つれづれに

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 毎日毎日、飽きもせず、随想日記を書いていると、そして、過去の13年分を
読み返していると、その年毎の、確かに書いていた己と向き合うことになる。
そこに、現在の己と、当時の己を重ねてみることになるが、その己の総合が、
自分ということになる。 役者が、かって自分が演じていた役を、改めて
映画としてみるのは、本当に奇妙な感覚になるはず。 

 その時点の私を、現在の私が見ている。そして、現在の私を、未来の私が
見て、どう思うか?が、自分を冷静にしてくれる? その意味で、アブラハム
発明(発見?)した、アッラー共同幻想としての、神は、面白い。
地震が起これば、アッラーの思し召し! 挫折をすればアッラーの・・ 
 で、世界が大混乱をしているが、それもアッラーの思し召しになる。



・・・・・・
2374, 人は60歳で何をしたか -3
2007年10月03日(水)                 
         「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 ー読書日記

著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、
それ自体がユーモアに聞こえてくるし、本人が一番勉強になったはずである。
それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。
彼らに一致しているのは、この時期は「起承転結」の「結」の時期ではなく、
起承転々の「転」である。 最後まで転げまわるのも良いものである。
この本では、古今東西の大家の「60歳の時点」の創作を具体的に提示して、
そのプロセスで、その人となりの精神を現わそうとしている。
著者は私と同じ年齢になるが、比べようもない知識の広さと深さに大きく溜息を
つきながら読んでいる。 それよりも紹介されている人たちに驚かされる。
比較しようということ自体が、おこがましいのは解っているが、それでもである。

殆どの本がそうだが、「まえがき」に多くの著者が言わんとすることが凝縮してある。
その中に「定年退職する人には、職探しの前に自分探しをする人が多いという。
企業を離れたとたん、個人としてのアイデンティティの確認に苦しむという話を
よく耳にする」とあったが、何か解るような気がする。
会社という制服を着てきた人間が、それを脱いだ時に初めて自分に直面する。
自分=「私」は哲学的にいうと、過去のトータルの「・・」である。
それが制服を脱いだと同時に自己喪失感にとらわれ、個人としての
アイデンティティの確認を求めざるを得ないのは当然のことである。
その辺のことを、この本の中では解りやすく説明している。

ーーー
P・7
それまでの自分は、会社の規範の中で生きてきた。異動や転勤があり、
人生の生き甲斐も家庭の悲喜も、会社の意思で決定された。
そのような企業組織に対する依存度が高い人ほど、人生が変わってしまうのが定年。
会社の出世コースを外れた人ほど、第二の人生を生き生きしているという。
そこで生き甲斐を見出せないためか、会社以外に自分探しをしているためである。
還暦とは、稀有な長生きの先に、僥倖として新しい人生が開けたという考え方だ。
60歳まで無事生きれたのだか、これを契機に新しい人生を生き直してやれというから、
哲学的な概念である。定年はそれまでの縛りがなくなることだが、
還暦は新しい人生を生き直すことである。なら積極的に新しい人生を探してみて、
第二の人生を深くしていって方が良いに決まっている。

ーP・8
精神科医の中沢正夫は、その著書『人生が二度ある』の中で、
第二の人生計画を練るにあたっての原則を次のようにまとめでいる。
1、第一の人生のなかでの自分とは、自分にとって何であったのか、見きわめること
2、何をしたいのかは徹底的に個人主義的に考えること、配偶者にもそうしてもらうこと
3、計画は終了・完成を目標としないこと
4、道草・浮気の旅を心がけよう
5、働くこと、社会参加することを中心に
6、世にはばかるパワフル・シルバーに
7、挑戦を一つ入れること
8、記録をのこそう
9、早めに計画をたてる
10、もう遅いという人へ
これに加えて自分探しの要諦について、評論家の佐高信は「会社への『離塁感覚』を持て」
といっている。 作家の堺屋太一も「職縁から離れる時だ」といっている。
この離塁感覚というのは、以前の組織にいた時の自分を引きずるなということだろう。
あくまで自分の頭で自由に決めることを前提に、自分探しをすべしということであろう。
考えてみれば会社を去るわけだから、束縛されるものはもう何もない。
時間の過ごし方も、考え方も、自己を規制するルールもまったくないのである。
ある意味で、こんな幸せなことはない。

とはいえ、具体的にどうすれば自分探しができるのか。初めての経験だから、
途方に暮れる人も多かろう。僕は気に入っている作家の60歳の著作を、
書斎で探してみた。文豪といわれた人たちが、60歳という人生の切れ目で
なにをしたかを調べたくなったのである。通常、著作の是非は内容で諭じるもので、
60歳という視点で各分野の作品を斬ることは、おそらく誰も試みたことがないように思う。
その還暦調査を手掛ける前に、実はふたつの予感があった。
一つは、巨匠たちが節目ということを意識して、
 自分の代表作をものにしているのではないかという予感。
二つ目は、この調査が新しく第二の人生を模索する人たちの、参考資料になるのでは
 という予感。そして、調べていくうちに、二つの予感が正しかったことを確信した。

ーーーー
以上だが、過去に何回も書いてきたが、座卓犬が突然、首輪をとられ家の外に
放り出されるようなもの。 家の外は、誰も見向きもしないし、何処の犬だったなど
通用しない。そうすると、放り出された野犬の群れに入るか、他の家の屋外犬として
軒先に入るしかない。それともさっさと一匹狼として、街の外に出て自然の中の
餌を探すか。逆に考えれば、そのまま老いた座卓犬でいるより、余程よいかも?

・・・・・・・
2006年10月03日(火)
2009, ドイツ病に学べ
    (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ

毎日新聞」の日曜日(10月01日)の、 
 ー本と出会う=批評と評論ー の「ドイツ病に学べ 」の評論がよい。

   「日本に次いでGDP世界第三位を誇ったドイツが、EUのお荷物となっている」
    というニュースは何度か目にしてきた。
    その詳細が現地に住んでいた著者の眼で書かかれている。
   *その惨状といえば、19�の消費税、実質16�という高失業率、リストラ、
    旧東独の苦闘、高い給料と強すぎる労働組合、旧東欧諸国に逃げ出す企業、
    年金制度、等々 問題が山積みである。

「まだまだ日本は、ドイツに比べたら恵まれている?」とさえ思えてくる。
しかし、現在の日本に酷似しているから驚きである。
それにしても、東西冷戦時代の優等生だったドイツと日本の凋落は激しい!
ソ連アメリカの冷戦の一番の恩恵を受けていた日独が、終戦と同時に凋落するのは当然だが、
共産圏の垣根が掃われた直撃の影響は想像を遥かに超えている。
さらに、これからはアメリカの凋落が待っているから先行きは楽観できない。

    これに対して、中国とインドは紆余曲折があろうとも強大になっていく。
    さらにロシアも社会基盤ができてくればその後に続くのは明らかである。
    地球上の繁栄の軸は欧州から米国へ移動したが、
    これからはアジア・シベリア大陸に移動していく。

ドイツ車が本国で人気失墜をしたことを、まだ日本人が知ってない?
ホンダと、トヨタ車があるのに、まだベンツ神話の人が多いときている・・
フォード、ゼネラル・モーターにつづいて、次はベンツの危機か?
 ---

ー記事全文 ー
伊東光晴・評 『ドイツ病に学べ』=熊谷徹・著(新潮選書)
 ◇ユーロ圏拡大と裏腹の閉塞感

 ヨーロッパの経済の優等生を長く続けたドイツ経済がゆらいでいることは、
日本でもよく知られている。失業率が一〇%程度という高さを続け、
いっこう改善されないのが第一である。第二は、EU統合にさいして、
ドイツが強く主張した「ユーロ安定基準」-その核ともいえる
「各国はその財政赤字をGDP(国内総生産)の三%未満に抑えねばならない」
という財政赤字比率を実現できなくなったことである。
なぜこのようなことになったのか。この本は元NHK記者で、一九九〇年から
ドイツに在住しているジャーナリストの目で、その答えを具体的に示してくれる。

 第一の答えは、経済のグローバル化にともなう、製造工業の空洞化である。
賃金の安い発展途上国に工場が移り、産業の空洞化と失業者が増大する-
-この先進国一様の問題だけではない。
当初、政府は賃金の安い旧東ドイツへの工場立地が進むと予想した。
だがこの期待ははずれた。より賃金の安い国へ、である。日本などとの違いは、
それが中国、アジアだけでなく、ユーロに加わる隣国だったことである。
著者によるとチェコの賃金はドイツの四分の一、ポーランドは八分の一である。
空洞化が、ユーロ圏拡大とともに、ドイツで拡大したことがよくわかる。

 第二の点について、この本で重要なのは、東ドイツとの統一は政治的には
成功であったが、経済政策のうえでは失敗だったことである。
統一後の政府による旧東ドイツへの集中的投資が、日本の八〇年代末のような
バブルを生み、しかもそれが企業誘致に失敗し、建設バブルの崩壊となる。
不況と財政の破綻はそこからはじまっていく。

 ドイツ産業の競争力の低下も進んでいる。
著者はドイツでの乗用車の顧客満足度調査を引いている。
一位はトヨタ、以下七位までが日本車、ドイツ車はBMWが一〇位、
フォルクスワーゲンは三一位、ベンツは三二位にすぎない。ドイツ車は電気系統が弱い。
二十数年前の私の経験でも、来日したドイツ人教師のベンツの調子が悪く、
また、友人ももてあましたドイツ車を日本車に変えた。
一時代を画したフォルクスワーゲンも、すでに時代おくれになっていた。

精密工作機械の分野でも、日本に遅れをとっている。
本書が書くように、今までの成果の上に立ったドイツの高賃金も維持できない。
ドイツ一国であるならば通貨=マルクの国際価値が下り、調整が進むはずであるが、
ユーロに変ったため、逆にユーロの価値が上り、
ドイツ産業の競争力をいっそう弱め、不況を続けさせている。

 その結果、ドイツの政治も、著者の筆も、ドイツの労資関係、高賃金、
高い社会保障を批判する方向に向いていく。小泉内閣が範とした社会保険料の引上げ、
給付の削減で、日本と同じ少子高齢化に対処するためである。
それが社会民主党内閣でまず行なわれた。民衆はこれに反撥(はんぱつ)した。
財政は赤字、しかし増税もできず、経済は停滞、大連立内閣は動きがとれず、
経済的にも政治的にも閉塞(へいそく)感が漂う。

 この閉塞状況は、著者が言うように「先進国症候群」の病なのか。
アメリカを代表する経済学者スティグリッツ教授なら
「世界を不幸にするグローバリズム」と言うだろう。
しかし、多くの経済学者はユーロの後進地域の高成長の代価と言うにちがいない。
著者の考えは、新自由主義的市場主義に近づけている。
第三の道はないのか。それを考えさせる素材がこの本である。
         <毎日新聞 2006年10月1日 東京朝刊>
   
   評)ー評論を評論するー
   これを読むと、あまりにドイツの現状が日本に似ている。
   実質的な社会主義という糖類のとり過ぎからくる、「糖尿病」である。
   
   小泉が郵政と金融改革を断行をした。
   次に阿部が教育・憲法・国家安全・経済改革を捨て身でやらなくては、
   日本はドイツと共に更に凋落をする。
   特に「ゆとり教育の弊害」が日本の根幹を揺るがす事態になっている。
   「糖尿病社会」の典型的な悪しき事例が、現在の教育制度である。
   
   アメリカ従属国家の悲哀である!たっぷり糖類(毒饅頭)を与えられた。
   その元となった憲法の改革(核)から、始めなくては!
               
               バイ  ヾ( ̄ー ̄ヾ))))
・・・・・・・・・・

2004年10月03日(日)
1279、イチロウの大記録

それにしても、イチロウの記録には驚いた。
絶対無理といわれていた257本のヒットの記録をついに破った。
これで、歴史に残るスーパー・スターになった。
相手チームの選手も祝福してくれるのだから、それだけ凄い記録ということだ。
これほどの歴史の残る大記録を、日本からの輸出品(完成品)で通用したことは、
驚くべきことである。

生のドラマを、劇場的雰囲気で見れるのだから素晴らしい。
昨日は、この試合を初めから終わりまで見た。
野球の試合をフルに見たのは、数年来初めてである。

イチロウが初めて打率を日本でトップをとった20歳の頃、
森・元監督が、あるセミナーで「王や長島より数段上の天才バッター」
といっていたことが頭によぎる。しかし、ここまでの大選手とは思ってもいなかった。

以前にも書いたが、彼のある言葉に注目をした。
ートップクラスの投手の一番得意の決め玉を待つ、他の選手は得意球を
避けて甘い玉の来るのを待っているが、自分は違うー
超一流の投手なら、驚くだろう。
「奴は俺の得意玉を待っている、挑戦をしようというのか?」
「それなら、受けて立とう!」といかないのが、人間である。
今だかって、その経験がないからだ。
相手が、得意の玉以外を待っているから、得意球が効果を上がるのだ。
マジックショーのネタを相手が知っているのだから。
見ている方からしたら、こんな面白いショーはない。

彼は、手持ち時間は常にストレッチをしている。
超一流選手は、どういう訳か怪我が少ない。
常に鍛え、集中しているからだ。

ー以前書いた内容をコピーしておきます。
ーーーーーーー
2001/12/21
[233] イチロウ

「将棋、囲碁など今の天才と言われる新人類は、
みんなコンピューター付きマシーンを使っている」
と、美輪明宏がTVで言っていた。

何か練習に工夫をしているのではないかとは思っていたが、
昨日のBS・NHKのイチロウ特集で、その秘密の一部を知る事が出来た。
それは何か!「テニスボールを投げ込むマシーン」であった。
それで230�のテニスボールを投げ込み、スピードに対し、目を作ることと、
反射の訓練をしていたのだ。 これが彼の秘密のかなり本質の部分と直感した。

実際に球がきた時に、緩く見えるまで訓練するのである。
そこに赤と黒で数字が書いてあった。それが見えるまで訓練するのだろう。
バッテングと守備の捕球に対して、球の見極めができるようになるまで訓練をしている。
子供の時から、そのマシーンを使っていたのではなかろうか。
脳と身体のサイボーグ化をしていたのだ。

もちろんそれだけでは、あれだけのプレーはできない!
その上に努力を人一倍重ねたのだろう。
努力は誰もできる、要は、人と違った手法を如何見つけるかだ。
イチロウは自分の練習を人に見られるのを極端に嫌っていた。
他にも彼なりの科学的方法を積み重ねていたのだろう。

数年前に森監督の講演を聞いた時、「イチロウは王・長島とは格違いのレベル」
と言っていた。 そのとうりになってきた。

・・・・・・・・
2003年10月03日(金)
912, 開発部門ーベンチャー

 人間も組織も、自然に任せておけば、「最良」を避けて「良」だけをする。
いや良だけでなく、悪をする。
そこで「組織にとって最良とは何かを考え実行する部隊」となる職種とは
なんだろうと考えたら、開発部隊であろう。
それも3年~10年後の新しい事業の開発行為を専門に動く職種である。

 これを組織的に創るとしたら、「経営・戦略開発室」いや「経営企画室」である。
ラインやサービスとは独立をして「情報と経営・戦略の立案」に専従する職種だ。
組織的ベンチャー部門ということか。
この激変の時代、常にその変化に対して自己革新を続けなければ、
すぐに陳腐化をしてしまう。
そのこと自体も判らなくなるのが組織いや人間というものである。

 ところで、8月21日から開発専門を一人独立をさせた。
毎日、情報とりを開始をした。勿論、ラインの仕事を一切なし。
新プロジェクトの開始である。
二年前と三年前に一ヶ月間だけ期限を切って、二人に開発休暇を与えた。
期限を切れば、ラインの視点を超えることができないことに当時は全く
気がつかなかった。悪く言えば、本気にはなれなかったのも当然である。
開発の必要性に気づきだしたのに、あと一歩であった。

 問題の大部分は組織図にあるというが、その通りだ。
人間そのものの素質という面もあるが、システムー仕組みの問題点として
問題点を捉えてみるべきだということだ。

 開発行為は『外』に対する働きかけて新しい事業チャンスを模索することだ。
自分の庭の中には地表深く掘り下げれば多くの金塊があるかもしれない。
それに気づくためにも、一度外に働きかけなければ。
少なくとも事業に関しては、庭の中にいては何も見えてこない。
小さい会社は社長そのものが一番の仕事になるのだが。
 金物屋はホームセンターには変身不可能である。
それまでの常識がバカの壁になってしまうからである。

・・・・・・・
[170] 忘れられないお店ー2   
           2001/10/03
 その店(池津屋)で10年生活した事になる。すざましい日々だっだ。
その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、
高校を卒業するまでの8年住むことになるが。
 衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。
‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’‘3Fが住居’
‘4Fが直しと女子寮’になっており、全宇宙が圧縮されているようであった。
 ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。
そのビルと大手通りが私の遊び場であった。
かなりマセタ餓鬼だったと思うが、誰にも可愛がってもらった。
 特に綺麗な女社員が入ってくると、ぴったしくっついていた。
競合店が出来ると子供心に心配で一人偵察に行った。
毎日の売り上げが気になり、必ずレジを覗いていた。
両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。
 倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。
今でも年に2~3回はその頃の夢をみる。
でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、正月は家族と従業員全員集まり
ご馳走を食べたりして年越しをしていた。