アイスランドの思い出

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他のブログ
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グルフォスの滝
http://www.youtube.com/watch?v=_nj9_un90Tc
http://www.youtube.com/watch?v=yEq2rREY2y0

 アイスランドに行って、10数年になる。大手旅行代理店が
共同で、アイスランドまでのチャーター便を格安で出したツアーに参加した。
 アイスランドは、幾つか乗り継がないと行けないので、ツアーファンの
多くが飛びついたようだ。その中の一人だが・・・
 北の果てという言葉がピッタリだが、欧州人から見れば、
日本は東の果のアイスランドのようなもの。
 http://urara-y.at.webry.info/201212/article_7.html


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2003/10/15
924, アイスランド旅行記ー4
- 2003年10月15日(水)
  ーつれづれに雑記

・ツアー仲間の話は書いていて面白い反面、物悲しいことが多い。
今回は同じバスではなかったが、痴呆症?の65歳位の女性の話である。
アイスランド最終日に初めて気がついてのだが、そのバスの同行者数人が
面倒を見ていることに気がついたのだ。
それから注意してみていると、全ておかしいのだ。
目が虚ろ、いつも誰かに質問をしているのだが、その結果が違うことをしている。
羽田に着いて、モノレールに乗る時も質問をしながら、結果として違う行為を
していた。まあ人生そのものだが。
帰りの列車で、独り考えてみたら凄い人であったということだ。
軽い痴呆症の人?が独りツアーに参加をして、ちゃんと帰っていったのだ。
決して軽蔑をして言っているのではない!
意志があれば何事も可能ということである。
そこに、その人の人生が全て現れているのだ。

 前回の添乗員がある話をしてくれた。
車椅子の人を家族の人が連れてきて、たった一言「お願いします!」といって、
逃げるようにして帰っていったという。結果としてツアー仲間が最後まで全員
協力しあって無事帰ってきたという。
痴呆症のオバアチャンもあったという。これも全員が最後までみたという。
今回は隣のバスで明らかに同じケースであった?!。
 
・色いろツアーに参加したが、添乗員の面白い人に出会う。
「ヌーの河渡り」の添乗員が、自分がホモと酒を飲んで告白したハプニングが
 あったり、元大手銀行員の経歴の持ち主であったり。
 今回の添乗員が飛びっきり面白い人であった。
 若い女性なのだが、お嬢様なのか、ただバカなのか?
 全て自分のレンズを通してクドクド説明をして話すのだ。
 お客は親位の年齢で、こういうツアーに参加しているレベル。
 何でも解っている相手ということが解らないらしい。
 まず結論を言って、その結論に沿って、その説明をするのが添乗員の当たり前の
 世界と思っていたが、初めから最後までその逆をしているのだ。
 全員がイライラしているのが解る。
 そして全て自分本位を、そのままお客に知らずに出してしまっているのだ。
  しかし良い点もある。「何々でございまーす!」と最後に歌うように鼻声を
 はりあげるのだ。そしていつも現地ガイドと大声で笑って話しているのだ。
 イライラもその声で、ガックリして怒りを忘れてしまう。
 まあしようがないかという諦めを押し付けてしまうのだ。
 これはノウハウであろう。
 
 旅行は普段会えない人に会えるのがよい。




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2003/10/14
923, アイスランド旅行記ー3
- 2003年10月14日(火)
ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。
その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。
薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラが
カーテン状に広く光っていたが。

 今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。
感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。

 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。
天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。
写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。

 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の
波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。
あとは「 ・・・・・  」である。

 取材できていた共同通信社のカメラマンが、
「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」
と私に話しかけてきた。
「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」
と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。

 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」
「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。
しかし、この言葉の意味が実際見て初めて解った気がした。

 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう!
 




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2003/10/13
922, アイスランド旅行記-2
        - 2003年10月13日(月)


アイスランドを印象順に書いてみる

・何といっても、『オーロラ』である。
 オーロラは二度目だが、前回のノルウエーのトロムソは外れであった。
 今回は一回だけだが大当たり!しっかり目に焼き付けてきた。
 ー明日オーロラについて書く。

・海に突き出た雄大な断崖のディルホゥラエイのパノラマが素晴らしい。
 高さ100mの断崖がどこまでも続く絶景と、断崖から見えた果てしない
 海岸線が何とも美しい。
 北の果てという感じが一番でている場所であった。

・クレーバルバトン湖の背景に広がる景観は、
 正しく月の景色に一番似ているといわれている。
 スターウォーズの映画の場面を思わせる茶色のパノラマが別の惑星に
 いるようだ。
アームストロングがここで訓練をしたという。

・氷河から流れ出た滝が、それぞれ素晴らしい。
 何といっても迫力のあったグトルフォスの滝が印象的であった。
 イグアスの滝に似ており、北極のイグアスとう感じだ。
 またスコォガフォスの滝の美しさも忘れることができない。

・霙の中で見た3~4分ごとに吹き上げるストロックルの間欠泉も
 アイスランドならではのものだ。

・溶岩でできている大地がほとんど国を覆っている。
 土がまだ殆どできていないのだ。
 大地の上を数百年かけてできた20cmほどの苔が土の役割をはたして、
 その上を草が生えているのだ。
 我々は何げない土の上に住んでいるが、数億年かけて有機物の新陳代謝
 繰りかえして土になっていったのが、このアイスランドに来てよく解った。
 岩山も緑の苔が覆っていて、景色としはアイスランドならではの異様な景色だ。

・少し場所を移動しただけで、景色がドンドン変わっていくのが印象的である。
 テーブルマウンテンや溶岩で出来た岩山、氷河に荒涼とした荒野などなどだ。
 そこに羊と馬が放牧されている。
 その中で目立ったのが、アイスランドポニーという小型の馬である。
 冬でも極北の寒さに耐え、そのまま放牧をしておいても大丈夫だという。
 性格が穏やかで欧米で人気があり輸出用だという。
 
 見た感じとして似ている国としては、ニュージーランドパタゴニアである。
氷河とどこまでも続く荒涼とした大地と、吹き付ける冷たい風は北も南も一緒だ。

「一生に一度に行きたいアイスランド」という言葉が一番にあっている国である。
    本当に世界は広い!




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2003/10/12
アイスランド旅行記-1
- 2003年10月12日(日)

         ー2003年 10月4日~10日
  ーアイスランドという国とは ー
 直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて
急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。
行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始を始めたアイスランドに対して
欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。
その穴埋めということで国をあげての企画であった。

 9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、合計720名
の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。
もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて
行くから面白いのだが。
乗り継ぎのエネルギーも大変なものだから贅沢は言ってられない。

 アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。
一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。
この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。
大きさは北海道と四国を足した大きさになる。
そこに人口僅か28万人、首都レイキャビックに18万人が住んでいる。

 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。
・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。
・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。
・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテン
 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。
そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 

 人口の50?が漁業関係に従事している。
また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロン
などが栽培されているのだ。
家も92?が暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。

  ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。
・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、
 借金でどの家庭も火の車という。
 島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。
ー何処かの国に似ている。
・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。
 -これは一日八時間の日照時間に関係している。
・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。
 そのために物価が非常に高いのが特徴。
 だいたい日本の物価の1・5倍である。
 いかに高いか解るだろう。
・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。
 大統府も小さなオフィスのようであった。
・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。
 したがってあまり目立ったことができないとか。
                     -続くー


 インターネットで調べた内容をコピーしておきます。
  ーアイスランドの歴史ー
  アイスランドは東にノルウェー海、北はデンマーク海峡、グリーンランド海に
 囲まれた絶海の孤島である。にも関わらず、小さいながらも独立国として、豊かな
 国として、繁栄している。そんなアイスランドであるが、最初は無人島であった。
 アイスランドであろうと推測できる土地が最初に発見されたのは
 「紀元前325年ごろ」。
 発見者は、ギリシャ人のビュティアヌス。ブリテン島の北に日の沈まない島を
 発見したのである。
 
  しかし、彼に続く冒険野郎は出現せず、その島は打ち捨てられた
 ままになり、アイスランド無人島時代はしばらく続く。
 その後に、アイスランドに人が着た証拠として、
 ローマ皇帝ディオクレティアヌス(在位284~305)の時代に鋳造された硬貨の発見がある。
 しかし、この硬貨は、遭難したゲルマン人のおまじないのために埋められたと考え
 られているので、これをもって入植者がいたとは言えないし、硬貨は耐久性がある
 のでディオクレティアヌス帝時代以後にアイスランド流入した可能性も多分にある。

 さて、一般にアイスランドに最初に入植したとされるのはアイルランドの修道士達。
 彼らはかつての宗教の影響か、極めて厳しい環境に身を置いて修行し、神に近づこうと
 する傾向が強かったらしい。したがって彼らがアイスランドにやってきたのは、
 修行の一環として捕らえることができる。しかしこの入植は動機が動機なだけに規模は
 大きくなかったらしい。
 
 大々的な入植は、ゲルマン人(主としてノルウェー人)が入植を開始するまで待たねば
 ならない。ゲルマン人が島に現れ始めるようになったのは、
 「860年頃」らしい。
 彼らは辺鄙な土地に人がいるのを見て驚いたらしいが、修道僧の方も彼らを見て驚き、
 何処かに退去してしまったらしい。
 これ以後、アイスランド入植の主役はゲルマン人が占めることになる。
 最初に本格的な入植を試みたのはノルウェー人のフロシという男だったが、あえなく
 失敗。彼はこの島を『氷の島』と罵って退去。
 これ以後この島はアイスランドと呼ばれる。

 フロシは入植に失敗したが、同じくノルウェー人のインゴルフが874年ごろ、
 アイスランドに入植を試みる。彼は成功。以後60年にわたり、アイスランドへの
 移民の流入が続くことになる。移民の多くはノルウェー人であった。
 当時北欧は土地が不足しており、特にノルウェーではハーラル美髪王の統一政策に
 よって国を追われるという事情があったためと思われる。
 この北欧からの移民も930年ごろには一段落する。ハーラル美髪王が移民に出国税
 かけたことや、アイスランドに余剰の土地がなくなったことなどが原因である。
 そして、移民が一段落した930年、最初のアルシングが開催される。