つれづれに

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  ー つれづれに ー
 今朝がたから風が吹いているが、春一番なら良いが。
そろそろ、信濃川の土手へのペタリングをしたくなってきた。
それでも、二週間から三週間後だろうが・・

 ブログ、何で毎日、飽きずに書いているか? って。
面白いからである。特に精神のバランスを保つに、有効のようだ。
もう、遊ぶになっている。なら、チャットとか、ツイッターをしないのか、
というと、相手に気を使うのが面倒だから。人生は、遊びである。
 遊びには、「何のため」がないのが、よい。
生まれてきたのも、学ぶことも、働くことも、遊ぶことも、
「何のため」が無いほうがよい。何のために働くは、
生活のためがあるが、それを忘れたほうが、自由に仕事を
楽しむことが出きようというもの。

 今度の、川崎の少年殺人の犯人、三人。
これから10年以上の、刑期が待っている。一番、人生のオイシイ
ところが、務所とは・・ こういう弱者虐めは、務所内では嫌われる。
自業自得だとしても、哀れである。殺された当人にも・・ 無知の涙である。

  これからは、内語の「面倒くさい」との闘いになる。
老いていく現象が言葉として出てくる最たるもの。
実際のところ、「老いた」と、「まだまだ」の、気持ちの鬩ぎあいである。
まだ、現役という森の生活の感覚が抜けてないところがある。

 たらたら、毎日、「負け惜しみ」のようなことを書いているが・・
『これをとったら私から何が残るのだろう、何も残らないのでは?』と、
確か大岡昇平の言葉にあった。

 
・・・・・・
2159, 閑話小題
2007年03月02日(金)
           (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ~
* 都知事選が面白くなった!*

 ・都知事選に前宮城県知事の浅野氏が立候補の意向を表明した。
  これで見ている分には面白くなってきた。
  石原知事は批判があるにしても、名知事である。
  少し変節したが許容範囲である。
  しかし浅野に代わるのもタイミング的に良いのかもしれない。
  二期で充分と言えなくもない。
  これで三月・四月の面白いイベントが更に一つ加わった!
  石原都知事も浅野氏が出てくるとは思ってなかっただろう。
  一番手ごわい相手である。
  浅野の方が勝ちそうな気がするが、実績からみて五分五分だろう。
  首都圏の為にどちらが有効なのだろう?まあ、楽しみが一つ増えた! 
   浅野氏勝ったらゼネコンは一大事だろう。
      談合が更に厳しくなるからだ。
   ーー
   
 * 中国発、世界同時株安*

  この言葉は何処かで聞いたことがある。
  同じような題名の本の題名が数年前から本屋の平台に積んであった。
  今回の下げは地震に例えるならば、前振れの余震だろう。
  それが数度つづいた後に、本格的な大地震がくる。
  現在の世界経済は、一度清算をしなければならないところにきている。
  以前は、世界大戦というカタチで清算してきたが、それができなくなってきた。
  今は株や債権の暴落から大恐慌が発生、それがキッカケで破壊がおこなわれる。
    ーー
 
 * 新潟駅周辺が変わり始めてきた*

 日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。
今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、その至近距離にある
やはり大型ビルの地下と1Fに大型書店など合計1万平米が開店。
駅から6分ほどにある万代シティーのSCのダイエー跡も今日、開店。
合計一万数千坪の商業施設が新たにオープンするのだから、
雰囲気は一変するだろう。
今までが、郊外のSCに押されて、駅周辺が寂れる一方だったが、
これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた!
                 (o ・д・)ツ  バイ!        
・・・・・・・・・
2006年03月02日(木)
1794, 超アメリカ整理日記 -1
       (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ  ー読書日記
  ースタンフォードから日米をみると・・・ー
 野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の
2004年5月1・8日合併号~2005年4月16日に連載したものをまとめたもの。
米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。
政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。
   
 現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、年金制度、など、
社会システムの非合理性を指摘している。
イケア、マイクロソフトトヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。
経営、経済、経済システムや、荒涼とした大地に、
都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。
それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、
それによって、浮かび上がってくるシステムの矛盾の指摘がわかりやすい。
                 ~~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ!

ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー

p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、
 アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。

p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい
 →日本の高い物価を回避する手段。
年金生活者にとっては、不可能ではない。
ただし、現地のコミュニティに溶け込むことが、重要。

p.204 伸びる中国、追うのは日本ではなく韓国
スタンフォード大学に留学生数では、中国人がトップ。
現在、2番手は日本ではなく、韓国。ここ10年で逆転されている。
日本の資源は人材であると考えると、将来が不安と指摘。
米国のトップスクールで学んだ経験とそのときの人的ネットワークは、
ビジネスをする上で非常に有利に働くと考えられる。
これらを考えると、
10年後の日本はどうなっているのだろうか心配になる?

p.237 まともに生きる人間が正当に報われるアメリカ社会
p.245「人間の時間間隔は、<新しい経験をどれだけしたか>によって決まる」
 
最近の野口悠紀雄氏の本は、ほとんど目を通しているが、
この本は実際のアメリカ滞在者の実感が正直に書かれていて
説得力があってよい。
自己制御がきかなくなっている日本の現状は、
一歩外からみると鮮明にみえるのだろう。
                [○´・ω・]ノ ヂャァネッ
・・・・・・・・
2005年03月02日(水)
1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇

岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。
以前から、随想日記で書いてきた「中年クライシス」の暴発である。
母親の痴呆と、長男の問題、病気、職場の関係、犬の世話等々で、
自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。

そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。
海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。
40代後半から60代前半は、こういう問題が誰にも押し寄せる。
見せているか見せていないかだけである。
その中で一人でする、スキップと鼻歌は、
背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。

真面目な人ほど、ある日突然爆発する。
その処理法の知識がない上に、気弱だと、尚のことである。
この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。
それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。

外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、
人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。
深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。
痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。
直接原因はこれだろう。

以前、読書日記に ー『心』の出家ーの感想文を書いた。
後でコピーしておきますが、 その一節の言葉が印象的である。
     
自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面)
を取りさることである。神吉拓郎の「金色の泡」の中での
主人公欣吾と従兄弟の会話で以下を語らせている。

 ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」
「なにをさ」
「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。
 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」
「どうして」
「とにかく、そうなんだ。40前には、迷うことなんかないよ。
 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。
 あり合せの目標に突っ走る。
 一段らくしたときが一番恐い。
 40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。
 今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。
 え、そうじゃないか。迷いが出てきただろう」
「そういえば、そうかな」
「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。
 恐らく、死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」
「迷わない奴だっているだろう」
「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。
 しあわせという言い方もあるだろうがね」

ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。
それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。
しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。
そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。

ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、
やむをえない便宜とか理由から生まれてきた一種の
「機能コンプレックス」であるという。
それは個性というものとは違うものである。
安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、
それを脅かす内的世界が存在している。
ーー
誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。
タマタマ犬の調教で、TVのニュースの映像が流されていた。
真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。
私の解釈では、
・真面目な、
・気弱そうな、
・善人面
ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。
誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。
それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、犬の調教の
疲れなどの全てが、長年にかけて山積になった。
良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。

ーーーーーーーー
2002/10/13  予定挫折

ミスマッチの組み合わせの言葉である。
挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。
この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいて
その準備をしておく事である。

私の場合、大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、
挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。
必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。 
大体が7年である。
その時期を読み、変化を積極的に自分で創らなければならない。
その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。

スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツ
を覚えた事があった。
その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。
柔道や合気道で、まず訓練をされるのが受け身や倒れ方である。
予定挫折を初めから組み込ん、その時期がきたら割り切って
しまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。

ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。
有名らしいが漫画を見たことがない。
曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰った
し、自分では為残した事はない。漫画家は自分がなりたかった仕事。
それで生きていけそうだし楽しい!」

私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。
五年を目安とその時の勘で思った。勿論そう宣言をしていた。
3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。
予定どうりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。
これが予定挫折というのかと苦笑をした。
しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。

挫折時期はある程度読めるものだ。
定年退職やリストラとかで、無知の為に中年クライシスに
なってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。
準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!!

・・・・・・・
2004年03月02日(火)
1063, 高級1DKマンション-1

 高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。
最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンを
しながら調査をしている。そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。

特徴としては、多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。
もちろん、高速インターネット付である。
イメージとしては「スタジオ・マンション」という感じである。

ホームページを見ていると、何か別世界に入り込んでしまったような錯覚を
してしまう。情報化社会の時代の新しい空間とは、こういうカタチと
見せつけられたようだ。 またソフトハウスとしても利用可能のようである。

特に新橋や品川や山の手周辺に多く、一室で月20万~70万もする。
ホテルの1泊3万の部屋を月契約で2万円にしても、月60万になってしまう。
ならば少し高くとも、長期滞在専門の本格的な1DKが求められて当然である。

大規模のものが近々、品川にオープンするが、都心だから入居者があるのだろう。
買って、そこに縛られるより、こういうところを渡り住んで楽しんだ方が
良い。面白い時代になったものだ。

古ビルを買って、情報・サービス機能付き空間に大改築をするのも面白い。
時代の変化に合わせて、既存のものを変える事業も出てきているようだ。
組み合わせを変えることによって、新しい価値の創造をするデザインが
現在求められている。

ホテルプロジェクトを1DKに集中? 
「高度化」がキーワードになる。

・・・・・・・
2003年03月02日(日)
697, ルーツー2(縦人脈)

ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって
富山から上越と逃れてきた。そして「上杉家の家来」になった。
上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」という
出城の城主であった。
 謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の
片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。
その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。
一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。

その後、そこで百姓をしていたようだ。
ルーツというほどのものではないが、平家・上杉という流れと、
関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。
また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって変わってきている。
金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。
その検査に富山に行った時に会った社長は正しく
「堀井ヅラ」であった。

その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、
三桁に近い堀井の姓があった。上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。
長岡は10あるかないかで、新潟市では数人しかいない。

20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に
行ってきた事を思い出した。車を止めて、そこから独りで歩いて
城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。
何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ~という感覚で、
何かオーラに包まれたような気分である。この気分は柏崎の
極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。
そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。
人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。

家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの
鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。それと「自分とは何か?」
を考える一つのヒントになったことだ。

・・・・・・・・・
2002年03月02日(土)
347,心の陰

人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。
人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、
いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。
ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく
自分のそれを認識しているに過ぎないー

これが理解できるかどうかで、
「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」
をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、
今でも脱皮できなかった自分の部分を見ているからだ。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。

私の嫌いな「教養のないオバサン」
結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ

・・・・・・・・
ーお笑い  「収賄

自眠党経政会
「コネにて(賄賂)一件落着!」
 
自眠党経政会陣笠代議士  「なんで警察に呼ばれた?」
自眠党経政会大物代議士  「収賄だよ!」
陣笠代議士        「何で解決したんですか?」
大物代議士        「贈賄だよ!」