つれづれに

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 昨日、今日と、雨雲のためポタリングは無し。
円安、株高が続いているが、どの辺りで止まるかである。
どの道、消費税は絶対に上げるしかないため、その先手になる。
しかし、その借財は、将来に持ち越されることになる。
 
 ハイパーインフレになれば、資産を多く持っている方が、
有利で、年金生活者は、直撃を受けることになる。
 最近、あまり聞かないが、<スタグフレーション>とかいうのがあった。
不況下のインフレである。現在の韓国の惨状の姿が、近未来の日本である。
 中産階級の崩壊による、下層化が進むのだろうが・・ 


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2041, プロ野球の「記者の順位予測」
2006年11月04日(土)            
ー プロ野球の「記者の順位予測」と結果 ー

毎日新聞の「記者の目」のコーナーで毎年、プロ野球の開幕前に
セ・パ両ーリーグの順位を12人のスポーツ記者が予測する。
そしてシーズンが終わると、それぞれの記者が「反省の弁」を、
実際の「予測順位」と「実績」の下に書く。《私はセリーグは巨人、
パリーグソフトバンクと予測したが、みごと外れてしまった。》
  ー記者の結果を見ると、
・セ/パ両リーグとも、1~6位の順位を当てた記者は一人もいなかった。
セリーグに関して、1~4位まで当てた記者が一人だけいた。
 1位に中日を予測した人が6人中3人いたことと、
 巨人を4位予測が3人いたのは、さすがであった。
 れと、一位を6点、2位を5点というふうに点数をつけた
 順位がセリーグは1~6位まで、記者の予測通りになったのには驚いた。
パリーグにいたっては6人中5人の記者が、
 日本一位の日本ハムを5位と予測、全くの予測外れであった。
総括として日本ハムが「新庄選手効果」の大きな緊迫感をエネルギーに変えて、
「楽しむ力」にしたのが勝利の要因と結論付けていた。
ところで、これを「12球団の順位当てトトカルチョ」として、
面白おかし売り出せば面白いだろうに・・・
           モーニングコーヒーでも!
            ( ^-^)_且~~~
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2005年11月04日(金)
1676, 「自薦エッセイ集 魂の光景」-2

深く考えさせられる内容である。
 まずは、この文章を!
ー「イルカは跳んだーある感触」ー

男はイルカのことを考え続けている。イルカ一般のことではなく、
1960年代の末ごろのハワイの海洋研究所に飼われていた一頭の
メスイルカのことを。このメスイルカは研究所の訓練者が呼子を吹くと、
ある動作たとえば水面に跳び出て尾びれで水面を叩くという芸をみせて、
餌をもらうように仕込まれていた。
その研究所に来る見学者にその芸をみせるのである。

ところがある日、その芸をしても餌はもらえない。
2時間休んで次のショーの時も餌をもらえない。
当然イルカは当惑して混乱して苛立つ。
そうして数日後14回の苛酷な、虚しい演技が終わったあと休憩時間に、
イルカは明らかに興奮した嬉しそうな顔をする。
そして15回目の舞台で、いきなりこれまでみせたことのない
4種類の演技を含む8種類の違った演技を、次々とやってのけたのである。
そして、やっと餌をもらえたのである。

それまでの毎回同じ演技をすれば餌をもらえる、という条件反射的行動から、
一回ごとに違った動作をしなくては餌をもらえないという複雑な一段上の
ルールを認識したのだ。
このイルカの話を、男(日野)はグレゴリー・ペイトソンの本の中で読んだ。
「ここでイルカはひとつの跳躍を、論理階型間のギャップのとび越えを
やってのけたである」とベイトソンは書いている。

このイルカのことを、男(日野)は考え続けている。
14回までの彼女の苦悩と不安を、14回目の後の休憩時間に起こった
劇的なひらめきを、そして15回目に実現した彼女の論理階型の新生を。

べトソンは
・初めのイルカの段階つまり単純な条件反射的行動を
 「学習?」となずける。
・それに対して、様々に起こる出来事、つぎつぎと置かれる事態の間に
 コンテクト(文脈・脈絡)を見出して、
 それに従って行動する(適宜修正しながら)段階を
 「学習?」と名づける。
 人間の場合は、幼児教育を終えると原則的に「学習?」の段階に到着する。
 教育とか、しつけはすべてこの「学習?」の強化でしかない。
 家庭の躾、学校教育、社員教育、勤務時間が終了した後の先輩達の新人のしつけなど。

さらにベイトソンの学習理論の独自さは、バートランド・ラッセルの「論理階型」
の考え方を導入して、「学習?」のメタレベルとしての「学習?」の上に、
そのまたメタレベルとしての「学習?」、
さらにそのメタレベルとして「学習?」まで想定したことだ。
ただし「学習?」は、論理的には要請できても、現在の進化レベルでは
「地球上に生きる生物がこのレベルの変化に生きつくことはないと思われる」
としている。
 -ー
著者は、この後の文章で、自分人生を振り返ってみて、学習?と?の間の
レベルの狭間に宙ぶらりんになっているだけの自分を振り返るのだ。
ーさらに男(日野)の文章がつづく。
いま男が透視できないもの。
男は一応社会生活を続けてきたのだから、学習?のレベルのもろもろのルールを
身につけているといっていいわけで、従っていま男を苦しめているのは。
学習?のレベルの見えないコンテクト(脈絡)に他ならない。
ベイトソンがよく使う比喩だと、
地面(学習?レベル)に対する地図(学習?)、
そのまた上だと、「地図の地図」ということになる。
もはや、それは地図とはいえない何かだろう。

ーこれからは私の評論になる。

「はたして自分は『学習?』にレベルアップできたのだろうか?」
という自問自答が誰の中にもあるだろう。
イルカが到達した一段上のレベルへの飛躍はあったのだろうか?

ベイトソンは、イルカを人間の潜在能力の例えにして解りやすく
学習?への飛躍と、学習?の可能性を説いている。
イルカが、それまでの指示通りの行為に何ら餌をもらえなくなって、
大混乱をしたとき、新しい脈絡を見出した。
これは、ギリギリになって出てくる飛躍ー知恵である。
男(日野)は、はたして自分は飛躍をしていたのだろうかと、
自分の奥深くに問いただしている。

見方によっては、ベイトソンの問いかけも不自然といえる。
「イルカに対して、見世物としての飛躍を要求したに過ぎない」
イルカの調教は全く不自然な行為でしかないという見方である。
『何が、イルカが跳んだ』か、である。
解りやすい事例として果たして人間の能力の例えになるだろうか?、と。

でも、イルカが混乱の中から飛躍した答えを見出したのだ。
自分の中のイルカを想定して学習する(自己啓発)のも、面白いだろう。

自分は跳んだことがあるのだろうか?
誰も突きつけられる人生の大問題である。
そしてまた跳ぶ必要は果たしてあるのだろうか?

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2004年11月04日(木)
1311, まさか、地元で大地震!ー8

昨日の朝、何時もの散歩道を歩いていたところ、一軒の家が全壊していた。
母屋の隣にある小さな二階建ての元住宅で、今は駐車場兼倉庫に使っていたようだ。
倒壊で車が押しつぶされていた。
「サロンのコーナー」に写真を貼り付けてあるが、
小千谷など震源地に近い古い住宅は、同じように多く倒れているのだろう。

我家の自宅裏の空いていた貸家に、家が半壊した一家が昨日より
引越のため荷物を運びはじめた。
数日前に不動産屋からの紹介で、台風による洪水と中越地震のダブル被災の
長岡近郊の浦瀬の一家が入居することになった。
殆ど生活用の家具は使えなくなったという。
台風でやっと立ち直りかけた後なので、かなり深刻のようで、
もう避難所生活も限界だという。
しかし、JAへ夫婦共々勤めている内福の一家のようだが。
全壊は300万、半壊は100万円の支援金がでるというが、やはり厳しいだろう。

新幹線は今日から長岡~新潟間が開通するので、普段に戻ることになる。
近くでは、長岡大手高校の前と、青少年センターの駐車場にテントに囲まれた
臨時浴場が現れた。中が電気で影が見えるのが生々しい。
被害は全てにくるのではなく、マダラになっている。
地盤や古い住宅など、物理的に弱い所がやられるようだ。人間の体もそうだが。

今朝の明け方も、叩きつけるような雨が降っていたが、避難所にいる人は
本当に大変だろう。

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2003年11月04日(火)
944, 「創業者からの遺言」

 佐川急便の創業者の佐川清の「創業者からの遺言」というタイトルの本が
 図書館で目についたので借りてきた。
 タイトルと目次をパラパラと読んで印象的であったのが
 「月一億の小遣い」であった。

 それでも通帳の中は何時も空であったとか。
数千万の外車を馬鹿タレントにくれてやったとか、3億の無心に
ある有名タレントがきたとか、この男の馬鹿丸出しが可愛いと
思ってしまった。
 
 そういえば何処かの県知事が、その選挙資金を佐川清に無心したことが
問題になり、刑事事件になった。新潟県前知事の金子某とかいった奴だ。
もっとも、いまの知事よりは政治家としてはマシだが?
この人も55年体制の認可を金で買って太ってきた??でしかないのが
哀れである。この人に集った政治家とか役者は、その蠅である。

 そういう面で、「田中角栄の功罪」の罪という面では深いものだ。
とんでもない政治的致命傷を日本に与えたといえる。
それと中曽根も、とんでもない男である。
国鉄解体で、NTT株を野村證券と組んで国民を騙した犯罪を隠したつもりで
あったのだろうが。
小泉は思い切ってこの老!!の首を切ったことは良い!!
しかし政治家とは「功罪重ね持って国を変えていくもの」だが。

ーーーーーー
「創業者からの遺言」

創業以来45年、沈黙を破って凄烈な経営論を解禁。
「企業の真の存在価値は社会や人(社員)の秘めたる夢の実現に最大限貢献する
ことである」 創業以来45年。佐川急便社主が、沈黙を破って凄烈な経営論を解禁。

人間の章 人と出会い、交わり、人と育つ―企業は人こそすべて、
     出会った人が最高の財産である

夢の章  夢を持って、夢を追いかけ、夢を実現せよ!―企業とは、すべての人が
     持つ夢の実現に貢献するためにのみ存在する

金銭の章 稼ぎ、使い、妙味を会得する―金に執着すれば金は逃げる。
     金は自在に操ることでよき召使いになる

トップの器量の章 
     常に飢え、戦い続け、決断する―経営者は、自ら省みて自己に
     恥じない偉大な存在でなくてはならない

修羅の章 汚職、不正、権力闘争と向き合う
     ―経営に身をおく者は修羅の場に立たされる宿命を負うと心得よ

真理の章 良心に従い、精神の尊厳を貫く―「忘己利他」の境地に至る道とは

魂の章  人の魂を揺さぶるものは、虚飾を去った裸の精神である
     ―魂が共感しあえれば企業に不可能はない!

新生の章 志を抱き、義を守り、まっすぐ新時代を拓け―企業を永遠
     たらしめるために、一路邁進せよ

佐川清[さがわきよし]
   大正11年3月、新潟県中頚城郡板倉村(現在は板倉町)に生まれる。
   家業に従事した後、土木業「佐川組」を興す。昭和32年、
   佐川組を解散後急便業を開始。急進に次ぐ急進で日通に次ぐ運送業界No.2
   (売上高7000億円)企業に育て上げた。現在、社主

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570, 仕事と性格形成-2
- 2002年11月04日(月)

 以前習っていたパソコンの先生が直前まで教員をしていた。
結婚で辞めた後に「人に無性に何か教えたくて仕方なかった」
と言っていた。

警察官は私生活の中でも常に犯罪を探してしまうという。
「できたら子供は警察官とは結婚させるな!」
と父が口癖で言っていた。私生活でも常にあら捜しをしている為、
家庭が暗くなるという。
料理屋も絶対に嫁にはやるなとも言っていた、これはいわずもがだが。
ーこれは今回の内容と違う。

私の親戚に元大蔵省の査察をしていた人がいる。
仕事が面白くて仕方がなかったという。
仲間内で飲むと功績の内容の自慢と脱税の手口の情報交換という。
実直の塊のような人である。

小説家は全てが小説のねたにするのが商売だ。
その為に恋愛もし、乞食もする露出狂とも云える。

私など飲食店にしても、スーパーや専門店に入ると、店員の動きや
レジや店の規模や客層を常に見てしまう。それと順調かどうかをも。
そしていつの間にその聞き取りをしてしまう。
前は近くで開店ををすると、一番客になるのが習性だった。

面白いのは母は常に話の内容を1・5倍にして話していたが、
衣料量販をしていた時に、仕入れの1・5倍の値付けの癖が話しの
内容に出たものだ。最近になってそれに気が付いた。

本人が本来もっている要素とそれがあいまって性格形成になる。
人間は生物の持っている環境の支配を抜ける事が出来ない猿だ。
言葉をもってしまった狂った猿!

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[215] オカマバーー2
- 2001年11月04日(日)

 前回書いた初めて連れて行ってもらった時の事、カウンターで若い女性が二人飲んでいた。
「へー、若い女がこういう処にのも来るのかなー」と見ていたところ、一人の女性が
「社長!こんな処に来るのですか!」と話かけてきた。
 よく見るとうちの会社の社員。「お前こそ、なんでこんなところに!」
と逆にこちらがビックリした。それぞれ世界があるものだと感心した。
 毎年行われている長岡高校の同級会を新潟でやってくれと、私の幹事の番に言われた。
そしてその日の3次会で残った4~5人でその店に行った時、0時を過ぎていた。
確か二人の女性が踊りながら、我々を見てホモの集団を見ているような目つきで見た。
その時「これが引き時かなー」とそれから行かなくなった。
 丁度その頃、古町で(Zoo)という店がオープン、値段が7700円でかなりの話題に
なっていた。女装している店で、筋肉隆隆のコミックのうりの面白い女?か、
あれは切ったとか、いやに女っぽい女?を憶えている。別世界の驚きがあった。

 二回行ったが、そのホステス(ホスト?)が中学の同級会に女装で行った時、
担任の先生の驚いた表情の話が、印象的であった。
その世界の素人?に、その世界を面白おかしく見せたり話すのが
「彼らの売り」であったようだ。
「笑われて何ぼ」という世界のようだ。
ただエログロの面白さ一見の価値はあった?

 学生の時、歌舞伎町で女装のオカマの店の前で、お客を見送っている姿を
見た時のことを急に思い出した。その時は如何いうことか全く解らなかったのだから、
かなりオクテだったのだろう。