ギリシャ・クルージング船内と、エーゲ海

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 クリミア半島のロシア併合。 一つ間違えると、世界恐慌も含めて
世界は大きく不安定になる。 その辺りをプーチンに見透かされているのか?
何か、不気味である。それにしても、オバマは、終わってしまっている!


・・・・・
1817, 日暮里界隈 -2
2006年03月25日(土)
                 ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
最近の定宿は日暮里のホテルである。
日本旅行社の元支店長の知人に、「都心(東京~秋葉原)に近くて、安くて・便利で
・気楽で、インターネットもあり、 かつ面白そうな居酒屋が近くにあるホテルはないか?」
と聞いたら、「自分が定宿にしているホテルが全ての条件を揃っている」という。
値段は7千円である。
 そこが日暮里駅至近のホテルである。早速泊まったら正しく、ピッタリである。
おまけに7~8分歩いたところに谷中銀座という昔ながらの商店街がある。
 ところが、たまたま同行した人が谷中銀座近くに10年近くに住んでいて、
谷中の飲み屋街を熟知していた。
そのある一角に、タイムスリップしたような昭和半ばの雰囲気を残た路地がある。
殆どの店が、50代後半の少しクタビレタ?ママがやっている。
7~10席位の店が両側に十数軒並んだ飲み屋横丁。そこで4回も通って馴染みに
なったのが、沖縄料理の店である。少し高い?が、料理と泡盛が美味しい。
 先日、長男と沖縄の店の後に入った店がトルコ専門店。
谷中銀座を歩いていると、ある飲食ビルの一角から騒々しい音楽とドヨメキが聞こえてきた。
面白そうなので、玄関口までいってみるとトルコ人がいた。
『この騒ぎは何?』と尋ねると、『今、ベリーダンス・ショーが始まるところ。
トルコ料理一式とダンス鑑賞で一人三千円。面白いよ!』という。
面白そうなので入ってみることにした。30坪位の絨毯のスペースに三十人位の
お客が真ん中に空間を囲んで、車座に座っていて異様に盛り上がっていた。
お客の半分は在日トルコ人。あとは何と殆んどが若い女性である。
そしてショーの開始。          (=^‥^=)┘♪└(=^‥^=)┐♪
             ┌(=^‥^=)┘♪└(=^‥^=)┐
以前トルコに行ったときベリーダンスを見たが、それはあくまで観光用。
ところが、ここは違う。蛇のように、身体をくねらせながら色気を表現する。
全員がが手を叩いて、音楽に合せて囃し立てるほど踊りが過激になっていく。
      ━ヾ(   )ノ゛ヾ( ゜д)ノ゛ヾ(゜д゜)ノ゛
          ヾ(д゜ )ノ゛ヾ(  )ノ゛━!!      
 ところが日本人の女性のお客にプロダンサー?がいて、一緒に途中から踊りだした。
常連のようだが、身体の動きからみてダンサーのようだ。
そのあたりから雰囲気は佳境に入り、不思議なトルコの夜の世界になった。
まあ、大当たりの店である。                                
その次に入ったのが『何と申しましょうか?』と、いう店であった。
飲み屋横丁の一番奥にあるスナック風居酒屋?の店である。
50代のサラリーマン風が4人座っていた。何とママが86歳で、
手伝いが71歳という。大年増というのが話題になりTVによく出るといっていた。
お客とダンスを踊ったのには驚いた。店の中は凄いアルファー波に満ちていたが、
お客は癒しを求めてきているのだろう。
                         ーつづく
ーー
2003/06/26
日暮里界隈 -1

一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。
谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような
場末の飲食街があった。それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚。
知人の会社の東京事務所があったため、よく通ったという店があった。
沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の小さい店であった。
店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。
石垣島出身で、具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。何とも沖縄料理がおいしい。
豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。
そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる、スーパーでブレンドされた泡盛
いやにおいしいのだ。店の中の全員がお互いの話を旧知のように話し合える感じがよい。
それこそ若い人は皆無という雰囲気がまたよいのだ。たまたま若い女性が一人入ってきて飲んでいた。
話しかけると「2~3日うちに石垣島に亭主と行く」とのことで、女将に知り合いの店を
紹介してもらっていた。何か楽しくなって、下の息子を呼びだして一緒に呑むことになった。
本人も目をクリクリさせて、「今時、凄いところがあるものだ!」と驚いていた。
その後にもう一軒谷中銀座の中にある居酒屋にいったが、ここも印象深い店であった。
大きいメンチカツが何とも美味しい!
・・・・・・・
2005年03月25日(金)
1452, 「仏教の根底からの否定」の文章-2
山根二郎かく語りき-2

ー前回に続いて印象的な部分を書き出してみるー
あのオウムが、教団の対立者を「ポア」という名で殺したが、
これは特殊な教義を信奉していたからと信じられている。
が、しかし「救済」の名の下でなされる殺人の容認は仏教にも多く認められる。
私が書いた「仏教解体」は、仏教を根底から解体しつくした日本では稀有の書である。
そこに述べられている仏教否定思想は、これまでの日本にはなかったものだ。
内容の一部を紹介すると「仏教思想、禅思想」が、どれほど恐るべき非人間思想で
あるかということが分ってくる。日本人は、この思想に取りつかれたままになっている。
要するに、日本および日本人は、戦前・戦中・戦後を通して、今日まで巨大な
オウムをやってきたことになる。
「日本人は恐い」「日本人は特殊である」
 と世界の人々が思ってきた根底は、これである。
「世界の人々よ、気をつけろ。そして日本人よ、仏教から目を覚ませ」
般若心経で、 色即是空ってのがある。存在とは空だって意味だ。
無限耳鼻舌身意 耳も鼻も舌も体も心もすべて無だと言い切る。
浅原じゃあないが、まさに涅槃の境地に達しないと言えないことだ。
しかし、この凄いことを、我々日本人は日常で坊さんに言われ続けている。
葬式で般若心経を坊さんが唱える。月命日でも坊さんは仏壇の前で唱えてる。
「もともと、無いものが無くなったんだから、死んだからといって、
そんなに嘆くな悲しむな。殺されたからといって、そんなに怒るな」
って言われていることになる。 葬式でこんなこと言われていたのだ。
いま、犯罪被害者の人権などと騒いでいるが、まっさきに糾弾されるのは坊主である。
9・11のあと、追悼集会が開かれたが、仏教界は招かれなかったらしい。
もし坊ずがその会場で般若心経唱えたら大変なことになっただろう。
なんせ「殺されたからって、そんなに怒るな」が基本の教えだから。
キリスト教は「存在は存在している」のが前提。
仏教は「存在は空」なのだから、欧米と日本の文化的な相違は、
イスラム教の比ではないぐらい大きいのだ。
悟りの境地に入らないと理解しがたい哲学である。
オウム真理教のように厳しい修行しないと永遠にわからない世界である。
明治維新政府は、神仏を分離し、日本人を仏教から分離しないと近代化は
無理だと考え、維新後いち早く「神仏分離令」を出し、火葬は仏教のものだから
ということで全国的に火葬禁止令も出している。 火葬はよく考えると、残酷なことだ。
愛する人を焼いて骨だけにしたうえに、その骨を拾わせるのだから。
この風習って仏教の修行からきている。
仏教では「存在は空」「生もなければ死もない」ことを悟るために出家して
修行することになっている。
その修行によって悟ったものが仏陀であり「仏」になったということ。
ところが出家も修行もせず欲望のままに生きている、
我々一般人は、仏教では凡夫と呼ばれていて、この凡夫は死んでも仏にならないのである。
我々は、よく死んだ人を「仏さん」と呼んでいるが、これは大間違い。ただの凡夫なのだ。
その何でもない死者をせめて仏弟子にしてやろうかってのだから坊ずは、
なぜか骨拾いの現場には立ち会わない。
残酷な火葬ってのは出家もしない凡夫が行う唯一の修行なのだ。
人間の存在とはもともと無いものだ、という仏教観を教え込むための修行が火葬なのだ。
仏教の修行に「不浄観」ってのがある。なにをやるのかっていうと、死体が腐乱していくのを
何日も見続けながら、その腐乱死体が自分や、自分が恋焦がれたあの美しい女性の本当の姿
なのだと観想し、自分も、他者も、生などというものも本当は存在しない、それをあると
思っているのは幻影なんだと「悟る」こと。火葬は、その「不浄観」の修行のひとつ。
これは、両親からいただいた体を大事にしなさいっていう、
中国や朝鮮の儒教思想とも相容れない考えかた。
仏教ってテロリストの思想を持ったこともある秋野孝道という
明治42年に曹洞宗大学(駒澤大学)の学長が『禅の骨髄』(大正4年)にこう書いている。
「もし、慈悲同情の心よりせば殺しても殺したにはならない」
「日本軍人として敵兵を止むなく殺すのも皆これ東洋の平和の為と
 云ふ慈悲同情の念からするのであるから殺生にはならぬ」慈悲同情心があれば殺しはゆるされる,
これが道元直系の伝統・本格派の禅僧!の言葉である。
座禅は、罪も無い他人を殺すための修行でもあるのだ。
ーーー
以上のように初めから終わりまでこのような文章が続く。
この人の文章を読んでいると、全くそのとおりと思えてくるから不思議である。
極東の島国では仏教は丁度良い思想と思っていた。
禅坊主が「考案」とか訳のわからない議論をして悟り顔をしているも、
山岳の多い風土には丁度良いのだろうが。
あのアブラハムが創りだした「アラーの神」も、東洋の片隅から見てみれば、
砂漠の無知の民をマトメル為の嘘ー方便にしか見えない。
その反対に彼等から見れば山根二郎のいう論も、的を得ている。
この位の論を持っていないと、葬式坊主どもに集られてしまう。

・・・・・・
2004年03月25日(木)
1087, ある日突然
ある日突然、今まで順調であった仕事や商売が成り立たなくなる時代になった。
以前は、時計屋が典型的な事例であった。
・25年前に、デジタル時計の出現でアナログ時計の売り上げが激減をしてしまった。
・10年前には駅前旅館も消滅をしてしまった。
・その後、業種店はスーパーなどの業態店の出現で殆ど壊滅した。
・そして、酒屋や米屋やガソリンスタンドなどの規制で守られてきた業界も
 一瞬で壊滅をしてしまった。
・最近では、駅前のあちこちにあったDPEの店もデジタルカメラとプリンターの
 普及で、いつの間にか無くなってしまった。次は、何であろうか?
全ての経営者が自分のところではないだろかという恐怖の時代になった。
DVDとビデオレンタルの「ツタヤ」が光ファイバーとデジタルTVのドッキングで、
ある日突然消滅するのではという可能性を秘めているとか。
鳥インフルエンザで、京都の養鶏場のオーナー夫婦が「ある日突然」国家的犯罪者に
仕立てられ、自殺に追い込まれた。経営者なら誰も身につまされる出来事であった。
私の事業もごたぶんに漏れず、「日帰りの徹底」で、打撃を受けている。
これに新幹線がテロに狙われたり、SARD騒ぎが起きたら、ホテルの顧客はゼロに近くなる。
本当に恐ろしい時代である。あの絶対大丈夫と思われていたNTTや電力会社や郵便局でさえ、
一歩間違えれば明日は解らない時代である。時代の変わり目は、こういうものだろう。
日々の科学技術の進歩が背景にあるのだ。事業も考えてみれば、情報と技術の能力の差である。
それが情報化で瞬時で格差がなくなってしまったのだ。

・・・・・・・
2003年03月25日(火)
720,「お金の哲学」ー3

デフレになって、お金の価値が物の価値より上がってきて、日本ではタブーの
お金に対して関心が増してきている。
過去何千年も祖国を追われていたユダヤ人は特にお金にシビアであるのも、
最後頼るべきはお金や金ダイヤなどの貴金属ということが骨の髄まで解っているからである。
日本人がお金に対して「お金は汚いもの」とか、「お金のために生きているのではない」
とか言っていられるのは、島国の環境の為である。
世界中にお金を汚いとか、甘く見ているのは日本人だけである。
 江戸時代の幕藩体制下の宮仕えの貧乏藩士の建前意識が、美徳としてごまかされ飼い
ならされた結果でしかない。それを儒学で覆い被せて、それしか世界をしらない田舎侍たちを
無垢に信じさせていただけの事。上手く金は汚いものと洗脳してしまったのだ。
惨めな話だが、それがそれだけの世界ならそれでよかったのだろう。
その意味でまだ日本はその影響下にあるのだ。
「もう人生を終わってしまった敗残者か、成功した人が外装としての理屈」
の為に集まって、鼻声で儒学を楽しんでいる分にはよいが。
これから一生を妻子を養っていかなければならない真っ当な人間に、
その教えをまともに教えている無知な人種がいるのが問題なのだ。
 現在日本がこのような状況にある根本原因は、この「虚勢犬意識」が国民的潜在意識にあるからだ。
もし一億のお金を貯めようとしたら、5百万の預金をしたとしても20年はかかる。
その為には2000万の収入を20年続けなければならない。
その能力のある人は1000人に一人?いるかどうかだろう。
それだけお金を蓄積するのは時間を要するものである。
実際のところ二代三代をかけなくてはならない。
 商人であった両親から学んだ事は、お金の大事さと、その使い方である。
晩年になってよく父が言っていたのは「お金の使いかた」である。
見栄でなく、本当に自分の好きな事に納得して合理的に、使うことだ。
そこには一点の隙があってはならない。
稼ぐと同じくらい前向きに合理的に楽しむことだった。
 それを聞いていた割に全く身についてない自分は何故??
装置産業の為に、大借金をしているためであるー言い訳か!
大儲けをして現金の山を見たことは一度もない。
「健康法説いて あの世に先に逝き」ではないが、
「金のこと説いてた あのバカ夜逃げをし」ということになる
可能性もあるからあまり偉そうな事を書かないほうがよい。

・・・・・・
2002年03月25日(月)
356,西アフリカー3
ー能力探しー

今回の旅行で面白い人とであった。
予備校の講師でミュージシャン、今度小説を出すという。
年令が31歳、数学の本を何冊か出し、予備校の講師。
今回の旅行で3つの歌を作ったという。
音楽のゴーストライターもやっているという。
ゴーストライターで本は聞いたことがあるが、音楽では珍しい。
ミュージシャンと数学の先生の二刀流ということだ。
CDを数枚出し、有線でトップテンに入ったことがあるという。
「防波堤」は、長岡のスナックで聞いた事あった。
夜バーで聞いた弾き語りがなかなかよかった。
昼からビールを二本飲んでいた。夜もしかり。
話しているだけで、自分の中の創造性が喚起される。
私の目では一応本物に見えた。
エルミナの夕景を見にホテルの海岸に出たら、一人海辺に隣接している
誰もいないスナックでビールを飲んでいた。
声をかけると、夕日で変わる海の色の変化を見ているという。
これはいえない言葉である。
何か変わった人だと気に留めていたが、家内からあの人はミュージシャンで
予備校の講師と聞いて納得した。
その後何回か話す機会があったが、講師とミュージシャンの仕事の特性の
為か、相手を自分の世界に引き込む話術には驚いた。
いや話術ではなく、その人の中味なのであろう。
http://yoshiki-o.hoops.ne.jp/
大上芳樹
・・・・・・
[月曜の朝に ]☆☆☆
-哲学的にも有名なユーモアー

ある死刑囚が月曜日の朝、
死刑執行に引き出され連れられていくときのジョーク、
「ふん!今週も今日から幸先がいいわい!」
(・彼にとって今週がない   
 ・長い間の死刑の恐怖から解放される
 ・目の前の死の恐怖を和らげようとする自嘲)