* 母ちゃんこわい!
 最近、どうも図書館で借りてくる本が、<「余命三ヶ月」のウソ>とか、<末期がん、その不安と怖れがなくなる日>
とか、<妻と夫の定年熟>とか、マイナーの本が多い。ポジティブも良いが、こういうのを読むと心休まるのは年齢のためか。 
 先日借りてきた <妻と夫の定年熟ー西田小夜子著>は、どのページを開けても、全てが定年夫婦の『諍い』ばかり。
それまでの生活が一変して、妻の支配下に夫は置かれる。それまで上司の顔色を伺っていたのが、今度は、妻である。
 夫は、「なにかする人」と「何もしないで家でゴロゴロしている蓑虫」に分かれ、その八割が蓑虫夫という。 
ところが妻は、数十年かけて進化していて、その格差が膨大。妻からしたら、そんなバカが鬱陶しいのである。
著者は「定年よろずもめ事仲裁」を生業にしているが、その実態の事例を文章にしている。 構図は、「進化妻」と、
その配下の「蓑虫夫」の揉め事の具体例と、解決方法などのコメント。どの事例も、身につまされるものばかり。
* 三毒
 「妬む」「怒る」「愚痴る」を三毒。特に女性の職場などで、その毒が猛威をふるう。
女の職場は一見、花園だが、一歩立ち入ると、この毒素が満ち溢れている。だから、そういうものと割り切るしかない。
 その毒の塊のような元ファーストレディ(デビ?)が、時どきマスコミを賑わしているが、自分をコミックの悪女?
と割り切り、演じているところが面白い。 三毒の逆、「敬意」「喜び」「賛美」をすればよいが、それには訓練がいる。
そのために、心身とも豊かでいることが前提になる。 
   * 我が内なる獣性
 ふと見ると、去年の今日、<トラと漂流した227日 ーシネマ評>があった。最後の最後の落ちには驚かされた!
創業は、この獣性をオブラートにつつみ、新しい業態をつくること。トラに食べられたハイエナ、キリン、コックが、
旧業態と喩えると、納得する。としても、あの荒れ狂う海で助かればこそ。その獣性も、もって10年。いつの間に、
現象に因われ歯抜けになっていた。 最期に少し獣性が目覚めかけたが、それも、子猫? 
・・・・・・
4342, トラと漂流した227日 ーシネマ評
2013年02月04日(月)                   
  * すごい落ち!ーファンタジーに隠された人肉嗜食?  「ライフ・オブ・パイ/ トラと漂流した227日」−シネマ評
 ー まずは、ネットで見つけた「ライフ・オブ・パイ」の評論である。
≪ 獰猛なベンガル虎と16歳の少年が小さな救命ボートで太平洋を漂流する……。え?どういうこと?……。
ライフ・オブ・パイ」の奇想天外な設定を聞けば、こんな絶体絶命の状況から一体どんな物語が展開するのかと、好奇心を
そそられずにはいられない。そして、喰うか喰われるかの緊張関係の中でパイが見つけた究極のサバイバル方法に、この物語が
示唆する命の不思議なパワーを感じて感動するはずだ。
 最初、虎から逃げることばかり考えていたパイは、やがて、虎を生かすことが自分を生かすことに繋がると気づく。
そして、一緒にサバイバルするという不思議な共闘感を感じるようになる。敵の存在に、自分を生かしてくれる力をみつけたのだ。
この物語には、こんな東洋的な調和の精神が随所に出てきて、単なる冒険物語を超えて、生きることの素晴らしさを教えてくれる。
敵がいるからこそ、最後まで生き抜こうと願う。そんなパイの想いに、自分と考えの違う人たちを肯定する意志が込められている。
宗教の違い、民族の違いが多くの紛争の火種になっている今の世界で、すべての命を肯定しようとする意志は希望の光だ。
この映画には、その光をあなたの胸に送り届けてくれる力がみなぎっている。≫
 ▼ 終わりに近づき、ああ面白かったと思っていたところに、最後に「落ち」があった。 助けられた後に、遭難した船舶の
  所有会社の二人が事情を聞きに、救助され入院しているメキシコまで来る。 一通り少年の、この物語を聞いた二人は、
  「こんな物語は、誰も信じてくれない。もっと信じられるような物語が聞きたい!」という。そこで少年が話した物語は、
  当初、救命艇に乗っていて、トラに食べられたハイエナやキリンなどは、船のコックなどの船員の置き換えたもの。
  トラは少年の中の野獣?で、殺しあい相手を食べ?生き延びたという筋書き。どちらが本当かは、ハッキリさせてなかった。 
  それまでのファンタジーのストーリーが、そこで一変。 この落ちが無かったら、奇抜なファンタジーもので終わったが・・
  映画の導入部分で少年が幾つかの宗教に興味を持って入信していたことや、動物園で育ち、調教や猛獣の恐ろしさを父親から
  教えられていた背景を組み込んであった。ファンタジーとしても、それなりの筋たてがある。特撮とはいえ、満天の星空の中、
  鯨が近くで飛び跳ねる場面は圧巻。ベンガルドラとの行き詰るような生死をかけた攻防も見ごたえがあった。 95点評。
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3967, 民主主義への疑問
2012年02月04日(土)           
   * 近代日本の出発点に立ち返れ!     「民主主義とは何なのか」長谷川三千子
 最近の世界各国の紛争や、国内の政治を見ていて、信じて疑ってもみなかった民主主義そのものに疑問を持つようになった。
中国も、ロシアも体裁は独裁国家ではないが、実情は独裁国家。 欧米は、隠れた独裁者はいたとしても、
国家のトップは選挙で選ばれた首長が政治を司っている。民主主義は時代が安定の時には有効だが、大きな時代の変わり目には
厄介な代物になり、その使いこなす技は非常に難しくなる。 その民主主義について、分かりやすく書いてある書籍がある。
 長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」である。 印象的な部分を要約して書き出すと、
・ 民主主義とは「国民による国民のための政治」が、その基本形である。だが、政治という道が、本当に最良だろうか、という疑問。
 この原理に従えば従うほど、実は「国民のための政治」は遠ざかって行くという、逆説がひそんでいる。
・ それは、人間という動物がイワシのようにリーダーなしに群れとしての行動をとりえない生物で、町内の自治会ですらリーダーを要する。
 指導者なしには政治は成り立たないが、「国民の、国民による」政治という原理は、首相であり大統領であれ、全ての指導者は不順な
 夾雑物であり必要悪である。そのため常に、そこには指導者に対する不満がくすぶっている。国家が平穏の時は、それでも、ちょうど
 水平飛行を自動操縦で飛行して何とか乗り越えるが、ひとたび荒天が国家を襲うと、指導者がその能力を最大に発揮しなければならない時、
 深刻な危機にさらされる。飛行機が揺れているとうだけで、操縦室になだれ込んで、操縦を妨げれば、どんな飛行機も墜落する。
・ 民主主義はバイキンに似ている。それは強い伝染力を持ち、またたく間に国境をこえて広まり、あちこちで出血性の発熱をともなう。
 しかし、このバイキンを駆除すると、完全無欠状態で育てられて子供がひ弱になってしまい、国の健康を害してしまう。独裁国家がそれ。
▼ 日本の政治の混迷が、正に上記の弱点を曝け出している。一年で首相交代が生じるのは、トップは民主主義では夾雑物になるため。
 その期限が、日本の政治システムでは一年。それに情報化で、トップの威厳もあったものでない。しかし、世界的動乱に入ってしまった
 現在、何とか切り抜けなければ国家破綻が待っている。著者は、ここで明治元年五箇条の御誓文に、民主主義のバイキンの毒素を
 取り除き、それを最上の活性化酵素として活かすヒントがあるとしている。  ーつづく
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3602, 閑話小題
2011年02月04日(金)
  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
 民主党になって政府の肥大化が止まることがなくなってきた。社会主義者が政権をとっているから仕方がないとも言っていられない。
あの東京都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 4月か6月に自滅するだろうが、これを立て直すに時間がかかるだろう。
で、果たして日本は世界の中で政府として普通なのか、巨大なのか?の議論がある。 実は世界で一番の水脹れの国家になっている。
それも国家財政破綻直前で悪いことに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。
一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れの大きさが母屋の5倍以上はゆうにある。
国民の目は母屋しか見えないように官僚と自民党が組んで、使いほうだいをしてきた。そして、この財政破綻状態に陥っても
何も手がつけられない事態である。10年前でも国内総生産に対する一般政府総支出は世界一だが、現在では更に大幅に悪化している。 
日本も、この極左政権が最後のダメ押しをしてくれた。その結果は、来年から大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。
  * パン屋の恵方巻
 昨日、新潟駅のパン屋でパンの恵方巻きを買ってみた。恵方巻などというのを、今年のスーパーのチラシで初めて意識をした。
一週間前から、そのパン屋で恵方巻のポップがあった。そして昨朝、昼飯のサンドイッチを買おうと思い入ったが、
サンドイッチのコーナーに恵方巻があった。面白そうなのでサンドイッチ替わりに買ってみた。で、中味といえば、
カツとレタスにパンを巻いた上に海苔がかかっている。要は御飯替わりにパンが巻いたもの。何と海苔とパンが意外と合う。
節分の日には、豆まきをしないかわりに、これを食べるのも良いのかもしれない。よく思い立ったものだ!
  ーところでウィキペディアで「恵方巻き」を検索をしてみた
《 最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームになっています。節分の夜にその年の恵方歳徳神
住む方角で、その年に吉となる方角)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。》
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3237, 白川義員
 2010年02月04日(木)
*「われわれが住んでいる世界っていうのは、何億光年という悠久無限の宇宙の中にあって、たかが知れた粟粒ですよ。
 その粟粒が、鮮烈荘厳で神秘に満ちて、こんなに素晴らしい粟粒ってことを知っている人間が、この世界に何人いるだろうか、
 と思い始めたわけです。それならば、このスゴイ風景を自分が撮影して、それを知らない全世界の人間に知らしめてやったら
 どうだろうと。そしてこの粟粒が全人類を乗せた運命共同体で1点の命と知ったら、人間いかに生きるべきか、生きる方向も
 限られ連帯感も生まれるだろうと、そう考えた。それが私の写真のメッセージ」
*「要するにフィルムであろうと印刷であろうと、つまらない写真を一発で凄い写真にするウルトラCなどないということ。 
  小手先の技術だけで凄い写真が出来るわけがない。」
*「世界は『使われなかった人生』であふれている」
*「ネパールの人にとっての山が信仰の対象になるのは当たり前。
  神々しいご来光が有るかと思えば地獄のような天候に日々出会うから祈るしかないのだ…… 」
*「神々しい山を見ると自分が清められ透明になって行きます。」
〜 白川義員はヒマラヤや南極など世界の大自然を撮りつけている写真家。「世界の100名山」のDVDを持っているが、
素晴らしい映像が次から次へと映し出される。 20数年前、ある雑誌で彼がプロとしての写真家になる切っ掛けになった
スイスの幻影的な光景の出会いの文章を読んだ。天国とは、このことをいうのかと写真を撮るのを忘れ見とれていたという。
その場面が、言葉の中から浮かび出てくるようであった。 私が世界中の秘境・異郷ツアーに行くのも、スゴイ景色との
出会いをするからだ。「こんな世界が地球にあったんだ、知らなかった!」という瞬間に百回以上は出会っている。
それは、別に海外の秘境まで行かなくても、日本の名山などでも経験可能だろう。大自然は、我われを通して自分の姿を見る。 
その経験をしてきたから、何ごとがあっても、自分の中の不安が最小に押しとどめてくれている。
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2862, アメリカ発 世界自動車危機
2009年02月04日(水)
 一昨日の22時・Nスペ「アメリカ発 世界自動車危機」には、驚いた。
   ーまずは、NHKの・HPの番組紹介ー
《 20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウンともいうべき崩壊の危機に直面している。
2008年、金融危機の炎はまたたく間に自動車業界に延焼。 旺盛だった自動車の需要は一気にしぼんた。
GMを始めとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなどアメリカでの販売で利益を上げてきた日本のメーカーも
深刻な打撃を受けている。 なぜこんなことになったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは。長年のビジネスモデルを
延命させるために作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、ウォール街
推し進めた証券化ビジネスと手を結んだ車販売のシステムが広がった。 それが今回の金融危機で一気に瓦解したのである。
時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開を始めている。大物投資家なども参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など
環境対応車の時代への模索が加速している。 自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動きから明らかにしていく。》
 ▼ 以上だが、これを録画にとって朝晩と二度見たが、アメリカ金融崩壊のモデルを目の当たり見せられたようだ。
GMのローン会社GMAC・元ナンバー2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、GM子会社のGMACの三社の
システムの構図は住宅のサブプライムの自動車版。販売会社はGMACから、ほぼ無審査で買い手にローンを組むように
依頼されており、ホームレスにもローン付きでクルマを販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と混ぜて、
格付けがAAAになるように加工され世界中にばら撒いていた。    (字数の関係でカット 12年02月04日)
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2008年02月04日(月)
2497, 無くてはならぬもの −5          YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
  佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
* 何を信じて生きるのか   ー不信の中の絆ー
 この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて信じることができるのではなく、
 信じることができてはじめて、理解しあうことできるのである」と述べている。
  P−164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在としてつくられたためである。
そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。本能とか、社会における地位や身分とか、
その他いろいろな点で人は千差万別といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、
人は神様からつくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。
ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、人間の良心を悪用する輩が巷に闊歩している。
それは巧妙であるが、所詮は中・長期的に馬脚を現しているのである。 自分が騙していること自体に気づかないから始末が悪い。
その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に仕掛けるのである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、
尚のこと始末が悪い。カントではないが、人間には良心が必要である。宗教と倫理こそ信じるべき道標である。
他人ごとでない自分自身のことでないか。「これこそ愛である」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。
人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。 しかし愛は心だけではなく、力と知恵が必要となる。
以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。  
  P−183  じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、そういう自分の意思をそむいて悪をしてしまう。
パウロはそのことを次のように告白している、「自分は善をしようとする意志はあるが、それを行う力がない。
・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、わたしを救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力の
ないみじめさを、このパウロのように、苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界にふれるということはできないかもしれない。
宗教などいらないという人は毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。
自分には他人を愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に他人を愛しようとしただろうか。
 ▼ こういうことを先に気づくか、後で気づくか? 人生は、口先だけでは後で後悔の日々になる!
   青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。
・・・・・・・・・・
2007年02月04日(日)
 2133, 閑話小題           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
  * 顔筋マッサージ
先日、「顔筋マッサージ」について書いた。TVで映し出される代議士の加藤紘一氏が顔が横に広がってきていた。
ところが顔筋マッサージをしたら、たちまちスッキリした云々と文藝春秋に書いていた。
その時に「参院幹事長の片山虎之助がすればより効果があるだろうに」と、面白おかしく書いていた。
縦より横の方が広くみえるほど頬の肉が張っている。それが数日前のニュースで片山の顔が映し出されたが、
見事なぐらいにスッキリと以前とは見違えるように変わっていた。あれぐらいスッキリするのだから、
丹念に時間と回数をかけたのだろう。しかし、今朝のモーニングショーに片山虎之助が出ていたが、元に戻っていた!
マッサージをしていなかったのか? 私の面白そうなので毎日10分ほど始めたが、まだ効果はでていない?
  * 一連のバラバラ殺人事件について
(字数の関係でカット 10年02月04日)
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2006年02月04日(土)
1768, セブン・イレブン     (o゚▽゚)o オハョ〜 (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
ここで取り上げるのは、コンビニではない。バブル期の旧住友銀行の行員の猛烈社員ぶりを端的に顕す言葉である。
(行員は朝の7時から夜の11時まで仕事をしているという)あくまでも誇張した流布と思っていた。
ところが、「新婚さんいらっしゃい」のTv番組で、三井住友の行員が出てきて、奥さんが旦那の猛烈ぶりに欲求不満?
と嘆いていた。その旦那の一日の日程とは!  4時 起床、 ノ□ヾ)ネムー 4時半 家を出発6時前に会社近くにある
ロイヤルホストで朝食を兼ねて仕事の準備、7時出社、〜 23時に帰路、0時過ぎに帰宅、1時就眠・・・ 
土曜日は一日寝て、 日曜日に家族サービスという。聞いて耳を疑ったが、噂は本当だった?若いうちは、
ここまでしなくては仕事をこなせないのだろう。生々しい金融の世界で、このような生活をしていたら世の中の人間、
全て馬鹿にみえてくるだろう。これに高速配転で鍛えられるのだから、能力は蓄積されて当然である。地方などにきたら、
いるだけで腹が立って当然だろう。地銀に出向になってきた都銀の行員と地銀の行員の意識と能力の段差は
埋められないという。 どちらが良いかは、 全く違う問題になるが!      ( ̄◇ ̄)ノ))バイ
 ・・・・・・・  
 2005年02月04日(金)
1403, 人口減少経済の新しい公式      ー 読書日記
 ー縮む世界の発想とシステムー
この本を読むと日本の将来に対し非常に悲観的になる。解っていたことだが、ここまで理路整然と日本の悲観的な現状を
人口減少という面で指摘されると・・・ 本屋で並んでいる日本の将来の悲観論より、何げなく人口問題で指摘されると、
やはりショックである。考えてみれば、経済の本質は人口問題である。その減少ということは、それも労働人口が激減する
というから、これに対する手段は考えにくく、悲観的になる。ーまえがきーの一行目からして刺激的である。
「今日は、2015年の大晦日。今年も企業の売上高は前年を下回った。そうした状況はもう何年も続いている。
     (字数の関係でカット 11年02月04日)
ーーーーー
ーある書評
日本経済新聞 朝刊(2004年6月20日掲載)
 (字数の関係でカット 09年02月04日)
・・・・・・・
2004年02月04日(水)
1036, 一人遊び −2
以前「一人遊び」を書いたことがあるが、再び書いてみる。一人遊びができれば人生の問題の大部分を解決できるだろう。
自己完結をしたことになるからだ。一人で散歩をして、読書をし、一人食事をして、一人で考え、一人街を歩き、一人買い物をして、
一人で旅に出て、一人仕事をする。一人遊びは人生を通して、特に晩年に要求される。これは訓練と練習で身につけることが可能である。
(字数の関係でカット 09年02月04日)
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2003年02月04日(火)
 671, アルカイダ
「お前は言葉のアルカイダーだ!」土田氏の葬式に出たときの「しのぶ会」で、ある同級生にいわれた言葉である。
(字数の関係でカット 12年02月04日)
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2002年02月04日(月)
 321、宗教的真実について−1
・「もし、私の聖書の読み方が正しいとすれば、神があるがままの人間を愛される、
 あるべき人間の姿を期待して愛されるのではないのです」(ジョセフラブ・神父)
  (字数の関係でカット 13年02月04日)