* 自分の初めの感じたことを信じなさい!
 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で若い女性二人が土産物に迷っているところ、
60歳代半ばの日本人男性が話しかけていた。「自分の初めの感覚を信じなさい!」と。「私に、そんなことを言ったら
『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性になら良いか?」と独り言を頭の中で呟いていた。 
その言葉は、正しくもあり、間違ってもいる。これは経験からいえること。経験の浅い人になら、自分の感覚を信じて、
まず決断をし、その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより良い、ということになる。 
それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り経験してきた私にとって、そんなことは若い女性にしか言えないこと。
その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。同じ言葉でも、受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。
  * 尖閣ビデオYoutubeが注目される
 もう古い話?になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが更に注目を浴びてきた。
Youtubeは10分間の制限があるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できるもの。僅か5年前に若い二人の米国人によって
つくらたサイトで、一年後にGoogleに2000億円で売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。
一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。 数ヶ月前から面白そうなものを私のブログに
貼り付けている。過って見たことがない面白い映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白映像として毎週紹介する番組が
既に出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側に関連したビデオの写真が貼り付けられ、アクセス数が
書かれているので、関連したビデオにネットサーフィンできる。 そこで、思いもよらない世界を垣間見るケースが多くなる。
コスプレ、ラップ、ペットなど、知らなかった世界を知ることが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎が、
売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を国辱罪で訴えるという奇妙な現象が起きている」と発言。言い得てるが、
それが東京都知事ときている。訴えると脅され、「チャンと受けてたって証言をする」といったら、何も言わなくなったとか。
 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。
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3160, ドバイが債務不履行
 2009年11月29日(日)
 アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。数年前にドバイの発展する様子をNHKスペシャルで放送したが、
石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした新都市の様相には驚いた。 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという
信じがたいことも報じていた。大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。
しかし今年に入り一転、金融危機と石油の値崩れで、歴史に残るバブル崩壊を映し出していた。 
数年前の活況時のドキュメントの映像と比較した内容だから、その段差は極端。さながら映画のようである。
そのドバイの債務不履行は5兆円というが、数十兆円になる可能性がある。欧米の金融機関、特に欧州の金融機関が直撃という。
また日本のゼネコンの大林や、清水建設も大きな請負をしているというから大打撃になる。鹿島、大林がどうか分からないが・・
大手ゼネコン総倒れの可能性さえある。さらに日本の大手銀行もドバイワールド向けの債権を多く抱えている。 
さらなる本格的な金融崩壊の引き金が、この辺になるかもしれない。 この金融恐慌の底は深い。それに関係して、
ドルとユーロが値下がりの圧力がます。80円割れでなく、70・60・50円割れもありうる。その時、日本はどうなるのか、
考えただけで身の毛がたつ。 師走と新年は大荒れになるのは覚悟をいていたが、なるほど、次はドバイが発火点ということか。
銀行閉鎖や、国家非常事態宣言!も、というとマサカと思うが、そのマサカが次々と起こる。
 何が何処かで、戦争をしかけるか? ありそうな事だ! 大きなテロをキッカケに、イスラエル北朝鮮
ロシア・東欧?で、G20が抑止力になるか、どうかだ。 
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2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
 2008年11月29日(土)
【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ
「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」 ユダヤの諺
「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」
「噂はかならず三人の人を殺す。 噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そして噂の対称になっている人だ」
「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」 ユダヤの諺
「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、
 一度発した言葉を 取り返すことはできない」          ユダヤの言葉
「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、最後は人に教えてみることだ」                                                   ソロモン・カビロール 
  (字数制限のためカット09年11月29日)
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2007年11月29日(木)
 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより
「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が驚く内容の連続である。
死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、誰もが
見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。
この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。
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<おばあちゃん>  金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは   もう二十年近くもねてゐる。
 すべり台のやうな傾斜のベッドに  首にギプスをして上むいたまま。
 はじめはふしぎそうだったが  いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。
 なんにもできないおばあちゃんを  どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。
 むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる
 そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。
 ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。
 できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。
 おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。
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 ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。偶然に去年、老いを取上げていた!
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2006年11月29日(水)
2066, あたりまえなことばかり −17
                         おふぁ  ファ〜
そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!死なないのだから、
そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。還暦を過ぎたのだから・・
両親の死に際に、二人とも同居していた。そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、
決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。
だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、
彼らが知らなかったのを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。
母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。これである、魂は永遠の学びをしていく。
ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・
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老いは個人の生を超え
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人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。それを否定的に感じてしまうのは、
若さという経験を先にしてしまうからだ。やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという現実を
肉体の事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。生きられてしまった事柄とは、
端的にかこである。それは動かせない事実である。過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、
それ以外ではあり得なかった、このとき、人は人生の一回性の秘密に触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの
感情や感傷によって覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。
なぜ自分の人生はこのようでしかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。
生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは肉体を失っていく過程である。
しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。老いていくことによって、得ているものはたしかにある。
何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。精神というより、むしろ魂である。成熟するのは魂である。
魂は成熟する。「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、ソクラテスふうには「魂の世話」となる。
経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、いった意味合いらしい。
縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、魂が自身を織り上げていく行程は、
刻々老いてゆく肉体の老いとは反比例して豊かである。いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の
他ならないのだから。それすらも、織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。
人生とは、生死の間に存在する時間である。なるほど論理的には、人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 
したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には、人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。
有と無の間で生成する質である。質は論理でない。論理が指示する、論理自身の影である。
論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きているという、このこと自体が人生の不思議である。
その存在しない死が近づいてくる老いの時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはずである。
かって老いたことのないわれわれにとって、それは未だ知らない質である。老いるという未知の経験、未知の質を、
味あうことなく拒むのは、死ぬのを待たずに既に生きることを拒んでいるようなものである。   
ーー               
 死か〜 まあ、麻薬をタップリ楽しんで、消えていくのも悪くないが・・
やはり、朝いつの間にか死んでいるほうがよい。魂の成熟か〜 無限の宇宙に浮かぶ
未知の質か〜 人生は!    (+>∀<+)ノ  バイバイ
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 2005年11月29日(火)  
1701, ほめ芸王 ー2
以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める
ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。
  というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。    funn~(。_。)q
 以前借りてきた時に印象的だったのは、
 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、
 ・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、
  人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。    
だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。
お犬様の散歩の時の女性の、犬自慢がそうだと聞いたことがある。
自分の犬を褒めて欲しいと、相手の犬を褒めるという。相手もそれを周知して、すかさず相手の犬を
褒めるのが社交マナーとか。 ヽ(・ω・ゞヵゎィ+  ヽ(*・ω・)+. 超ヵヮィィ♪
人間は自分のことが「傍から如何みられているか」気になる動物だ。つねに自分に対しての評価は甘い。
誰も評価してくれないなら、自分で数段上に評価するしかない。したがって微妙な2ランク位上に
評価してやれば、本人も納得する。カラオケは、褒めて欲しいから一生懸命練習し、そして熱唱する。
子供の頃、小中学校時代に先生の褒められたことなど、現在も鮮明に憶えている。
それだけ褒められることは記憶に残る。  (∀`)iうほ♪私のように殆ど褒めないと、たまに褒めると
効果絶大という利点もあるが。 軽々しく褒めちぎるのも納得しないが、『美点凝視』の心がけは
絶対必要条件のはずだ!                (◎゜ω゜)ノ^ジャ、マタ!!
 ・・・・・・・
 2004/04/04
「ほめ芸王」−1  ー読書日記
字数の関係でカット(2007年11月29日)
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2004年11月29日(月)
 1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、
落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ
逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、
そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを
 置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。家計簿的なメモもあった。
果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。
当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に
与えることであった。AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに〔とことん飲むぞ!〕
というものもあった。富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。「あの男に災いあれ!」
当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣をもって争う姿」があった。
試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう事件が起こったのだ。
普段の生活が、火山で時がそのまま密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。
 −このポンペイのシリーズはまだまだ続くー
・・・・・・・
2003年11月29日(土)
969, 幽霊店舗
 昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。一瞬何のことか解らなかったが、
次の瞬間に直ぐに理解した。 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、
既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。次の店が決まるまでの
店舗の劣化を防ぐ為である。実際のところ聞いてないので真偽は解らないが、間違いがないだろう。
 興味があったので、その幽霊店舗に行ってみたら、何事もないように営業をしていた。
たまたま知人が以前に勤めていた店であった。「幽霊店舗」という言葉とその実体をみて、
今の時代の典型的な事例に思える。 この店の直前に見た店は、数ヶ月前に夜逃げをした店であった。
30年近く前から郊外のポイントの立地に店を出して、評判の良い店だったという。
三店目が失敗、全国チェーン店の攻勢の追い討ちで倒産のパターンである。この二ヶ月間、真っ白な目で
郊外型飲食店をみてまわって不思議であった。車社会のなか不景気でも、信じられないほどの店舗が存在していることだった。
それが更にドンドン開店をしている、それも若い立地に。どこかに必ず歪があるはずだと思っていた。
日進月歩、常に変り続けていける店以外は、淘汰されて当然である。ところで、幽霊店舗があれば幽霊会社
あるのは当然である。「幽霊会社」とは、どういう会社をいえばよいのであろうか。
 銀行管理会社? 債務超過の会社? 実質社長業放棄の社長の会社?
   ドキッ!
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[242] ゼネコンー2

  • 2001年11月29日(木)

同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。
日本的特質がそのまま現代的に残っている。この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。しかし男の世界でもある。
新しい創造に携わるからだ。よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。彼らのシステムに現場主任(現場代人)
と言う責任者が、殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。
(字数制限のため、カット 09年11月29日)
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ある時間の断片
 11月29日 ー1968年  
10時前に起床。 12時に学校に向け出発。川崎の約束を破ってしまった。昼飯後、ゼミに出席。一回も口を開かなかった。
どうしても自信がもてなかった。それか、傷をつきたくない為か。 17時に終了。 帰寮後、食事をする。
21時から一時間、本を読む。 その後佐藤のところで酒を飲む。一年後輩の間中のブーちゃんと議論伯仲する。
かなりいい加減なことをいっていたようだ。 明方の3時過ぎに就寝。
ー「今日のゼミについて」で考えたことー 
 ゼミで、個人主義集団主義について、各自の意見を出し合って議論をした。ホワイトのいう集団主義は「個人」
を決して働かせない。それは個人の創造性と個性と本質を見失う可能性が高い。グループ活動は個人の水準を引き下げる効果が大。
大勢順応を強要し、個人を否定し、創造的活動を破滅させる。一般的にいえば人間活動を妨げる制約を持っている、という意見がある。
個人主義においても、集団という環境に合わせて目標に向かっていく条件は必ずある。反面、集団主義は集団であるがゆえに
不可能を可能にする側面を持っている。言葉の捉え方のニュアンスの差があった。集団で鍛えられたものと、そうでないものとの差は
大きいのは事実である。それは個人の能力の差もあるし、個人の分析能力や統合能力によるだろう。私も人間関係主義?によって
流されて、自分の本質を見失っていた部分が大だ。しかし今やその段階はすぎたようだ?
 利己主義ー>集団主義ー>個人主義とである。個人主義とは、帰属を決して集団に置かないことではないか。
個人に帰属を置くことである。自己の中に生きることである。その時おきる集団との格闘により自己を獲得していくことだ。
そして集団に対しては協調をすることだ。「友人に対しても、相対する相手」に対してもだ。
それは寂しく、辛いものである。その葛藤の中でこそ個人は生長するものだ。人間関係に捉われて自己の創造性や
個性を否定することだけは、やってはダメだ。 その葛藤の中に本当の知識が現れてくるのだ。
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−2003年11月28日記ー
ーこの35年前の日記を読んでー
あくまでも「今の自分」と「過去の自分」の話しだが、いま読んでいても、真っ当なことを考えていたこと?
に驚いている。いまの自分よりよほど筋が通っている。ゼミと武澤先生の影響があったためだろうか。
多くの友人と口泡を飛ばして議論を毎晩していたせいだろうか。それとも一生の分岐点に立っていたためであろうか。
この日記がなければ全ては忘却の彼方である。「忘却の彼方にいる自分の姿」に驚いている。
現在の方が、体験と知識量が数十倍いや数百倍も多いはずなのに。決して現在の自分に劣っていない
当時の自分がそこにいるのに驚きである。当時は、経験量に対してのコンプレックスは全くなかった。
それだけの自信を全員持っていた。 裏付けもあったのだ。その後も挫折を数多く繰り返す中で、自己喪失感の強い体験を
何度もした。全くの無能感、それも痴呆症的な感覚の呆然感である。その中で、遙か彼方の自分が、
これだけの文章を書いていたことに驚いている。他人からみれば馬鹿みたいかもしれないが。