<つまずき>の事典> 中村邦生編著
   * 「男神話」のバイアス
 森林(俗世間)から、サバンナ(御隠居)に移り住んでみて、森林生活の思い込みが如何に主観的過ぎたかを思い知る。
男神話」のバイアス(思い込み)への疑問はサバンナに出て初めて気づいたこと。
 ー以下の文章は、その辺りを、鋭くついている。 
《 私はいつも男であることを嫌悪してきた。男らしさに対するアメリカでの全般的な考え方は、憐れむべきもので、
 一生涯のあいだ寸法の合わない上着を着ていなければならないことに、ちょっと似ている。(対照的に、女性らしさとは
 裸身を意識する耐えがたい抑圧感ではないかと私は想像している)。「男らしくしろ」という言い方にしても、侮辱的で、
 人を罵倒するような感じを受ける。その意味は、ばかになれ、非情になれ、従順で軍人のようになれ、頭を使うな、
 といったことなのである。ーポール・セルー「男神話」
 エッセイ「男神話」のなかでセルーがこだわっているのは、アメリカ社会の中で「男らしさ」の追求がいかに男たちに
抑圧的な役割を強いるものであるかという点である。何しろアメリカの元大統領の例に示されるように、週末の休暇に
カウボーイの格好をしてみせて、常に強い男の演出をしなければ自らの政治生命に支障をきたす社会なのだ。
物を書くという仕事に関しても、男らしい職業と言い難いが故に、アメリカ作家の多くは自らの「男」を証明するために、
大酒飲みであることを自慢したり、金銭的成功をめざしたり(富は男らしさの象徴)、ヘミングウェイのようにライオン狩りを
したり、といったように、これまで「血のにじむような努力を重ねてきた」のだ。
ついにはセルーが「男であることは、特権的であるどころか、むしろ無慈悲で懲罰的、重荷である」と嘆くまでに至るのを
聞けば、もう他人ごとに思えず、意気消沈する男たちも少なからずいるにちがいない。》
▼ 「男は男らしく、女は女らしく」は疑問の余地がないはずと信じてきた。しかし、振り返ると、実際に男らしかった
 だろうか?どうだろう? 「男神話」を信じて、男らしくあろうと必死だった姿が、滑稽で可笑しく、漫画的に思えるは、
熟女?が、よい年をして、「女神話」に乗せられ、高価の化粧品を買って、必死に化粧台に向かっている滑稽さと同じ。
昨日も、ハリウッド映画をみてきたが、「男神話」そのもの。いま問題になっている「現代のベートベン」も、その虚像を
演じた男の終末劇である。そういう私も、「男神話」を信じて疑わなかった一人である。 信じて演じているが、コスプレ?
その視点で世の中を見ると、全てコスプレ?そうみれば、逆にコスプレを楽しんだ方が面白い?「男」をコスプレしてきた?
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4346, 暴力団  ー2
2013年02月08日(金)
                    「暴力団 」溝口 敦 (著)
 世界で不法集団が街の真ん中に堂々と事務所を開いているのは日本だけ。それを一般国民も認めているから最後進国並み。
10数年前になるが、個人経営の居酒屋に営業時間、堂々と組員が営業をするのだから驚いた。それも暴対法が出来てからは、
無くなったようだ。悪しき民主主義が、こういう人たちの権利も擁護をしていることも事実。
  ーアマゾンのレビュー(感想)にあった次の要約は、分かりやすいー
≪・序盤には、日本の暴力団の概略とその活動内容について書かれています。シノギについても、いろんなシノギがそれぞれ
 どういう活動で、どういう歴史を持ち、どういう風に行われていて、時勢にはどういう傾向が有るのか、どれくらいの収益を
 上げているのかが、具体的に書かれています。また、暴力団だけではなく、隣接する業界(風俗や解体、産廃業界等)が
 どういうふうに関わっているのか(たとえば、ソープやパチンコホール等の暴力団へのみかじめ料の基準)などが書かれている。
・中盤では、暴力団員的気質や構成員間の人間関係、刺青の意味・種類や入れる動機、アメリカやイタリア、チャイナや
 タイワンのマフィア、香港の三合会、などとの比較を通じて、暴力団とカタギの社会とのかかわりについても言及してあります。
 また、暴対法や暴排条例をはじめ、警察や行政組織、刑事法とのかかわり(ウィークポイント)について言及してあります。
・終盤では、従来の暴力団という性格の組織は維持できなくなりつつあること、また、それと関連して統制されなくなった
 アウトロー暴力団にかわる勢力(わかりやすく言えばオレオレ詐欺をやっている連中や、海老蔵の事件を起こした暴走族
 上がりのハングレ集団)として台頭の記述があります。≫
≪ 暴力団に会わずにすめば、それがベストだが、会うことになってしまった場合の対応などはとても参考になる。
 ICレコーダーなどの録音機をテーブルに置き、「録音させて頂きます」など相手の了解を得る。会っても暴力をふるまわれる
 可能性はほぼゼロ、警察に引っ張られるので暴力は振るってこないと安心していい。相手が脅してきた時は、「私たちでは
 対応できないので警察官に立ち会って貰います」と対応、正面からぶつかることを恐れない、妥協しない相手と思わせること。
 「誰が、どの様な権利と名目を持って、主張しているのか」という点を見失わない様に努め、毅然と対応することが重要と。 ≫
▼ 不況の上に暴力団対策法、暴力団排除条例が次々に施行され、警察の取り締まりも厳しさを増す中、下っ端の生活は厳しく、
 高齢化が進んでいる。 台湾の「流氓」は20代前後が中心なのに、日本の広域団体の直系組長クラスは高齢化が進み、六代目
山口組の「若頭補佐」で40代はゼロ、五代目時代は数名いるという。 台湾は若年化、日本は高齢化である。
イタリアの「マフィア」は、「3名以上で構成され、危害を加える恐れのある者の集団」と人数まで、設定されているのに対して、
日本の法律では人数などは言及がない。「半グレ」は暴力団とも対決できる新集団で、盛り場を変えている。暴走族上がりの
半グレ集団の関東連合。かつては暴力団員の予備軍だったが、半グレは暴力団になろうとはしない。なっても稼げないからだ。
新潟駅前には、得体の知れない若いグループが屯をし、酔い客や、若い女性に声をかけ、店やホステスの勧誘をしている。
駅構内の新幹線のコンコースで5〜6人が横に並んで声をかけている姿は、もはや司法国家とは思えない。警察の動きを携帯で
連絡をし合って神出鬼没に姿を現す。逆に4〜5人が若い警官二人を無言で取り囲み凄んでいる。荒んだ時代背景がある。
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3971, 閑話小題 
2012年02月08日(水)
   * 携帯とスマートフォン、複数所持7割
 TVの街頭アンケートで、携帯とスマートフォンの複数所持が7割とあった。
私自身、iPhoneのタッチ式の文字が小さくて相性が悪いこともあり、普通の携帯に逆戻りをした経緯がある。 
しかし、流れはスマートフォンに雪崩をうったように切り替わったようだ。街頭インタビューでは、携帯を電話専用に、
スマートフォンをパソコン代わりの情報収集に、使い分けているケースが多かった。 他に、会社用と個人用とか、
二台にして使い分けた方がスマートフォン一台より格安になるとか、色いろな使い分けがあるようだ。 私の場合、
iPadを簡易型パソコンと割り切って、使いこなしているので、携帯に変えたのが逆に良かったことになる。
 若者達は、ネットゲームで互いに遊んだり、仲間同士、ナビを使って現在いる位置を共有したり、テレビ電話をネットで
繋げたりして遊んでいる。 何度も書いているが、iPadで日常生活が変わってしまった。暇さえあればiPadである。
 他にも多機能TVも、居間生活を変えた。 数百の録画か、過去一週間の地上波のゴールデンタイムの面白そうな番組か、
WOWOWの中から選択できる為、面白いものばかり。家内がTVを見ている時は、パソコンかiPad。
横になってiPadで新聞、書籍が見れるのが、カウチポテト族には有難い。
   * 三丁目の夕陽
 少し前になるが、「三丁目の夕陽・?」をみてきた。これで3回続けてのシネマ通いになった。こと話題になった映画に関して、
外れと後悔したことは殆どない。 所詮は、すべて夢幻。 現実も、映画も、小説も、全てが虚構。そう割り切って楽しめばよい。
世の流れを、そのまま受け入れればよい。 ミーちゃん、ハーちゃんを楽しむ。これが家内から学んだこと。 それも人生経験を
積んだ後でこそ、その味わいが深くなる。 思い込み、先入観が、世界を狭くする。 高度成長期に向かって動き始めた
昭和三十年代半ばから後半が、この映画の時代背景。 団塊の世代向けにつくられた映画だが、当時は夢に向かって誰も必死に
学び働いていた、その頃の仄々とした空気が上手く映し出されていた。そしてバブルと、バブル崩壊、そして右下がりの20年を
経て現在に至っている。暗く淀んだ不景気の中で、明るい未来の予兆が国全体に漂っていた時代を懐かしむのも何とも複雑。
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3606, 大相撲八百長事件
2011年02月08日(火)
 結局、これも携帯電話から致命的な証拠を残してしまった。 去年7月に野球賭博で力士の携帯電話が押収された時から、
一部親方衆から八百長の記録が表沙汰になるのでは?と危惧されていた。力士は携帯の内容を消去をしてしまえば大丈夫!
と思っていたようだ。 しかし携帯の記録は専門業者を使えば直ぐに現われてくる。 ここで分かったことは、
十両の一勝の相場が20万円。そして互いの前後の場所の貸し借りで清算されるか、違う力士との貸し借りにも融通されていたことである。
「関取の互助会組織」が暗黙のうちに出来ていて、大関や、十両などからの陥落の際にやり取りされていた。勝ち星の貸し借りの
噂は私が子供の頃からあった。その辺を暗黙のうちに了承し見ると千秋楽の取組みは面白く、幕下から幕内の大部分を見てきた。
本来、相撲取りに道徳など求める方がおかしい。それらのイカガワシサを含めたスポーツ兼芸能世界を楽しむのが好角家であり、
目くじらを立てる方がおかしい。 ここで、何故に警察が野球賭博で携帯電話から得た八百長の決定的証拠を表沙汰にしたのか?
誰もがエッと思ったはず。そんなに警察も野暮ではないはず。そこには一部報道されている相撲賭博疑惑があるからでは?
暴力団が仕切っている賭博組織の摘発のためでは?と思うのは私だけではない。その前に尻尾切りで、ウヤムヤになるのか?
その辺の筋たてを見ている方が面白い。もう一つ政変の前には意図的に「目くらまし」の事件を立て国民の目を、逸らす力が働く。
3月政変への御膳とみると、成るほど合点する。 相撲を長年みてきた者として、過去の関取の大部分は、何らかの形で
八百長をしてきていると確信している。最近、怪我の相撲取りが多いのは、八百長がやり辛くなってきたためともいう。
力自慢の見世物という興行世界なら、暴力団花柳界との出入りがあって当然のこと。芸者遊びをTVを通し楽しむ世界でしかない。
その異質の世界を、一般の常識で縛ろうという方が不自然。 「相撲取り、関取落ちれば、ただの馬鹿(デブ)」 
チョンマゲをつけ、褌姿で、裸でぶつかりあう神事を割り切って楽しめば良いだけ。やはり日本的ウヤムヤの延長しかないのか?
 たまたま二年前に、大相撲について書いてあった。
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2866, 大相撲が神事? 
 2009年02月08日(日)
大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが「大相撲って実のところ何だ」というと、
いかに曖昧である。「国技」?法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権のネタでしかない。
  (字数制限のためカット 2012年2月日)
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 3241, 中学同期会にて
 2010年02月08日(月)
 中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」を見ることができる。地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 
サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、家を継いでいる人が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、
全体的に沈んだ雰囲気である。200年近い老舗を廃業した人が「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、
語っていた。新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの輸入品に押され県全体が悪化している。
それに従い、高齢化も含めて元気が無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。
たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、同じ年代の置かれた状況から見えてくる。
(1)居場所がない  (2)社会的役割の喪失  (3) 貧困と孤独  (4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)(9)ボケと過敏  (10)成熟と衰え   
 その一歩手前というところ? どれもこれも、これから誰も直面する問題が羅列されている。還暦を過ぎてから 
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。それ以外は、まだだが、いずれじわじわと
、くるのだろう。  人生60、いや70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?で、その質が左右する。
 中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年のように開かれているが、地方だからこそ可能なこと。
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2008年02月08日(金)
 2501, 無くてはならぬもの −8
 おはよ〜(>ω<。)!!
人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。自分の輪郭がハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に
陥る瞬間が多くなる。これが人生の秋口の心の風景。 早くいえば基礎教養は足りなかったのである。
俄然と読み始めたのが20歳位だったのが遅かったためだろうか。40年以上は、一日2〜4時間は読み続けてきた。
しかし思春期の読書量が足りなかった。それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式などで
法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や兄姉から色々な教えを受けてきたし、
生き様を見てきて、このレベルである。 独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない!
ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。
 P−37 アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ人が多いだろうと思うが、あの狭き門という題は
聖書の有名な言葉からとったものである。イエスの言葉である。「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」
(マタイによる福音書七の13−14)この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味である。
私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って
自分の妻にするのであるが、そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして悟りをひらこうとするが、
どうしても救われないでまた門をあとにして舞いもどってしまう。諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門から
はいろうとされるだろうか門はたくさんあるようだけれども、他に道はないのかもしれない。「求めよ、されば、与えられるであろう。
捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」(マタイにょる福音書七の七)とまた
エスはいうのであるが、道を求めるという心を起こすことが先決問題であるだろう。
 P−38 「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして
生きてきたことを告白している。自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。それなら、
人々に対してもそのことをしてやるべきである。人から親切にしてもらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。
 (字数制限のためカット 2012年2月日)
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2007年02月08日(木)
2137, 占いと、細木数子について −2  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
 *細木数子には、驚いた!        
細木といえば、週刊誌やTVに30年位前より出ては消えを繰り返していた。ところが、ここに来て復活。
歯に衣着せぬ物言いで、芸能人を斬りすて、バラエティ番組に引っ張りだこの女性占い師ということになっている。
 (字数の関係で中間カット2009年02月08日)  
まあ読んでいるだけで、悪臭がプンプンとしてくる女ヤクザの経歴を持つ。人間の本質を知る上で、女ヤクザとしての
熟成されたテクニックを使った、竿の先の針の餌としての占いとしてみると即興劇を楽しめる。
何で、こんな女をバラエティー番組に出すのだろうか?そこまで日本が病んでいるということだ!  
でも、この履歴は面白い!履歴をみるかぎり、塀の向こうには落ちてないから強かだ。 ーまだつづく¥(*^_^*)\バイバイ
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2006年02月08日(水)
 1772, “サラ川"入選100作品  おはよ〜(>ω<。)!!
この時期に毎年の恒例になっている「サラ川」が発表された。 私が選んだベストファイブは
・48  セキュリティ 一番手薄な 妻の口    無給警備員    ・57  散髪代 俺は千円 犬 一万   下流の夫
・59   鬼嫁も 居るだけいいよと 励まされ   物は考えよう  ・64  人生の 第二職場は 妻の部下  世の常人の常
・81   マイブログ 立ち上げたけど 話題なし   磯仁
 私の場合48は 「セキュリティー 一番手薄な 俺の口」になるが、どれも切ない話題ばかりだ!
  ーまずは読売新聞の記事をー     ~~旦_(^O^ )お茶!どうぞ〜
“サラ川”入選100作品、家庭などの“悲哀”映す「刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた」――。
第一生命保険は6日、昨年11〜12月に募集したサラリーマン川柳コンクールの入選100作品を発表した。
今年も、サラリーマンの家庭や職場での“悲哀”を世相とともに映し出した秀作がそろった。
中でも、「小泉劇場」の流行語を生んだ昨夏の衆院解散・総選挙をテーマにした作品が目立った。
ー「チルドレン 昔『かすがい』 今『刺客』」と、子どもの心をつかみかねる父親の心情から、
ー「総選挙 家では妻が 総占拠」と家庭での孤立を描いた作品もあった。
 また、「熟年離婚」も人ごとではないようで、
ー「離婚劇 昔成田で 今熟年(シニア)」
ー「年金の 出る頃妻は 家を出る」との不安を抱いており、
(字数制限のためカット 2011年2月8日)
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2005年02月08日(火)
 1407, 大雪について
この大雪が、19年ぶりという。逆にいえば、1〜2mの雪が積もるのが19年ぶりでしかないということだ。
子供の頃は、毎年のようにこの程度の雪は降っていた。それが38豪雪(昭和38年の豪雪)以来、年々積雪が少なくなってきた。
そして、19年前の豪雪を最後に暖冬が続いてきた。温暖化現象の一つだが、近くの柏崎原発が直接的な原因である。
19年前の雪は、いやに記憶に残っている。東京で、学生時代のクラブの集まりがあって、ブーツで東京に行った。
その時に銀座で飲んだが、そこのホステスが帰り際にかなり厳しい一言を言われた。「銀座に長靴で来る田舎者がいる」と。
こういうことしか憶えていないものだ。それと長岡に帰ってきて30年間で一回だけ、屋根の雪下ろしをしたことだ。
それ以来は、積もっても1m位の為か、長靴は殆どはいてない。今年もこれでおしまいである。ブーツを履いて出勤したのは
三日間だけ。ニュースで見るほど大変でもなんでない。駅から近いということもあるが、何処も住んでいればプラスもマイナスもある。
19年ぶりでも、この程度だから冬国のマイナスなど何ということはない。町なかに居るから言えるのだろうが、
といって大して変わらないだろう。表日本の人が持つイメージと現実は全く違う。
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2004年02月08日(日)
 1040、ドタ勘
ある経営者の言葉の「ドタ勘」が印象に残った。ドタキャン(土壇場でのキャンスル)をもじったのだ。
土壇場の勘を信じて、決断していくしかない時代になった。そこまで日本経済は追い込まれている。
ぎりぎりのところで、思い切った現場からの叩上げの勘と判断を信じて実行をしろといっているのだろう。
 (字数制限のためカット 2013年2月8日)
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2003年02月08日(土)
 675, ぶざまな人生ー3
  ーおれ様の人生と馬の骨の人生ー
この本にはなるほどと合点する面白い内容がいくつもあった。
 人間の存在とは
1、この世でたった一人しか存在しない人間ー「自分」・・「自分様・オレ様」
2、他人から見ると、その他大勢のなかの一人 ー「自己」・・「馬の骨」
 この二つを同時にもつ存在である。この二つの認識を持つことが重要である。
 (字数制限のためカット 2013年2月8日)
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2002年02月08日(金)
 325、いまによくなるさ!必ず!
こういう時代だから、この言葉が大事だ!といって、これは手を打っての話だ。「最善をつくして天命を待て」の時の言葉だ!
考えてみたら、心の奥で何時もこう呟いていた。歌に「明日がある、明日がある、明日があるさ・・・」とかいう歌があった。
 (字数制限のためカット 2013年2月8日)
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 2月8日 1969年
小林が寮に約束どおりに訪ねてくる。彼と話しているうちに、若さとエネルギーの新鮮さに感化されてしまった。
私の卒論を見せると、構成のいい加減さをつかれる。昨日以上にショック。一年がかりに書いた卒論も基礎と
基本のいい加減さを見透かされた。自分の為の自分の作文でしかなかったのか。根本からやり直すことは今更むりである。 
(字数制限のためカット 2013年2月8日)