つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=4-tspYZpqus

 今日のヨガ、時間を間違えて参加できず、
他のエアロを二本こなして帰ってくる。今更だが、時の経つのが早い。
 
 そろそろパソコンの買替え時である。今のはiMacだが、7年近く使ったもの。
ソフトがウィンドウズのXPで、この春で、使えなくなる。マックの方が
使えるが、丁度良い買い替え時でもある。ノートパソコンにして、書斎と
居間のPcはMac仕様にして、あとは様子見。 7年じゃ^、段差を感じるだろう。
 以前は、買い替えも、さほど、負担感はなかったが、さすがに年金暮しでは、
値段も考慮しなくては! 別に、ネットサーフィンは、iPadですればよいし、
買うこともないが・・ 

 
・・・・・
コラム 老人病棟で起きた奇跡
<イギリス・ヨークシャー・アシュルティ病院>

アシュルティ病院の老人病棟で一人の老婦人が亡くなりました。
彼女の持ち物を調べていた看護師が、彼女の遺品の中から彼女が書いたと思われる詩を見つけました。
彼女は重い認知症でした。

何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見るとき、こう思っているのでしょう

気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて食べ物をぽろぽろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる

おもしろいのかおもしろくないのかあなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか

でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が
あなたの意思で食べているこの私が誰なのか

私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて兄弟、姉妹がいて、
みなお互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に羽をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。私の心は躍っていました
守ると約束した誓いを胸に刻んで
二十五歳で私は子供を産みました
その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの

三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです

暗い日々が訪れました。夫が死んだのです
先のことを考え----不安で震えました
息子たちはみな自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました

今私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところには今では石ころがあるだけ

でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心をふくらます
私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに早く過ぎてしまったと私は思うの
そして何者も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです

だから目を開けてよ、看護婦さん----目を開けてください

気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!
出典「変装-私は3年間老人だった」

・・・・・・
1377, 人生における成功者の定義と条件-3
2005年01月09日(日)
 ー 読書日記

年代があがるほど、面白いものが多くなる。
やはり、アメリカナイズされた個人主義が戦後教育で根付いてきたのが、
この定義と条件でわかる。

ー40代の抜粋である
この辺になるとやっと、響いてくるものが出てくる。

・「今タイムマシンがあったとしたら何時に戻りたい?」と聞かれたとき、
「今でいいよ」と答えることが出来る人。
             -46歳 歯科医師
 ーmy感想ー
「今でいいよ」にも、色いろな意味があるだろう!
よほどうまくいった人生か、よほど酷い人生か?

・「子供には生きる力を授け、プラマイゼロでしぬこと」
自らの力で人生を切り拓くことで、たとえ地位、金銭、名誉を失ったとしても、
誰かには信頼され愛され、誰かに気兼ねすることなく、人目も気にしない。
               -41歳 広告関連
ーmy感想ー
そう思っているだけじゃないか?勝手に!

・「金持ちになって貧乏人のように生きている人」。
お金持ちは沢山いると思いますが、多くはかえって苦しんでいる気がします。
若く貧しかった時のように、些細なことに感動できる感性と質素な生活に
感謝できる気持があれば成功者と思います。
               -48歳男性 開業医
 ーmy感想ー
「金持ちになって貧乏人のように生きている人」って、
お金の使い方を知らないだけじゃない?
金持ちの苦しみの方が、小金持ちだった両親をみていて、
貧乏人の「何」よりズットよいと思う。
人格の問題と金の問題は全く違うと思うが。
ただ品位がそこに出てくるから恐ろしい。

・たくさんの人に、或いは、少数の人であっても深く、
「あの人がいてくれてよかった」と言ってもらえること。
逃げ水のように捉えどころのない「生きる意味」をおぼろげながらも
実感できた人。
 条件ー自らの小ささと、世界の大きさを悟ること。
   -全ての価値は他者との交わりの中でしか立ち上がってないことを
 理解すること。     ー40歳男性 インド人会社員


-50代以上ー

・「人を愛し、その人から愛されている人のこと。」
条件ー愛の対象が具体的な人間であって、相互に相手の愛を認識していること。
なぜなら、健康も不健康も、貧乏も財産も、愛する人の存在で価値を持つから。
             -53歳男性 自営業
ーmy感想ー
キュープラー・ロスでないが、「人生は愛すること、そして愛を受け入れること」
を言いたかったのだろうが、「自然を愛し、その自然からも愛されている人」の方が
深く響くような気がするが。
理屈でしかないが。
神の発見、いや発明?も、自然の愛の擬人化と考えればよいか?

・「誰かを愛し通した人」。
複数でも単数でも、自分のみでも。
それが対象に少なくとも最終的には有効な方法で。
             -51歳女性 自営主婦
ーmy感想ー
何か女性の言いそうな言葉だ。

・世俗的な雑事に惑わされず、自分自身が心底から至福と思える時を持ち続け、
「生きていてよかった人生を肯定できる人。」
 条件としてー1、大病しないこと
       2、最低の生活を送れる収入があること
       3、優れた芸術作品に啓発されること
            -71歳男性 無職
・「最期によくやったと自分で思えば成功者」
と呼んでいいのではないでしょうか。
ただし・・人生におけるという大前提が付けばだが。
            53歳女性 主婦

・「F・シナトラが歌う『マイウェイ』が、私の『成功者』のイメージです」。
それは、自分の晩年に自分の足跡を省みて、天に向かって堂々と、自分の人生を
述壊できる人である。しかし、『現代の成功者』という言葉は、きわめて即物的で、
嫌いです。いま社会でバリバリ働いている人は当てはまらない。
            62歳男性 顧問業
ーmy感想ー
『マイウェイ』を独り悦にいって歌っている男を見ると、そうとも思えないが。
  歌と生き方は違うか?
  マイウェイのできなかった男向けの歌か。
            
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2004年01月09日(金)
1010, 10年日記帳
 昨日「10年日記帳」を買ってきた。
いつも行く書店に、3年日記帳と5年日記帳があり、その横に更に
10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い切って買うことにした。
10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。
 10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。
日記お宅になってしまうかもしれない。 買ってみて、
「10年先を白紙で毎日意識してみることが出来る」のではないかと気がついた。
現在はホームページの随想日記に、35年前と2年前と一年前の日記を
コピーして貼り付けている。この為どうしても、後ろ向きになってしまうが、
10年日記の先の白紙を毎日見ることにより、10年スパンで物事をみる目が
知らないうちに身に付くのではないだろうか。更にもっと深い意味が出てくる
可能性もある。ーポストイットで未来の日記を仮定で書き、貼っておくとかー
ーありたい理想の姿を現在進行形で書いてみるとかー
 年をとっていく自分を見るのが憂鬱になる可能性もある。
反面9年、10年経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。
その時は亦新たに10年日記帳を買えばよい。 今日から門出の日記の開始である。
随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、
結果として毎日過去の日記を見ることになっている。
(いや初めから、それを自分で読み直すために貼り付けたが)
そうすると、ほぼ同じことをしていることになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。

まあどうなることか。こうして公表してしまえば、書きざるを得ないだろう。
習慣化は第二の天性というから。これも加えたいが
・・・・・・
2003年01月09日(木)
641, 動物と人間

旅行をしていると、色いろな世界を垣間見れる。特に動物の話しが深い。
シナイ半島で聞いた話だが、ラクダが面白い性格を持っているという。
 理不尽にいじめたりすると根に持って, 隙を狙って人を殺すという。
 理屈に合ってたしなめながら調教なら恨まないという。
 人間の気持ちと同じという、何か解るような気がした。
ケニアの湖の小さな舟の船頭に聞いた話だが。
 目の前にいるカバのグループ一匹が先日ある男を襲ったという。
 その男はいつも遠くからカバを馬鹿にしてからかっていたという。
 静かに船に忍び寄ってきて襲って、その後死体はあがらなかったという。
 何気なく現地の人が話すが内容は新鮮で迫力がある。
・中国ウイグルのホータンで聞いた話しが面白い。
 ロバと人間の関係がよい。
 労働力として運命共同体として運搬としてつかうが、死んだら墓をつくり
 埋葬するという。何かその地域の特性があらわれている世界だ。
・アフリカでは野生動物は自動車に乗った人間は絶対に襲わない。
 時間をかけた、といっても100年だろうが、お互いの契約ができているという。
・ペルーのチチカカ湖の沖にの葦で作った島に住む住民の世界だ。
 驚いたのが、鵜に似た鳥が天敵がいなかったせいか人間を恐れないのだ。
 その島民も欲しいときにその鳥をとって食べるのだ。
 現場を見て自分の常識から考えられない光景に口を開けたまま呆然とし た。
・もっと刺激的なのはインドである。牛は神聖な動物とされて最下層の人より
 上に扱われているのだ。街で自由に闊歩している。当然誰より自分が上という
 事をしっている。餞民が交通事故の場合はほとんど問題にされないが、
 牛の場合は大きい問題になる。日本では考えられない。
パキスタンでは、街の真ん中で羊を殺し解体している。
 日本では勿論、許可をえた場所以外屠殺は禁止されている。

動物との関係は風土や宗教により成り立っている場合が多い。
世界は好奇に満ちている。

・・・・・・
2002年01月09日(水)
295,夢に日付けをいれる

この正月、TVに出てきた創業社長の言葉である。
「時間を切ってない仕事は仕事でない」のは、言うまでもないが、
夢に時間を入れるとは、その段階から計画に移行したことになる。
夢ー>希望ー>目標ー>計画ー>手順と具体的行為に思考ダウンしていくものだ。
時間を入れるということは具体的目標、計画化に入ることになる。
夢とは長期的な漠然としたものである、時間を入れることにより、短期レベルに、
具体的レベルに引っ張り込むことが可能となる。
人生にビッグな設計図を描いておくことは当然のことだが、時間(日付)のところが
意外と曖昧になってしまう。私が自分の葬式の写真からの視点を、忘れないようにしている
のも、人生の終わりー最後日を意識しているからだ。
言葉の遊びか本心か、「2020、0202、0202」」
2020年2月2日ー午前2時2分。
この辺りを目安に、生きてみよう!今年死ぬかもしれなが、後は神の思し召しのままに!

・・・・・・
1月9日  1969年
9時起床。
1時45分のの汽車で帰る予定が雪の為に15時に延ばす。
正子さんのところに行くと、2千円の小遣いをもらう。
正子さんは話が面白い。
型にはまってないのがよい。
独創的で、自分の哲学を持っている。

15時の列車にのり、19時に帰寮。
市川さんと早速飲みに出る。
23時過ぎに帰ってきて、0時に就寝。