つれづれに

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 第二の積雪が、そろそろ来て良いはずだが・・ 結局は、期待に反して
ドッカとくるのが毎年の恒例だが・・・ 
 


・・・・・・
2006年02月03日(金)
1767, 依存症について
          おはよう (*´・ω・)ノはよー                  
依存症は英語でいうとアディクション
「嗜壁(しへき)」や「依存症」と訳されることが多い。
依存症は、ある習慣への脅迫的な執着と言い替えることができる。
人間は、生きていくうえで、さまざまな習慣づけで生活している。
習慣の重なりが、その人を構成している。
したがって、如何に良い習慣を多く身につけるかが
人生の課題といってよいだろう。
・良い習慣とは、結果として生活をよくするものであり、
・悪い習慣とは、存在や生命を危険にするものである。

 何らかの目的のために、ある習慣を好んで取り入れていくうちに、
陶酔・快感を覚え、本来の目的を忘れ習慣自体が目的となってしまう。
そんな状態を、「アディクション」という。      
 具体的に言えば、
精神的なストレスの解消法として、摂取(行動)していたものが、
過剰になり自分で抑制がきかなくなった状態といえる。
接待ゴルフをしているうちに、ゴルフそのものに過剰に熱中して
本業を忘れてしまい倒産してしまったケースや、
接待をするうちにアル中になってしまうケースなど事例は幾らでもある。)
              コーヒー (@゜▽゜)_且~~どうぞ w
依存症を調べていくうちに、多くの種類の依存症があることを知った。
酒、煙草、ドラッグ、買い物、セックスなど様々ある
最近では、携帯電話依存症、ネット依存症、Tvゲーム依存症、
共依存症(人間関係の依存症)など数限りなくある。
       トモダ━(≧∀≦)乂(≧∀≦)━チッ☆
ライフワークや趣味も、執着という面からみれば依存症に似ているが、
自己抑制が効かないということではないから、別ものだ。      
病院の精神科に依存症は立派な病気として存在しているという。
      
HPで調べると、多くの依存症に対する治療の紹介がある。
その中で、病院でおこなわれているグループセラピーがあった。
色いろな負のエネルギーを背負った人たちが自分のトラウマ?を吐き出し、
また他人のトラウマを聞いて自分の心の負を客観視して、
自らを良い方向に導く手法である。

 人間は、何らかのカタチの依存症を背負っているが、
軽症で自分で気がついてないだけ?である。      
私など、このHPの依存症みないなものだ!
抑制が効かないというほどでもないから、違うか?                
            ☆:.・*.See.:you.:♪・*.:(´Д`*)ノ~~☆
・・・・・・・
2005年02月03日(木)
1402, きっと、よくなる! 
    ー読まない読書日記ー
読売新聞の広告欄に
「きっと、よくなる!」ー人生はよくなるようにできているー
という広告が目に入った。
発売2週間で、20万部突破!、全国の書店でトップテン入り!
紀伊国屋文教堂、蔦やチェーンで売り上げ一位!
とあれば買いたくなるが、何か子供向けのようである。
でも見出しの文章の語りかけがよい!
・5分以内に願い事のリストをつくれますか?
・10年後の自分からアドバイスをもらう
・いちばん恐れていることからやってみる
・「友人の総入れ替え」は次のステップ
・まわりからの逆風は、飛び立つための向かい風と、なかなか面白そうだ!
そこでインターネットの検索で幾つかコピーして、
切り抜いて、貼り合わせてみたが、これで十分である。
ーーー
ー準備とチャンスについて

準備ができていないときに、
チャンスはやってきます
準備が万全に整ったときには、
もうそれは、
チャンスではなくなってしまっています。

チャンスは気づかないから
チャンスなのかもしれません
もし、みんなが気づいてしまったら、
それこそ大変なことになってしまいます。

しかし、チャンスに気づこうとすることはできるはず。
チャンスは行動を起こした人のみが
手に入れられるものではないか

「あれこれ準備していくうちに、過ぎていくのが人生」
楽しみを先に延ばすほど、つまらない人生はありません。
幸せな人生を生きるには、準備に気をとられないことです。 
      
チャンスを幸運に変える3つの関門を
1.チャンスの存在に気づくかどうか
2.チャンスをつかめるか
3.つかんだチャンスを生かせるかどうか
 ---

「人生を信頼する」というのが、この本のテーマ。
人生を信頼するということは大切である。

生きている以上、不安はあるし、勇気を必要とする時がある。
その時、自分の人生は「きっと、よくなる!」のだと思えば
幸せな生き方ができるというメッセージが多くに詰まっている。

成功する人は災難をプラスの踏み石として、
違う生き方に変える事が出来る人である。
 ---

楽しいことは、出来事の中にあるのではなく、
何ごとも楽しいと思える心にあります。
人生は楽しむためあるなら、楽しまなくてはなりません。

五年後、十年後、二十年後、死ぬ前の自分を想像して、
「もし何か後悔するとしたら、それはいったい何か」をイメージしてみる。

「やってみるのが怖いこと」の周辺には情熱も隠れています。
毎日を一〇〇パーセント生きることです。
いい加減に生きている人に、貴重な時間を割いてくれる幸運の神はいない。
そのためには、
「今後、絶対に言い訳をしない」ことである。

シンクロニシティーを意識しはじめると、いろいろなチャンスが広がっていき、
ベストなタイミングでチャンスがやってくるようになる。

どんなことでも、自ら意図的に選択してやる
成功者は、自分が望む現実が手に入るまで、
目の前のことをやりつづけるだけだ

死の恐怖と同じくらいに、成功することへの恐れがある
(中略)自分が最初に、豊かで幸せになるには、勇気が必要。

自分らしくあるということは、孤独感とも表裏一体です。
(中略)それは、「あなたらしい場所には、あなたしか存在できない」からです。
(中略)この「健全な寂しさ」に耐える能力が、幸せに生きるためには必要です。

幸せな金持ちになるコツは、
「自分にふさわしいものをもち、自分とは合わない物を手放すことだ。」

与えることは、人生の豊かさを増やします。
(中略)「自分がいちばん気に入っている物をあげる」
ということが自分にできるか
 ---
などなどである。
私の勘では、重要な8割は以上の文章に要約されている?
人生論の初心者向きの内容である。

「きっと、よくなる! 」本田 健 (著)
 
・・・・・・・・・
2004年02月03日(火)
1035, 随筆はプロが書くもの!-1

図書館から借りてきた
文章術の千本ノック」(林望著)を読んでいたら、
「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」と冷酷に書いてあった。
「これが天下の真実というもので、功なり名を遂げたプロの作家が、
趣味で書くものです。あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの生活の中で
心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと書き付けたというものが随想であって、
これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、その人の観察力が
鋭いとか、描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が物を言う世界なんです、随筆は。
だから、『私は随筆を書きたい』と最初から思っちゃいけません。
随筆を一つの余録として出てくるもの。何か会社経営なら会社経営でもいいし、
小説でもいい、何でも一つの仕事をずっとやって、その生活の中で随想と
いうものが出来上がってくるのであって、どうやったらうまく書けるというものではない。
これは趣味であって、文章力のない人が書くと、単なる雑文となってしまいます。」

ー以上の内容からすると、私のような中途半端な人間が随想を書くのは
身分不相応ということになる。
さらに「皆さんの文章は、ほとんど無駄ばかりですね。書かずともいいことばかり。
よい文章からみれば、それらは不純物のようなもので、普通のアマチュアの文章は、
これが当たり前です。
山本夏彦さんは、切って切って、どんどん切りまくって、意味が通じなくなる
寸前のところでやめると言っておられました。要はお金と文章はけちなほどよい。」
ここまで読むと、「いま書いている文章は自分でナンジャイ」と嫌悪感に
襲われてしまう。みる人からみたらとっくの昔に気づいて、冷笑してみて
いるのだろうと思うと恐ろしくなってきた。(少し誇張だが)
これにへこたれずに書くつもりであるが、少なくとも駄文・雑文を
書いているということを忘れないでいようと思う。
この程度しか書けないが、書き直しだけは何回かするしかない。
3年近く書いてきて、自信を持ち始めた矢先に、この文章は丁度よいタイミングであった。
いや、そういうことにしておこう!
ところで、随想と随筆の違いは、「想い」とそれを「書き下ろした」に違いだろうか?
それとも、このようなことを書くことを不純物が混ざるというのだろうか?

・・・・・・・
2003年02月03日(月)
670, 「三分で右脳が目覚めた」

 これは新聞広告の本の題名である。
最近本屋や図書館でよく目にする著者である。
若い人や女性向の文章を書くが、内容はなかなか鋭いものが多い。
副題が
ー日常生活で簡単「右脳トレーニング」ー
 自分の中に眠る不思議な力
この見出しだけで恐らく80㌫を言い尽くしている。
ーそれを抜粋してみると・・下行は私の主観だ
・読書は、右脳を目覚めさせる
 -一見左脳だが、イメージと連想を刺激する
・右脳を働かせれば、面倒なことに巻き込まれない
 -動物的感が面倒な事を察知する
・右脳人は、やりたいことに2番がない
 左脳の人は、一番2番で行ったり来たりする
 -絞込みがしっかりできる
・右脳人は、企画書を一行で書ける
 -一番の要点を把握してある
・「褒める」は右脳、「けなす」は左脳
 -褒めるはトータルの中の光が見える。けなす事は批判ー批評にとらわれる
・ドタキャンの時、右脳の人は映画館に行き、
 左脳の人は「なぜ、急に?」を考える
 -瞬間判断ができるかどうか、なぜ急にはあとで考えればよい
・左脳の人は、絵を輪郭から描く
 右脳の人は、中心から描く
・写真は、ファイルに入れずに、レイアウトをして貼ろう
 ー主観を大事にして、レイアウトで自分の世界を創りあげる
・右脳の人はブランドをバラバラにくみ合わせて着る。
 -自分のコーデネート創りあげる
・左脳の人は実行より調査がすき
・味は、その前の行動で決まる
「・・・・のあとのビールがおいしい」
 -行列をして食べたラーメンは美味い
・「寂しい」と感じるのは、落ちこんでない証拠だ
 -???
・125歳まで生きると決めると、今が変わる
 -せめて80歳を生きることを決めようか
  ーーーーー
以上だが、「褒める」が右脳の人というのが納得できる。
これも訓練と営業センスが必要だ。
それより光と影の光を見て,指摘する事がよい。
どうしても影に眼がいくものだが、観光をすればよい?

・・・・・・・
2002年02月03日(日)
320、ほぼ詐欺

この世の中には詐欺に近い商売がある。
40数年まえダイヤモンドを当時の80万で母が買った。
今でいうと1千万円に近い値段である。確か「必ず物価と共に上がる」
といっていた。母が亡くなった時、遺産総額の把握の為に鑑定にかけた。
なんと120万だという、500万くらいだろうと思っていたため、
その安い値段に耳を疑った。ほぼ詐欺に近い商売をしていたことになる。
せいぜい20万ぐらいのダイヤを、4倍にして売っていたことになる?
口先だけの騙しの世界といっていい?ドラマで同じような内容をやっていた。
「買うまでの楽しみを売っている」のだから詐欺でないとか。
貴金属の世界はそういう世界である?
長岡の唯一のデパートがほんの数年前まで、これに近い商売をやっていた。
年寄りを集め食事を出し、虚栄心をくすぐるやり方で「屑のような商品」を売りつけていた。
それも半ボケ老人を集め、詐欺そのもの!
三越が20年近く前、大問題になった詐欺商法をやって表面化した。
三越のブランドを詐欺?で悪用したのだ。補聴器の世界がそうだ。あれは年寄りを
だます詐欺だ。でも誰も親身になって見てくれないから、仕方がないのか?
そう言う視点で言うと全てに言えるかもしれない

・・・・・・・・
2月3日 月曜日 1969年
12時過ぎ起床。
14時に学校に向け出発。学食で食事をしていると,深井がくる。
昨夜、彼のことを考えたばかりなのに、すぐに会うとは。
試験(価格理論)はまあまあの内容であったが、もっとできたはずだが。
帰りは川崎と兼古と本屋によって帰ってくる。食事をとって22時から試験勉強だ。
かなり難しい内容だ。一番の難敵である。
さて、今日TVで京大生の書いている手紙の内容が印象的であった。
その表現能力には,驚いてしまった。ところで、このことから色々考えてしまった。
ーーーー
今月の予定は、試験終了後、2日東京にいて、長岡に帰る。その後、2日後に
旅行に出かけようと思うが、気持に余裕ができるだろうか。一週間の予定だが。
プラトンと(対話編)と福沢諭吉の(福翁自伝)を持参しようか。
そして、そのまま直接東京に帰ろうか。どうなるか、あとは心の向くままだ。
あと一度長岡に帰り、背広を持ってくる予定だ。しかし、どうしようか・・・?