つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=F35dMR2c56Y

ーー
https://www.youtube.com/watch?v=DhgTpcykNcA
 昨日はシネマの日。 「マレフィセント」を見てきた。
ディズニーの映画で、子供向けだが、ディズニーランドの中の
一つのテーマパークに行ったと思えばよいと思って入った。
 で、そのとおりの世界も悪くはない!のが感想。
殆どが、夏休みの中高生か、家族連れ・・・
 
 それにしても、三年近くに毎週欠かさず我ながらよく通っている。
それぞれの面白さがあるから続くのだろうが・・・ 


・・・・・・
2305, ぼくの血となり肉となった500冊・・・
2007年07月26日(木)
                 ー立花隆著       ー読書日記ー                      
 6年の間、毎日一文章を書き上げてきてプロの物書きの凄みが見えてきた。
特に一流といわれる人の圧倒的読書量と、書き上げてきた多岐にわたる文章の多さに
唖然とする。問題の在りかを見つける感覚と、それを正確に文章に書きあげる能力は、
シッカリした下積みの基礎があるのだ。 どの世界でもプロは甘くはない。
底知れぬ能力ある人たちの中で頭角を現すのは、そう簡単でない。
しかし、ここまで見せつけられると納得をする・・
 もの書きの下積みのインプットは尋常ではない!
ーその一部を抜粋するー
 私はいちばん真剣にいちばん多くの本を読み、本格的な人格形成を行ったのは、
二十四歳で大学を卒業して文春に入り、三十四歳で「田中角栄研究」
を書くにいたるまでの十年間である。
その十年の間に、私はせっかく入った文春を辞めて大学に戻ったり、
はたまた大学をやめてもの書きになったり、もの書き稼業を捨てて、
新宿でバーを経営したり、かと思うと、何もかも捨てて、
中近東とヨーロッパを放浪する旅に出たりと、あまり尋常ではない
人生の軌跡をたどっていた。その十年の間に、私ははじめての著書
素手でのし上った男たち』を上梓し、つづいて第二の著書『思考の技術』を出版した。

またこの時期にゴーストライターとして、香月泰男名で『私のシベリヤ』を
刊行したし、立花隆とは別のもう一つのペンネームである菊入龍介名義を用いて
『日本経済・自壊の構造』という本を出した。
同じ十年聞に、立花隆名で「文藝春秋」「諸君!」「潮」「週刊文春
週刊現代」に、多数の雑誌記事を書いたが、実は、全くの匿名で、
その何倍もの原稿をさまざまの週刊誌、月刊誌に書いていた。
そのような文筆活動を通して徐々に活字の世界で立花隆の名が知られるように
なっていったが、必ずしも世に広く知られるようになったわけではない。

しかし、三十四歳のときに書いた「田中角栄研究」によって人生が一変した。
ということは・二十四歳から三十四歳にかけての十年間を一言で表現すれば、
田中角栄研究」以前の十年間ということである。
その十年聞は若干のアウトプットもしていたが、圧倒的時間をインプ・トにさいていた。
生活環境は次々に変わっていったが、とにかく読書にさく時間がいちばん多かった。
つまり、私の血肉になる読書の大半は、この時期になされたのである。
それがこの時期に焦点をあてようと思った最大の理由だ。

もちろん、それ以前の少年時代から大学生にいたるまでの時期も沢山の本を読んでおり、
それはそれで私の血肉となっていたわけだが、その時期に読んだ本については、
すでに別のところで書いている(『ぼくはこんな本を読んできた』)ので、ここでは省略する。

ぼくの二十代から三十代前半にかけての時期が、どういう時期であったか、
一言で表現すれば、「ぼくの・青春漂流」時代だったといってよい。
人間誰しも・青年時代前半までは、自分の生きるべき、道がなかなか見定まらず、
迷いと惑いを重ねつつ生きているものである。どこかでその漂流が終わり、
そのとき流れ着い土地で、地に足を着けた生活をはじめる。
それが青春漂流期から青春定住期への移行である。

たいていの人は二十代前半で大学を出て就職することによって仮の定住地を定める。
その定住地で職業人として十年が経過すると、たいていの人はそれぞれの領域で
一人前の人間になる。一人前の入間になったときが、青春期の終わりで、
成人期のはじまりである。それは本格定住期のはじまりといってもいい。
たいていの人は、おおむねそれと同じ時期に、伴侶を見つけて、家庭を持つ。
パーソナルな生活においても、漂流をやめて本格的な定住生活をはじめるわけだ。

ぼくの場合は、そのような標準的なライフサイクルとは、いささかずれたサイクルを
たどってきた。なぜかというと、さきほど述べたように大学を出て文藝春秋という
出版社につとめたものの、二年半で会社を辞め、もう一度学生に戻ってしまった
からである。ぼくの本格的な青春漂流期はむしろここからはじまる。
つまり、一度は社会に出たものの、もう一回自分で人生双六の「ふり出し」に
もどってしまったのである。
なぜそうしたのかは、要するに「もっと本を読みたい」の言葉につきた。
思う存分本を読んでいた学生時代の生活環境から、
急に、「本を読んでばかりはいられない」生活環境に突き落とされたときの
精神的飢餓感に耐えられなかったということだ。

文春を辞めたとき、自分のその後の人生設計などなにも考えていなかった。
とりあえず、学士入学で哲学科に入ろうと思っただけだった。
哲学科に入ったのは、会社勤めをはじめるようになってから、
自分がいちばん飢餓感を感じていたのが、その方面の読書だったからだ。・・・
学士入学にペーパーテストはなく、書類審査と面接だけで選抜されたと記憶するが、
哲学の主任教授から面接でしつこく聞かれたのは卒業後はどうするつもりなのか
ということだった。正直にいうと何も考えていなかったが、
あまりしつこく聞かれるので、いちおう大学院に行くつもりでいたからそう答えた。
面接した教授は、せっかく文春のような有名企業に就職できたのに、
それを退職して哲学科に・・・・
 --

    これを読んだだけでも、この人の圧倒的な知識を思いやられる。
    他人は他人とはいうが、それにしても知識という面で自分を対比すると、
    その貧弱さに呆然とする。外務省の佐藤優も、そうだが・・・

・・・・・・・・
2006年07月26日(水)
1940, 新潟活性化案ー3
         おっ w(゚Д゚)w  ハァョ~
7月の22日、三回目の新潟活性化のための会が、会社の事務所で開かれた。
県の??と、長岡、三条、新潟の地区の経営者など7人の会であった。
7月の28日に開かれる会の下準備の意味もあった。
当日の朝、それまで二回の会の主だった流れを以下の通り纏めてみた。
 ーー

・環日本海拠点基地としての位置づけを明確に打ち出す
 -首都圏の日本海への窓口として物流や工場の基地としての機能を充実させる   
・環日本海基地としての拠点として
 新幹線の東京駅から直接乗り入れの国際空港を打ち出す。
新潟駅再開発が、今年施工命令を出されたが、
 その工事に重ねて新潟空港と機能を一体化をしていく。
 新幹線の延長線路に新潟駅と国際空港のリニアを共同運用をする。
 飛行場周辺に10~20万単位で土地を先行取得し、高層ビル特区として
 容積率を1000パーセントにアップして取得額の倍を目標にして売却。
 それを工事費用の一部に当てる。
 350億の試算になっているが、単線など考えられるあらゆる知恵を使い
 半額以内にコストを抑える。
   そこの住民はリニアカーを格安で利用できるようにする。
  キーポイントは、
     *東京駅からの新幹線の飛行場乗り入れ
     *新潟駅再開発との共同事業
     *新潟駅と飛行場と飛行場周辺地域との一体化
     *飛行場周辺の高層ビル特区による事業費の捻出
     *飛行場周辺の特区構想
      養老特区、外国人特区、物流特区、中国人特区、レジャー特区・・・
     *北陸新幹線への待ったなしの対策として
      完成を2015年(新潟再開発新駅の完成)を厳守する
      ーー  
地元の経営者は、現在の新潟県の環境に非常に厳しい危機感がある。
だからこそ、こういう会が開かれているのだろう。
北陸三県対新潟県の地域間競争が切って落とされようとしている。
そして、どちらが勝利を収めるか誰の目にも明らかである、
それに対して枝葉末節の対案も出せないのが現状。

 2014年の北陸新幹線の開通までに新幹線の新潟空港の開通、そして特区構想の推進。
そのプロセスを通して環日本海拠点基地化を確固たるものにする。
その最終の計画を早急に決め、その手順に入らないと手遅れになること必定。
凡庸な?政治家ー前県知事などや地元国会議員・・
ーのお陰さまで手遅れなのかもしれない。このままでは新潟県の衰退が激しくなる。

 このさい東京都新潟地区と割り切った方が良い(元々新潟は幕府の天領だったのだから)。
昨日の地元紙の新潟日報中越上越版で 「発車ベル9年前」-上越地域と北陸新幹線
という特集のシリーズが始まった。 かなりシビアな内容である。 タイミングもよい!

 全くどうなっているのだろうか、この県は? 野球場じゃないじゃないか!
同じ200億をかけるなら、東京駅からの直接乗り入れの飛行場だろう!
そして飛行場周辺の極東地区に向けての本格的な物流・情報拠点づくりじゃないか!
東京都新潟地区づくりでよいのだ。「日本海を内海とみたてた長期的ビジョンの地域つくり」
こそ、早急にたてる骨組みである。

何処かの新幹線駅建設が住民の反対意見で取り止めになりそうだ、
というレベルと、この延長工事は違うはずだ。
それさえ解らないのだ! 私はこの辺で、この論については打ち切りだが!
これは政治家がやるべきことである! 何で私がここでいわなくてはならないのか?
まあ、面白い経験であった!
  
2007年7月26日ー後記 それもこれも、猿回しの猿でしかない! ということだ。                            (*^▽^)/ ホンジャ!
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2005年07月26日(火)
1575, 道路公団副総裁が逮捕!

現職の道路公団の内田副総裁が逮捕された。
道路公団に対する公聴会の席での猪瀬氏の質問に、慇懃な返答をして中座した男である。
道路公団発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事をめぐる談合事件が、現職の副総裁の
逮捕になってきた。道路公団そのものが??の巣窟というのは公然の秘密である。
いや、猪瀬氏が暴露をしていたが。
歴代の総裁、副総裁を含めて、組織そのものが??集団ということだった?
こういう日本の談合体質が暴露されていくのは非常に良いことである。
現在の日本の役所とゼネコンの関係の象徴的なカタチと見てよい。

石原都知事の息子石原伸晃氏が、前の総裁に、
「もし、真実を言えば死人が出る」と凄まれたことが記憶に新しい。
これでも今後も、この巣窟はそのままの体質でつづくだろう。
改革のため、新たに総裁になった近藤総裁も知らないわけが無い。
改革などしようという意志など全く感じられなかった。
この男も早かれ更迭をしなくてはならなくなるだろう。

いままで、これで通ったことが今後はそうはいかなくなったのだ。
今後とも、内側から多くの暴露がドンドン出てくるだろう。
道路族議員の数匹が逮捕されるかどうかだが。
改革の真っ只中の道路公団の副総裁が逮捕とは、全くの異常事態である。
それにしてもよく逮捕したものである。
郵政の民営化の法案が参院を通るかどうかの瀬戸際に丁度良いタイミングである。
政治的な思惑はあったのかどうか?だが。


・・・・・・・・・・
2004年07月26日(月)
1210, つれづれなるままに

アメリカの最終断末魔ー

アメリカの双子の赤字は何を意味するのかを考えると、底知れない恐ろしさを
おぼえる。石油の決済は、全てがドルでおこなわれている。

アメリカがイラクに侵攻したのも、フランスやロシアがフセインとユーロダラーで決済を
しようとしたからといわれている。
現在の世界の石油の決済は全てドルでおこなわれているが、ユーロでおこなわれれば、
ドルへの信頼感が薄れる。
輪転機でドル札を刷って世界中から物資を集めていたシステムが壊れてしまうからだ。

アメリカにとって双子の赤字など、全く問題はない。
輪転機の紙切れの数字がマイナスをあらわしているだけである。

それとアメリカ国債も同じく紙切れでしかない。
かろうじて、その二つの暴落を防いでいるが、ある日突然で恐慌を引き起こして、
その価値を落としてしまえばよいだけだ。
全く酷いものである。手形乱発とどこが違うというのだろうか。
そのアメリカの属国が日本である。日本がその一番被害を被ることになる。
 アメリカの断末魔の後は世界大恐慌となり、日本崩壊は?

ー「有限会社」が廃止ー
再来年から、有限会社制度が廃止されて株式会社に一本化されるという。
現在の実体からして、中小の株式会社と有限会社を区別をする必要性が乏しいと
判断された為だ。

これまでの中小の株式会社に規制を有限会社並に緩和をして、
取締会や監査役の設置義務を撤廃する。

もともと有限会社は、資本と経営が分離してない中小企業を想定していた制度だ。
中小企業でも、会社の格にこだわって株式会社を選択するところが多かった。
中小の株式会社に義務つけていた取締役三人以上で構成する取締役会や、監査役
関して、約款で自由に決めることができるという。最低一人の取締役でも設立可能となる。
ただ、中小株式会社のうち、株式譲渡制限のない会社については、株主保護の
観点から取締役会と監査役の設置義務を残す方針という。

・・・・・・・
2003年07月26日(土)
843, SF小説作家・小松左京の21世紀検証

 今月号の「文芸春秋」で小松左京
「SF作家として21世紀が予測していたようになったかどうかを自分で検証する」
レポートが面白い内容であった。
本人が正直に「自分はその頃は生きていないから、責任をとらなくていいや」
と思っていた。それが「まさか21世紀に自分が生きているとは!」と。

 ー要旨を私の主観でまとめてみると
・一番の衝撃は平成7年の阪神大震災だという。
 本人が書いた「日本沈没」が現実になろうとは。
 ほぼTPOS が酷似していた。
・三十年前は米ソの冷戦真っ只中、まさかソ連と共産圏がこれほどあっさりと崩壊するとは
 正直思ってもいなかった。
・今のエレクトロニクノロジーの発達で電卓、パソコンに、携帯電話、ロボット・・等
 電子機器がこんなに「小型」「安価」になってしまったことは、本人の予測をはるかに
 超えたことであった。当時百億したコンピューターがいまやもっと性能が良くなって
 10万そこそこ買える時代は今でも信じられない。。
 本人は現在この時代の速さについていけないので、携帯電話を持ってない
・宇宙開発はもっと進むと思っていたが、意外と進まなかった。
 今の人類にとっての、予測したほどの必要性が無かったためだ。
 しかし宇宙への進出は人類に必要である。
イラク戦争も衝撃的であったという。多くのビデオカメラが入って戦場の
 映像がリアルタイムで入ってくる。
高齢化社会と今の子供の問題は予測をしていた。

ー以上だが、
 ソ連と共産圏の崩壊、今の科学技術の発展、情報化社会の予想を超える進歩など、
私が感じたこととほぼ同じであった。この情報化の進歩はSF作家の想像をはるかに
超えていたようだ。ソ連さえも、まずは軽く崩壊させたのだから。
 彼等のような戦中派が今の時代の変化を見ていたら、これほど面白いものはない。
特に戦争体験をしてきた人が、アフガンやイラク戦争アメリカのハイテク技術を駆使した
武器はSF小説をはるかに越えている。 アフガンのゲリラさえ消滅させてしまう。

・・・・・・・・
2001年07月26日(木)
[87] エルミタージュ宮殿

今回の旅行のハイライトはやはりエルミタージュだ。
カテリーナ?の冬の宮殿といわれ、ちょうどパリのルーブル美術館と匹敵する内容であった。
300万点ある所蔵の一部しか見れなかったが、ただ案内された壁画や展示物は見た事の
ある物ばかりであった。制限された時間内で駆け足であったが、その印象は強いものだった。
エルミタージュはただ美術館と思っていったが、広大な宮殿でベルサエユ宮殿に似ていた。
その豪華さにまずは驚かされた。夏の宮殿と言われるカテリーナ宮殿も行ってきたが、
これもまた目をみはる豪華さで感激してしまった。
当時のカテリーナ女王の権勢は絶大であることは、この2つの宮殿を見て
うかがい知ることが出来た。