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今年も、あと三週間になってきたが、無事平安の年だった。
ここまで来ると、何もないことがベスト。御隠居生活も、慣れてくると、
なかなか良いもの。どんどん軽くなっていくのが実感する。
まだ一線に立っている人が、不思議にさえ思える。
・・・・・
1712, 私の生活流儀 -本多静六
2005年12月10日(土)
ー読書日記
著者の本多静六は色いろな本で紹介されていたが、書を読むのは初めてである。
平易な言葉の中に深い洞察が感じ取れる。
給与生活者である立場にも関わらず、40才で預金の利子や株からの利益が給与を上回り、
60才(昭和元年前後)で、当時の数百万円の貯金と、株式、家屋、田畑、山林が一万余町、
別荘六カ所という財産を築き上げた。 ( ̄~ ̄)ξ
ーその方法は簡単なもの。
1.本業に励む。
一日一枚、出版レベルの原稿を書く。 _〆(。。)
2.給与の1/4と臨時収入のすべてを銀行に預ける
3.ある程度のお金が貯まると、株式などに投資する。
~~旦⊂(・∀・ )
・まずは、本業に励むことを説く。
「人生最大幸福は職業の道楽化にある」
という言葉に集約される。
本業がキチンと確立すると、
副業として、官庁や公共団体の嘱託、
早稲田大学の講師、民間企業からの事業の相談を受けることができる。
また、一日一枚の原稿で、370余冊の本を出版することになった。
・そして、二番目の「給与の1/4と臨時収入のすべてを銀行に預ける」で、
人並み以上に働き、人並み以下の支出に押さえられれば、
自然に、お金が貯まる。
これは、給与生活の最初からの習慣にする方がスムーズに実行できる。
・三番目には、お金が貯まると株式などに投資を行う。
本多静六は、山林の投資で多くの財産を築いた。
氏の専門が造林学というのが有利に働きいたようだ。
二万円の投資が、最終的には、当時の金額で五千万円になっていた。
株式投資も行っている。
投資方法は、先物で株式を買い、
購入時に二割の利益を得られる状態になった場合は、
躊躇せずに、現金化する。
ある程度、保有して、二倍になった時に半分を売り出す。
その後の株の値段はすべて利益になるのです。
下がった場合は、ずっと、保有する。
「好景気、楽観時代は思い切った倹約貯蓄、不景気、
悲観時代には思い切った投資を」という。
好景気時代にはお金を重視し、不景気時代には物を重視する。
ーー
以上だが、
凡人が億万長者になる方法が理解でる。
本業に専念して、
給与の一定割合を貯蓄に回し、
堅実な投資を行うことにより、
思っても見ないほどの資産を残せるのも理にかなっている。
若いときから、その情報や習慣をつけているかどうかだ。
金持ちと結婚するということは、その家系からくる
生活習慣が家庭に入ってくるということだ。
両親をみて結婚相手を決めなくてはならない!!!!
ハズレもあるが?
・・・・・・・
2004年12月10日(金)
1347, 「自分を活かす極意」-3
読書日記
ー情報摂取法
この本は、ダイジェストなので多くの要点がつまっている。
本の一番の情報収集は「三色ペンを使い20対80の法則の20と10を色分けをすることと、
それを続けることが読書術そのものになる」である。
情報収集に関しては、本にしても、人からの情報にしても、収集した情報を的確に
要約することが最重要課題である。 いわば「ミソ」の部分をマトメルコトだ。
それを、私は随想日記で毎日している。
これは、第三者に対してギブ・アンド・ギブであるが、何よりも自分の基地に
情報をコツコツ収集していることになる。数時間の(情報)エネルギーを文章にして
真空パック的に押し込む作業でもある。
本屋の立ち読みでも、何気なく読んでいながらパックしていることになる。
頭の中で文章化をしてしまうのだ。
何気ないTVの解説を聞いていてもアンテナが動いている。
毎日、一文章のテーマに対して敏感になりざるをえない。
自分の発信・備蓄基地を持つことの重要性をつくづく実感している。
まあ、斉藤孝の本の内容からずれてしまったが、言おうとしている主旨は同じである。
著者のコミュニケ-ション術と会話の技術が面白い。
ーまずはコミュニケーション術である。
-抜粋ー
私は、コミュニケーション術を上手にするコツは「質問にある」と考えている。
いい質問さえできれば、会話はクリエイティブなり盛り上がる。
「質問力」というのは私の造語だが、内容は誰にもわかることだ。
それらの多様な質問は、同等の価値があるわけではない。
いい質問と、そうでない質問といったようにレベルの差がある。
いい質問というのは、「具体的かつ本質的」ということだ。具体的だが
本質的でない質問と、本質を突いているが、あまりに抽象的で意味がないという質問がある。
質問を向上させるには、TVのインタビュアーの質問に採点をつけることだ。
とりあえず「質問」というコンセプトで、いろいろなコミュニケーションをみることから
始めてみることのが手っ取り早い。
-TVの「徹子の部屋」の黒柳徹子の質問は、まことに的を得ているしセンスがある。
ー次は会話の技術である
ー抜粋ー
私の会話のコツは「沿いつつずらす」だと考えている。
まずは相手の意見の要点を理解する。そのためには、相づちを技化していることが有効だ。
「なるほど」「たしかに」「確かにそうだ」という言葉を間に挟んでいく。
自分と意見が違っていても、とりあえず聞き切るようにする。その上に、相手のキーワードを
使って話を展開する。自分の言葉を使ってもらえれば嬉しいものだ。自分が肯定されたようになる。
沿っているだけでは発展性がない。そこでずらす必要がでてくる。
コツは、本質的な話に行きかけたら具体的な話に戻し、具体性が強くなったら
話の本筋に少し引き戻すということだ。相手の話の流れを引き受けて少し横にずらす。
「それは例えば・・・ということですか」とか、
「それはつまり・・・ということですね」といった二つの文型を使いこなす。
上手くずらすことができる。「沿いつつずらす」のが会話の基本である。
ー以上であるが、
私の学生時代の友人が、商社の新潟支店に転勤になってきて16年間、暇ができると飲んでいた。
6年前に東京に帰ってしまったが。
彼は商社マンになりきっていて、会話や、人の気持を飽きさせないプロになっていた。
会話をしていても、この「沿いずらし」が上手い。翌日気がつくが、いつの間にか勘定負けが続いていた。
私も「質問力」と、「沿いずらし」は上手いつもりであるが、相手は商社で鍛えられたプロ、やはり
敵わない相手であった。聞き手にまわるというのは学生時代に鍛えていた。
聞き手に回って、相手の気持を引っ張り込むには「目を見て、大きくうなずくことだ。
更に相手のキーワードを幾つか頭に残しつつ、あまり真剣に聞かないことだ。」
疲れることと、途中でつまらなくなるが、真剣に聞いたふりをしないと長い具体的な話でも辛抱強く聞けない。
世の中で、何が面白いといっても人間が一番面白い。それも自分が!
・・・・・・
2003年12月10日(水)
980, スーパーセンター
この随想日記で最近話題にしている
「スーパーセンター」とは、どういうものか調べてみた。
スーパーセンターとは
「生活用品や衣料品のディスカウント-ストア」と、
「食品を主体とするスーパーマーケット」を組み合わせた
新形態のショッピング-センターをいう。
地価が安い米国の田舎で発達したため、通常は1階建てで1万2000平方メートルから
2万平方メートルもの広大な売り場面積である。
「1カ所ですべての買い物ができるワンストップショッピングのニーズ」に対応する点が特徴だ。
ジャスコやイトーヨーカ堂の荒利率が28㌫に対して、この業態は17~18㌫にすぎない。
経費率は14~15㌫におさえている。この10㌫以上の差は顧客にとって大きい。
実際の価格差は3割以上の差を感じる。分からないように、スーパーと同じ値段の商品もおいておく。
スーパーセンターは世界最大の小売業である米国のDS、ウォルマート・ストアーズが
本格的に導入したことで有名になった。同社がスーパーセンターを初めて出店したのは1988年。
現在では、米国で1000店以上も展開しており、いずれも24時間営業である。
1989年に「ペガサスクラブのアメリカ視察ツアー」で行った時に
腰を抜かさんばかりに驚いてしまった。
このウォルマートが2002年3月、西友を傘下に収めて日本に進出を決めたことで、
日本でもスーパーセンターが注目され始めた。
今のところ、日本での代表的な事例としては地方の小売業、「PLANT(福井県坂井町)」や、
群馬の「ベイシア」や、地元新潟では「ムサシ」などがある。
「PLANT」は、もともとプロパンガスの専門店として設立されたが、
93年から福井県でスーパーセンターの展開も始めている。
同社は「自動車で25分の距離に人口5万人」が出店の基準となっている。
このほかをみると、もともとホームセンターを経営しているマキオ(鹿児島県阿久根市)が
97年に、同じくホームセンターの天野金物(秋田県男鹿市)が98年に出店している。
地元新潟のホームセンターの「ムサシ」も、その頃から出店を開始している。
米国と同様、日本でも地方から威力を発揮する業態といえる。
10月末に開店をした「PLANT」に何回か行っていて、圧倒的な商品量とアイテムと、
安さには驚かされる。
・・・・・・
2002年12月10日(火)
606,ある時間の断片-20
10月13日
9時半起床、午前中は何事もなく時間が過ぎる。午後、姉正子さんが来て、
一昨日の事を聞く。姉が東京に友達といって、夜どこかの東京の夜を
深井に案内してもらった件だ。深井にしたらあれが精一杯の接待だったのだろう。
その後悠久山に自転車で一人遊びに行く。夕方になって街に出る。
実家の店と靴屋ーキッドに行き靴を買う。その後両親と3人で自宅に帰る。
西村夫妻がおり裏に住む正子夫婦とともに一緒に食事をする。
正子の亭主の芳郎さんが急に席をたった?
夜半の0時半に西村幹夫さんが夜行で帰るので、見送りにいく。
10月14日
7時半に起床。オリンピックのバレーをTVでみる。
日本がアメリカに勝つ。姉が芳郎さんの席を立った理由を言いにくる。
色々あるのだろう。父の毒舌に腹を立てたようだ。11時43分の佐渡で帰ってくる。
私の留守の間に寮の後輩の駒村がハプニングをおこしたらしい。
誰か友達と騒ぎ、喧嘩になって留置所に入れられたという。呆れたものだ。
2~3日はそっとしていてやろう。明日から卒論の再開だ。
・・・・・
2001年12月10日(月)
265,運について
運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。
「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」というのが一般的に
いう運の意味である。運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。
そう考えると運のいい人とは、「無意識の判断」が適切・正しいということだ。
運のいい人とは適切な判断家ということになる。適切な判断の連続線が運と言ってよい。
曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。
以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。科学者に似合わない内容だった。
その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。
ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。
もって生まれた運勢があるという。
その共通点をみると。明るく、楽天的で、勘が鋭いという。
(これは私の追加の感想ー>)それと努力家で夢がある人である。
ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?
何も努力をしないで、なにも学ばないで「俺は運がない」と呟いている人を
何人も見たからだ。そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。
運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。
多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。少しオーバーか?
運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。
その逆を重ねていくということか。
ーーーー
H・0605「般若心経のすすめ 」
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経の
すばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
①自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
②心臓音に波長があっている(リズム)
③α波がくみこまれている
④“念”がこの中に入っている
⑤お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
⑥情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”を左右する。
⑦これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中に
その中空がつくられる
⑧夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
・・・・・・
ある時間の断片
12月10日 1968年
昼の13時に起床。姉の突然の來京で、また予定が狂ってしまった。
あと二週間で卒論を書き上げなくてはならない。
どういうことだ、これでは間に合わないではないか。あと二週間では無理である。
どうしようか。おまけに就職予定のジャスコオカダヤに提出しなくてはならない論文がある。
これは来年に一月十五日が期日である。姉の千葉にいる優子さんのところで数日篭るしかない。
図々しいが仕方がないか。明日優子さんに電話で打診である。
それと姉の正子さんに満足できたか電話をしてみよう。
深井のところに電話をする。彼いわく「今度の会(聖心女大のグループと、松村と深井と私との会)、
来たかったら来い、来たくなかったら来なくてもよい」とのことだ。
先日の件で強く言いすぎたためか、他に何か思惑でもあるのか。
ところが、すぐに電話で「やっぱり来い」との命令口調だ。
何を考えているのだ。行かないことにした。それに時間的・物理的に無理である。
まあこういうときは、アマリ頭にこないことだ。私の道は彼達とは違う。
自分に対して誠実であれば、こういう無礼なことに対して気にしないで済む。
このように怒っているのは自分に誠実になりきれないことか。
何か毎日毎日がギリギリである。
・・・・
ー2003年12月10 日記
「深井義明」のことを書く。
10年位前に脳梗塞で亡くなってしまった。あとで聞いた為、葬式に出席できなかった。
「新橋しの田寿司」の四十数店舗の寿司屋チェーンの息子で、「ある時間の断片」の中に
度々出てくる。私の結婚式に出席してくれた学生時代の友人だ。
日記を読み返して、ある時期によく寮に来ていた。
彼とは、欧州旅行で親しくなり、亡くなる直前まで接点があった男である。
最後に会ったのが、チェーン理論のペガサスクラブのセミナーで箱根の小涌園であった。
その時に学生時代のある秘密を私の打ち明けてくれた。
共通の知り合いの女性に結婚を申し込み振られてしまったことだ。
まあ、美女に野?で不釣合いで、当然のことだ。
ところが、その女性に共通の友人も結婚を申し込んでいたという。
私にすれば20数年後に知った「え~まさか!」という驚きであった。
わたしら三人と、合コンで一泊二日のドライブをした。
相手方は「雲の雲の上の人」に見えた。将来のことで頭がいっぱいで、余裕は全くなかった。
無傷は私だけだったのか、そして私は二人のダシに使われていたのか?
後先出会った女性ではナンバーワンとは思っていたが、自分の恋愛対象など考えられなかった。
母親にどういうタイプが良いのかと言われたとき、その人の写真を見せた。
それを見た人が今の家内の話を持ってきた。あの時代のことが、改めて思い出された。
それと、父親に対して「社内クーデター」を起こして強引に社長になったことも打ち明けた。
「その時父親が泣いていた」と話してていた。自分が考えていたことを実行したが全て失敗。
頭の中の理想でしかなかったのだ。その時になって初めて自分のした重大性に気がついたという。
最後とも思っていなかったのだろうが、心の秘密を10分ぐらいの立ち話で全て話した。
何か虫の知らせがあったのだろう。人には色いろ心の傷があるものだ。