つれづれに

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 てっきり、昨日が小学校の同級会と思い、17時に駅裏の送迎バスに
乗るために行ったところ、誰もいない。 家を出る前に、もしかして、明日かもと
しれないと、日にち確認をと、葉書を探したが見当たらず、直ぐに探すのを
止めたのが悪かった。 10分ほど待って帰って、葉書を探すと、翌日であった。
 
 そういえば、この春の親戚の法事も、前日にお寺に行った失敗があった。
それも、懲りずにである。 これも弛緩のなせる業か。 行き帰りのウォーキングに
丁度良かったと、割り切ったが! それにしても我ながら・・・ 惚けの始まりか?



・・・・・・
2362, コーヒーの由来
2007年09月21日(金)

エジプトのカイロで、「世界で初の喫茶店はカイロで開かれた」と聞いた。
そこで、コーヒーの発祥を調べてみたが、コーヒーにも長い歴史があった。
アメリカでは、紅茶よりコーヒーが多く飲まれるのは、イギリスよりの独立時に
高い関税をかけられるようになったので、やむなくコーヒーが飲まれるようになった。
アメリカンが薄いのは、紅茶に見立てた名残という説がある。
コーヒーの発祥は、多くの伝説があるが、
キリスト教国での「ヤギ飼いカルディの話(エチオピア起源説)」と、
イスラム教国での「僧侶オマールの話(アラビア起源説)」の二つの説がある。
*一つ目は、6世紀頃のエチオピア高原でのこと。
ヤギ飼いのカルディが、放牧していたヤギ達の様子がおかしいことに気づいた。
夜になっても興奮して飛び回っているので、ヤギ達の様子を見てみると、
赤い木の実を食べている。そこでカルディも口にしてみると、全身に活力がみなぎった。
カルディがその奇跡を修道士へ伝えると、
「これを飲めば徹夜の宗教行事時に睡魔に苦しまなくて済む」と、
修道士達の間に秘薬として広まっていった。この赤い実がコーヒーの実であった。
*二つ目は、13世紀頃のイエメンのオーザブ山でのこと。
イスラム僧オマールはある日、無実の罪でオーザブ山へ追放され、
山中をさまよい歩いていると、一羽の鳥が赤い木の実をついばんでいるのを見つけた。
オマールもその木の実を口にしてみると、味は不味いが、疲労が回復していった。
彼はその木の実で多くの病人を救った。それにより、罪を許されて町へ迎え入れられ、
聖者として人々に尊敬された。 この町がコーヒー豆で有名なモカである。
その後、オマールは『モカ守護聖人』と呼ばれるようになった。
コーヒーは薬として飲まれていて、豆を煎って飲むようになったのは13世紀頃。
イスラム教寺院の僧だけに門外不出の眠気払いの秘薬として飲まれていた。
その後、イスラム教の信者にもコーヒーの存在が知られ、一般家庭でも飲まれるように
なったという。イスラム教では、酒が中止されていたため、酒代わりの楽しみになった。
そのためアラブでは、ぶどう酒の名前だったカフワを、その飲み物の名前にした。
それがトルコに伝わってカフウェになり、カフェ、またはコーヒーという名になった。
その後、イスラム世界では何度もコーヒー禁止令がだされた。
しかし、その都度イスラム医学者から身体に良いという説が出され紆余曲折に末、
結局は容認されるようになった。
13世紀頃に、ひょんなことからコーヒーに革命が起こったのである。
誰かが偶然にコーヒー豆を焼いてみて、それが芳しい匂いがしたのだろう。
そして焙煎したコーヒーを煮出してみて、現在のトルコ・コーヒーのようなものが
誕生したのである。
コーヒーがヨーロッパで飲まれるようになったのは15世紀初頭。
ベネチアから広がり、ヨーローッパの各地にカフェができたり、
フランスにてドリップ式コーヒー、イタリアでエスプレッソコーヒーが生まれた。
その後、中南米から世界各地へ渡って行き、それと共に栽培も世界各地へ拡大していった。
ーー
 以上が、コーヒーの歴史と由来である。
ところで余話を一つ・・・・
昨年春のこと、事務所の至近距離に喫茶店が移転してきた。
50歳前後の夫婦が10坪足らずの店を開いているが、一年は持たないだろうと思いきや、
一年過ぎても、それなりに客が入っている。
開店・閉店を含め朝の7時から夜は9時過ぎまで、盆暮れを除いて年中無休。
実際のところ、喫茶店という業種は20年以上前から成り立たなくなってしまっている。
一部の例外はあるが、年中無休か、他の収入手段があり、趣味的に運営しているか、
茶店は表向きで、実は食堂の店が例外的に生き残っている。
チェーン店のコーヒーショップは、あれは喫茶店とは別物。
この話は長くなるので、ここでは止めておくが・・・

・・・・・・・・
2006年09月21日(木)
1997, 「私」のための現代思想    読書日記
   \(^▽^*)おは!   (光文社新書)  著者・高田 明典

「私」とは何か、
「他人」とは何か、
そして他人の集まった「世界」とは何か?
を解りやすく書いてある本がないかと思っていた矢先に、
図書館でこの本に行き当たった。
哲学、そして現代思想で、常に言及している問題である。

 この本では、
<言葉><価値><社会><世界><物語><私><身体><他者>
という現代思想の主要概念を検討する構成をとっている。
この著書の中で、凝縮されたポイントを抜粋してみよう。
まずは「はじめに」の中から、ポイントの部分を抜粋してみる。

・フランスの哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、哲学の教師でありながら、
一介の労働者として工場に入り込み、そこで辛い体験を通して、
自らの思想を研ぎ澄ました。
そこで工場での体験で意志の発揮の機会はことごとく奪われてしまいました。
そこで私たちは「時間の流れ」にさからうことはできません。
しかし時間の流れの中で、次に到来する時点において何をしているかを
思い描き、その通りに行動することはできます。
それを人は「意志」といいます。
また、「精神」とも、「魂」ともいいます。
すなわち「魂」とは、人が「時間を支配すること」です。
もしも「次の瞬間」、もしくは「次の時間単位」に発生することが、
自分の意志とはまったく関係なく起こるものであれば、
人は「瞬間的に生きる」ほかなくなります。その自由は失われます。

・教養とは「自由になるための技術」です。
そして哲学や現代思想は、その柱の一つです。
私たちに与えられた武器は、思考であり言語であり論理である。
それ以外の武器を、私たちは持っていません。
自由になるための「技術の束縛」から逃れるためには、
「技術を所有する」ことです。
「お金の束縛」から逃れるには、「お金を所有」するしかありません。
所有するとは権限を持つことと同義語である。
何に束縛を感じるか、その人によって違います。
 その違いは、それぞれの個人の「物語」の違いによります。
物語は「人が生きていく上での行動の道筋」です。
束縛は、外部に存在して人の行動を制限するものではありません。
その人が採用する「物語」が遂行していく途上に存在する「壁」のことです。
「金銭という束縛」を感じているとすれば、それは「金銭が壁となって邪魔をする」
という「物語」が遂行中であることを意味しています。
「思考による束縛」の場合は、「思考を捨てる」ということは、
すなわち「何も考えない」ということなので、その実現はかなり難しいと思われる。
「思考の束縛」から逃れるためには、「思考を所有する」ほかはないようです。
              おわりに
・・・・・
2005年09月21日(水)
1632, 記憶する身体、飛翔する意識
         ー 日野敬三 対談集  -3

柄谷と保坂の違って、三木は本人自身が生死の淵の大手術をしているので
対談の内容は、よりリアルになっている。
ー手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店
一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。
ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。
そこだけ輝いて見えるのです。
努め帰りの人たちがドンドン出てくる。
以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、
そのときは出てくる人たちの顔が、みんな輝いているのですよー
のクダリなど、挫折を何度か繰り返してきた経験から、痛いほど解る。
現在、リストラにあった人の心象風景そのものである。
以下は、少し暗いが真実の声である。
 ー記憶する身体、飛翔する意識ー              
ー三木
生死ぎりぎりの大手術をして、人生の荒治療を食らったという感じは大いにありますね。
突如として目の前に「シャッター」がダーンと落ちてきたときには、やはりかなり慌てた。
多少は死のことを考えていたつもりなのに、やはり本番の覚悟はできてなかったのですね。
ー日野
2001年宇宙の旅』というSF映画の中に、モノリスという不思議な金属が出てくる。
ツルツルの黒っぽい。三木さんは先ほど、シャッターとおっしゃいましたが、
僕はあれが目の前にスーッと現れた気がしたの。
ー三木
モノリスが?怖いな!
ー日野
つまり、引っかくところも隙間も何もない。
嘆いたって、喚いたって、抗議したって、何をしても受け付けない。
至上絶対なるものですよ、死というものは。
死というものは、生物学的にわかっていても、理解をはるかに超えたところにある。
これまで、作家とか評論家をしながら、生とか死とかを書いたり、それなりに
考えてきたのに、ほんとうに実感してないと思いました。
ー三木
病室の窓から、恵比寿の町の灯が見えるんです。
そうすると、街のどこかのバーで、僕が一杯ひっかけていてもいいわけですよ。
ところがその風景が、何か、明治時代のガス灯の世界か何かに思えてくる。
その間にあるガラスは厚いですね。驚くほど厚いガラスなんです。
そこに僕が行って飲むということは素晴らしいが、もう絶対できない。
ー日野
僕は、手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店
一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。
ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。
そこだけ輝いて見えるのです。 努め帰りの人たちがドンドン出てくる。
以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、
そのときは出てくる人たちの顔が、みんな輝いているのですよ。
僕はここにいて、10~20m先の改札口の皆が帰っていく姿が、この世のものならぬ
光に包まれて、そして自分とそこの間には絶対の隔たりがあった。
その光景は忘れられません。
ー三木
日野さんも僕も、シャッターが落ちたときから、そういう時間が始まったんだと思う。
僕はときどき高校に講演に行くんですが、入試に絶対に受かる方法があると、
冗談めいたことを言うんです。君達には、まだ一年があると思って悠々としているだろう。
しかし、入試一ヶ月前になったら必死に勉強しないではいられない。
それは一ヶ月という時間ならそれを実体として把握できるからだ。
その実感としての時間を一年前に見通して把握できるなら、つまり一ヶ月前の
時間の質と同じように一年前の時間を感じることができればいい。
きっと優秀な人間はそういう能力を持っていると思うと。
ー日野
もとに戻った、回復したということは、この世界のーー宇宙の、といってもいいんですが、
時間の流れの中に再び組み込まれたということです。
今という永遠が非連続に続いているのではなく、それは連続した時間なのです。
英国の物理学者、ホーキングは、三つの『時間の矢』があるといっています。
・熱力学的な時間の矢ーエントロピーが増大する時間の方向ですね
・それから、昨日のことは覚えているが明日のことは覚えていないという心理的な時間の矢。
・それと、ビッグバンから始まる宇宙的時間の矢です。 時間の矢はあるとおもう。
だから、今という非連続の永遠だけを一日一日楽しく生きればよいというのは、
三日ならできても、三ヶ月は難しい。死ぬ経験をして生き返ってきて、
死を毎日時間して、一日一日が永遠ですということはいえない。
ーー
ー日野
僕らが今、言葉にして言っていることを、言葉にしてくれ、意識化してくれ、それに
形を与えてくれと、45億年前から原始地球の岩石たちが願ってきたんじゃないかと。
15万年位前のネアンデルタールの段階で、死という観念を持てた、
つまり言葉を持てたんじゃないか。
ー三木
言葉になった。つまり共通の記号ができて、死を死として認識できるようになった。
ー日野
死の儀礼を始めたことと、言葉ができたことはパラレルだろうというのが、
僕の経験的直感です。われわれが言葉を持っているのは、実は全生物、
もしかしたら、無機物まで含めた全存在が言ってほしいということを、
われわれはやっと少し言えるようになっただけかもしれない。
だから僕らが言葉を使って物を考え、言葉を使って表現できることに裏には
全物質の、少なくとも全生物の期待と願いがこもっていると思う。
おろそかに言葉を使ってはいけないという気がします。
ー三木
日野さんが感銘したとおっしゃっていた火星の写真。
僕は初めて火星の地表を見たのですが、あのごろごろした石や地平線や
ピンクの空を見たとき、これはもしかしたら、誰も見ないまま終わってしまう
はずだったのかな、それとも誰かがこれを見て欲しいと、願った結果だったのか、
なんて考えました。

以下字数の関係で中間をカットしました。
(2007年09月21日)
ーー
死を直面する時に、だいたいこんな気持ちになるのだろう。
そして、ひとり悶絶して諦念するしかないのだう。
そのときの準備のために、人類は宗教をつくりあげたのだ。
最後の最後は、『神様助けてください、お願いします』になる
だから心に迫ってくる。しかない。
しかし、この二人は神ではなく科学的に死を見つめている。

・・・・・・・・
2004年09月21日(火)
1267, 書いてなかった旅行記ー2
 カナダ旅行紀ー2

バンフスプリングス・ホテルが一つの芸術作品のようである。
重厚な石造りの建物に、豪華なロビーとレストラン。
もちろんホテルとして、世界的に有名なホテルである。
その庭先にはレイク・ルイーズがある。
いや、レイク・ルイーズのほとりにホテルを建てたのだ。
朝、昼、夜(白夜)とその湖の色が大きく変わって見える。
ロビーの窓が、あたかも絵の額縁のように作ってある。
早朝、その窓から見た湖の美しさに息を呑んでしまった。
白夜の11時過ぎに、一人でレイク・ルイーズの畔のウォーキングコースを散歩をした。
よそ者は入ってくるなと脅しているように稲妻と雷の音が鳴り響く、
自リスや、ラッコが威嚇の声を上げる。それが、その背景とピッタリなのである。
恐ろしくなり引き返そうとした。ふと人の気配するので、
目をやると若い白人女性が一人でハイキングから帰ってきたところだった。
男でも恐ろしいところをよく一人で歩くものだと感心をした。
高台から見えたペイト・レイクの美しさも心に焼き付いている。
コバルトブルーの色は、過って一度も見たことのない色であった。
右を見ても左を見ても、全てが絶景というのがカナデアン・ロッキーの特徴である。
旅行の都度、添乗員に必ず次の質問をしていた。
「貴方の主観でよいから、一番良かったところは何処ですか?」
殆どの添乗員答えは「カナダのロッキー」であった。
次がスペイン。そして、インドであった。そういわせるだけのものは確かにあった。
ところで現在の私に同じ質問をしたら、迷わず、「ケニア!」と答える。

・・・・・・・
2003年09月21日(日)
900,『 V・E ・フランクル』についてー2

彼の言わんとすることは
ー「よく働き、よく遊び、よく学べ」ということだ。
「よく」あるためには、この3つのバランスがとれてなくてはならない。
よく働くためには、よく遊び、よく学ばなくてはならない。
よく遊ぶためには、よく学び、よく働かなくてはならない。
よく学ぶためには、よく働き、よく遊ばなくてはならない。
 私の場合は、
・よく働くは、現在の事業の発展・維持である。
バブルがはじけて大変だが、5年~10年先を読んで、事業構造の変換が当面の
課題である。
・よく遊ぶは、ウォーキングや、秘境旅行、映画・TV鑑賞。
・よく学ぶは、読書や人間・社会観察である。
 この3つはそれぞれ重なり合い、同じであったりする。
この「随想日記」は私にとって3つが含まれている。
「何を」という目的・目標をハッキリさせ、
そのプロセスを楽しみや遊びになるまで、徹底することだ。

 フランクルは死と常に隣りあった異常な状態の中で、人間の可能性を見た。
その「人間の可能性」を大学に復帰して講義をするイメージが、
彼を収容所から生還させたのだ。収容所で作業のため整列して歩いている
時に、数?上から見ている自分がいたと書いていた。
これなど究極の体験から生じる脳の昇華であろう。

 彼のコぺルニクス的大転換は「人生に何かを求めるのでなく、
人生が何を求めているか」を常に問い続ける重要性に気づいたことだ。
それも死の収容所の究極の状況の中でだ。
初めて読む人は、
・「フランクルに学ぶ 」 斉藤啓一 日本教文社  2000年
・「どんな時も、人生に‘YES’と言う
  諸富祥彦  大和出版  がよいのではなかろうか。真っ暗な中に
さしこむ太陽の光のように、輝き光っている人間の可能性を見ることができる。

 以前にも書いたが、自分の赤ちゃんの服を編んでいる姿の中に
さっき書いた要素が全てー愛・創造(能力)・知が含まれている。
この随想日記も考えてみれば同じである。
好きなことや人を見つけ、心を込めてすれば何事も後悔をすることはない。
そして、その対象は、半永遠的に残る。

・・・・・・
526,社会の変化
- 2002年09月21日(土)

日本も社会の価値観が根本的に変わろうとしている。
この失われた10年間で政治も企業も宗教も権威が失墜してしまった。
一昔前の一流企業といわれるところが、
倒産や赤字や不祥事で全く権威を消滅してしまった。
代議士や大臣を偉いと思う人が全くいなくなってしまった。
宗教もしかり、「集り」という姿がオウム教で露出してしまった。

「家」という制度も根こそぎ変わろうとしている。
江戸時代から続いてきた「日本的家制度」が、新しい年代の出現や
我々の意識の変化で根こそぎ変わってきている。
家のオモヒの仏壇も仏教がまだ権威を保っていた時の文化だ。
法事も地味なものになるだろう。

農家や商家が激減し始めきたことも「家制度」の崩壊の原因になっている。
家業としての商売や職業が成り立たなくなってきた。
周辺でも多い事例として、実家にUターンで帰ってきたが、
家業が成り立たなくなり再び都会に帰っていくケースが多い。
「帰ってこないほうが良かった」といって。
初めから帰ってこないケースも多い。

結婚式も最近、当人が会費制度でやる地味婚が増えてきている。
家どうしの顔ミセから、本人達のお祝いの会に変わっている。
家単位の行事が一づつ消滅か縮小してきている。
葬式や法事もこれに近づいてくるだろう。
何かの本に、「家業一代、家二代の時代」と書いてあった。

私の場合、この十年間で年で数回海外ツアーに出ているせいか、
更にこのホームページを開いたせいか、人間関係の感覚が変わった。
趣味の同じ人と、側にいなくとも何かどこかで繋がっている感覚がある。
気持ちの距離感が変わってしまった。 やはり情報革命が背後にあるのだろうか。

・・・・・・
         2001/09/21
第三次世界大戦開戦!ーほんと!まだピンとこない。
しかし一日一日とその重みを感じる。
長期になる宗教戦争だ。怖いのは北朝鮮が関ってきたかどうかである。
30~40%の確率で関っていると見る。あの男ー金正日なら可能性大だ。
その場合もちろんアメリカは原爆を使う可能性がある。
そうすると日本海側の原発がまず狙われるだろう。
 また日本は世界恐慌を狙ったイスラム過激派に狙われて当然である。
パレスチナの?2が殺されたので必ず大事件がおきると思っていたが、
まさかここまでのテロをやるとは!
 企業はまず生存対策に全てのエネルギーを向けなければならなくなった。
競争対策、成長対策などいっていられなくなった。
一年後の世界の経済環境は想像も出来ない。今の若い人は大変だと思う。
この宗教戦争の中を生きていかなくてならないからだ。
それも大きいツケを払いながら。