つれづれに

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 この数年来の、ポタリングの途中に、水道塔があるが、
毎年、この時節に、鯉のぼりが掲げられる。これが昨日から掲げられた!
 
 信濃川の日赤前の土手の八重桜も、後半に入った。
この長閑な土手も、来なれると、魂が休まる時間になる。

 最後の写真も、何か別世界の霊的な写真。最近、こういう写真に出くわす機会が
多いのは、デジタルカメラの進化と、その公開だろう。

・・・・・・
1854, モーニング・ページ、7週間経過
2006年05月01日(月)
             ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
毎朝、ペンが動くままノート・3頁に書き込む「モーニング・ページ」を始めて7週間経過した。
「8週間は読み返さないこと」と、あったので、ほぼ見てないが、あと7日で8週間になる。
MPの一週間の総括を始めるとまた変わってくるだろう。
(週末に一週間単位に20分かけて一ページの総括をする)

7週間のMPの感想といえば、毎日が驚きに連続である。
日記はその日の出来事を書くが、M・Pはただ頭に浮かんだことを書き込むのだから違ったものである。
    慣れてくると、何が出てくるか面白くなると同時に、気の重さは全く無くなる。
7週間も経過しても、書き出しから何を書いてよいか戸惑う。そのため前日の出来事を思い出して
書き込むか、朝方に考えたことや、前夜に見たドラマとか、夢とか・・・になる。それが良いのだ。
日記は、その程度の内容は自分の中の検閲官が、まずは書き込みを拒否する。
しかし、その検察官が拒否した内容こそが宝の山である。
MPは真っ白な頭で、真っ白なノートに書き込むのだから、自身の検閲官のチェックは最小になる。
 せっかく面白い発想が出ても、良い話を聞いても、大部分が忘却の彼方に消えてしまう。
一日経っても残っているだけでも、その中に重要なことが含まれているはず。
 MPを続けていると普段自分の考えていることが、ノートにそのまま現れてくる。
朝起きざま、そのまま頭に浮かんだことを書き込むのだから当然。 
普段自分が考えていることを誰がチェックしてくれるのか? 自分しかない!
それをMPがしてくれることになる。
 最近になって、「若いときに、このことに気づいていれば!」という知識がいやに多く入ってくる。  
浅い教養の自分に人生の後半になって、誰もが?気づくのだろうが!
                   ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・
2005年05月01日(日)
1489, 男と女ー2
あるHPの「男と女」の格言が含蓄の深いものが多い。
私の「my感想」を加えるてあるが、品位を疑われる内容もある。
初めて読むときは、私の感想を見ない方がよい。
それにしても、よく集めたものだ。そして男と女の本質をズバリついている。
読んでいると、耳年増になってしまう。
「人間に男と女があるのではなく、女と男を合わせて人間という」というジョーク?がある。
この格言をじっくり読むと、それもそうだと思ってしまう。それだけ、身体と心の構造が違う。
だから面白いのだ。何回か読まないと、奥行きの深さが解らないものもある。
  ーーー
まずは
ー男とはーの格言から
・どんな男の人と一緒になってみても同じ事だろうと私が言うと、
「そんな筈ないわ、石鹸だって、十銭と五十銭のじゃずいぶん品が違ってよ」
                    ー林芙美子「放浪記」
       ーmy感想ー女にだって言えること、長くつかわないと
        解らないのところが石鹸と違うが
・身も心も愛して欲しいのに、なぜ男は冷たいふりをするのよ。
                  ー川端康成(「雪国」のキャッチコピー)
       ーmy感想ー男はシャイなのです
・こんなことをしたら嫌われるのではないかと、何もしない男が一番嫌われる。
                    -中谷彰宏
       ーmy感想ーそれで何時も嫌われていました。それだけでもないか?
・人生が歌のように流れている時に楽しい気分になるのは容易だ。
 だが、立派な男とは何もかもうまくいかない時でも笑える男だ。ーE.ウィルコック
       -my感想ー私の場合は何時も引きつった笑いになってしまう!
・男ってなぁ、普段なんか茶色だろうが灰色だろうが構やしないんだ。
  いざって時に黄金色に輝やきゃあな。         -本宮ひろ志(漫画家)
       -my感想ー金メッキが多いからね、娑婆には。
             メッキの内側の色の方が良いのにね
             いざって時に、その茶色とか灰色が輝きゃよい
・男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、
 自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。
                    ーサミュエル・ジョンソン
       -my感想ーうちの食卓には、あり得ないもんね?
             旨い料理は。料理上手は、床?手というか    
・男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して、
 女の世界全体をいい加減に判断している。  -パール・バック『男とは、女とは』
       ーmy感想ー ・・・・・・・・?
・男というものは……家ではまったく邪魔になります!  -ギャスケル夫人
       -my感想ー連休など、身の置き所が無い悲しみが・・・
・女に懲りるのは一度でたくさん。だれもがそう思いながら二度三度と繰り返す。
                    ー田中澄江
       ーmy感想ープロセスが良いからです
・私は女性が愚か者であるということを否定はいたしませんが、
 全能の神は男性につりあうように女性を作られたのです。ージョージ・エリオット
・床の上で自分の子供の電気機関車をいじくって三十分を空費することのできる男は、
 どんな男でも実際は悪い人間ではない。     -シメオン・ストランスキー
       ーmy感想ー取り上げて、一日中イジクッテイル奴は馬鹿!?
・男というものはつねに女の友であることは決してありません。
 他に愛する女を持っているときは別ですが。   -リュー

・自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
                    ーニーチェ
       -my感想ーしかし軽蔑もされよう     
・男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、非常に不幸を感じるものである。
                    -アラン
       ーmy感想ーいまは幸福です?
・どんな男でも、ある女性を自分のものにしようとするときは、その人が自分の愛に
最もふさわしい女性であり、自分がこんなに夢中になるのも、もっともなことだ、と
思いこんでいるのである。そして、それが迷いであったと気づくのは、あとになって
別の女を愛するようになったときである。  ーアルツィバシェフ
        -my感想ーうんだ、うんだ!
・女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。
男に欠点が多ければ女は何もかも許してくれる。我々の知性さえもだ。
                    ーワイルド
       ーmy感想ー知性があればの話だろう     
  --
 偶然の一致だが、たまたま去年の同月同日も同じHPからの抜粋であった。
 面白いものである。
                     ー つづく
・・・・・・
2004年05月01日(土)
1124, いま不幸と思っている人へ

不幸論を書いたことがあるが、一般に自分のことを不幸と思っている人が多い。
幸・不幸は、気分と解釈の問題でしかないと割り切って考えないようにしてきた。
躁の時は幸せ気分、鬱の時は不幸せ気分でしかないと。
何げなく検索をしていたら、面白いHPに「不幸について」多くの格言がまとめてあった。
これを見ているだけでも、こころやすまるから不思議である。
結局他人と比べてしまうのが人を不幸にしているのだ。
「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである」
といったドストエフスキーの言葉が真髄をついている。
仏様は人間は生きている限り、苦しむものだと看破をして
それを「四苦八苦」に分類。それを乗り越えるために「八正道」を説いた。
先人の不幸に対する解釈も深い。

ー面白いところだけを抜粋してコピーした
・もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、
そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。
なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、その人はそんなことを
口にしないだろうから。      ーサミュエル・ジョンソン

・不幸なる人々は、さらに不幸な人々によって慰められる。 ーイソップ
・他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである。   ーオスカー・ワイルド
・人間には幸福よりも不幸のほうが二倍も多い。      ーホロメス
・大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。ーヘンリー・デイヴィッド・ソーロー
・すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。   ーソロー
・不幸に対する特効薬はありません。ただ昔から
退屈な忍耐とか、あきらめといった美徳があるのみです。ーアルドゥス・ハックリー
・結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。
たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目に会うのだ。 ーバルザック
・不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
      ーラッセ
・それ自体の不幸なんてない。自ら不幸を思うから不幸になるのだ。
      ーアルツィバーシェフ
・不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。
      ーダンテ
・人生の小さな不幸せは、我々が大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる。
      ーエッシェンバッハ
・人間には幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。
      ードストエフスキー
・どんな不幸のなかにも幸福がひそんでいる。どこに良いことがあり、
 どこに悪いことがあるのか、我々が知らないだけである。 ーゲオルギウ
・明日、なにをすべきか分からない人は不幸である。    ーゴーリキ
・「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。ーシェークスピア
・時間がやわらげてくれるような悲しみは一つもない。   ーキケロ
・いつまでも続く不幸というものはない、じっと我慢するか勇気をだして
 追い払うかのいずれかである。      ーロマン・ローラン
・人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。
      ーラ・ロシュフーコー
・人間には不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる。
      ーツルゲーネフ
・人生は学校である。そこでは幸福よりも不幸のほうがよい教師である。
      ーフリーチェ
・絶望は死にいたる病。      ーキルケゴール
・不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、
 とってをつかめば役に立つ。   ーメルヴィル
・不幸はこれを語ることによって軽くすることができる。ーコルニィエ
・人は自分が幸福であるだけでは満足しない。他人が不幸でなければ
 気がすまないのだ。      ールナール
・禍福は糾える縄の如し。    ー老子
ーーーー
ー以前書いた不幸論をコピーする。

2003/01/06
不幸論ー中島義道
 図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い内容であった。
幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて
不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、
不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。
しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に
浮かび上がらせて理解するのに良い。幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること
2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること
4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと
特に1~3までの実現に4が生じてしまう。
幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。
最近の幸福論としてヒルティやアランである。
ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう
集約するとこんなものだろう。
私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという
達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という単純なものだ。
しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと考えると、
その前に粟粒でしかない。
この不幸論の一番気にいったところを抜粋した
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたものでないことを、
それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、
壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。
これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。
幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。
幸福が安直に手に入ると思う事が、虚妄なのである。

各人の幸福は自分の五感で探すしかない。
そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの人生と格闘した後に、
とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。こういうことを悟った者は幸福でない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。
以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。私の今の気持ちー敢えて気持ちと書く
ーは以下である。両親や身近な人の死に様や生涯をみて、一生かかって何かをやり終えた
人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で論じるべきでない。
それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。
「酔って気持ちが良いか、悪いかの」
まあ幸不幸は考えないのが一番良い??

・・・・・
2003年05月01日(木)
757, ミスマッチ
 長岡のダイエーの出入口の横に一月少し前に、讃岐うどんの専門店が開店した。
開店予告の張り紙を見て、てっきり今流行のセルフの100円の讃岐うどん店が
できるものと思っていた。実際は380円、480円のプライスラインの讃岐うどん屋。
これは絶対にミスマッチの店と思っていたら、やはり見事の位にお客が入っていない。
通勤で行き帰りのちょうど食事時間に前を通るのだ。
 この隣はドトールコーヒーが出ており、反対側にはマクドナルドのハンバーガー店と、
その隣はコンビニエンスがある。この三軒は勝ち組である。
うどん店の以前のテナントはケンタッキーフライドチキンであった。
そしてドトールコーヒーの右隣はダイエー系のハンバーガーチェーンがあったが、
2軒ともマクドナルドに負けて撤退してしまった。
 恐らく100円のうどんショップだったら、ミスマッチではなかったろう?
間違いなく数年のうちに撤退するだろうというのは、私だけでなく
消費者なら解っていることだ。新潟駅に同じ店があるがそこは結構繁盛している。
数千万の損失は誰の目にも明らかだ。事前の調査の甘さが、数千万の損失を出してしまう。
事業の恐ろしさの典型だろう。
 店が開店をすると無意識のうちに、その店がどうなのかみてしまう癖がついてしまう。
結構間違った判断をしてしまうが、大筋は間違わない。
少しの判断ミスで微妙にその店の成否が決まってくるから面白い。
博打を横で見ているのと何か似ているようだ!