つれづれに

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 昨日は、「20日の小学校の同期会」の幹事会。
結局、5時間も、居酒屋の一室に粘ることになった。
で、帰ったのが23時。 男3の、女性が6。
 まあ、女性陣の元気のよいこと!
「堀井さんは、そこに居るだけでよい存在、あまり
発言はしないで・・・ 」と、念を押されて、終始、無言??
 

・・・・・・
2355, ギリシャエーゲ海の旅 -1
2007年09月14日(金)
この旅は、予測していた通り、ヨーロッパをメインに旅行している人が大部分で、
秘境・異境派は一組もいなかった。
23名の参加者のうち、16人が夫婦づれ、6名が女性づれ、1人参加が1名。
平均年齢が大よそ60歳強で、私達にとって丁度良いバランスの連れ合いであった。
少し、お品の良い人種が多いのが特徴で、食事時の会話が大変であった。
(その辺は家内の得意とする分野!私は寡黙の人に変身した日々。)
内容的には、クルーズではトルコのクシャダズと、また乗り継ぎ拠点のエジプトでは、
ピラミッドとエジプト考古博物館のオマケつき。
盛りだくさんのスケジュールが組まれていて10日間としては、内容が豊富であった。 
点数でいうと、100点満点といってよい。


まずは今回のツアーの「スケジュールと主な内容」を
旅行代理店のクラブツーリズムのHPのスケジュール表をコピーしてみた。
   ーーー
  <エーゲ海クルーズとギリシャ周遊 10日間>

ギリシャ本土とエーゲ海の島々をクルーズで巡る旅
ギリシャ本土では、パルテノン神殿、メテオラ修道院、デルフィ遺跡と、
 3つの世界遺産を巡る
●クルーズでは、ミコノス島、クレタ島、パトモス島、
 クシャダス、サントリーニ島の、珠玉の島々を訪れる
エジプト航空利用 エジプトへの直接乗り入れ
 
≪地名 時間 交通 ツアースケジュール≫

1日目 成田発  ~ カイロ着  15:30~23:50
 ■空路、エジプト航空直行便にてカイロへ
 ■到着後、バスにて空港近くのホテルへ        宿泊:(カイロ泊)

2日目 カイロ  ~ アテネ着 ~ デルフへィ  午前11:30 ~13:30
 ■朝食後、バスにて空港へ
 ■空路、アテネ
 ■着後、アポロンの神託で有名なデルフィへ
 <アテネ~デルフィ間:約200km/約3時間>   宿泊:(デルフィ泊)

3 デルフィ ~ カランバカ  午前 ~ 午後
 ■世界遺産・デルフィ観光
  デルフィ遺跡、 デルフィ博物館
 ■昼食後、メテオラ観光の拠点カランバカへ
 <デルフィ~カランバカ間:約220km/約4時間> 宿泊:(カランバカ泊)

4 カランバカ ~ アテネ  午前 ~ 午後
 ■そそりたつ奇岩の上に建つ、 世界遺産メテオラ修道院
 ■昼食後、アテネ
 <カランバカ~アテネ間:約345km/約5時間半> 宿泊:(アテネ泊)

5 アテネ ~ ミコノス島 11:00
 ■クルーズ船にチェックイン
  エーゲ海クルーズスタート!
 ■出航
 ■ミコノス島に入港     ■出航         宿泊:(船中泊)

6 クシャダス ~ パトモス島 07:00~12:00  
  16:00 ~20:30
 ■トルコのクシャダスに入港
  散策や、船内オプション  ■出航
 ■パトモス島に入港     ■出航         宿泊:(船中泊)

7 クレタ島イラクリオン)07:00~10:45
  サントリーニ島     16:30~19:45
 ■ギリシャ文明発祥の地クレタ島に入港 ■出航  19:45
 ■サントリーニ島に入港
  フィラの街の散策          ■出航    宿泊:(船中泊)

8 アテネ 07:00
 ■ピレウス港に入港
 ■着後、アテネ市内観光へ
  世界遺産アクロポリスの丘
  第1回近代オリンピックスタジアム
 ■昼食後、空路カイロへ
 ■着後、ギザ地区のホテルへ             宿泊:(ギザ(カイロ)泊)

9 ギザ(カイロ) カイロ 午前
 ■世界遺産ギザの3大ピラミッドと スフィンクス
 ■エジプト考古学博物館
 ■昼食後、空港へ
 ■空路、エジプト航空直行便にて帰国の途に       宿泊:(機中泊)

10日目 成田着 12:55
 ーーー
 以上である。次回は、その感想を書きます。
 たまたま、数年前の今日、同じエジプトの旅行記が書いてあった。
 面白い偶然である。
                      つづく
・・・・・・・・・
2006年09月14日(木)
1990, 9・11から5年が経過
       おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・

 9・11同時テロから先日で丸5年が経った。その日を境に世界が一変してしまった。
その認識度が、その人の時代感覚の度合いとみてよい。
ユダヤ対アラブ戦争が発生、これが今後延々と続く図式ができてしまった。
アメリカはアフガンとイラクアメリカが侵攻、政権を覆してしまった。
 あの事件以来、国家としても個人としても弱肉強食がハッキリしてきた。
丁度その頃からインターネットが一般社会に根付いて、世界がさらにグローバル化した。  
 まだまだ、アメリカの時代は続くのだろう。
石油と、世界通貨としてのドルと、圧倒的な軍事力と、英語が世界共通語が
歴然としてあるのだから・・・
たまたま未遂に終わったが、イギリスで大規模なテロ計画が直前で摘発された。
もし実行されたら、9・11に匹敵する大惨事になっていた。
最近のアメリカのタイム誌の調査では、73%の人が
一年以内に米国でテロが起きる可能性があると考えているという。
 このテロをきっかけに、アメリカの大手の航空会社が二社倒産した。
他人事ではない、ホテルの稼働率が9.11のテロを境に右下がりに転じ、
それが現在でも続いている。
この事件を契機に何かが大きく変わったことは事実である。
 イスラムユダヤキリスト教の戦いが始まったのだ。
これは数十年、いや100年以上続くだろう。それに中国が絡むから、
複雑な展開になってくる。その認識が一番ないのが、島国の日本人だろう。
グローバル化国際社会で、島国という閉鎖性は許されない。
 おっもしろそうだから、イスラムでも入信してみよか?      
                まあ茶でも( ^-^)_且~~~
・・・・・・・・・
2005年09月14日(水)
1625, 戦略的思考について-2

アインシュタインは、質問の力について、「もし自分が殺されそうになって、
助かる方法を考えるのに一時間だけ与えられるとしたら、
最初の55分は適切な質問を探すのに費やすだろう」と述べている。
それだけ最適な質問には、莫大なエネルギーと力が秘められている。
その事態に対する『隠された質問』を探しだしさえすれば、
問題の殆どを解決したことになる。 それは思考についても同じことがいえる。
問答による思考発展として2500年前のギリシャで、
ソクラテスの対話による教育手法が生まれた。
現在もソクラテスメソッドとして、主流の教育方法になっている。
18世紀にアメリカで大人数の教育が世界に伝わり、ソクラテスメソッドを破壊してしまった。
これは高等教育を普及させるのに役にたったが、
個人の教育の立場ではギリシャ以前に立ち戻ってしまった。
その為に教育とは、生徒に情報ー知識を詰め込むことと考えてしまうようになったが、
教育という言葉の語源の『エデェカーレ』は、本来は‘引き出す’という意味がある。
古代から教育者が、生徒自身から持っている知覚や洞察力を引き出す方法で、
ソクラテスによって名が知れるようになったテクニックである。
先生が鋭い質問を生徒に投げかけ、彼らの持っている知覚を試して、
説明するように仕掛けることである。
これは闊達な対話を通して進められる教育形式である。
はじめに結論を言わないで、対話の中から結論を見出していく。
私が学生時代に武澤ゼミで訓練された「ケースメソッドーケーススタディ
は正にこれであった。多彩な事例問題を毎週二回与えられ、それに対して先生と
ゼミ仲間同士が問答形式(ソクラテスメソッド)で、ある結論に導いていく方法。
与えられた(一枚の紙の)ケースに対して、はじめはアトラン. ダムに論じ合い、
最終的には全員で一定の結論を導くという方法である。
その効果は
・不確実性の内容の中で、的確な意思決定ができる
・自由な質問(ソクラテスメソッド)を使い、 
 論理を引き出し問題を明確にしていくプロセスの学習
・ロジック構築のプロセスの学習  である。
内容が「思考」に偏ってしまったが、戦略についてに戻そう。
戦略は鳥瞰としての絵図である。その絵図の構図を練ることが戦略思考である。
それも地頭で考えることが戦略思考にとって最も要求される。
戦略とは、限られた資源を集中して最大の効率を図ること。
その為には、時流とその方向を見極めることが求められる。
わたしが最近ゲンキがないのは、デフレのすざましさを読み違えたことだ。
インフレ脳でしか考えてなかったことか!
戦略思考など偉そうなことは書けない立場のはずだが!
冷静に鳥瞰しなくてはならない時期のおさらいである。

・・・・・・・・・
2004年09月14日(火)
1260, 人生の基礎は10歳までに作られる!
 人生は10歳での環境によって、ほぼ既に決まっている。
中学校は選抜される前の最後の場である。
その時の成績が、その後の人生を殆んど決めてしまっている。
以前にも書いたことがあるが、
私の中学の同級では、
一番が慶応大学の教授、
二番が日本レコード協会の専務理事、
三番が自衛隊の幹部である。

反対に、成績が悪い方を見ると、具体的に??書かないほうが良い。
それをより突き詰めてみると、10歳の成績と環境まで遡ることができる。
好奇心と向上心が潜在意識の中に如何育まれていたかである。

子供のころは「退屈をする時間」が有り余っていた。その時間の中
ありあまる好奇心で大人の世界を見たり、子供同士の世界の中で多くの
試行錯誤を繰りかえしていた。初恋や、新しい遊びの発見、人間関係の駆け引き等々。
また大人の世界を子供の純粋な目でチャンと捉えていた。

ここで親が、その自由な時間を奪い取ったり、口出しをしたら、
無気力な指示待ちの基礎が出来てしまう。

もう一つのチャンスは、大学時代である。
嫌になるほどの、自由な退屈な時間と、有り余った時間の中で、自分の人生の
「予行練習」と、「人生計画」を練り上げる。
多くの分野の本を読んだり、多くの人と出会い議論するのは、その知識を得る為である。

クラブ、寮、ゼミの先輩、教授から、その準備期間に如何に多く教え頂くかで決まってくる。
その時に、如何に準備に集中したかで長い人生が決まってしまう。
「べき時に、べき事を、べくすべき」ということだ。10歳までは親の責任である。
好奇心と、自主性と、やる気を壊さないように導き出してやれるかだ。
しかし,それだけでないのが人生だからこそ面白い。
反面教師として、それをのりこえる場合も往々にしてあるから。 いや無いか!

・・・・・・・・
2003年09月14日(日)
893, 「バカの壁」ー読書日記-1

 以前から気になっていた本だが、ついに買った。
この人の本を多く読んでいたので、立ち読み程度でよいと思っていた。
しかし金を出して、手にとって読むと真剣度と理解度が全く違う。
人間は、本気になって知ったこと以外「バカの壁」に囲まれている存在である。
教養とはその「バカの壁」をいかに多く取り除いた状態の程度といってよい。
といってその壁は取り除けば取り除くほど、更に自分を取り囲んでいる多くの壁に気がつく。

 この本では、「詳細を知らず、かつ知ろうともせずに上辺だけを見みて、
わかっていると思いこんでしまうことの恐ろしさ」を指摘している。
「わかっている」という思い込みの怖さである。
「人間は全てそんなものだが」と書いた後、そこで「人間を解っているつもりの
自分の壁」に気付いて驚くことが度々ある。
小さい世界から一歩も外に出たことのない住人は、この壁が頑強に
取り囲んでいる世界が全てである。その壁に囲まれている自覚すらないから
更に恐ろしい。そういう壁が全ての人に存在している。

 「知識と常識」「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」
「都会と田舎」等々は、違うものであるという「二元論」の重要性を説いている。
「ものごとには良い面と悪い面があるということを認識しよう。それには実際に
経験するのがいい」というのがテーマでもある。

 一般に良いこととされる言葉--
 たとえば「個性重視」,「効率化」,
 「景気回復」「人間性」なども,考えるとそうである。
「個性重視」...これは最近あまりいわなくなったが、
我がままの人間とどこで線を引くのか
「効率化」..... 仲良しクラブも良いところがある?のではないか
「景気回復」... ハイパーインフレになっても良いから目先の阿波踊りが良いのか
        ー景気回復が本当に良いのか
人間性」..... いい訳に使う言葉に最適である

「物事は全面的に良いものではなく,良い面と悪い面があるものだ」と、
「一元論」を否定し,「二元論」を示唆している。
話せば分かる,という世の中にするためには,多くの人が「一元論」の考え
方から脱却し,「二元論」を受け入れることが必要としている。
以下は字数の関係でカット(2007年09月14日)
                         -続く
・・・・・
2002/09/14
眠れない夜に

 眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。

・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、
 首と肩、両手、両足と気持ちをその都度そこに集中して力を抜いていく。
 そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。

・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。
 私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 
 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」
 に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間であった。

・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。
 それでも眠れないのが不眠症だろうが。
 月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。
 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。

・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。
 何かの本に面白い内容があった。
 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンの
 イメージで、騎兵隊の待ち受けている。彼らは狭い渓谷に入ってきた。
 その一人一人を狙い撃ちをする。一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。
 彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、いくらでもいるのだ。
 それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」

これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。
寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。
不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。

・・・・・・・・・
2001/09/14
宗教戦争-3

[姉のメールに是非見てみろとホームページのアドレスが載ってました。
今回の事件の写真が載ってます。 http://www.tch.org/~russb/wtc/ ]

初めてエジプトに行った時の事を忘れられない。
深夜にカイロに着き、ホテルで寝入った瞬間妙な音で目が覚めた。
丁度ラマダンの期間で早朝より街中コーランの祈りの声が流されるのだ。
何か異様な世界にきてしまったと感じた、強行軍で数時間の眠りの後直ぐ朝食。
レストランに行くと、ボーイ意がラマダンの為か苛苛していて皿を投げつけるように置くのだ。
バスに乗ったと同時に若い女性の日本の現地ガイドが曰く
「この国に来たら、キリスト文明の感覚を全部すてて下さい。
ここはイスラムの世界ですから。腹を立てるだけ無駄な事、車に轢かれたら、
轢かれたほうが悪いというのがこの国の常識。私もこの国に来た初日にひき逃げを見て
動転した。土産物屋やほぼ釣りは誤魔化す、文句をいって取り返さない方が悪いという国です
から。はやく慣れてください。」なるほどとそこで身構えた。
しかし何回もそれをやられていると、怒りを抑えられなくなるほど露骨であった。

その中で逆に、いつの間にアメリカ文明にドップリ漬かっていることにきずいた。
ラマダンー断食ーの時期とはいえ街中、ある時間になるとあちこちで全員が頭をひれ伏している
のは、日本人には全く考えられない姿であった。都合のいい事、悪い事総て‘アラーの神の
思し召し’それで済むのだ。全員でアラーといっていればそれは気分はいいだろう。

メッカでの数十万のイスラム教徒が一同に集まり祈る姿は、TVで見ても感激する。
それを信じて、共同意識で祈ったら恍惚になるだろう。
このイスラムの神ラージXとユダヤキリスト教のラージXが同じだから始末が悪い。
イスラエル人のラージXをマタイがローマ人や女性に解放してキリスト教をつくり、
マホメットがアラブ人に解放してイスラム教をつくった。

ユダヤ教対アラブの戦いが旧約聖書(かなり大雑把だが)
新約聖書コーランの闘いになったのだ。
西欧社会の正義とアラブ社会の正義は全く違うのだ。
今まではイスラエルアラブ諸国の図式が欧米対イスラムの闘いにに換ってくる

ーーーーーーーー
H0805エジプト、トルコ感激の旅  エジプト編 

 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。

まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。日本ではまだ縄文の時代、
これを造りあげた高度の技術があったのだ。

そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス?世などの王や神の像の数々、
今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?
と考えてしまったほどだ。
 
次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、隠れるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つ
メムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
 
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス?等の巨大な立像も実際
そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という小さな帆かけ舟の
夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという
“四千年が諸君を見下ろしている!”というまさに異様なイスラム社会が
大きなカルチャーショックになった。

丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化去れているのが逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”、それがイスラム教という。

カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。

まだ今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも数千年をこえて
不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった