つれづれに

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  今日のYoutube

 TPPが決着したようで、阿部首相がTVで会見をしていた。
農林・畜産など、保護されていた業種は、これを境に大きく変化を
することになるだろう。地方は、ますます厳しい事態になりざるを得ない。

 商業から見れば、農家の田畑を商店街に例えると、そのまま、
時代遅れの店が残っているようなもの。仕方がないのは至極当然。
時は、大型総合スーパーも時代遅れのネットの時代だもの。
グローバル化は、もう止める事ができない! 


・・・・・・
2741, 賦課方式の年金制度は公営ねずみ講
2008年10月06日(月)

  「資本主義は嫌いですか
    ―それでもマネーは世界を動かす 」 竹森 俊平 (著)

我われが信じ、40年近くも払い続けてきた年金、あれ「ねずみ講」ごとき
システムで、国家単位のマヤカシだとしたら、何を信じてよいのだろうか?
   ーまずは、その部分からー
 * 賦課方式の年金制度は公営ねずみ講

P-83 「賦課方式の公的年金制度」とは、まさに国家が運営する「ねずみ講」。
 しかも、これは経済理論的に考えてそうだというばかりではない。 
賦課方式の公的年金制度が発足した時には、政治家はまさにこの制度が
そのような性格を持つものと認識した上で、この制度を発足させたのである。
 以下に引用する、アメリカにおける賦課方式の公的年金制度が設立された時の
ブレインの一人であったポール・サミュエルソンが、一九六七年に書いた
文章を読めば、そのことが分かるだろう。「社会保障制度の素晴らしさは、
それが年金数理的な会計上は収支が均衡せず破綻しているという、まさに
その点にある。引退する年齢に達したものは誰でも、自分がこれまでに払い
込んだ額をはるかに上回る金額に相当する社会保障制度の便益を受け取れる。
(略) 一体、どうしてこんなことが可能なのだろうか? その理由は、
国民所得複利的に成長し、しかも可能な限りの将来にわたって、
その成長が持続するという事実にある。人口が増加する国では、若年者の数
は高齢者の数を必ず上回る。さらに重要なことは次の点である。
 実質所得が年三%で成長する限りは、社会保障制度の毎年の支出を賄う課税
ベースからの収入が、退職者が現役中に社会保障のために払い込んだ税額を
大幅に上回るのだ。成長する経済とは、かって構想された中で最も壮大な
ねずみ講』である」
 ----
解)「引退する年齢に達したものは誰でも、自分がこれまでに払い込んだ額を
るかに上回る金額に相当する社会保障制度の便益を受け取れる。(略)・・・
一体、どうしてこんなことが可能なのだろうか?  その理由は、国民所得
複利的に成長し、しかも可能な限りの将来にわたって、その成長が持続する
という事実にある」と、いうとおり、年金の前提は、経済が成長し続けることと、
人口が増加することを前提としている。それは、正にバブルを前提ということ
であり、「ねずみ講」そのものである。資本主義そのものが成長する経済なら、
ねずみ講・資本主義という名にすればよい。紙切れ通貨制度自体が、既にバブル
だからだ。 いや一万年前の農業・牧畜を始めて人間圏を拡大してきたことが、
既にバブルだからだ。 ということは、その限界点に達してしまった人間圏の
自爆の一つとみると、理に合う。異常気象の原因と同じなのである。 
そうすると、これは5年、10年レベルではなく、数百年、数千年単位の問題。
アブラハムが創ったラージX自体は人間の神でしかない。それ自体を否定する
大自然の人間に対する反撃の一つと見ればよい。 人間を越えた生命体の視点
からの仮説は、「燃えろ、燃えろ、もっと燃えろ」となるのではないか!
  
 我われの子孫からの視点からしても、同じじゃないか。 
「とんでもないマイナスをつくった現代人にに丁度良い」 と!
「燃えろ、燃えろ、もっと燃えろ!」という、生命圏の全ての生物を代表した
「?」の立場からの雄叫びを書いてみようか!
 人類史上最大規模の大津波襲来を前に、何を馬鹿なことを!だが・・・
とにかく、アメリカで震度7クラスの地震が発生、世界中に大津波が・・・ 
これだけは間違いない事実
 社会保険庁の、ずさんな体質は、彼ら自身が、詐欺団体ということを自覚していたからだろう。
 だから、非難されても、その国民の方が無知蒙昧に過ぎないと確信しているだけなのである。
 国家単位の「ねずみ講」でしかないのだから。
  
・・・・・・・・・
2007年10月06日(土)
2377, 邪視の思想 -1
          ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆

今回の旅行先のエジプトやギリシャで、「邪視」という言葉を何度か聞いた。
10年ほど前に、初めてエジプトに行ったとき、現地の日本女性の若いガイドに、
「とにかく、この国に入ったら、全ての常識を捨ててください。
あらゆることが西欧文明の常識とは違います。ここはイスラム圏です。
車で人が轢かれても、それは運転手ではなく轢かれた人が悪いのです。
人を褒めないでください、子供は勿論、女性など、それが奥さんを褒めると
大変なことになります。それは、イコール欲しいということになるのです。
彼らの世界は、むしろ褒められたより貶されたほうが人間関係が巧くいく場合が多い。
何かを店で買ったら、まともに釣銭はきません。惚けて返さない方が多いのです。
それらを一々目くじらを立てないで下さい、立てるほうが問題なのです」
といわれた。 文明の相克とは、起こるべくして起きているのである。

ーまずは「邪視」をネット辞書・ウィキペディアで調べてみるー

邪視(じゃし)は、世界の広範囲に分布する民間伝承、迷信の一つ。 
悪意を持って相手を睨みつける事によって、対象となった相手に呪いを掛ける
事が出来る。 邪眼(じゃがん)、魔眼(まがん)とも言われる。
様々な人種の間で邪視に対する信仰はエジプトの時代より形成されている。
また、邪視、邪眼はしばしば魔女とされる女性が持つ特徴とされ、その視線は様々
な呪いを犠牲者にもたらす。一方で邪視は不吉なパワーを秘めていると信じられる。
邪視によって人が病気になり衰弱していき、ついには死に至る事さえあるという。
イスラムなどの文化では、「邪視」は人々が何気なく目を向けた物に不運を与える
ジンクスとされる。 他方ではそれは、妬みの眼差しが不運をもたらすと信じられた。
南ヨーロッパそして中東では、青い瞳を持つ人間には邪視によって故意に、
あるいは故意ではなく呪いを人々にかける力があるとして恐れられた。 
中東では、邪視に対抗するアミュレットとして青い円の内側に黒い円の描かれた
塗られたボール (または円盤)が用いられた。 地中海沿岸が最も邪視の信仰が強い。
邪視を防ぐ伝統的な方法として地中海沿岸の船の舳先に大きな目が描かれている
のをしばしば目にする。また邪視の信仰は北ヨーロッパ、特にケルトの圏内へ
広まった。古代ローマでは(陽根の魔よけ)が対邪視に有効とされた。

ーーーーー
何処で買ったか忘れたが、自宅の玄関に邪視を防ぐという御まじないの置物がある。
マジナイの意味を、この旅行先で初めて知ったが、それは目玉の模様のついた
青いガラスの円盤のようなもので、直径7cm位の大きさである。
これは人の幸せや持っているものを嫉んで見る視線から、身を守る目である。
イスラム教徒の女性がベールで身を覆うのは、この邪視から身を守るためだという。
また中東の家は、外から中が見えにくく外は地味であるが、一歩中に入ると、
そこは大きく、立派だったりする。 邪視も、この辺からきているのだろう。

                ヾ[・c_,-●]ババィ
・・・・・・・・・・
2006年10月06日(金)
2012, 裸の王様を、「裸!」と言った少年か~
      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ
去年の暮れに学生時代のゼミの後輩からの「新潟を活性化するには、
如何したらよいでしょうか?」という一本の電話から始まった数回の
新潟県活性化の会」の効果?が、表立ってきたようだ?(私の一方的な解釈だが)
昨日の地元紙・新潟日報の二面のトップに、新潟商工会議所会頭の何某が県知事に
「新幹線の新潟空港への乗り入れの要望書」を手渡している写真と記事が載っていた。 
「活性化の会」の議事録を県知事も見ていたようだから? 手順もあるのだろう。

しかし、「今頃、何をノンビリしたことを!」「2015年までに、新潟駅再開発工事
に便乗して、新幹線を空港まで開通させなければならないの!」というのが、みた
率直の実感である。「まずは、在来線を新潟空港まで通して、その様子見をしてから」
と、馬鹿も休み休みに言いなさい!である。でも、このノンビリした茹で蛙
地方柄から見て、大いなる進歩ともいえようが・・

私のHPを見続けている人は解るだろうが、表面化した瞬間に私たちの
新潟県活性化の会」の存在は消されてしまうのは、娑婆経験から当初から
解っている。「裸の王様」に対して「裸だ!」と言って誰もが認めれば、
それで少年の役は終わり。当たり前のことに誰も声を出さなかっただけだから・・

立派な、いや立派過ぎる達磨があるのに、「めん玉」が入ってなかったの!
その「めん玉」は、環日本海への窓としての「首都東京駅から新潟空港・登場口
直接乗り入れ」なの!
   
めん玉だけを見るな!達磨を冷静に見て見なさいよ! 数兆円も、いや、
数十兆かもしれない・・ 達磨に使っておいて、なぜ目玉を入れないの? 
不思議で不思議で・・ 仙台空港の現在行っているアクセス工事知っているの?・・
わざわざ造っているじゃないの・・

このことは「真っ当な人」なら誰もが解っていること。 その真っ当な人間が、
政治家や地元の商工業者には皆無であった!という事実は現状からみれば解ること。 
裸の王様は誰だ?そう、目先のことしか見えない県会議員と市会議員と、
地元の代議士と、新潟財界人である。 金と票にならなかったのだろうか!?

だから私が呼びかけた地元商工業者の人たちは、新潟空港への新幹線乗り入れ
を当たり前のことと受けとめ、諸手をあげて賛同してくれた。 「政治家も、
大物?商工業者も、目先のことしか見えなかった」と、さすがに言ってはいないが、
しかし・・・環日本海時代の到来に無頓着であった!のは間違いのない事実である。
北越新幹線の開通を目前にして、新潟県の置かれている危機の重大さに気づいた。

*私が何ゆえに、冷静にみることが出来るのか?といえば

新潟駅前でホテル業を25年間、営業していることと、
・全国を渡り歩いていること、
・25年間にわたり長岡~新潟間を新幹線通勤していること、
・私のスタンスが「アウトサイダー」で、社会的な利害関係が皆無のこと、
・20年間以上、成田に年二回通い続け、飛行場と駅(特に首都)へののアクセスの
 重要性を実感していること、もあり、「新幹線の飛行場駅の乗り入れ」を客観視
 できたこと、 などである。

25年前に、新幹線を飛行場まで通していたら、新潟は今や「環日本海都市」
として、全く違う都市になっていた! 飛行場周辺にサッカー場・野球場や、
佐渡汽船の乗り場を移動するとか・・ 新潟駅周辺の商業集積の機能と結びつき、
「独特の面白い都市」になったはずである。何もしなくとも、それが特区になって
いた。一本、新潟島への橋かトンネルの投資を新幹線に向ければ良かった。
ただ大手ゼネコンの利益にならなかっただけだ。

改めて新潟県をみると、環日本海時代に本当に恵まれた立地にある。
「あと僅かの投資で、東京駅から飛行場の登場口まで直結でき、それが首都圏
からみたら、非常に魅力があるに決まっている!」ということが何故解らない
のでしょうか ?? 「地元住民にとって、本当にプラスでしょうか?」だと?
「ボケ!」と言ってしまえばお終いだが・・ 「新潟経済が発展して、初めて
地元住民もプラスになるの!」

・・・・・・・・・
2003年10月06日(月)
 ある時間の断片ー35.36
   11月8日 -前半
・7時50分起床。人事管理の授業に出席。今回こそ試験と思っていたが違った。
授業終了後、朝飯と昼飯を兼ねて食事。11時にゼミで、それぞれの車で
石川島播磨造船所に向かう。一時過ぎに到着。 そのスケールの大きさに
腰を抜かさんばかりの驚きであった。30万トンの巨大タンカーの大きさに、
たたただ呆然とした。数百人が蟻のように張り付いて働いていた。
組織の意味を教授が教えたかったのだろう。私は小さなボートに乗っている
ほうが合っていると思った。凄いものを目の当たりに見せ付けられた。
工場内のオートマチックの流れも驚きであった。そこの課長との質疑も面白内容。
帰りは教授の車に乗せてもらう。田島君や小島君は議論が大好きだ。彼らについて
いけず一人蚊帳の外という感じであった。途中渋谷の喫茶店に入り話し合う。
教授の思想について聞いたり、女性論を話し合った。教授に「社会に出ると
良い相手はなかなか居ないから、学生時代に探しておいたほうがよい」と言われた。
そうならそうと解っていたら、去年にチャンスが集中してあったが。
「さっきの話で、堀井君は女性は打算的といっていたが、自分と比べて
言っているのか、それとも自分が打算的であるが故に女性に対しても打算的に
見えてしまっているのではないか?」と鋭い指摘をされた。 私の全性格を
見抜かれているようで恐ろしい思いがした。教授の女性遍歴を少し話された。
昔同棲していた女性のこと。そしていまの奥さんとの出会いのことを話された。
教授の思想はアメリカナイズされた極端の個人主義と自分で言っていた。
教授自身、自分の思想にしろ理念をハッキリ言って持ち得ない!とのこと。
分析能力は自信がある。しかし、それを一つの思考形態の統合するのには、
分析で物事が見えすぎる為に躊躇をしてしまうとの事。
経営学の野田一夫教授は、直感的に思想を持ちえるし、当たっている。
しかし分析に関しては、全く甘いと指摘されていた。ピーター・F・ドラッガー
の受け売りでしかないとか。しかし、生徒に対する影響度は野田教授の方が
上だとも言っていた。奇麗事は言うが、汚れ役は必ず避けて通る人だとも。

武沢先生は教務部長、野田一夫教授は課長でしかない。
同じ年齢でライバルだが、大学では武沢先生のほうが上だ。
人事管理を専門にしているせいか、流れのままの刹那的なところがみられた。
人事管理哲学があるなら、それこそ先生の哲学になってしまっているといって
良いのではないか。

・・・・・・・・
2002年10月06日(日)
541,幸福と本当の仕事

何気なく本を読んでいて、自分が事業を通して得た実感が、ずばり書いて
あることがある。そのうちの一つが下記である。山本周五郎の「青べが日記」
の一節である。
ー幸運を望むものよ、お前は3つの事しか為さないのに10の結果を望んでいる
間は、幸運は来ない。幸運を望む男よ、お前が2つの結果を得る為に、10の事
をしたら必ず、幸運は来るぞ。貧乏をしても、出世していく友に遅れても、
本当の仕事(為事)をこつこつやっているこの力強さ。
白蟻が大黒柱を如何にしてガランドウにするか己が知っているー

事業をしていると、この闘いだ。2の結果を得る為に10の努力をしてもマイナス
になるのが事業の恐ろしさだ。「しない方がずっと良かった」という結果との闘いである。
「本当の仕事」をしているつもりが、虚の仕事をしてしまう。「本当の仕事」を
きっちり見つけなくてはなるまい。 知識と情報と経験不足から、それらは起因する。
新しい事態に対する判断を、常に不足状態の能力の中で求められる。経営は相撲の喩え
でいうと「14勝1敗より、8勝7休」でなくてはならない世界であり、一敗は致命傷
になることが多い。情報と方向が正しいなら、1の努力でで10の結果を得る事が可能な
時代でもある。情報化社会でその傾向がより強くなっている。現代の不幸は最小の努力
で最大の成果ー効率を求められることである。人間の気持ちまでも効率を求めてしまう
事が、不幸にしてしまう。好きということは最大の努力に対して、それ自身が楽しいこと。 
好きという事と有利という事を混同してしまうことが、人間を不幸にする。
好きの事を有利にする事は可能だが。

・・・・・・・・
「176」 [自己能力の限界の設定]
 2001/10/06

この言葉は30年前になるが金沢にいた会社の浅野という人事部長の言葉。
何か強烈なインパクトのある言葉だった。‘自己能力の限界点’から自分の
足すべき能力をプラスしていく事と解釈した。10数年前の講演会でヤクルトの
野村監督が(彼の浪人時代)全く同じことを言っていた。「自分は三流選手、
一流になるために何をプラスすべきかを、ぎりぎりのところで考え実行してた」
要するに三流をわきまえたため、戦略戦術をたてることが出来た。それゆえに
一流の成績を残す事ができた。戦術戦略を立てるときに、自己把握なしに
たてることは自殺行為でかつ空論でしかない。自己能力の棚卸という事だろう。
自己能力の限界の設定は逆の面でも言える。勝手にマイナスに設定して、
それを理由に何もしないで留まってしまう事だ。