで、自慢になるほどの重みがあったという。
下請け、孫請けの地元の影響は、これから益々大きくなるのは避けられない。
考えてみれば当然で、これからその波及が出てきそうである。地元では
第四銀行が潰れた位ほどのショックらしい。具体的にあそこがいくらとか、
金額が出始めてきている。一昨夜のTVのニュースで,債権者に対する
説明会が出ていた。直接の影響がないと思っていたが、そうはいってられない
状況だ。 国内のテロを用心していたが、とんでもない処から火の手が上がった。
「日本の経済の終わり」の始まりの景色とはこんなものか。長岡でも‘七?商店’
が一億?千万とか、‘何とか工?’がいくらとか。‘何とか銀行’が致命傷とか。
今まで貸し先がおかしくなると必ず噂の発生元としてて??銀行が流していたが、
今度は自分の番になった。それもペイオフに丁度いい塩梅で! 
家内も「年内で全ての預金を引き上げる」という、当然の事だ!
もし株で信用売りができるなら、全ての財産を賭けて売りにするだろう!
これだけ確かな事はない。仕手株の価値もないか!巡る巡るものだ。
全ての会社に言えることだが、「他人事でない!」
       
・・・・・・・
ある時間の断片
1968年 12月5日
(字数の関係でカット2008年12月5日)