フィジーの思い出

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 今日からの写真は フィジーである。旅行時が1992・11 だから、
二十一年数け月になる。 一〇年後に書いた文章がある。
まだ、デジタルカメラが無かったので、あまり写真を撮ってなかったが、
これから数日にわたって、ネットでさがした写真より遥かに原風景は良い!
 観光地だが、あまり知られてない南方の風景が、良い。
イギリス領なので、サービスは悪くはない。 小さな島が幾つか、
ホテルになっていて、住民はホテル従業員のみ。しかし、小学校や
教会がある。 一周するに一時間だが、ところところに小さな湾があり、
真珠のような光景があった。

 ここでのパラセーリングが強烈な思い出になっている。
パラシュートをボートで引っ張り、空を飛ぶのである。
直接、空中で飛んだのは初めての経験。自分が鳥になったような気分。
7~8分飛んで,6000円だったが、思い切って二度、飛んだ。
空から見る小さな島と海が絶景である。あれから二一年以上経ったが、
鮮明に憶えている。 その後、バンジージャンプを二度、飛んだが、
それとは違った醍醐味である。

ーーーー
2001/12/30
フィジィ‐について
2001年12月30日(日) 285、フィジィ‐について

地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、
日本より飛行機で7^8時間位か。もう9年なる。
この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。
ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを残している国である。
人がいい!、フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!
NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。

一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。
今でも映画館が男女別席である。小さい島国なのにまたその周辺に、
多くのミニの島よりなりったている。
島そのものがホテルになっているところもある。
他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、
他と比べる事はできないが、華やかな観光がない分、
海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。

そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、1人で
海岸を一周してきた。おとぎの国に迷い込んだようであった。
たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員とその家族が、
小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。

会社の社員旅行で行ったが、そのうちの1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。
南洋の楽園とはよく言ったものである。
もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいならフィジーがいい。
                (1992/11~)





・・・・・・
2006年03月28日(火)
1820, 今場所の大相撲
         おっ w(゚Д゚)w ハァョ~
徐々にだが大相撲が面白くなってきた。同じモンゴル人・白鵬の実力が朝青龍に近づいた。
半分以上の8日間、大入りというのも数年来である。
この数年らい、大阪場所は平日で半分以下の入り。
大相撲も永年みていて、景気に大きく左右されるのが分かる。
目先、少しは良くなってきたのだろう。今場所は白鵬大関と、
栃東横綱がかかっていた。栃東横綱は有得ない?ことは自明だが、
白鵬は間違いないと思っていた。結果は予想どおり終了。

 朝青龍が千秋楽の決定戦で優勝をしたが、三賞は全てモンゴル人。
そのうえ関取9人のモンゴル人が、全て勝ち越し。
朝青龍の独走の時代は終わり、白鵬が実力をつけてきた。
そしてブルガリアの長身の琴欧州と、十両で全勝優勝をした金髪のバルト人、
やはりモンゴル人の安馬、の三人の時代が来るだろう。
但し、怪我を負わなければだが!
                    お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙
栃東横綱とは、誰もなれるとは思ってはいない?
もしなったとしたら、引退が早まるだけである。
但し来場所フロックがあるかもしれないが、やはりないだろう。
モンゴルや、東欧、旧ロシアに話題を提供するだけでも
日本国技として大相撲は貢献していると見たほうがよい。
衛星TVで放送しているというから、TVの普及で大きな人気になっているのだろう。

日本力士とモンゴルや東欧の力士とは骨格・体格が全く違う。
金髪のバルトの力士が相撲を始めて二年というから、相撲の奥行きは深さ?
に疑問を感じる。
モンゴル・東欧人は、ハングリーさも違う。家族の生活もかかっている。
日本人では、19歳の若者が唯一、5人に対抗できる可能性はある。
大相撲について書き続けていると、あとで読みかえすと
その時々の力士の力関係が分かるので面白い。    
                 \(^▽^*)  バ~イ
・・・・・・・
2005年03月28日(月)  
1455, プロ野球改革私案

パリーグからプロ野球が開幕した。
一リーグ制にしてしまえばと思うが、色いろあるのだろう。
そこで私のプロ野球改革私案を考えてみた。
即興の案であるが、読み返してみて結構気に入っている。
単なるお遊びだが。
 --
・前半を一リーグにして(60試合)、 
 後半を二リーグ制(60試合)にする。
 最後に前半・後半の勝者上位二位で、ミニリーグ戦(30試合)にする。
 (もちろん1,2位のハンデをつける)
・三位以下は敗者復活戦をおこない、その勝者と勝ち組の優勝者と決勝戦をする。
 もちろん優勝者に有利にすればよい。
 下位チームは4勝、上位チームは2勝で優勝にする。
すべてのチームが最後の最後までチャンスが残り面白くなる。
観客も20^30㌫は軽くアップするはずだ?
(消化試合がなくなるだけでも観客が増える)
現状では、半分もしないうちにギブアップするチームが出る。
これでは最後まで必死に野球はしない。
このシステムでは全軍の総力を必要となるから、二軍選手のチャンスも多くなる。

落合の中日は、全軍の総力を使い切る戦略である。一軍二軍の壁を低くしている。
巨人は金をかけてとってきた選手が多いため、二軍に下げづらい。
自分で壁を作ってしまっている。養老流にいえば、「馬鹿の壁」である。
これでは巨人は中日には勝てないはずだ。それにしても、巨人と西武のオーナーが
交代したのがよかった。ヘドロでしかなかったのだ。

・・・・・・・・・
2004年03月28日(日)
1090、ニコイチ

私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。
こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。
時代の変化に対して、あらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にしておかなくては
ならない。以前にも書いたが、私が手がけた建物は殆ど柱が入ってない。
中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。
少し先走ったが、24年前に光ファイバー用の配管が各客室に入っている。
新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。驚きであった。
なら在庫オーバーのビジネス客室をそれに転用すればよい。
二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。
建設業界には元々「ニコイチ」という言葉があったのだ。
マンションの住人が隣が売りに出た時に買い取って改築をしたりする時や、
手狭になった市営アパートを一つにしてしまう場合の用語だという。
「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。
現在、多くの建設業者は、不況の煽りで苦境に立っている。
その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。
古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として面白い分野になるだろう。
大変だろうが。それにしても、転用を前提にして創っていて助かった!のが実感である。
この数年は、この改築?が仕事になりそうだ!事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。
長期的視点、鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、何よりも自分自身を知ることなどだ。

・・・・・・
2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式

 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。
かすかな記憶だが書いてみる。

幼稚園ーその日に多くの玩具を貰ったのが印象深い。
    何か絵本や、その付録のようなものがあった。
    その日のことはいやにリアルに憶えている。
    あまり悲しいとかというの記憶はない。
    その時の同級生数人と今でも会うことがある。
小学校ー何かふてくされていたような気がする。
    壇上に卒業生が全員上がり、呼ばれたら大声で答えたのを憶えている。
    拍手で送られてたのが少し記憶に残っている。
中学校ーこれも校門を拍手で送られたことが記憶に残っている。
    まとまりのあるクラスで、全員がいやに親しみ感じていた。
    「よいクラスの仲間たち」という感じだ。
    数年前まで20年以上クラス会を開いていた。
高校ー校内問題があって、変わった荒んだ卒業式だったようだ。
   この最後の3年のクラスもイヤに変なまとまりがあった。 
   このクラス会も20年近く毎年開かれていた。
大学ー卒業式としては、一番感激した卒業式であった。
   チャペルでお祈りの後の卒業式が印象的だった。
   一人一人が壇上で総長?から卒業証書を貰った。
   その後、学食で卒業パーテーが開かれ、全員がビールで乾杯の後、
   全員でコップを一斉に床に叩きつけ割ったのがよかった。
   学生時代との決別という意味だったのだろう。
   その後、父やゼミの武澤先生と同期の連中と写真を撮った。
   その時に何かこの学校がますます好きになったのを憶えている。
   「もう二度と会わないのでは!」という互いの感慨があったために
   最後の別れという気持ちが強かった。
   その一月前の2月末から四日市ジャスコに既に就業していた。
   卒業後10年単位で、学校が主催で同期生があつまる会がある。
   4分の1の5~600人が集まる。これも本音でお互い話し合えるよい会である。

   卒業式をキーワードに、過去の節ふしを振り返ると、
   実に恵まれていた時代だった。時代も全てが光り輝いていた!ように思える。
   教授に先輩に友人に両親に、心から感謝ができることが最大の収穫だ。 
 卒業式からみても一番よい時期というとやはり大学時代だ。
 とくに私の場合恵まれていたようだった。

・・・・・・・・
2002年03月28日(木)
359, ST訓練

毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。
もう2~3回の入社ゼロの年を除いて、
前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり今は一日だけだ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センセビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。
当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。
密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問いかけと、答える立場を決める。
そして彼らにテーマを出させ、そのテーマについてどことん聞き出させる。
脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。
あるところまで来たら、立場を逆にする。
それを密室の中で、繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。
その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、
本音の会話へ、更に対話に深めていく。その中で感性を磨く。
あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識をつくる。
組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。
聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。
時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。
それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。
それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。
ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。
こういう訓練を通して、自分で把握した事がある。
日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、
理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、初心を持ち
それを大事にする事、その訓練を通して一番教えられるのは自分だ。

・・・・・・・
<お笑い>
殿が太鼓もちに庭で,池の蟹を見て何か面白い小話をつくってみろと命じた。
ウロタエタふりの太鼓もち「そんな俄かにいわれても」と、
怒った殿「何をぬかすか、その位の駄洒落も創れないのか!」
隣にいた小姓「解らないのですか、庭ー蟹と今創ったのが」