* マレーシア機不明で、謎深まる
   ー まずは、断片的ニュースより
 《 マレーシア機不明 乗客のうち2人が盗まれた欧州連合EU)加盟国のパスポートを悪用して搭乗していた
  可能性があることが、当局の発表や関係者の発言で8日に明らかになった。3月8日 》
 《 ナジブ首相は、首都のクアラルンプールを離陸したマレーシア航空機の通信手段が離陸からほどなくして、
  意図的に切られたことを明らかにした。機体はその後、マレーシア東海岸の上空で航空管制のレーダーから外れ、
  西に向きを変えたという。そして、マレー半島を横切り北西へ向かった。離陸から約1時間25分後には、軍の
  レーダーからも姿を消した。こうした機体の動きについてナジブ首相は、「こうした情報は(操縦士ではない)
  何者かが航空機を操縦したと考えて矛盾しない」と述べた。また通信衛星のデータを解析した結果、軍のレーダー
  から消えた約6時間後の午前8時11分に機体の信号が衛星にとらえられていたという。レーダーのスイッチを
  切った上で当初のコースを外れ、6時間も飛行していたことが明らかになったマレーシア航空機。3月15日)》
 《 機長は反政府派のアンワル・イブラヒム元副首相の熱烈な支持者であり、元副首相は先日3月7日、同性愛罪で
  禁固5年の実刑判決を受けた。消息不明になったのは翌日。なんらかの抗議か? 3月16日 》
 ▼ 当時、中国の全国人民代表大会全人代=国会)が開催されていたが、それに対するメッセージの可能性がある。
  「3月1日に発生した雲南省昆明駅でのテロ事件」や、「北京・天安門毛沢東肖像画汚す」事件も、党への不満。
  その一連とすると、非常に恐ろしい事件になる。消息が不明とすると、既に自爆をしたと見るべきか? それとも、
  何処かの国に侵入して撃ち落とされた?か。 もし、機長がテロ犯としたら、北京の全人大に突っ込むことも可能
  だったが、その防御体制が出来ていたのだろうか? もし、実行されていたら「ソ連と同じような崩壊過程に
  入るほどの事件になる。 真相は、まだ分からないが、機長そのものがテロの実行犯としたら、「事実は少説より
  奇なり」になる。 中国の政治・経済バブル崩壊もチョットしたキッカケで起こる可能性を含んでいる!
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4383, 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない
2013年03月17日(日)              
   * 不測に備えよ !  「なぜ多重債務者がベンツに乗れるのか?」鳥巣 正樹 (著)
自家用車は20年以上前に買ったソアラである。現在も、ほとんど故障することもなく、乗り心地もベスト。
スポーツタイプもあってエンジンも劣化した感はない。燃費はL7キロだが、遠出は少ないのでガソリンは月に1〜2万円。
当り外れでいえば当りの車。査定ゼロで借金のカタにもならない。 ところで、「弁護士に全面委任したがよいが、どこまで
信頼してよいものか?」「個人保証分の債権のため個人破産をすべきか?」と戸迷っていた時、知人にこの本を紹介された。
しかし殆ど読まないうちに忘れていたが、先日、書棚で見つけ出し読んでみた。 破産は債権者からすれば何も回収できない
最悪の事態。今回、余裕資金があるうちに弁護士に駆け込んだのも債権者からみたら善し悪し。破産は以前と違い個人への
保護ネットと、この一連の経験の過程で知った。著者は「最後の手段として、ぎりぎり、とっておくべき」という。事業再開の
意思など更々ないので破産を避ける必要性がない。ただ「気持ちの問題、しないで済むものなら」と、現時点では、しない方針。 
著者の論からして、それが正しいようだ。ここで、「債務者の方が債権者より強い立場にある」というが、実感である。
 まずは弁護士費用を用意しておく。それ以前に長年かけ備えをしておくこと。 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
≪ 合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法があった。「借りた金はゼロになる!」。ズバリ、これが“新・債務整理論”。 
 本書では、事業ローン・住宅ローンをはじめ、多重に借金を抱える債務者を救う借金返済術を大収録。
「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で再スタートを図った社長」「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく
ベンツを乗り回し続ける社長」「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した社長」など、合法的に借金をゼロにして、
人生を再スタートさせた事例をもとに、目からウロコの対応策を伝授します。
 父親の借金が原因で苦しい幼少時代を余儀なくされた著者が、その復活劇から学んだ“踏み倒しノウハウ”が詰まっています。 
借金は返すのがもちろん大前提だが、不幸にして返せない事態になった場合、借金のために死ぬ必要はない。 自己破産だって
しなくてよい(自己破産は最後のカード)。 債権者だって人間、ハートとテクニックで開ける道もある。そのためには
筆者のようなプロに相談すべしという内容。本書は、事業の借金や住宅ローンを返せなくなった人向けに書かれた本。 ≫
 ▼ 弁護士の当たり外れはある。今回は30年来の会計事務所のグループで、同じ建物内の弁護士だったので安心していた。
  しかし、弁護士は債務者の利益より法的正義を優先する立場。それを踏まえて対処すべきである。 債権者である銀行は、
  元もと損しない仕組みができている。 長期事業のためリスクヘッジを数十年積み上げてきた。 が、「自分は大丈夫!」
  という気持ちがあったことも事実。9・11、リーマンショック、3・11など想定できようがない。何とか雪崩に巻き込まれる
  直前に決断。辛うじて最悪を逃れた。とはいえ準備期間を入れ45年かけた事業崩壊である。そう簡単に割り切れない。
 「問題の中心を凝視し続け、弱気にならない」それが長年の経験から得た対処法。多重債務者か〜 中小は個人保証が前提。
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4009, 昼間、何してる?
2012年03月17日(土)
 私も数年前の集まりで、久々の高校時代の同期に「Uターンをして毎日、何をして過ごしている?」と聞いたことがある。
それと同じ質問を現在、自分がされている。その時、「スポーツセンターとか、図書館とか、暇を持て余すことはない」と、
現在の私と同じような答えであった。 それでも、暇そう、としか思えなかった。私はアウトサイダーで群れることが好きでなく、
同級会以外は一対一の付合いが多い。 それもあり、月に平均二度の飲み会以外に知人友人との接触が少なくても平気である。
ブログなどで、自分の気持ちを開放し書いているので孤独感は無い。ジムで人の中で運動していることも気持ちが落ち着く。
 参考のために、昨日の一日のスケジュールを、そのまま列記すると
4:50 起床ー> 随想日記の下書きの修正と、ネットへのアップと、翌日分の荒書き。
6:50  コーヒー・タイムと、新聞閲覧とTV(モーニングショー)
7:40  朝食と、TV       8:20 風呂
9:20  書斎で読書、パソコン
11:00 昼飯(牛丼店)後、   11:30アピタのシネマで映画
13:40 スポーツジムへ (ホリディSJが休日のため、公営のミニSJへ)
14:40 図書館、ドラッグストア、給油
16:00 居間で休憩後、書斎で読書
17:20 TV(大相撲)、晩酌 TV(録画)
20:00 パソコン・・・     21:20 就寝
▼ 金曜と日曜は民間のジムが使えないため公営のジムに行く。4月〜11月は、4時半に起床、6時まで、この随想日記の
 書き上げと、そのアップと、翌日分の下書きをする。その後、一時間かけて信濃川の二つの大橋を自転車で一周する。
 飲み会が月に平均二回。アピタのシネマに月2〜3回。ランチが週2〜3回。図書館と蔦屋は、週一。この合間の隙間時間に、
 iPadで、読書、ゲーム、ネットサーフィン、電子新聞・雑誌を見たりする。私として充実しており、一週間はアッという間。
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3643, 大地震 ―小題二題  ー6
2011年03月17日(木)
  * やはり国家非常事態宣言が必要では!
 非常事態宣言が可能な法律があるかどうか、知るところではないが、超法規で期限を決めて、
警察、軍隊、消防、金融政策をトップレベルで決定する権限を与えた臨時的組織体制をつくるべきである。 
一番相応しくない人が、最悪の時にトップにいる不幸も、日本の宿命である。 といって、今さら、この急場に
首の挿げ替えをしている時間はない。宣言と、メンバーの顔ぶれを並べ、迅速に動いている姿をみ見せるだけで
国民は安心するはずだ。空ろな顔をして、メモを読んでいる姿をみるにつけ、パニックに火をつけるだけ。
武道館を本部にして、政府機関のトップと、そのスタッフを集め、情報の共有化を迅速にして、即決即断しないと、
被災者も、これからの被災者もすくわれない。
  * 原発事故難民が新潟にも
 昨日、車で新潟から長岡までの帰り途中にラジオで、「福島からの避難民の方は、この電話番号・・に電話を下さい」
と放送していた。避難所の紹介である。東北自動車道が閉鎖されているためか、高速自動車道は車で満ちていた。
TVで、ぞくぞくと逃げてきた被災民が新潟市の体育館などに詰め掛けている画面を映し出していた。
その前に、ホテルに一泊しシャワーを浴びる宿泊客の車が駅前に溢れている。 三人の男性の宿泊客が、
「宮城から食料と、生活雑貨の買出しにきた。街には死体が散乱していて、死臭が凄い。」と言っていた。
関東も関西方面に避難している車が多くあるという。日ごと、この災害の影響が私たちにも迫ってきている。
 避難のため、得別便を日本に飛ばす国があったり、大使館の機能を関西に移動している国もある。
我々は、ただ座して放射能被爆を受けるしかないのか! 大して先が残されてないので、諦めがつくが、
若い人たちや、日本国家を考えると、絶望的になるのは当然のこと。 まだ、発生より6日目でしかない。
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3278, 哲学者は神について、どのように語ったか ー6
 2010年03月17日(水)
  * ニーチェの「ルサンチマン
 「財力や権力より、魂の美しさに価値があり、他者を愛し、他者のために尽しなさい。貧しき者は幸いである。」
 と説くキリスト教。 その道徳も、弱者の自己防衛にすぎないと主張したニーチェ。弱者同士が欲望を否定し、
弱者同士が慰めあう考えに矛盾を感じ「死後の天国」という幻想のため善行を積むことを「奴隷の道徳」と否定、
天国のことを考え、この世の生を否定することを、死への意思と非難した。神、天国が幻想と暴いたニーチェ
「神が死んだ」と宣言をした。宗教そのものが弱者がつくり出した幻想と堂々と当時、言い放ったのである。
キリスト教を教会も、権力者も、弱者を「貧しきものは幸いである」で、納得させるに都合が良かったのである。
彼は人間の生の原動力を「力への意志」と考えた。誰も自分をパワーアップして生きたいもの。しかし、大部分の人は
挫折をし恨みや憎悪(ルサンチマン)を抱えて、小さく生きている。要は、この世の生に向き合わず、宗教のいう
天国や来世を幻想して生きるのである。その幻想をキッパリと捨て去り、今の、この世を生きることを肯定せよと
主張したのである。 神が死んだことで、神によって規定されることなく、無限の可能性を持ったともいえる。
キリスト教で絶対的な神は、人間を創造する存在だったが、しかし、神が死んだことで、人間こそが真の創造者になった。
人間は何を創造するのかというと、「超人」である。超人とは、「人間は神なしですませる為に、勇気、頭脳明晰、
自負、独立性と苛酷性を持った人間」である。超人は、そうした強靭と知恵とを持って、その生を生きます。
生の苦痛に耐えて、それを肯定することは、自分の運命に堪えることになる。悲惨でも、その「運命を愛すること」のみが
必要にとされるのである。人間は、「生まれ、生きて、死んでいく」、この意味のない有為転変が永遠に続くだけだが、
自分に与えられた運命を良く生きることで、この永劫回帰の苦痛を克服できるのである。
各々の運命を愛しながら生きることが大事なのである。一応、彼で近代が終わったといってよい。
 権力者や、それにつながる聖職者にとって大多数の弱者をコントロールするに宗教ほど都合良いものはない。
ヨーロッパ人が、アフリカやアジアに進出する前段階に、キリスト教の普及をしたのは、そのためである。
アーリア人がインドを占領し、ヒンズー教をつくり、カースト制度を植えつけたのも、それである。
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2903, 日本は輸出立国か?
2009年03月17日(火)
 野口悠紀雄は、その著書「世界経済危機」で、「アメリカの金融立国に対応して円安にして資金を供給し、
かつ円安メリットを最大限利用して輸出立国をつくりあげた日本はアメリカと同罪である」と断じている。
ところが果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
そこで他国のGDPの輸出比率はどうなっているか調べてみたところ、意外な数字であった。
・中国 37パーセント    ・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント   ・欧州平均 50パーセントの数字であった。
原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90%以上だろう。
これからみると日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入が13〜4パーセントになるので、輸出をしなければ
国が成り立たない。特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の
輸入をしているから、少なくともそれだけの輸出を確保しなければならない。食料自給率が40パーセントを割ったことも、
日本にとって不利である。とはいえ、日本は中国など世界中に工場を移転してるので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代である。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊は、国の存亡の危機。
特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、それに対応しているのだろうか?と考えると
暗澹とした気持ちになってしまう。 非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?
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2539, 閑話小題  2008年03月17日(月)
 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。節目の時だからだろう。「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、
駅には卒業式の羽織袴の姿と、小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の。時期になる。
野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲春場所が始まり、春の高校野球
そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。 一年の節のの時節ということだ。
 *サブプライムローンと毒入り餃子
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
 *骨美人と水美人
(字数の関係で中略ー2010年3月17日)
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2007年03月17日(土)
 2174, 14歳からの哲学ー 2  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、
死について述べている。(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について考えると心地良いのは
どういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。いや歳をとったということか。
「あたりまえのことばかり」の中の、?章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと
色いろなことがわかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは「死とは何か」の一般的な答えは、
「無になる」ことです。無というものは無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。
したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている無というものは無い。
すなわち死はない、ということになります。にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。
その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。
 無いものを在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。やがて死ぬ、
どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
 「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
  まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー7、死をどう考えるかー P51
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は、「死」という言い方で「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、
あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。
死んだら何もなくなるんじゃないかって。でも、何もなくなることは「ない」はずだ。なぜって、「ない」ということは、
「ない」からだ。じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。ないものを怖がって生きるなんて何か変じゃないかと思わないか。
逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。 死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、
  死ななくたって同じじゃないか。 あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする? 生きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると
思っているこの「生きている」 ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
 ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。
 死は生前に戻ること!という、道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に浮かぶ一点という、
  小さな球状のイメージである。それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。
  −−−−−
2006年03月17日(金)
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい−2   才八∋ウ_〆(∀`●)  ー 読書日記
 ーモーニング・ページー
この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。思ったままそのまま、大学ノート3ページに
何の起承転結など制約せずに書く。 だいたい30分位である。著者は、十年間これを続けているという。
この随想日記に似ているが。
 ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、私の主観で集約して書いてみるー
モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
創造性を開発するためのツールである。寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。作文とさえいえない代物でよい。
   (字数の関係で中略ー2008年3月17日)             
・・・・・・・
 2005年03月17日(木)
1444, 孤独について−5
 孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。絶望の果てに突詰められる心の状態は、人生で何度もある。
 孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。
 「孤独であるためのレッスン」ー諸富 祥彦 (著)の本の内容で考えさせられる部分を書き出し、更に考えてみる。
・「ひとり」と「孤独」についてムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、様々な反論を受けました。
 孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、と言われ続けてきたのです。
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
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2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記
図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。 東京新聞編集局 (編集)
  ーレビュー
 (字数の関係で中略ー2008年3月17日)
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2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感
 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。強引に営業に入れられてしまったが、
それでもよかったと思えるようになった。月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
(字数制限ためカット09年03月17日)