つれづれに

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 今日が、買替えの中古車の選定の最終日。 午前中に決定予定だが・・
情報収集は終わり、決定段階、これから決定までが一連の中で一番、面白いところ。
平凡な日々の中では、何事も楽しむしかない。 
「中古車から見えてきたデフレ!」というレポートが書ける。
 

・・・・・・
2243, 耐震偽装 -1
2007年05月25日(金)
(p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
          (藤田東吾著 自費出版)   ー読書日記

インターネットで取り寄せた本だが、読み出すとなかなか面白い。
国家権力による偽装と隠蔽をそのまま暴いてる。
ヒューザーや、アパグループのマスコミ発表は氷山の一角!
平成元年~17年の間にわたって200万棟?の偽装のビルがあり、
それを許したのは国交省である。

政府と役人そして、それを周知の上でつくったマンション建売業者は、この問題は、
けりがついて、この世からイーホームズと少数の者が消える、そう考えていたであろう。
国の威信を守ろうとした策謀が、かえって国家そのものを傷つけていくことを、
そのまま告発しているので内容はクールである。
「偽装物件を押さえようと思っても、雨後の筍のように後から後から出てくるな。
誰も止めることなんてできないと思う」まさに予言者の如くであった。
(本文より抜粋)

また現行の建築基準法が定める、最低限の構造安全の規準を満たさない建築物は、
合算するだけでも、4500万戸のうちの半分以上2000万戸の数字を遥かに越えるという。
この建築業界に厳然と存在していたマフィア・システムが、1981年に施行された
新耐震設計基準法と結びついて、ビルなら二百万棟の偽装を故意に?作っていたことになる。

誰もがおかしい?と感じ取った「見せ金」での逮捕は、時の権力者と自民党が、
自らの失策を隠蔽しようと国家権力を振るい、力づくで隠蔽を図ったのである。
読んでいて怒りを覚えてしまうし、本人は無念だろう。
問題の本質をすり替え、「見せ金」という全く関係ない罪状で逮捕したのだ。
国交省の大ミスを告発したことに対して、政府が検察を使って隠蔽しようと逮捕した!
ということである。 立小便のような微罪で逮捕したのだから本当にひどいものである。

地元の三条市のアパのマンションで、露骨な隠蔽を画策して三条市長が激怒の記者会見を
していたが、これらに対する設計事務所などの対応が「あまりにも酷い!」と・・・。
この問題がおきてから新潟市内に建設中の200室あまりのマンション。
130室決まっていたのが、キャンセル続出?という話で建築関係者の間ではモチキリという。    
                  つづく           バ━━ヾ(●′ω`)ノ━━イ
・・・・・・・・・
2006年05月25日(木)
1878, <不良>のための文章術
           おはよ~!(*^ワ^*)i
                 ー読書日記ー
-NHKbooks
著者 永江朗 -長岡中央図書館・借

5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。
書き続けたからこそみえてきたのだろう。何が違うのだろうか?
ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・
「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。
 この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。そんなことは素人が書くことだという。
この本でまず、ガツンとやらえるのが、
「自己表現を捨て、読者を愉しませることに徹せよ!」である。
私の5年間書き続けてきた、「テーマ日記」は駄目な典型である。
どのように表現するか、それだけで必死であった。
読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。
そこがプロと私の差である。もっとも、それが動機であったのだ。
動機からして、プロと比較するのがおこがましい。
こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。
今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。
なるほど足元には及ばないはずだ!
ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。読者が「ここに書いてあるレストランって、
うまそうだね。こんど行こうかしら」と、書いたライターのことを気にしないような文章である。
こういう文章こそがプロフェッショナルなライターの文章である。
 おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
・・・美しく正しい文章なんて、退屈で眠たくなるだけです。
そんなものはシロウトにおまかせしておけばいい。
 プロは客を退屈させてはいけません。客を眠らせてはいけません。
良識ある人は顔をしかめるかもしれませんが、しかし、それでいいのです。
(中略)というわけで、<不良>になればなるほど文章の商品性は増します。
   <不良>でたりなければ、極道でも悪党でもなんでもけっこうです。
つまりこの本は、「出版社がカネを払いたくなる。読者が買いたくなる」
ような文章の指南書である。
 名文はカネにはならない。美しく正しい日本語は良い子のもの。
不良(プロ)は自己表現という考えを捨て、読者を愉しませることに徹します。
「本書を読めば、誰でもプロのライターになれます」
万が一なれなかったとしたら、それはあなたが『良い子』だからです」と。
 「自己表現を読みたくなるのは有名人、大家に限ってのこと。
どこの馬の骨だかわからないやつの自己表現など見向きもされない、
ことを自覚しておくべきだ」という。
 アマチュアの文章が「書き手」からの発想とするなら、
「読み手」から発想するのがプロの文章です。
「読み手」にとって役立つ情報とは何か、
プロは「読み手」は何をいちばん知りたいか、から考えはじめる。
読者が知りたいのは書き手の「私」ではなく「本」であることを忘れないよう釘をさしている。
ーーーーーー
図書館で借りてきて、買いたくなる本が三ヶ月に一度くらいある。この本が正に、これだ。
プロになりたい人より、プロの技法を盗みたい人向けの本でもある。
最近では[ローマから日本が見える][ずっとやりたかったことを、やりなさい」である。
注文をして手元に届くと、それで安心して読まなくなるが,それでもよいと思わせる本が良い本。 
「商品としての文章を書くのがプロである。だから貴方の文章はつまらないのです」
と自覚せざるを得ない内容である。文章術に関してベスト3に入る本である。  
                    バイ♪(ノ´∀`*)ノ
・・・・・・・・
2005年05月25日(水)
1513, こころを凛とする196の言葉 -2
               ー読書日記

美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、
この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して
女の「こころのあり方」を見ているのだろ。女も大変である。受けの立場であるからだ。
さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。こころを凛とすることも大事だが、
もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。
何事も努力・努力である。 諦めたと同時に・・・・
ーーー
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。
じつはこれ、私にとっては立派な美容法なのだ。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、
はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい。
ーー
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、
その喜びの量が、そのまま艶となって
人を潤すってことなのかもしれない。
ーー
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。
チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、
自分は悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが
女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに年上の女を思おう。
辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、
くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。
つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
ーー
・女は姿勢がつくる
いちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、
そして人をいちばん醜くしてしまうのが「姿勢の悪さ」であると思う。
背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。
美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・・。世にも簡単な、変身である。
ーー
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・・。
「女の覚悟」はいつも人生に関すること。
ときに自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。
いちばん美しいのかもしれない。
ーー
・オーラは意志。
人間の意志の強さは、姿形にも現れ、
人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、
目に見えない「美しい緊張感」みたいなものを全身に張りめぐらせて、
それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。
「強い意志を持っている人」を指すのだろう。
・・・・・・・
2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話

遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラム
されたロボットなのだ 。遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるために
プログラムを組む。 個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。
自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。」
人間の身体を支配するものは遺伝子であって、人間の個体が死んでも
遺伝子は生き残っていく。自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、
気が楽になる。人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、
利己的遺伝子である。最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。
これを読んでいると、論語など読むのがバカバカしくなるか、
だからこそ論語のような規範が必要と考えるか、分かれた解釈になる。
ーあるホームページからのコピーですー
なかなか解りやすくうまくまとめてある
 ーーーー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれて
いくのだから不滅であるといえるだろう。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく
遺伝子なのである。そこでドーキンスは遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。
ドーキンスによれば、自然淘汰とは、この自己複製子が個体という姿を借りて
行う生き残りゲームである。ゲームをうまくやれる自己複製子は自分のコピーを
たくさん残せるので、増殖することができる。うまくやれない遺伝子は滅びる。
遺伝子とは文字通り、生物が親から子へと性質や形を伝えるためのものである。
今では、遺伝子はDNAという化学物質であることがわかっている。
DNAを構成している塩基の並び方により、いろいろな遺伝情報が保持されている。
しかし、遺伝子の働きは、これにとどまらない。
遺伝情報を保持する遺伝子は構造遺伝子と呼ばれているが、その遺伝情報を実
際の形質として発現させる途中で、調節遺伝子などが働く。
調節遺伝子とは、遺伝暗号の発現を抑えたり促進したりといった調節を行う遺伝子である。
さらに最近、ホメオティック遺伝子という遺伝子が発見されて話題となっている。
ここ10年間ほどの間に、遺伝子は遺伝のみならず分化(器官形成)の面でも
重要な働きをすることが明らかになった。
では、個体の形質のみならず行動までも支配しているのであろうか。
ドーキンスによれば、個体は遺伝子の単なる乗り物なのであるから、もちろん、
行動もその支配下にあるということになる。
ハミルトンやドーキンスは、現在、ある生物が存在しているのは、
その生物の遺伝子が自然淘汰で生き残ったからだと主張する。
しかも、その遺伝子の目的はただ一つ、これからも生き残ろうとすることである。
こで決定的に重要なことは、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることで
あって、単なる乗り物にすぎなり個体の生き残りではないということだ。
このことから、ドーキンスの主張する「自己犠牲」という行動の合理的解釈が生まれてくる。
簡単にいうと、個体の自己犠牲的行動とは、あるグループの遺伝子
(自分のコピーもしくは血縁)が自分たち全体の利益を計るために分乗している
ある乗り物を、犠牲にすることに他ならない。つまり、全体のための部分犠牲である。
「個体は遺伝子の乗り物」「自己犠牲」につづく、
ドーキンスの第3のモチーフ、「延長された表現型」とうい概念がある。
ドーキンスはこの概念を「遺伝的遠隔作用」とも表現している。
遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物を
コントロールする場合がある。これを、延長された表現型としている。
ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。
個体を維持させることが目的でなく、遺伝子そのものが生き延びていくことが目的でしかない」
ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になってきたことは確かである。
神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?

・・・・・・
2003年05月25日(日)
781, 父が亡くなって30年
 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、
供養も含めて更に書く。私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。
子供に対して、非常に愛情の深い人であった。母の愛情のかけ方があまり巧い人で
なかった分を、父がカバーしていた。反面非常に厳しい人であった。
 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。
毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。
反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。
過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を
貰うのが恒例であった。そして数日後、全額を預金させられた。
もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。高校に入ると同時に待っていたのだろう
「株を買え!」という、それも自分で銘柄を選べと。
必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを
教えたかったのだろう。
以前書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・
2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1

一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。
父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。
・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3~5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。
ーーーーーー
H0505小説のような本当の話!
十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。
たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。
それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。
聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかと考えさせられる出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?
当時、丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”
に決まった次第です。

・・・・・・・・・・
2002年05月25日(土)
417,人生の負け組みと勝ち組み

だいたい20�が勝ちで、80�は負け組みである。
何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。
その意味でやはり、あるはずだ。社会的な勝ち負けの話しではない。
負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。
・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、
・現在それを過去の計画どおり実行しており、
・未来の計画をキッチリ立ててある人
そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。
刑務所など99�だろう。その共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。
80�の人も然り?
ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。
ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。
何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。
「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。
自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」こう言える生き方が勝ち組だ。

・・・・・・・・・
 2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設!
ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていく 
ものだが、ーいつか実行したいと思っていた。
そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。
しかし途中挫折しなければよいが?
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。
どういう展開なるか自分でも解らない。
小さな世界がますます露呈されていくが、しかたあるまい。
だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが、