ギリシャ ーサントリーニ島

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 写真は、ギリシャのサントリニー島。 世界に名だたるリゾート地である。
白と青に統一された建物と、空と海の青が絵から抜け出たようで、何とも美しい。
 既に7年経ったが、エーゲ海クルーズは良かった!



・・・・・
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい-2
2006年03月17日(金)     
               ー 読書日記
 ーモーニング・ページー
この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。
思ったままそのまま、大学ノート3ページに何の起承転結など制約せずに書く。
だいたい30分位である。
著者は、十年間これを続けているという。この随想日記に似ているが。
ーまずは「モーニング・ページとは何か」を私の主観で集約して書いてみるー
モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
創造性を開発するためのツールである。
 寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。
作文とさえいえない代物でよい。ただ手を動かして、心に浮かんでくる、愚かなこと、
奇妙なこと、何でも、どんなことでもかまわないから、そのまま書き続ける。
書き始めの八週間は、それを読み返さないほうが良い。
続けていると、だいたい2P目、3P目には思いもつかなかった新しいアイデアや、
自分の中に隠れていた気持ちやアイデアが次々と現われる。
 こんなことを考えていたのか。こんなことが好きだったのか。
毎朝、発掘されるのは自分という潜在に隠されていたアイデアと気持である。
 続けているとダンダン面白くなるという。
誰にも邪魔されない静かな時間の中で一人書き続ける。
マイナスの言葉ばかりが飛びかう日常的世界から離れのがよい。
早朝座禅を組んでいるのに似ている。
                      (。・・)_且~~ お茶どうぞ
座禅は始めた当初、表面と違って心の中は雑念で騒々しい。
このモーニングページは、その雑念を言葉にして一人書きだす作業であろうか。
そのうちに雑念の向こうにある創造的活動が出てくる。
 この本では毎週課題が出ていて
「あなたが他人がばかげてると言わなければ是非やってみたいことを10個取りあげなさい」
とか「あなたが取りあげた10個の中から一つ始めなさい」等、わかりやすい。
 自由に日記を書いていたつもりでいたが、自分の左脳の検察官が
チェックをしていた事実を、たった数日のモーニング・ページで気がついた。
この本の基本的ツールは
・毎日3P書くノート「モーニング・ページ」と、
・週に最低2時間は「自分一人で自分のココロや魂の喜ぶ行動をとりなさい」
 という「アーチスト・デート」の二つである。
 まだ始めたばかりなので、経験を重ねた後に再び書く。
始めて数日だが続けたら、何かが根本的に変わってくるだろう。                    
                       ーつづく
          バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
 ・・・・・・
 2005年03月17日(木)
1444, 孤独について-5

孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。
絶望の果てに突詰められる心の状態は、人生で何度もある。
孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。。
「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)
の本の内容で考えさせられる部分を書き出して、更に考えてみる。
・「ひとり」と「孤独」についてムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、
さまざまな反論を受けました。孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、
と言われ続けてきたのです。
彼によると、孤独の真の意味を理解できない人の多くは、
・ひとりでいる体験と、
・深い孤独との区別ができない
 ゆえに誤解を生じているのです。
 両者の区別について、いずれも大切なものだと断りながら、次のように言っている。
「孤独とは対照的に、ひとりの時には、私達は意識的なコントロールを働かせて、
 意図し、考え、決断している。ひとりでいると、私達は必要な休息を得られる。
 一方、孤独でいると、私達はギリギリの状態に追い込まれる。 
 ひとりの時は、私達の体験に、展開と継続性がもたされる。
 一方、孤独の時は、全体的、革新的な変化を私達にもたらしてくれる。
 ひとりの時は人の中に帰っていく。孤独な時は自分に帰っていく道を開いてくれる。」
 また、別の箇所では、
「ひとりとは、たいてい過去や未来にまたがった中間的な状態であるが、
 孤独とは、常に生命に直接、今、ここでかかわっている状態である。
 ひとりとは、自分に没入していることである。
 孤独とは、自分とともにありながら、さらにそれを越えて、
 新しい自己を創造しようと激しく一瞬に生きることである。」と説明を加えている。
ムスガーカスのいう孤独な時とは、
「人生の一大転機点の時であり、孤独に浸っている時、人は、もっと
この激しさが続けばよいと願ったり、永久に離れたくないと思ったり、
あるいは、底なしの絶望感に捕らえられたり、信頼が裏切られたり、
さんざんに打ち砕かれてしまうことがある。
このような強烈な驚きに震え、深いショックに身を砕かれた時に
『私はひとりだ』と言っても、その体験を伝えるには不十分である。
それでは孤独の肯定的部分も否定的部分も伝えられない。
一方、『私は孤独だ』と言うと、独特のニュアンスが付け加えられ、
引き裂かれた状態が示される。」
過去と未来を断ち切り、新たな自分に生まれ変わりを余儀なくする、
有無を言わせぬ、一瞬の体験を意味するのです。
次に、ムスターカスは
「孤独に対する不安」と
「実存的な不安」を区別します。
「孤独に対する不安」は
ー生と死の重要な問題に直面するのを避けるために、絶えず他人とかかわりを
求めて、忙しく立ち働いて、本質的な孤独を打ち消そうと防衛から生まれる。
一方、
「実存的な孤独」とは、
ー人間の本質に目ざめていることの証であり、生の動乱や悲劇、
変転に直面していく際に育まれるものである。
この世に生まれて、激しく生き、ひとり死んでいくことの本質にある
孤独が、実存的な孤独である」
さみしさは、しばしば、人と人とのつながりが拒否されたり、
離れ離れになることによって体験されているものである。
一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や雲や波に語りかけたり、
静かに詩をひとり読んでみたり、音楽に聴き入ったり、芸術作品を
ひもといていたときに去来する。
孤独になる勇気を持つこと。孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間にしか、これからの時代、ほんとうのしあわせを
獲得はできないはず、である。
ーーー
孤独は誰も何時も直面している問題である。だから教養とての知識の必要性が出てくる。
社会通念としての「孤独はさびしいもの、避けるもの」を、まず疑ってみることだ。
特に、携帯を持った猿にとって!「自覚のないゴミ」になり下がる前に。
去年の同日の、永六輔がいう「虚しさ」を知った孤独こそ
永遠への扉の「いま、ここ」を覗いていることになる。

・・・・・・
2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記
図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。
東京新聞編集局 (編集)
ーレビュー
内容(「MARC」データベースより)
死ぬ前に言っておきたいことがある! 各界著名人が語った死生観。
どのような臨終を思い描き、どのような野辺の送りを望むのか。
介護、遺言、葬儀、墓、形見…。五十人五十色の生・老・病・死。
東京新聞』連載を単行本化。
目次
安部譲二(小説家)
嵐山光三郎(作家)
淡路恵子(女優)
池宮彰一郎(小説家)
五木寛之(作家)
今村昌平(映画監督)
永六輔(作家・放送タレント)
大島渚(映画監督)
大林宣彦(映画作家)
岡田真澄(俳優)〔ほか〕
ー以上がインターネットで調べた内容であるが、
簡易な文章の中に、深い内容がアチコチ見られた。
その幾つかを書きうつしてみる。
永六輔が、生々しい深い悲しみが直に伝わってくる。
ー「看取るのは感動的でした。ホントウに。こんな感動的なら、看取られたいと
思うくらい」1991年に父、99年に母、そして2002年に妻・晶子さんを見送った。
戒名、遺影、法名、棺はダンボールでいいと言い残した住職の父。
感謝の言葉をつづった遺言と、自ら縫った死に装束を用意した母。
余命3ヶ月と悟った妻は、死にまつわる要望を家族に伝えた。
家族に見守られる中、自宅のソファーで、安らかに息を引き取った。
「母の死の見事さに、ボクよりも女房のほうが感動したのですね。
母のように死にたいって。母とは状況は違いますけど、本人の思い通りに亡くなって。
看取り方は百点満点もらっても良いと思いますよ。
父を亡くしたときは『寂しい』、
母を亡くしたときは『つらい』、
女房を亡くしたときは『虚しい』。
寂しいのもつらいのも、我慢すればなんとかなる。
虚しい時の対処のしかたはちょっと・・・・。
何をもってすれば、虚しさを埋められるか。まだわかってないですね。
習慣だった旅先の電話は、死後一年でやめましたけれど、はがきは今も
出しています。女房あてに、はがきを書いて、ポストに出し、週末、自宅に帰った
僕が受け取る。無駄のように見えますが、はがきはやめないと思いますよ。面白いから」
加藤登紀子永六輔の反対に近い。それぞれの立場があるものだ。
ー「コンサートでも、最後の一曲を何にするかは何よりも大事なプログラム。
お葬式は人生最後のアンコールみたいなものだわね。だからちゃんとやってほしいし、
いいお葬式でしたねって言われるものにって思いはあります」
「畳の上で娘や夫に看取られたいなんて、全然思いませんね。父が急死
したとき、ボキッと折れた人生もいいなと思ったんです。
ギザギザが出ているから、残された人はほうって置けないでしょう。
どうしてもその上をつながなくちゃならないから、現実を受け止めざるをえない。
完結しすぎない父の逝きかたを見て、上手くいったわねと思いましたよ」
佐高信も彼らしい内容である。
ー「死というものを、あまり大げさに考えたくない。淡々と、日常と同じ歩幅で
歩いて死んでいきたい。野垂れ死ぬより野垂れ生きるちゅう。
死を美化するのは、非常時の思想だと思う。」
「白蓮に純白という陰あり」という、この句が好きでね。結構、白が好きなんです。
白蓮の時期だったら、棺に入れてもらいますか。
行き先は善人たちのいる天国は避けて、魯迅の『天国には行きたくない。なぜなら
聖人君子と付き合いたくないからだ』っていうのがいいね。」
 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。
ラストメッセージにはチト早い気がしたが、死は直視し続けると逆に生がみえてくる。
私の場合、
父が亡くなった時は喪失感
母が亡くなった時は自立感であった。
ただ、寂しさは無かった。
二人とも自分の中でしっかり生きていたからだ。
母は今でも月に数回夢にリアルに出てくる。
二人から学んだことは、死ぬのは生きることと同様、そう簡単なことでないことだ。

「最後の言い分」も生きている内の戯言でしかない。
でも、戯言が死んだ後のシミにもなる。残すか残さないかはその人しだいである。

・・・・・・
2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感
 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。
強引に営業に入れられてしまったが、それでもよかったと思えるようになった。
月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
電話代が一切かからないから、5~6千円あたりが適正プライスだろう。
ADSLでもよかったのではないかと疑問が今でも残っている。
今までの100倍、ADSLの10倍に近い速度だ。
時間が経つほど、その能力の凄みを実感している。
特にホームページが映像に移行しているしているのがよく解る。
古館伊知郎のホームページ「トーキングブルース」8本が3ヶ月間で5千円とか。
この普及はホームページだけでなく、IT電話など根こそぎ時代を変えるだろう。
実際どうなっていくか誰も解らない。先日も書いたが、本の読み方が全く変わってしまった。
1度目を通し後に、その本の題名をキーワードにいれて書評を読むのだ。
その後読んだ方が効率的になる。
たまたまネットウエーブで知った人の読書日記を読むと、今のベストセラーの
概略と書評を読むことができる。8割がたは?内容を把握できる。
それができるのも瞬時にホームページが出てくるからだ。まだブロードバンドの
入り口しか立ってないが、想像すらできない時代に入ってしまったようだ。

  ・・・・・・・
ー以前に書いた文章をコピーしておきます。
2002年09月20日(金)
  525,-光ファイバー
昨日から、会社のランが光ファイバーでネットされた。
今までの電話線の10㌫安いネット料金でコストパフォーマンス
はよくなったが、諸経費等が65万である。1~2年で元はとれるが、
それで1000倍近い速度だ。自宅では来月半ばに入る。長岡で導入の一号だそうだ、
その証明書も出してくれるという。何か営業に強引に加入されてしまったが、
一号の証明書をもらって我慢だ。月9000円で、来春5800円に下がる?そうだ。
電話代が無料になるから、その辺が入り時という。
ブロードバンド ポルノと検索入力して、はじめは 定番から入るしかないか?
「ブロードバンドと何々」の何々をこれからキーワードに
意識をしていくと、面白いものに行き当たるだろう。
愛犬家だったら犬と入れると、犬の画像が出てくる。
おしゃべり日記といれたら、何か話している人の画像が出てきたりする?
自宅ではADSLが一月前に入ったが、早速ブロードバンドとポルノ
と入れたら、リアルな映像が出てきた。
それから見ていないが、あれはこっそり見るもので、パソコンで見るのに適してない?
美術館とか博物館などが早速取り入れてくるだろう。それとサービス関係のホームページも。
これに携帯が連動してくると、さらに面白い時代なってくる。
今まで写真中心の海外旅行のホームページが、写真が出てくるまで
時間がかかりすぎて、見るのに躊躇していた。その問題は軽くクリアーするだろう。
二紙とっている新聞を一紙にしようかと、今月中に結論を出す。トレードオフだ。
以前は3紙とっていたが、日経をまずやめた。この時はWOWOW に加入した時だった。
次は朝日か?新潟日報か?どちらを残すか。会社に行けば見れるのだから。
今の若い人は新聞を見ない傾向にあるという。
インターネットでネット新聞を見ているという、もちろん無料だ。
死亡広告がなかったら日報もやめたいのだが、全くつまらない!
考えてみたら、とってないのもいいかもしれない?! 新聞社の斜陽が更に進むだろう。
ヒカリファイバーで3年先には大きな社会的な変化が進むだろう。

・・・・・・
2002年03月17日
旅行中につき書き込みなし

・・・・・・
<お笑い>
「どっちが父親?」

少年が慌てて警察官のところに来て
「大変だお父さんがトラブッテ、喧嘩してこのままでは死んでしまうよ!」
駆けつけた警官が少年に
「おいどっちが父親だ?」と聞いた。
「ぼくも解らないんだ!その件でけんかしてるんだ!