つれづれに

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  今日のYoutube

https://www.youtube.com/watch?v=OlyXDrV3o7o
 今朝、中年の男性タレントの今井雅之が、末期ガンで登板している番組から
おりる旨のインタビューをしていた。あと数ヶ月の余命で、早く安楽死をしたいと
苦しそうな内容だった。 抗癌治療も中止して、あとは免疫治療などをしているが、
鎮痛剤を、どんどんうって、早く死にたいとのこと。
 たしか市川団十郎が、同じようなことを言っていた。それにしても正視できない
内容で、死ぬときは、大方が、こういう経験をしながら、消えていくことになる。
 ただ、このように公開するか、しないかである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000100-dal-ent
 このところ、友人、知人がたて続きに、癌の壮絶死をしているが、
抗がん剤や、コバルトなどの治療で、七転八倒をしながら、亡くなっていく。
そして、そう遠くない時期に、私たちにも、来るのだろう。

・・・・・・
2219.平凡って幸せなの?
2007年05月01日(火)

おはよう! (=゚ω゚)ノょぅ!

    数日前の出勤前の朝飯の時に、家内が神妙な顔をして
   「平凡な生活って幸せなの?」と聞いてきた。
    私が読んでいた「14歳からの哲学」(池田晶子)を、
    この数日の間、読んだ影響だろうと思ったが、
    待ってましたとばかりの瞬時の私の答えといえば・・・
    ーー
「もちろん、平凡ってのは幸せだと思う。
何でもそうだが、平凡の生活も、非凡も、現象をどう受けとめるかだ。
脳には長年かけて作りあげた、絶対超越言明という、言葉の受け皿がある。
その受け皿が<受け止め方>として、自分の脳の中で、経験を分類・整理を
するようになっている。だからマイナス要素の強い人なら、その受け皿の
分類で何ごともマイナスに選り分けることになるし、プラス要素の人なら
プラスに分類・整理をするだろう。
だから、平凡な生活が幸せかどうかは、それぞれの人によって当然違ってくるし、
他人がとやかく言う問題ではない。
平凡な生活という言葉だって、その人の受け皿の分類でしかないじゃないか。
その辺の連中は、自分で受け皿がしっかりできてないので、
他人のことが気になって、その比較しか判断基準がないので、
平凡な生活が、幸せだとか、非凡の日々が如何だとか言いたがる。
要するに教養がないということ。」
何か、あまりにスラスラ出たので自分でびっくりした。

    ところで平凡って何だろうか?
   「平凡って何?」と検索をしたら、
    面白い問題設定に、色いろな答えが次々と出てきた。
    「人間は深いところで生きているのに、驚いてしまった。
 ーー
<平凡な生活に対する疑問>
毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか?
はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。
毎日何も変化のない暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・
みなさんはどう思いますか?

*この答えが、素晴らしい
これは次回のお楽しみ!

 ----
2006年05月01日(月)
1854, モーニング・ページ、7週間経過
             ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★

毎朝、ペンが動くままノート・3頁に書き込む
「モーニング・ページ」を始めて7週間経過した。
「8週間は読み返さないこと」と、あったので、
ほぼ見てないが、あと7日で8週間になる。
MPの一週間の総括を始めるとまた変わってくるだろう。
(週末に一週間単位に20分かけて一ページの総括をする)

    7週間のMPの感想といえば、毎日が驚きに連続である。
    日記はその日の出来事を書くが、M・Pはただ頭に浮かんだことを
    書き込むのだから、違ったものである。
    慣れてくると、何が出てくるか面白くなると同時に、
    気の重さは全く無くなる。

7週間も経過しても、書き出しから何を書いてよいか戸惑う。
そのため前日の出来事を思い出して書き込むか、朝方に考えたことや、
前夜に見たドラマとか、夢とか・・・になる。 それが良いのだ。

日記は、その程度の内容は自分の中の検閲官が、まずは書き込みを拒否する。
しかし、その検察官が拒否した内容こそが宝の山である。
MPは真っ白な頭で、真っ白なノートに書き込むのだから、
自身の検閲官のチェックは最小になる。

    せっかく面白い発想が出ても、良い話を聞いても、
    大部分が忘却の彼方に消えてしまう。
    一日経っても残っているだけでも、
    その中に重要なことが含まれているはず。
    
    MPを続けていると普段自分の考えていることが、
    ノートにそのまま現れてくる。
    朝起きざま、そのまま頭に浮かんだことを書き込むのだから当然。
    
普段自分が考えていることを誰がチェックしてくれるのか?自分しかない!
それをMPがしてくれることになる。
    
    最近になって「若いときに、このことに気づいていれば!」
    という知識がいやに多く入ってくる。
    浅い教養の自分に人生の後半になって、誰もが?気づくのだろうが!

                   ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・・・
2005年05月01日(日)
1489, 男と女ー2

あるHPの「男と女」の格言が含蓄の深いものが多い。
私の「my感想」を加えるてあるが、品位を疑われる内容もある。
初めて読むときは、私の感想を見ない方がよい。

それにしても、よく集めたものだ。
そして男と女の本質をズバリついている。
読んでいると、耳年増になってしまう。

「人間に男と女があるのではなく、女と男を合わせて人間という」
というジョーク?がある。
この格言をじっくり読むと、それもそうだと思ってしまう。
それだけ、身体と心の構造が違う。 だから面白いのだ。
何回か読まないと、奥行きの深さが解らないものもある。
ーーー

まずは
ー男とはーの格言から

・どんな男の人と一緒になってみても同じ事だろうと私が言うと、
「そんな筈ないわ、石鹸だって、十銭と五十銭のじゃずいぶん品が違ってよ」
                    ー林芙美子「放浪記」
       ーmy感想ー女にだって言えること、長くつかわないと
        解らないのところが石鹸と違うが

・身も心も愛して欲しいのに、なぜ男は冷たいふりをするのよ。
                  ー川端康成(「雪国」のキャッチコピー)
       ーmy感想ー男はシャイなのです
 
・こんなことをしたら嫌われるのではないかと、何もしない男が一番嫌われる。
                    -中谷彰宏
       ーmy感想ーそれで何時も嫌われていました。
             それだけでもないか?

・人生が歌のように流れている時に楽しい気分になるのは容易だ。
 だが、立派な男とは何もかもうまくいかない時でも笑える男だ。
                    ーE.ウィルコック
       -my感想ー私の場合は何時も引きつった笑いになってしまう!
      
・男ってなぁ、普段なんか茶色だろうが灰色だろうが構やしないんだ。
  いざって時に黄金色に輝やきゃあな。
                    -本宮ひろ志(漫画家)
       -my感想ー金メッキが多いからね、娑婆には。
             メッキの内側の色の方が良いのにね
             いざって時に、その茶色とか灰色が輝きゃよい

・男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、
 自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。
                    ーサミュエル・ジョンソン
       -my感想ーうちの食卓には、あり得ないもんね?
             旨い料理は。
             料理上手は、床?手というから
       
・男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して、
 女の世界全体をいい加減に判断している。
                   -パール・バック『男とは、女とは』
       ーmy感想ー ・・・・・・・・?
       
・男というものは……家ではまったく邪魔になります!
                    -ギャスケル夫人
       -my感想ー連休など、身の置き所が無い悲しみが・・・
       
・女に懲りるのは一度でたくさん。
 だれもがそう思いながら二度三度と繰り返す。
                    ー田中澄江
       ーmy感想ープロセスが良いからです
       
・私は女性が愚か者であるということを否定はいたしませんが、
 全能の神は男性につりあうように女性を作られたのです。
                    ージョージ・エリオット

・床の上で自分の子供の電気機関車をいじくって三十分を空費することのできる男は、
 どんな男でも実際は悪い人間ではない。
                    -シメオン・ストランスキー
       ーmy感想ー取り上げて、一日中イジクッテイル奴は馬鹿!?

・男というものはつねに女の友であることは決してありません。
 他に愛する女を持っているときは別ですが。
                    -リュー

・自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
                    ーニーチェ
       -my感想ーしかし軽蔑もされよう
       
・男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、非常に不幸を感じるものである。
                    -アラン
       ーmy感想ーいまは幸福です?

・どんな男でも、ある女性を自分のものにしようとするときは、
 その人が自分の愛に最もふさわしい女性であり、自分がこんなに夢中になるのも
 もっともなことだ、と思いこんでいるのである。
 そして、それが迷いであったと気づくのは、
 あとになって別の女を愛するようになったときである。
                    ーアルツィバシェフ
        -my感想ーうんだ、うんだ!

・女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。
 男に欠点が多ければ女は何もかも許してくれる。
 我々の知性さえもだ。
                    ーワイルド
       ーmy感想ー知性があればの話だろう 
  --
 偶然の一致だが、たまたま去年の同月同日も
 同じHPからの抜粋であった。 面白いものである。
                     ー つづく
・・・・・・・・・
2004年05月01日(土)
1124, いま不幸と思っている人へ

不幸論を書いたことがあるが、一般に自分のことを不幸と思っている人が多い。
幸・不幸は、気分と解釈の問題でしかないと割り切って考えないようにしてきた。
躁の時は幸せ気分、鬱の時は不幸せ気分でしかないと。
何げなく検索をしていたら、面白いHPに「不幸について」多くの格言が
まとめてあった。

これを見ているだけでも、こころやすまるから不思議である。
結局他人と比べてしまうのが人を不幸にしているのだ。

「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである」
といったドストエフスキーの言葉が真髄をついている。
仏様は人間は生きている限り、苦しむものだと看破をして
それを「四苦八苦」に分類。それを乗り越えるために「八正道」を説いた。
先人の不幸に対する解釈も深い。

ー面白いところだけを抜粋してコピーした

・もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、
そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。
なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、その人はそんなことを
口にしないだろうから。
      ーサミュエル・ジョンソン

・不幸なる人々は、さらに不幸な人々によって慰められる。
      ーイソップ

・他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである。
      ーオスカー・ワイルド

・人間には幸福よりも不幸のほうが二倍も多い。
      ーホロメス

・大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。
      ーヘンリー・デイヴィッド・ソーロー

・すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。
      ーソロー

・不幸に対する特効薬はありません。ただ昔から
退屈な忍耐とか、あきらめといった美徳があるのみです。
      ーアルドゥス・ハックリー

・結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。
たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目に会うのだ。
      ーバルザック

・不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
      ーラッセ

・それ自体の不幸なんてない。自ら不幸を思うから不幸になるのだ。
      ーアルツィバーシェフ

・不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。
      ーダンテ

・人生の小さな不幸せは、我々が大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる。
      ーエッシェンバッハ

・人間には幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。
      ードストエフスキー

・どんな不幸のなかにも幸福がひそんでいる。どこに良いことがあり、
 どこに悪いことがあるのか、我々が知らないだけである。
      ーゲオルギウ

・明日、なにをすべきか分からない人は不幸である。
      ーゴーリキ

・「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。
      ーシェークスピア

・時間がやわらげてくれるような悲しみは一つもない。
      ーキケロ

・いつまでも続く不幸というものはない、じっと我慢するか勇気をだして
 追い払うかのいずれかである。
      ーロマン・ローラン

・人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。
      ーラ・ロシュフーコー

・人間には不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる。
      ーツルゲーネフ

・人生は学校である。そこでは幸福よりも不幸のほうがよい教師である。
      ーフリーチェ

・絶望は死にいたる病。
      ーキルケゴール

・不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、
 とってをつかめば役に立つ。
      ーメルヴィル

・不幸はこれを語ることによって軽くすることができる。
      ーコルニィエ

・人は自分が幸福であるだけでは満足しない。他人が不幸でなければ
 気がすまないのだ。
      ールナール

・禍福は糾える縄の如し。
      ー老子

・・・・・・・・・・
2003年05月01日(木)
757, ミスマッチ

 長岡のダイエーの出入口の横に一月少し前に、讃岐うどんの専門店が開店した。
開店予告の張り紙を見て、てっきり今流行のセルフの100円の讃岐うどん店が
できるものと思っていた。
実際は380円、480円のプライスラインの讃岐うどん屋であった。
これは絶対にミスマッチの店と思っていたら、
やはり見事の位にお客が入っていない。
通勤で行き帰りのちょうど食事時間に前を通るのだ。

 この隣はドトールコーヒーが出ており、反対側には
マクドナルドのハンバーガー店と、その隣はコンビニエンスがある。
この三軒は勝ち組である。
うどん店の以前のテナントはケンタッキーフライドチキンであった。
そしてドトールコーヒーの右隣はダイエー系のハンバーガーチェーンがあったが、
2軒ともマクドナルドに負けて撤退してしまった。

 恐らく100円のうどんショップだったら、ミスマッチではなかったろう?
間違いなく数年のうちに撤退するだろうというのは、私だけでなく
消費者なら解っていることだ。
新潟駅に同じ店があるがそこは結構繁盛している。
数千万の損失は誰の目にも明らかだ。
事前の調査の甘さが、数千万の損失を出してしまう。
事業の恐ろしさの典型だろう。

 店が開店をすると無意識のうちに、その店がどうなのかみてしまう癖が
ついてしまう。 結構間違った判断をしてしまうが、大筋は間違わない。
少しの判断ミスで微妙にその店の成否が決まってくるから面白い。
博打を横で見ているのと何か似ているようだ!

2005年5月1日記
ー意外と、最近お客が入っている。ただ大入りではないー

・・・・・・・・・
2002年05月01日(水)
393, 倒産の後先

子供の時の両親の話題はいつも「倒産、夜逃げ、自殺の話し」であった。
子供なりに刺激の強い話しであった為、記憶に鮮明に残っている。
少し上手くいくと、「妾」か「ライオンズ」か「商工会議所」通い。
本分を忘れてしまうものらしい。
子供ながらに「人間は幼稚なものだ」と感じていた。

現在の全国の会社の70�が赤字、30�が倒産予備軍
(いつ潰れるかの線上)という。県内はこれより更に悪いという。
身近で多くの倒産を見てきた。(誰もが見てきているはずだ)
人間の死と同じで悲惨で直視できない。
離婚などの家庭崩壊がそれに加わるからだ。

それと最後は資金繰りのため、詐欺同然までに陥ってしまう。
狂言自殺」や「??揃っての計画的詐欺」
よくやるなというほどの知恵を出す。
それを社員や親戚や同級生や親友にやるから深刻になる。

子供の時より子守唄のように聞いていたが、
いざ自分が実際目の辺りでであうと、そのリアルな悲劇にとまどってしまう。
事業をしていると常に倒産の危険に出会うが、
ついついその備えを忘れてしまう。

それを予防の為に反面教師という意味で、
そういう場面にあった時それを直視する。
時代が変化する、事業の利益はその先取りからくる。
変化の先行益であることを忘れてしまう。

したがって常に時代を読み、自分を変えていかなければならない。
変化対応の体質を作っていなくてはならない。

それでも今までは愚直にやっていれば、何とか生きていけたのだが。
今はそうは行かない時代に入ってしまった。実質社会主義制度から
資本主義制度の移行期であるからなおさら難しい。

事業は上手くいっている時は天国、上手くいかなくなったときは地獄である。
坂道を転がり落ちるように破滅へ向かう。難しいといえば難しい。
そうでなくては誰もが自分で事業を興すだろう。
特に金の心配は地獄の苦しみという。

こと事業に関して、資金繰りがつかない時点で即倒産だ。
ゲームとはそこが全く違う。
その危なさが面白いとは、上手くいっている時の感情・感想でしかない。
またサラリーマンとは全く違うところだ。