つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=dg30FjU6_jg

 今日は金曜日はシネマの日。結構、面白そうなのが必ずある。
朝のポタリングは雨が止んだばかりで、スリップが心配で休止。 
で、これから、何時ものコースに出発。 自転車は、ある意味、
一番危険な乗り物。特に、スリップと四角の自動車との出会い頭に衝突。
バイパス以外は、なるべく避けっること。



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969, 幽霊店舗
2003年11月29日(土)
 昨日、初めて聞いた言葉である。それが「幽霊店舗」である。
一瞬何のことか解らなかったが、次の瞬間に直ぐに理解した。

 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、
既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。
次の店が決まるまでの店舗の劣化を防ぐ為である。
実際のところ聞いてないので真偽は解らないが、間違いがないだろう。

 興味があったので、その幽霊店舗に行ってみたら、何事もないように営業をしていた。
たまたま知人が以前に勤めていた店であった。
「幽霊店舗」という言葉とその実体をみて、今の時代の典型的な事例に思えた。

 この店の直前に見た店は、数ヶ月前に夜逃げをした店であった。
30年近く前から郊外のポイントの立地に店を出して、評判の良い店だったという。
三店目が失敗、全国チェーン店の攻勢の追い討ちで倒産のパターンである。

 この二ヶ月間、真っ白な目で郊外型飲食店をみてまわって不思議であった。
車社会のなか不景気でも、信じられないほどの店舗が存在していることだった。
それが更にドンドン開店をしている、それも若い立地に。
どこかに必ず歪があるはずだと思っていた。
日進月歩、常に変り続けていける店以外は、淘汰されて当然である。

ところで、幽霊店舗があれば幽霊会社もあるのは当然である。
幽霊会社」とは、どういう会社をいえばよいのであろうか。
 銀行管理会社?
 債務超過の会社?
 実質社長業放棄の社長の会社?
 ドキッ!

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595, ある時間の断片ー14
            - 2002年11月29日(金)

 ー1968年10月4日 金曜日ー
 
 8時10分前起床。
人事管理の受講の為に出発。
そこで性格検査をする。
「D型の準」だ。
その後図書館に行く。
雨宮がいる。彼と話をする。
以前は都会育ちのファッショナブルの男であったが、
最近はいやに人間臭くなってきた。
自分の将来図を描いて自分を当てはめようとしている。
それが不安で仕方がないようだ。
13時から16時まで武澤ゼミナール。
あまりの熱中と緊張感で前頭が痛くなる。
何とか切り抜けることができた。

17時より蒔田寿司でゼミのコンパ。
20時半に終了。
武澤先生のお宅へ先生の車で行く。
23時まで先生のお宅で騒ぐ。
先生の奥さんが先生に顔がそっくりなのに驚く。

マンションに入るのは初めてだ。
外国映画に出てくるそのままの世界である。
椅子に人形の女の子が座っていたのも印象的だ。
先生には子供がいないので、それが目立ったのだろう。
かなり酔う。やっとのことで帰寮する。
楽しい一日であった。

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[242] ゼネコンー2 - 2001年11月29日(木)

同じ見積もりでも、3~4割の値段が違ってくる。
平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。
今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。

日本的特質がそのまま現代的に残っている。
この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。

悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。
しかし男の世界でもある。新しい創造に携わるからだ。
よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。

彼らのシステムに現場主任(現場代人)と言う責任者が、
殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。

システムを含め、やはり大手の会社はしっかりしている。
何年か経つとそれがわかってくる。またフォローの体制が大手ほどいい。

大手と準大手では総て含め、建築費に5~7パーセントの差があっても、
それだけの出来上がりの差がある。

その業界が現在大きい危機に瀕している。供給過剰なのである。
それは20年前から言われていた。しかし減ったというより、むしろ
その数は増えている。

ある売り上げの量が、役所のその格づけの大きい判断材料にされる。
その為原価割れでも、請け負う事がある。その反面その役所から
談合で元を取るのだ。

今でも公然である。そのつけは国民にきているのだが、誰も知って
知らぬふりだ。この体質の結果が今の危機になっている。

工事には「箱物」といはれるビルと土木がある。
それと民間と公共にわけられている。公共は今はどうか?解からないが、
100㌫談合?である。
民間の工事もかなりの確率で談合と云われている。

設計事務所も設備とか建材とかで、メーカー指定をしてそこからはねる?
こちらもそれを解かっているから、見積もりを出す時指定外でもよいと
いって渡す。そういう関係・因縁がびっちり詰まっている世界である。

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ある時間の断片
    11月29日  1968年  
10時前に起床。
12時に学校に向け出発。
川崎の約束を破ってしまった。
昼飯後、ゼミに出席。一回も口を開かなかった。
どうしても自信がもてなかった。
それか、傷をつきたくない為か。
17時に終了。
帰寮後、食事をする。
21時から一時間、本を読む。
その後佐藤のところで酒を飲む。
一年後輩の間中のブーちゃんと議論伯仲する。
かなりいい加減なことをいっていたようだ。
明方の3時過ぎに就寝。

ー「今日のゼミについて」で考えたことー
 
 ゼミで、個人主義集団主義について、各自の意見を出し合って議論をした。
ホワイトのいう集団主義は「個人」を決して働かせない。
それは個人の創造性と個性と本質を見失う可能性が高い。
グループ活動は個人の水準を引き下げる効果が大である。
大勢順応を強要し、個人を否定し、創造的活動を破滅させる。
一般的にいえば、人間活動を妨げる制約を持っている、という意見がある。
個人主義においても、集団という環境に合わせて目標に向かっていく条件は必ず
あるとしている。

 反面、集団主義は集団であるがゆえに不可能を可能にする側面を持っている。
言葉の捉え方のニュアンスの差があった。
集団で鍛えられたものと、そうでないものとの差は大きいのは事実である。
それは個人の能力の差もあるし、個人の分析能力や統合能力によるだろう。
私も人間関係主義?によって流されて、自分の本質を見失っていた部分が大だ。
しかし今やその段階はすぎたようだ?

 利己主義ー>集団主義ー>個人主義とである。
個人主義とは、帰属を決して集団に置かないことではないか。
個人に帰属を置くことである。自己の中に生きることである。
その時おきる集団との格闘により自己を獲得していくことだ。
そして集団に対しては協調をすることだ。
「友人に対しても、相対する相手」に対してもだ。
それは寂しく、辛いものである。
その葛藤の中でこそ個人は生長するものだ。
人間関係に捉われて自己の創造性や個性を否定することだけは、やってはダメだ。
その葛藤の中に本当の知識が現れてくるのだ。
  ーーーーーー
-2003年11月28日記ー
ーこの35年前の日記を読んでー
あくまでも「今の自分」と「過去の自分」の話しだが、
いま読んでいても、真っ当なことを考えていたこと?に驚いている。
いまの自分よりよほど筋が通っている。
ゼミと武澤先生の影響があったためだろうか。
多くの友人と口泡を飛ばして議論を毎晩していたせいだろうか。
それとも一生の分岐点に立っていたためであろうか。

この日記がなければ全ては忘却の彼方である。
「忘却の彼方にいる自分の姿」に驚いている。
現在の方が、体験と知識量が数十倍いや数百倍も多いはずなのに。
決して現在の自分に劣っていない当時の自分がそこにいるのに驚きである。
当時は、経験量に対してのコンプレックスは全くなかった。
それだけの自信を全員持っていた。
裏付けもあったのだ。

その後も挫折を数多く繰り返す中で、自己喪失感の強い体験を何度もした。
全くの無能感、それも痴呆症的な感覚の呆然感である。
その中で、遙か彼方の自分が、これだけの文章を書いていたことに驚いている。
他人からみれば馬鹿みたいかもしれないが。