つれづれに

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  昨日は、シアターの日。
ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』を観てきたが、
前作のように何故か、すんなりと、子供の世界に入って
いけなかった。 場面が大英博物館にひかれて、迷わず決めたが!
世界的国宝が、いとも簡単に破壊されるのは、映画としても抵抗感がある。
  それでも評価80点 

  昨日は、20時に就寝したが、爆睡後、23時に一度、目が覚め、
その後は、半睡。今朝は、三時半に起きて、机に向かう。 ポタリング
しようか迷ったが、まだ寒いので来週からにする。

 プロ野球、昨夜、開幕をし、巨人戦をみたが、何故かピリッとしない。
早々、寝たが、歳をとった感受性の問題か、選手側の問題か?


・・・・・・
2185, 政令指定都市とは?
2007年03月28日(水)

       おはよう!♪~ ヽ(´π`)ノ

    新潟市が4月1日より浜松市政令指定都市に指定される。
    といって、それについて殆ど知られてないのが実情。
    そこで、政令指定都市について調べてみた。

ーー
政令指定都市とは、“○○区” などの行政区が置かれたり、
県に代わって道路の管理をしたり、県を通さずに国に対して
予算の陳情が出来るなど「都道府県と同格」の扱いを受ける都市である。
名前は市でも実態は県に近いものである。
地方自治体には大きく「都道府県」と「市町村」に二種類があり、
市町村は水道やゴミ、住民票の手続きなど主に日々の生活に密着した行政を担い、
都道府県は、都市計画づくりや警察など、より広い行政を担当している。

    法律上は人口は「50万」が指定の要件だが、運用上は
   「100万(または現在80万以上で、将来100万になる見込み)」
    を基準として指定が行われてきた。
    現在は政府の市町村合併支援の一環として、合併を経ることを条件に
    この人口基準が「70万」に引き下げられている。
    静岡市堺市はこの優遇措置による指定である。

政令指定都市は1956年に5市(大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)で始まり、
歴史があるだけに、一種のブランドになっている。
そもそもこの制度は、通常の市に大都市の特例を重ねたものにすぎず、
大都市制度としてキチンと設計されたものではない。
市町村の合併促進の材料に使われたことも否めない。

県の仕事の都市計画つくりを、市としての視点で計画が作れる利点が出てくるので、
市としての独自性や一体感のある都市づくりもできる。
仕事と共に財政も移行するので、お互いの駆け引きなどいらない責任の
押し付け合いはなくなる。
その象徴として、新潟駅高架再開発事業は 県から市へ移行された。

  ■政令指定都市一覧 2006年4月1日現在、以下の15市。

札幌市、仙台市さいたま市千葉市川崎市横浜市静岡市
名古屋市京都市大阪市堺市、神戸市、広島市北九州市、福岡市
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今後の指定予定
新潟市(2007年4月1日) 浜松市(2007年4月1日)
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政令指定都市を目指している市
栃木県宇都宮市岐阜県岐阜市兵庫県姫路市
熊本県熊本市岡山県岡山市 など
    ーー
    
政令指定都市というブランドにしては、
新潟のブランド・イメージはあまりに低い。
角栄と真紀子、それと拉致事件の現場が浮かぶ位である。
この一年あまり、新潟を活性化するには如何したらよいのか?
脳を絞って考えてみた。 そして出た結論は、
日本海拠点都市を目指すべき!」が結論であった。
それも20年前から地道に、それをすべきであった。
    
東京駅周辺が日本の芯である。そこから日本海に突き抜けることが、
ポイント。新潟駅から飛行場までの間にエネルギーを集中投資
すべきであった。新幹線の何たるかが解っていないのである。
角栄におんぶに抱っこだったからだ。
もう遅い!拠点都市は金沢に間違いなくなっていく。
これから新潟駅立体交差の駅をつくる?  
何をやっているのか、今さら!

何処かの誰かが「飛行場まで新幹線をひくと、
新潟駅が通過駅になってしまう」
と、のたまっていたというが、こんな程度である。
政治家と役人は、票と金にならないのでやらないだろうし!
             
               ヽ(゜∀Å) バイバイ!
・・・・・・・・
 2006年03月28日(火)
1820, 今場所の大相撲
         おっ w(゚Д゚)w ハァョ~

徐々にだが大相撲が面白くなってきた。
同じモンゴル人・白鵬の実力が朝青龍に近づいた。
半分以上の8日間、大入りというのも数年来である。
この数年らい、大阪場所は平日で半分以下の入り。
大相撲も永年みていて、景気に大きく左右されるのが分かる。
目先、少しは良くなってきたのだろう。

今場所は白鵬大関と、栃東横綱がかかっていた。
栃東横綱は有得ない?ことは自明だが、白鵬は間違いないと思っていた。
結果は予想どおり終了。

朝青龍が千秋楽の決定戦で優勝をしたが、三賞は全てモンゴル人。
そのうえ関取9人のモンゴル人が、全て勝ち越し。
朝青龍の独走の時代は終わり、白鵬が実力をつけてきた。
そしてブルガリアの長身の琴欧州と、十両で全勝優勝をした
金髪のバルト人、やはりモンゴル人の安馬、の五人の時代が来るだろう。
    但し、怪我を負わなければだが!

               お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙

栃東横綱とは、誰もなれるとは思ってはいない?
もしなったとしたら、引退が早まるだけである。
但し来場所フロックがあるかもしれないが、やはりないだろう。
モンゴルや、東欧、旧ロシアに話題を提供するだけでも
日本国技として大相撲は貢献していると見たほうがよい。
衛星TVで放送しているというから、TVの普及で大きな
人気になっているのだろう。

日本力士とモンゴルや東欧の力士とは骨格・体格が全く違う。
金髪のバルトの力士が相撲を始めて二年というから、
相撲の奥行きは深さ?に疑問を感じる。

モンゴル・東欧人は、ハングリーさも違う。
家族の生活もかかっている。日本人では、19歳の若者が唯一、
5人に対抗できる可能性はある。

大相撲について書き続けていると、あとで読みかえすと
その時々の力士の力関係が分かるので面白い。
    
                 \(^▽^*)  バ~イ
・・・・・・・
2005年03月28日(月)  1455, プロ野球改革私案

パリーグからプロ野球が開幕した。
一リーグ制にしてしまえばと思うが、色いろあるのだろう。

そこで私のプロ野球改革私案を考えてみた。
即興の案であるが、読み返してみて結構気に入っている。
単なるお遊びだが。
 --
 
・前半を一リーグにして(60試合)、 
 後半を二リーグ制(60試合)にする。
 最後に前半・後半の勝者上位二位で、ミニリーグ戦(30試合)
にする。 (もちろん1,2位のハンデをつける)
・三位以下は敗者復活戦をおこない、その勝者と勝ち組の
優勝者と決勝戦をする。もちろん優勝者に有利にすればよい。
 下位チームは4勝、上位チームは2勝で優勝にする。

すべてのチームが最後の最後までチャンスが残り面白くなる。
観客も20^30?は軽くアップするはずだ?
(消化試合がなくなるだけでも観客が増える)
現状では、半分もしないうちにギブアップするチームが出る。
これでは最後まで必死に野球はしない。
このシステムでは全軍の総力を必要となるから、
二軍選手のチャンスも多くなる。

落合の中日は、全軍の総力を使い切る戦略である。
一軍二軍の壁を低くしている。巨人は金をかけてとってきた
選手が多いため、二軍に下げづらい。自分で壁を作ってしまっている。
養老流にいえば、「馬鹿の壁」である。これでは巨人は中日には
勝てないはずだ。それにしても、巨人と西武のオーナーが
交代したのがよかった。ヘドロでしかなかったのだ。

・・・・・・・・・
2004年03月28日(日)
1090、ニコイチ

私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。
こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。
時代の変化に対して、あらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にして
おかなくてはならない。以前にも書いたが、私が手がけた建物は
殆ど柱が入ってない。中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。

少し先走ったが、24年前に光ファイバー用の配管が各客室に入っている。
新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。
驚きであった。

なら在庫オーバーのビジネス客室をそれに転用すればよい。
二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。
建設業界には元々「ニコイチ」という言葉があったのだ。
マンションの住人が隣が売りに出た時に買い取って改築をしたりする時や、
手狭になった市営アパートを一つにしてしまう場合の用語だという。
「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。

現在、多くの建設業者は、不況の煽りで苦境に立っている。
その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。
古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として面白い分野になるだろう。
大変だろうが。それにしても、転用を前提にして創っていて助かった!
のが実感である。この数年は、この改築?が仕事になりそうだ!
事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。
長期的視点、鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、
何よりも自分自身を知ることなどだ。

・・・・・・
2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式

 三月といえば卒業式の時期である。
誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。
かすかな記憶だが書いてみる。

幼稚園ーその日に多くの玩具を貰ったのが印象深い。
    何か絵本や、その付録のようなものがあった。
    その日のことはいやにリアルに憶えている。
    あまり悲しいとかというの記憶はない。
    その時の同級生数人と今でも会うことがある。
小学校ー何かふてくされていたような気がする。
    壇上に卒業生が全員上がり、呼ばれたら大声で答えたのを
憶えている。拍手で送られてたのが少し記憶に残っている。
中学校ーこれも校門を拍手で送られたことが記憶に残っている。
    まとまりのあるクラスで、全員がいやに親しみ感じていた。
    「よいクラスの仲間たち」という感じだ。
    数年前まで20年以上クラス会を開いていた。
高校ー校内問題があって、変わった荒んだ卒業式だったようだ。
   この最後の3年のクラスもイヤに変なまとまりがあった。 
   このクラス会も20年近く毎年開かれていた。
大学ー卒業式としては、一番感激した卒業式であった。
   チャペルでお祈りの後の卒業式が印象的だった。
   一人一人が壇上で総長?から卒業証書を貰った。
   その後、学食で卒業パーテーが開かれ、全員がビールで乾杯の後、
   全員でコップを一斉に床に叩きつけ割ったのがよかった。
   学生時代との決別という意味だったのだろう。
   その後、父やゼミの武澤先生と同期の連中と写真を撮った。
   その時に何かこの学校がますます好きになったのを憶えている。
   「もう二度と会わないのでは!」という互いの感慨があったために
   最後の別れという気持ちが強かった。
   その一月前の2月末から四日市ジャスコに既に就業していた。
   卒業後10年単位で、学校が主催で同期生があつまる会がある。
   4分の1の5~600人が集まる。これも本音でお互 い
話し合えるよい会である。

   卒業式をキーワードに、過去の節ふしを振り返ると、
   実に恵まれていた時代だった。時代も全てが光り輝いていた!
ように思える。教授に先輩に友人に両親に、心から感謝が
できることが最大の収穫だ。
 
 卒業式からみても一番よい時期というとやはり大学時代だ。
 とくに私の場合恵まれていたようだった。

・・・・・・・・
2002年03月28日(木)  359, ST訓練

毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。
もう2~3回の入社ゼロの年を除いて、
前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、
一泊二日になり今は一日だけだ。研修所や旅館を使って
密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。

センセビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。
当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。
密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問いかけと、
答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を
言った時大声で叱咤する。

あるところまで来たら、立場を逆にする。
それを密室の中で、繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。
その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、
本音の会話へ、更に対話に深めていく。その中で感性を磨く。
あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識をつくる。

組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。
聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。
時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。
それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。

それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の
誤差を見る。ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。
ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。
こういう訓練を通して、自分で把握した事がある。
日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、
理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、初心を
持ちそれを大事にする事、その訓練を通して一番教えられるのは自分。

・・・・・・・
<お笑い>

殿が太鼓もちに庭で,池の蟹を見て何か面白い小話をつくってみろと
命じた。ウロタエタふりの太鼓もち「そんな俄かにいわれても」と、
怒った殿「何をぬかすか、その位の駄洒落も創れないのか!」

隣にいた小姓「解らないのですか、庭ー蟹と今創ったのが」