つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube

昨夜は、今年の小学校と、来年の中学校の同期会の打ち合わせ。
9名が集まる。 天皇様のご宿泊の1Fの居酒屋であったが、
二次会が、大手通のカラオケ。
結局、帰ったのが0時近く。 二日酔いはなし。
飲み放題としても、皆、よく飲むこと! 


・・・・・・・
1520, わたしの酒中日記-1
2005年06月01日(水)

「酒中日記」という、色いろな文筆家の飲酒に関わる切口の随想を読んで、
わたしの酒中日記を書いてみたくなった。
過去のある日を飲酒を切り口として振り返って、その時々の背景を見るのも面白そうだ。
そのカジュアルな酒場の思い出の中に、その時々の心情が思い出される。
前後の脈絡なしで、ただ思いつたまま書くので、過去の時空を気楽に
飛び回ることができそうで、書いていても面白くなりそうだ。
振り返ってみて、酒席で多くの失敗を重ねてきた。私の人生はその繰り返しといってもよい。
それでも、致命傷を負わなかったのは?不幸中の幸いである。
といって、アル中だったわけではない?
ところで、何処から書くか迷ってしまう。あまりに、美味い酒とホロ苦い酒を多く飲んできた。
いや面白い、楽しい酒を飲んできた。一期一会と思って飲んできたから、美味い酒だったのだろう。
年代を入れ、月日は某月某日で書くつもりである 。
まずは、直近から。
ーー
ー長岡殿町
2005年4月某日
今日は月の恒例になっている酒友との飲み会である。
長岡の飲み屋街では、ほぼ行く店は決まっている。まず一軒目は『山葵』という店。
粋な女将が一人、男のようなスタイルで頭にはバンダナを巻いている。
マンガ本に出てくる女板前の姿。60歳は過ぎているが?見た目には50歳位にしかみえない。
カウンターが7~8席で、奥に5~6人の隠れ小座敷が二つあるが黙っていても料理が4~5品
出てきて、客単価が3500円から4000円位。忙しい時は、下手に注文をすると怒鳴られてしまう。
団体が入っている時は、一人で20人近くを処理しなくてはならないからだ。
(そういう時は知人か娘が手伝いに来ている)
魚を中心にした料理を出すが、気が置けないところがよい。
地元のスーパーの背広姿の二人と、私の連れが挨拶をした。
懐かしいペガサスクラブの話を嬉しそうにしている。
「私など100回近くも通ったんだよ~」ともいえず、連れと話をしながら聞き耳を立てる。
??の話していた。
2時間近く飲んで、そこから20mほど離れた「ヒロ」というスナックへ移動する。
20時には、いつも誰もいない。60過ぎのママさんと、55歳位のホステス?がいる。
この店は21時半になるとお客で満席になる。お客を愉快にさせることに関しては手練手管。
とにかく、知らないうちに興に乗せてしまう。そのためか、いつも5~6人の団体客が入ってくる。
若いホステスより、ここで団体や他の客と一緒に朗らかに歌っていた方が面白い。
そして満席になるのを待って、席を立つ。
さらに、そこから200mほど離れた飲食ビルの『楓楓楓』という店に行く。
以前、よく行っていた店のアルバイトをしていた女性が独立してママをしている。
かれこれ十五~六年の付き合いだ。結婚をして、近くに旦那がスパゲッティー専門店を
開いているが、とにかく背が高い、177cmとか。ここも気を使わないで済むのがよい。
23時前だが、早々帰ることにした。

・・・・・・・
2004年06月01日(火)
1155, 「しつけ」の話
一昨日は父の命日であった。今から思うと、父は厳しい人であった。
特に、共同生活と金銭の卑しさに対しては異常なほど神経質であった。
昔は何処の家でも、多くの厳しいしつけがあった。
毎日の生活は「しつけ」という言葉の刷り込みで、ほとんど決められていた。
それが良いのか悪いのかは別として、多神教の宗教の日本にとって、
宗教的戒律が曖昧であるから、生活規範があったのだろう。
欧米では躾をこどもの時に徹底的に叩き込むという。日本でも以前はそうであった。
中学・高校野球部の優秀な監督が、新任して先ずやることは「躾の徹底」である。
新入社員教育をしていて、タダタダ驚くばかりである。しつけが殆ど入っていない。
それでも、それを隠して入り込んでくるから敵もさるものである。
両親が躾ができないのだ。学校も、親の家庭教育が全くなってないことを
知り尽くしているため、初めから躾を入れようとしない。
社会常識や躾をする役割が今では会社の場になっている。
しつけの言葉が色いろあった。まっとうの家庭なら、当たり前に親が子に
教え込んでいるはずなのだが。それが全くされてないから困ったものだ。
・弱いもの虐めをするな!
・ご飯粒を残しては農家の人に失礼だ。
・嘘はつくな
・自分の事は自分でしなさい
・大人の話しには口を出すな
・玄関の履物は揃えなさい
・早起きは三文の得
・敷居を踏んではならない
・他人の陰口はいうな
・贅沢はするな
見栄を張るな  等々書けばいくらでもある。

・・・・・・
2001年06月01日(金)
言葉の トリック

宗教家とか占い師そして政治家がつかう
言葉のトリックに次のような方法がある。
宜保愛子がこの方法を多用していた。
1.あなたは悩んでいますね。
2.あなたは転換期にありますね。
3.---ははしゃいだ後落ち込んでいますね。
4.小さな動物を殺した事がありますね。
5.近くに水がありますね。ーーーー花が近くにありますね。
6.恋愛に悩んでますね。-若い女性にすべて当てはまるからだ。
これを三十~四十位使いこなせば占い師か宗教家になれる。
こういう笑い話がある
占い師がある男に子供が2人いますね?と聞くと、
‘いや3人だ’と答えると、
‘そうあなたが思っているだけです!’
人間は自分自身の言葉のトリックに身動きできなくなっていることが多い。
宜保愛子があるTV番組で。・玄関に花か花の絵がありますね?
・右に回ると居間で左が仏間か物置になっていて、居間の左が台所でーーと延々と続く。
間違えると首をひねりごまかす。
ほぼ私の自宅と一緒であったのに笑ってしまった。これに私立の探偵か
スタッフに外観か玄関を覗き見れば当たって当然。さすがに最近は出なくなった。

・・・・・
2002年06月01日(土)
424, 父・堀井誠作のこと -1
一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。早いといえば早いし、
永いといえば永い年月だ。父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。
・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3~5万が一応資産家の目安だったというから、 もともと裕福な家だった?
 私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。
以前父のことを書いた文をコピー
ーーーー
H0505小説のような本当の話!
 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。
たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。
それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?
当時、丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり
“誠心誠意”に決まった次第です。

・・・・・・
2003年06月01日(日)
788, 産能大学ー講義レジメ  
 来週の産業能率大学ー講義のレジメと一部内容である。
1、ペガサスの軽い説明と、チェーンストアの現状
2、現事業の立ち上げの戦略とプロセス
3、創業とは、創造とは
4、もし私が、今あなた方であったら、最優先で何をするだろうか
5、現在の景気について
ー「ペガサスクラブ」について
チェーンストアを束ねているコンサルタント会社である。
40年前に、日本にも新しい流通経路をつくる為にアメリカのチェーンストアに学ぼうとしていた。
ジャスコヨーカ堂ダイエーの創業者達が、読売新聞の記者をしていた渥美俊一のもとに勉強会を作った。
それが発展して、コンサルタント会社の「ペガサスクラブ」が出来上がった。

私自身、設立の年にジャスコに入ったが、一年で辞めて産能大学の
二部に籍を置いていたことがある。
その後金沢の衣料チェーンの「いとはん」という会社に一年半在社した。
その会社もジャスコの偶然だが傘下に入ってしまった。
そういう経験を含めて、チェーンの内部からそのシステムを見てきた。
また会社設立から、「ペガサスクラブ」に入会した。
ー現事業の立ち上げについてー戦略とプロセス
スペシャリティーホテルを当時、日本で初めて創った。
 オールシングル 
 統一料金
 ロープライス
ー創業ー創造について
 カタチつくり
(カ・カタ・カタチ)
 カー神・発想
 ター田・型
 チー血・エネルギー・道
ーもし私が、今あなた方であったら、何をするだろうか
 人生のトータルデザインを創る
 ホームページを作成する
 資格を取る
 哲学を学ぶ
 世界を旅をする
ー現在の景気について
 もうよくなることはない
 軟着陸をどういうカタチでするかのレベル

どうなることか、面白そうだ!