昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。
現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ちである。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。それはそれで良いが。
何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の蓄積と、環境の変化だけ。家内もケーキの一つも
買ってくるわけでない。 この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。
 学生時代の卒業直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わってくる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人と寿司を御馳走して貰った記憶がある。
60歳の還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの入った文章になっていた。
その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いベストを着て、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。
これも、また御愛嬌というところだった。 やはり、大台を超えるのは感慨があるのは当然のこと。
 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の
幹事会を開くので、10人位が集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると、同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。加齢につれて身体も心も重くなるのは驚きだが、
それも生きていればこそである。 還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。
そして、想像を絶する恐慌の大波。 そして、情報化がもたらす社会の変化。 現実は厳しいが、面白いのも事実。
 今年の誕生日の感想は、こんなものか! やはり、「 なにしょうぞ燻んで 一期は夢 ただ狂え」ということか!

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2842, つれづれなるままに -63歳か〜 ・・・
 2009年01月15日(木)
* 63歳の誕生日か〜
 今日(1月15日)で63歳の誕生日になった。 が、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、姉妹全てが、
鬼籍に入ってしまった。 そして兄姉、いとこ達の4割が亡くなってしまった。
この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、人生に悔いは無いが、この断絶の時代、
可能な限り生きて変化の行く末を見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
事業をしているものにとって、万一のことがあっても、路頭に迷うことも無い?到達点か。 
 後は、人生を如何に軟着陸するかか? いや離陸か!
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