つれづれに

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 そろそろ晩秋に入ったようだ。 そして初冬は来月の初め頃。
このまま、今年が終わるのだろうか? 無事、これ平安ということ。
 去年、一昨年は、周辺で色いろな出来事が重なったが、今年は何も無かった?
用心に越したことはないが、しかし、そう甘くないはず。 家内が、駅周辺の専門店街や、
ジャスコなどで見かける中年のホームレスのような女性について、週一回は聞く。
季節はずれの服装で、何時も、何もするでなし、何処かの椅子に座っているとか。
 新潟に通っていた頃には、長岡駅にも新潟駅にも、それらしき人を多く見かけていた。
色いろあってのことだろうが・・・ 

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 2005年11月10日(木)
  1682, 「ひとを嫌うということ」-1
                  -読書日記
 学生時代や、勤めていた時代に多くのタイプの人と接する機会があった。
また、多人数の兄姉の末っ子ということもあり、かなりきつい虐めにあった。学生時代の寮やクラブの先輩や、
勤めているときに合わない先輩との確執も多々あった。人間であるかぎり必然である。仏教でも四苦八苦の中で、
怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)を説いている。ここで取りあげるのは、こういう「程度の高い?」
憎しみではなく、普段どこでもあるような嫌いについてであるが。ひとを好きになることについては多くの本があるが、
その反対の「嫌う」という問題を、真正面に捉えている非常に面白い本である。ひとを好きになれ、
しかし嫌いになるなというのは、食べてもいいが決して排泄するなといっていると同じで、どだい無理である。
著者の中島義道は、とことん他人から嫌われてきて、そしてやたら嫌ってきたが、ある日を境に、
人生の大問題になってしまった。何となく嫌われていた妻子から、ウィーンで大喧嘩をして・・・
そして徹底して嫌われるようになった。冒頭の「はじめに」から、すざましい内容になっている。
ー「思えば、母は父を嫌って死の直前の40年間、彼に罵倒に近い言葉を浴びせつづけていた。
その同じほとんど言葉を、今や妻の口から出てくる。そして、私もまた父を死ぬまで嫌っていた。
いや、死んでからもなお嫌っている。息子が、また私をはっきり嫌っている。これは一体何なのだ!
私はみずから生きていくために「嫌い」を研究するしかないと悟った。
つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたのです」本書で私がつかんだことは、
それは「嫌い」という感情は自然であること、そして理不尽であること、しかもこの理不尽こそが
人生であり、それを誤魔化してはならないということです。
 -
この本の初めから終わりまで、このような文章が延々と続く。自分の心を代弁し、そして深く納得する。
だから面白くて面白くて一人不気味な笑いを浮かべながら、中島義道の世界に引き込まれてしまう自分をみてしまう。
嫌うということは、食欲や性欲のようなもの。その自然の欲求を、社会に生きているということで割り切って
コントロールすればよいと切って捨てている。自他に対する嫌いをヒリヒリするほど感じることも時に必要であると。
私事になるが、私もこのことをジックリ考えたことが多々ある。
それも20歳の頃から。そして、割り切ってしまった。「嫌われることも、嫌うことも避けて通れないなら
気にしないことだ。受けとめかたとして、好き嫌いを二の次にする。
他人の思惑も大事だが、自分の受けとめ方のほうがもっと大事。人は何時も自分がどう思われているか気にしている、
それはそれでよい!そんな感情など情念のひとつでしかない」と。あと27歳の時、自分で事業を立ち上げた時も、
割り切る機会になった。
一神教」のキリスト教ユダヤ教の信者は、内面に共通の価値観がある。
しかし、多神教の日本人は如何しても周りの顔色をみるしかない。
自分のなかに絶対という信念を持てないからである。だから、嫌われることが恐ろしくなる。
人間関係に悩み傷ついている人は、この本を読めば大きく癒されるはずだ。
この男を見ろ、憎悪を持つ前に、嫌いを訓練すればよいと納得するだろう。
そういえば、歳を重ねるほど憎悪など持たなくなる。気持ちの処し方が出来てしまったのだろう。
憎悪する前に、気持ちの中で抹殺してしまうから?

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2004年11月10日(水)
1317, ベスト・エッセイ集-1
’03年度版ベスト・エッセイ集「うらやましい人」がなかなか面白い。
何冊か図書館で借りてきた本の一冊で、殆んど読まないで返そうとした本である。
この地震で図書館が閉館していた為に返しそこねて手元にあった。
何となく新幹線の中で目を通したところ、それぞれが面白い。
 そこで、後書きをよく読むと、 毎年、日本エッセイスト・クラブ日本文藝家協会が、
前年の日本の雑誌に掲載された膨大な数のエッセイのなかから、それぞれ「ベストエッセイ」を選び、
単行本化しているものであった。エッセイ好きを大いに楽しませている本で、20年間も毎年刊行されているとか。
なるほど、面白く味わい深いのは当然である。もっと早く知っていれば、必ず毎年ごとに購入したと思わせる内容。
 作家のみならず、多くの分野の専門家や素人の作品まで掲載してあってミックス感覚で飽きないのも良い。
著名な作家や経営者や政治家が並び、文章のプロとしての充実感や多くの分野の深い内容が書いてあり読み応えがある。
 このベスト・エッセイ集のおもしろさは、エッセイという切り口から、色いろな人の心が浮き上がってくることだ。
まとまった作品群を読んでいると、それぞれの世界が、それぞれの内側からわかってくるような錯覚に陥ってしまう。
 この本に掲載された文のなかから、たびたび国語の入試問題が出題されていて、教育関係者では知らない人は
ない本でもある。60~70編のエッセイが収録されており、多くの世界を味あうことができる。
'04年版も刊行されているので、早速図書館で探してみる。まだ半分しか読んでないので、その後になるが。
 もののプロセスが見えにくい時代の中で、エッセイは、日頃見えないプロセスや人の感情の機微や揺れを描き、
隠れた世界をかい間みることができる。短文が心に残るのは、それぞれの世界を凝縮して見せてくれるためだ。
                       続く
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2003年11月10日(月)
950、「泣いて笑ってハッケヨイ」
 昨日より大相撲が始まった。
そういえば先日、再放送であったが、NHKの人間ドキュメント「泣いて笑ってハッケヨイ」が良かった。
今年の春場所に入った新弟子の何人かを追っていく内容である。中学を出たばかりの子供が、わずか数ヶ月の中で
全く違った顔に変わっていく。もし自分の子供であったら、涙が止まらないだろう。気の弱い登校拒否の子が、
相撲の中で克服していく姿が生々しく映し出されていた。大きな志と小さな自信をもって相撲に取り組んでいく
姿がそこにあった。
「体に痛さを慣れさせないと恐怖心に勝つことが出来ない」という兄弟子の言葉が印象的であった。
そして稽古で痛さを体に憶えさせて行く場面は、人生の根底の要点であった。
まずは自分の恐怖心を乗り越えなくてはならない。
 勝つことによって、だんだん意欲が出てくる姿が初々しくてよい。いま大相撲が面白くなくなってきたが、
こうして一人一人が自分の人生を背負って闘っている姿をみると、じっくりと見直してみる必要がある。
今場所は、横綱武蔵丸が引退かどうかが一番の注目されている。
実際は無理だろうが、相撲の世界はわけの解らないところがあるからどうなることか?
過去に書いた大相撲の随想日記をコピーします。

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相撲を考える
2003年9月22日
 大相撲が昨日で千秋楽、朝青龍が優勝をした。
他の格闘技も多くできたこともあるが、最近の大相撲はつまらなくなった。
つまらなくなったという点で、今のプロ野球に似ている。
NHKのBSでメジャーリーグを見るようになってから、全く見なくなった。
 以前、「過去の相撲の大一番」を特集していた。
子供の時から相撲が好きであった事もあって、ラジオやTVで大一番は殆ど見ていた。
・私が見た中での大一番は「栃若の千秋楽の全勝の一番」である。
大鵬柏戸の千秋楽の全勝同士の一番も素晴らしい一番であった。
・生まれる前なので見てないが、歴史に残るのが双葉山が69連勝の後に負けた相撲も大一番といえるだろう。
 栃若が全勝で向かえた千秋楽の前日の逸話がある。
栃錦があまりのプラッシャーに「一人でこっそりと映画に行ったところ、前の席にやはり若乃花がいた」という。
大乃国双羽黒・保志・小錦が一度に昇進していく時期も面白かった。 
 相撲は、立合いの一瞬に大方が決まってしまう面白さである。
また数秒間の中に、それまでの二人の全てが圧縮されて出てくる。
 いま人気の高見盛の相撲が面白い。特に「入魂の儀式」としての、最後の仕切り前の気合を入れる仕草が
人気をよんでいる。それが神憑りになるから見ていて面白い。緊張を気合に転換するための、純粋な仕草さが
受けているのだ。勝てば胸を張って退場するし、負ければ泣きそうな顔をして引きあがる姿が滑稽で、
忘れかけた人間の原点を見せ付けられるようだ。
 今場所、横綱をかけていた魁皇が逆上せ上がって自滅していった姿が印象的であった。
 朝青龍の弟弟子のモンゴル出身の朝赤龍というのが強くなりようだ。
それと目覚めてきた旭天鵬が一年後には、大関横綱になっている可能性がある。
とにかく彼等はハングリーだ。半年前に書いたようにモンゴル大相撲になってしまうか?
日本人には個性的な力士はいても、彼らに対抗しそうなのは殆ど見当たらない。
十両普天王豪風というのが面白そうだが。
 
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576, ある時間の断面ー10
2002年11月10日(日)
 ー1968年 9月27日
 7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。
受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。石川をチョット無視をする。
たまには薬になるだろう。図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。
昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。彼も大変のようだ。 その後ゼミに出席する。
体調が悪いせいか議論では絶不調だ。石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。
どうしたことか?疲れているようだ。
 ー1968年 9月28日
9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの場所に行く。
しかし彼はこない、図書館に直行して、卒論のまとめをしていると、石川がくる。
12時頃再び待ち合わせのところに行くが彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。
石川と深井と川崎と松村の家に車で行く。凄い家だ、山の手の家に入るのは初めてだが凄い。
(いや鳩山御殿に、ある会合で、映画でいうその他大勢のエキストラで行ったことがあったが)
その後松村の家を出て、石川と深井と3人で[[赤と黒」というスナックへ行く。
それぞれの性格について話あう。23時に帰寮後、服を着たまま寝てしまう。
夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。それっきり眠れない。