つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=eBAIK4K4UFo

全聾の作曲家のゴーストの記者会見がシリアスで、
ドラマを見ているようであった。タレントとかの
有名人の手記をゴーストライターが書くのは周知のこと。
別に問題視することもないことだが、問題は全聾を偽っていたこと。
それと、謝礼が低すぎた。 結局は、ゴーストの売名行為? 
http://www.youtube.com/watch?v=xN8dGmhAyKs
http://www.youtube.com/watch?v=E18X6glWB8Y



・・・・・
2136, 占いと、細木数子について -1
2007年02月07日(水)
ー   オハヨ~
私は占いに興味がない。 ただバカバカしいからだ。
ありゃ、??向けのものでしかないのは、ジャリむけ女性週刊誌の定番商品
であることが、そのまま実証している。そこで理屈として「占い」を考えてみよう。
その扱い心理商品は、「不安」と「「悩み」そして「物語」である。
人間は、この三つを抱え迷っている。
「不安」といえば、「死の恐怖という先入観」を生きてきた過程で植え付けられてきた。
人生に対しても、「果してこれでよかったのだろうか」という疑問がついてまわる。
そして自分の創りあげてきた物語に対し疑問を感じ、その混乱が「悩み」という
亡霊として頭の中を彷徨っている。とくに若い女性は、論理的思考に弱い。
そのため、そのストーリーを手っ取り早く、占いなどに求めようとする。
だから女性週刊誌には、もっともらしい占いの物語が用意してある。
 で、ここからだ。論理が無いと他人思考(志向)的になるしかない。
言葉に対して最大の弱点を持つと、それが言葉に対してマゾヒストになる。
従属的な言葉のマゾヒストが、人生の意味を、物語を安直に得ようと呪いや、
占いの言葉を求めてしまうのは当然のこと。
だから、占い師の立場からみれば扱いは簡単な相手なのである。
言葉のマジックをつかえばよい、結婚詐欺師と酷似している。
「結婚詐欺師は絵に描いたような夢のような将来を語り、王子様を騙り、
そして、相手にお姫様の幻想を持たせて身体とお金を巻き上げる」
物語を売るという点で占い師と何処が違うのか?
金額が安く、占い師というところが違うのだろう。
人生経験を踏んだものにとって、その数分の一、いや数十分の一しか経験をしてない
人生の先行きなど、大方なら当てることが出来る。その行く末など私でも解る。
街頭で多く人生相談をしていれば、プロのカウンセラーの能力はついて当然である。
それを尤もらしい奇麗事の包装紙として、占いをすればよいのだ。
TVで3年ほど前から細木数子という元女ヤクザが、また懲りずに復活してきた。
占いにヤクザの脅しのテクニックを加味しながら即席の物語を、
対象の有名人とつくり上げるのが売りである。一回の出演料が400万円だという。
次回、この元女ヤクザ・細木数子を書いてみる。
知れば知るほど、この女の生きてきた凄みと闇が面白い。
今度また彼女のカラクリショーを見てみようか!

・・・・・・
2006年02月07日(火)
1771, 老いを生きる意味  
           ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!  
図書館で立ち読みして思わず吸い込まれて、借りてきた本である。
還暦を過ぎたためだろう!
その中の「老いのキー概念」が考えさせられた。
一つずつがシビアで、煉獄を思わせる。
(1)居場所がない
(2)社会的役割の喪失
(3) 貧困と孤独
(4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等
(6)老年危機ー生きる意味の喪失
(7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)
(9)ボケと過敏        貴方は誰? Oo(っд・`。)私は誰?
(10)成熟と衰え
 以上のそれぞれの項目は深い問題であるが、デッサン的に取りあげていた。
北欧で老人が公園で何もすることが無く、寂びしそうにベンチに座っている
姿が眼に焼きついていたが、内面の複雑な心までは感じ取れなかった。 
それぞれの項目ごとに、過去に出会った老人の患者の逸話が具体的に生々しい。
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒードウ?            
両親、特に母親を見ていて、この全てのプロセスが悲しく可笑しかった。
そして自分も10~20年で、一つずつ直面していくことになるのだろう。
それまで生きればの話だが。父は70歳、(70歳で末期がんになり、71歳で亡くなった)
母は80歳までの人生であった。(82歳より痴呆、88歳で亡くなった)
ある医師の対談で「‘70代後半に痛みのない癌で死ぬ’のが、私が見てきた理想的な死だ」
という話が印象に残っている。その意味では、義父は理想的な死だった。
私ごとの話だが、理想的な50代を過ごしたが、理想的60代はどう過ごすか考るのが、
今年の課題である。60歳代前半は後継者への引継ぎの期間、後半は40~50回の
秘境ツアーに集中!が大きなデッサンである。
 そして70歳代前半は人生の後始末で、70歳後半~80歳前半で癌でさらば!   
後は野となれ山となれ、というところだ。そういうものと思って生きていれば、気が楽!

・・・・・・・
2005年02月07日(月)
1406, フリーター漂流
一昨日のNHKスペシャルの「フリーター漂流」に、考えさせられた。
フリーターを臨時採用する会社があって、その会社は(派遣ではなく)
下請けの立場で、「フリーター」を工場に送り込む。
ラバー(単純作業労働者)を、下請けとして契約相手先の工場内で作業をさせる。
元請は契約下請け作業員を直接工場で働かせているにすぎない。
そのため自由に配置転換が可能になる。
下請け会社は、全国レベルでフリーターを集めたラバーを工場などの現場に配置する。
フリーターを嫌う大手と、単純作業を割り切って働きたいというフリーターを
結びつける必然的な機能である。フリーターも割り切っているから、お互い様である。
しかし、多くのしわ寄せが彼らに直接くる。残業なども不定期にきて、
それが原因で病気になっても定期契約なので一切の保証は無い。
フリーターを続けてきた人は、企業は欲しがらない。
彼等は、正社員としての適性がなくなっているのだ。
この番組みでは、その彼等の個々のケースを追っていた。
フリーターに、なりたくってなっているのではない。決して、気楽ではないのだ。
この会社は「ニッケン」といい、チラシなどで募集内容を目にしていた。
仕事内容が多彩で不思議に思っていたが、フリーター専門の下請け会社だったのだ。
そういえば、コンビニの開店専門派遣会社を経営している人がいた。
一種の開店屋として、FC契約のオーナーのオペレーションが
落ち着くまでの臨時作業を請け負うのだ。
なるほど、そこまでドライに割り切っているのかと感心していたが。

フリーターは誰にもできる仕事に限られ、使い捨てになる。
そこには冷徹な時間売りとしての肉体労働が要求される。
今は若年層に限られるが、今後は熟年層だけでなく女性層にも広がっていくだろう。
こういうカタチで一部勝ち組以外は、賃金の引き下げが進んでいく近い未来の姿だ。

私も過去に浪人時代が何回かあるが、その時の心の空洞感を思い出す。
世の中の全てから見下されているような虚脱感と虚しさが、まだ生々しい。
あの虚脱感が、私の事業の失敗に対する恐怖にある。

それが事業の出発点の原点である。

・・・・・・・・
2004年02月07日(土)
1039, 鳥インフレエンザ
・[人から人の感染阻止に全力 最悪なら10数億人感染も ありうるとのこと。
 アジア各地で猛威を振るう高病原性鳥インフルエンザについて、世界保健機関
(WHO)西太平洋地域事務局の感染症地域アドバイザー、押谷仁博士(44)
 は一月三十一日、マニラで共同通信のインタビューに答え「最悪の場合、
 世界人口の30%が感染する事態も想定される。封じ込めが緊急の課題だ」
 と指摘、国際社会が対応を誤れば十数億人が感染する恐れもあると警告した。]
・「SARSはむしろ封じ込めやすい病気。ハクビシンなどの動物から人に
 感染したとみられるが、その後は重症者からしか広がらなかった。
 だがインフルエンザは無症状の人からも広がる」如何して、これに対して
問題にするかといえば、スペイン風邪の過去の事例が あるからだ。
ー上記は鳥インフレエンザのweb上の記事の内容である。
今回の鳥インフレエンザは、スペイン風邪より性質が悪いといわれている。
冒頭にあるように、最悪の事態も考えられる。
もし世界に蔓延をしたら大パニックになる可能性を含んでいる。スペイン風邪
1918年、当時の12億人の半分にあたる6億人が罹り2500万とも5千万人が死亡した
といわれている。スペイン風邪も当時の氷づけの遺体の細胞から、鳥を感染源に
していると昨日の新聞に載っていた。当時は第一次世界大戦の為に、情報コントロール
あり人類史上の最大の事件にもかかわらず、あまり取り上げられてこなかった。
エイズ狂牛病、SARS、そして鳥インフルエンザと人類にとって大問題の病気が
次々に起っている。背後に何かあるのではとさえ思われるほど危ない事件ばかりである。
スーパーの店頭は毒の山と聞いていたが、マンザラ嘘でもなさそうである。
何を食べたらよいか迷ってしまう。
ベトナムやタイなどでは鶏がどこにでもいて、生きた鶏を市民が買って
調理している。こういう環境では感染が広がりやすいという。
海外旅行の代理店は、まさしく踏んだりけったりである。アフリカ、中近東、
アメリカ、そしてヨーロッパは駄目。そこで中国、東南アジアに活路を求めていた
矢先、そこも駄目なら文字通り八方塞がりである。
何かのキッカケで世界恐慌になる可能性も含んきた。
ところでSARS騒ぎが全く出てこないのが不思議である。
中国では情報コントロールでもしているのだろうか。
 ーーーー
ー以下はスペイン風邪についてホームページから調べた内容であるー
スペイン風邪
大正 7(1918)年の春から翌年にかけ、世界中で猛威をふるったインフルエンザ。
発生はフランスのマルセイユといわれます。
当時、ヨーロッパでは第一次世界大戦の最中であり、西部戦線でにらみあって
いた両陣営で爆発的に拡がり、まもなくフランス全土を覆(おお)い、
やがてスペインへと拡がっていきました。
 また、ほぼ同時に中国・インド・日本でも発生、スペイン風邪は短期間で
世界中に蔓延(まんえん)することとなりました。
当時世界人口は約12億人でしたが、なんと2,500万人がスペイン風邪
死亡した(一説には4,000万人)といわれます。
30人に1人も死んだことになる。現在なら2億人が死んだことになることを
考えると、想像を絶する出来事であったのだ。
日本でも2,500万人が感染し、38万人が死亡しました。
インフルエンザウィルスに対する知識がなく、効果的な治療法もなかったため
起きた悲劇といえますが、インフルエンザウィルスは進化が非常に速く、
すぐに新しいタイプが誕生するため、交通機関が発達し、病気の伝播(でんぱ)
速度が速まった現代では、最も恐れなければならない病気の一つとなっています。
当時なぜ大問題にならなかったかというと、第一次大戦で情報管理化にあったことが大きい。
この大流行はほぼ一年で終息をしたが、わずか一年でこれだけの多大な犠牲者を
出したのは、人類史上、特異な大事件であったことだ。
今回の鳥インフレエンザは、この風邪より性質が悪いといわれている。
冒頭にあるように、最悪も考えられる。

・・・・・・・・
2003年02月07日(金)
674, ぶざまな人生-2 (読書日記)

立ち読みをもとに、前回「ぶざまな人生」というタイトルで書いた。
先日、本屋で再び立ち読みをしたら、「前書き」と「あとがき」が余りにも
面白い内容につられて思わず買ってしまった。
下手な要約を書くよりずっと文章に味があるので、そのまま写し書きする。
ーー表紙ーー
ーぶざまこそ人生の醍醐味と見つけたり!
人生50年も生きていれば、時に不偶感に苛まれ自信を失い世間に屈してしまうことがある。
金がない、愛されない、学歴がなく社会的地位もない、有名でもない、おまけに流行にも
ついていけない。だが、これらはけっして「ぶざま」を意味しない。
人生とは他人に見せるものではなく実際に生きるものだからだ。
「人間の人生」(=運命)に翻弄されながら、それでも「自分の人生」(=意志)を垂直に
立て生きようとすること、それだけが決定的なことなのだ。
「ぶざま」を自覚しなければ、生きている資格がない。

まえがきー「中小零細企業」の人生論
人生、である。
しかも、ぶざま、である。
ははあ、「ぶざま」といって一端下げておき、しかし一転して、「ぶざま」こそ
人生そのものでナイかと持ち上げ、さあ元気に生きていこうぜ、と口先だけの
空元気で鼓舞しようというんだろう、手口が見えているぞ、と思われるかもしれない
があたってない。「ぶざま」は「ぶざま」である。いまさら人生論か、50年古い、
と思われるかもしれないが、
・・とおりいっぺんの人生論など、興味がない。
成功した経営者や哲学者や有名な評論家とか宗教家とかいったつぶしの利く
人間が書くものと相場が決まっている。
しかし、彼らの人生論はおおむね「大企業的ー立派で高尚」の人生論である。
それに対して本書は、全然つぶしの利かない普通の中年男が書くそれである。
いわば「中小零細企業」的人生論である。
日本の会社の95㌫が中小零細なのに、だれもが5㌫の大企業の様な人生を
送りたがる。無理もないが。・・・・

人生という言葉に魅力がないかもしれないが、人生そのものは誰にもあるものだ。
いま「人間の人生」(簡単に言うと、運命)の真っ只中にいるのだ。
けれどその中でも、「自分の人生」(簡単に言うと、意志)だけで順風漫帆
に生きている人間は「人生」に直面しないだろう。
「人間の人生」と「自分の人生」のせめぎあいの中にある人間が「人生」の波
をもろにぶつかるのだ。中年こそ、「人生の辛酸」ということが身に
こたえる年代なのである。・・・・・・・・・

ーー以上が概要である。ーー
この文章が延々と続くのである。
それでは「あとがき」になるが、またこれが味のある、素晴らしい内容だ。
抜粋する。                                 
あとがきー「だが大切なのは立ち上がることだ」
・・ベルザーは子供のスチィーブンに言う。
「パパの過去からお前が何かを学ぶとしたら、誰も憎むなということだ。
もし憎んだら、おまえはひどいことをしたその人間になってしまうということだ」
心配いらないよ。おまえは強い心を持っているからね。
人生では、失敗もするし、ころびもする、だが、大切なことは立ち上がることだ。
・・あきらめるなよ。
面倒なことになった途端に降参する人間は多い。そういう連中は学校をやめて、
知ったかぶりをして、そして何をやってもすぐにあきらめてしまうんだ。
・・・・パパは子供を育てようしているんだ。
本気で望むなら、実現できないことなんて、何一つないんだよ。
決めるのは自分だ。・・・最後までがんばりなさい。
自分に正直に生きていけば、何も心配要らないよ。
・・・
最後に責任ある大人として、年をとり分別も備わった今では、誰の人生も完璧でないし、
普通でさえないということが解るようになった。
誰にも過去があるし、誰にでも問題がある。人生は、自分で切り開いていくものだ。
自分が目指すのは、優しくて謙虚な人間、思いやりがあって助言を与えてくれる父親、
そして夫になること、ただそれだけだ。
毎日毎日、僕はとにかく全力を尽くしてがんばっている。
ーー以上があとがきである。ーー
ぶざまな人生を認めてしまって、生きたいように生きることだ!!
                       ー 続くー               
・・・・・・
2002年02月07日(木)
324,中村天風

この人の本を読んで人生観が変わった。
基本は人生は「積極一貫」である。
言葉を大切にしろ、何気なく使ってる「言葉の力」に気づかずにいる。
「言葉のコントロール」をすべし。「プラスの言葉、積極的言葉」を使うべし。
 ‘何か元気の出る本がないか’とい聞かれたら迷わず天風を薦める。
・「積極一貫」がその中心
・「誠心誠意」がその背後にあり、「良心」が発生源である。
・なにげなく話す言葉は、どうしても「マイナスの言葉」になってしまう。
 常に注意を払い,充分に気をつけていなくてはならない。
・天風が瞑想の果てにつかんだものは「人間は受信体だ!」ということだ。
 その為に、「独りだけの時間」をもち、「心を澄み渡る」ようにしておくべし。
 そうすると「感受性」が高まる。
ー最近また天風の本を一日一回目を通している。
 理由は簡単である、トイレに置いた。
 一週間置いたが、コウカテキメンで毎日が気分がいい。
 単純なものだが、何か力が底から湧いてくる。
 言葉にどうしてもマイナスが出るが、それを一日一回でも窘めてくれる。
「人生の花園に常によき花を咲かし、よりよき実りをつくらなくちゃ。
 それが自分の義務だもん。」            -天風
 
・・・・・・・・
2月7日 1969年
9時起床。
10時に食事。
その後、登校後に人事管理の試験であった。
まあまあのでき、よくて優、悪くても良だろう。
試験の後、川崎と兼古と価格理論の教授の西山教授のところに行くが不在であった。
アメリカの、グリーンスパン教授と親交がある人だ。その後、三人でボーリングに行く。
150点、私としては上出来であった。その後、帰寮。19時半から私の追い出しコンパだ。
今までは送る立場であったが、今日はついに自分の番になってしまった。
蒲生と高橋をのぞいて全員が出席をしてくれた。少し白けた感もあったが、
最後まで永田さん、市川さん、間中、佐藤、尾形と残ってくれた。
酔っていたが、市川さんに「私から全てを吸収しきってしまった」という。
まあ、そうだろう。最後に佐藤が泣いてくれたのは嬉しかった。
それにしても、市川さんとは、この二年間は週末は必ず食事に行っていたのに。
如何したことか解らない。そんなものか、この男は。  ショックであった。
一人一人、いろいろなカタチで別れていかなくてはならない時なのだ。
それにしても、市川さんの最後の言葉は何なんだったのか。
怒るより、むしろ呆れてしまったというのが本音である。
寮にそのまま居座る為の、デモンストレーションのつもりなのだろう。
 毎日毎日が、あまりに刺激が強すぎる!