* 空観、仮観、止観、そして中観に至る
空観、仮観、止観、そして中観に至って真の自由の獲得する道筋がわかりやすく、良い。一つ間違えばアウトローだが。
としても、どっぷり浸かってしまった小さな世界から、一歩も二歩も、外に出ないと、「シラミ」になってしまう。
同じシラミなら、外の世界を持っているかどうか、である。ライフワークは、そのために持っていなければならない絶対条件。
ーその辺りをまとめてみたー {般若心教の具体的解説とみると理解しやすい!}
《 無限に広がる巨大な「網」を想像してください。無数の網目が集まって網を成していますが、その区切られた一つの
「網目」だけを取り出しても、それは存在しているといえるでしょうか? いえ、「網目」という実体はありません。
このように、すべての存在現象はほかに依存して「仮」に現れているだけ。本来は消滅増減もなければ色形の区別もない、
つまり、「空」である。このように宇宙を観るのが、「空観」です。
自分が作り出した欲求が「苦」を生むのですから、煩悩を捨てていき、すべてが幻想であると理解したら、心安らかに
生きていける、ということです。しかし、人が煩悩を完全に捨て去ると、人類が滅亡してしまいます。そこで、もう一度、
認識されることによって現れる、世界の「仮」の姿を見るのです。これを「仮観」といいます。
たとえば、コップを見て、「水を飲むもの」と認識したら、それはコップにそういさう「仮の役割」を持たせたということ。
同じコップを「水を注いで花を挿すもの」と認識することもあるでしょう。このように、世の中のすべてを、役割を持たされた
仮の存在と見るのが「仮観」です。
釈迦がすごいのは、「空観」と「仮観」のどちらも欠いてはいけないとわかっていたことです。すべてを「空」だと
知ったうえで、同時にすべてのものに「仮」の役割を見いだしていくのです。すると、結局のところ、この世の中に何一つ、
役割のないものは存在しないということがわかります。この考え方を「中観」といいます。中観こそ、私たちが最終的に
目指すべき境地だといっていいでしょう。
◎「一億円持っているから幸せ」とか「1億円の負債があるから不幸」と感じるのは、本当はいずれも幻想に過ぎないことを
知るのが、空観方式です。ただし、どうせ同じ幻想なら、自分の望むようにゴールを設定し、徹底的に目指すほうが、
途中の過程を楽しめます。
◎「じゃあ、実際にどんなものか、1億円を稼いでみましょう」と、仮のゴールとして設定するのが、仮観方式です。
注意すべきは、その達成で得られる「幸せ」は、あくまで「仮観」。幸せの仮の姿と知っておくことです。知っていれば、
実際にお金持ちになっても、「もっとお金がないとイヤだ!」と思うような不幸は起こりません。 要は、煩悩に
振り回されないよう、ということ。
◎そこで大事なのが、「止観」という考え方です。煩悩をいったん「止めて、観る」のです。といっても、難しいことでは
ありません。 煩悩が暴走してしまうのは、その衝動を意識できていないからです。意識さえしていれば、コントロ!ル下に
置いて、暴走を防ぐことができます。意識するには、自分の煩悩を少し脇に置いて、客観的に眺めてみればいいのです。
「止観」によって、自らの欲求を認識することは、抽象度の上がった世界から眺めることにほかありません。そこから
眺めれば、欲求は自然とコントロールできます。それを続けることにより、中観の境地に至っていく。》
▼ 「中観に至ると、ありとあらゆる価値観の束縛を超えながら、この世で真に自由に、自らの望む役割を果たすことができ、
他のあらゆる存在も、それぞれの役割を果たしているだけであり、そこに一切の上下関係などないことがわかってくる」
私たちの本来、持っていた自由と、親とか学校教育で教えられた自由と違うことが、中観に至るとわかってくる。
ところで、武澤ゼミで教わった真髄は、この中観の目線だったのではなかろうか! 一つ間違えば、私のようになるが?
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4257, しまった! ー6
2012年11月11日(日)
* 人は、あまりに楽観的過ぎる! ーしまった! 「失敗の心理」を科学するー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
人は楽観的の方が気楽で生きやすい。しかし、それが人生に失敗をもたらす大きな危険を呼び起こすとしたら、問題は別。
バブル崩壊後の失われた20年は、「根本問題から目を背け、経済成長に戻る」という楽観論に惑わされた結果である。
根本問題は、東西対立が終わり米国が地政学的に日本に対する特別待遇の必要性が無くなったことと、アメリカの衰弱、少子化、
そして情報化によるグローバル化の結果である。 その前提が変化しているに関わらず今だ成長路線への修正を目指している。
あまりに楽観的である。間違いなく、10年後には国民の生活レベルは現在の半分以下か、三分の一になる。
著者はここで、大学の色々な実験結果を示し、人間は昔から自分の記憶をいいように、自己満足するように再構成する性を
指摘している。たとえば親は、実際よりも専門家の意見に近い子育てをしてきたと信じてきたし、ギャンブラーは、負けより、
勝ったことを、こと細かく記憶している。それぞれの顔を何割か良くした修正写真と、修正前の写真を二枚並べて、どちらが
自分に近いかを問うと、確実に修正写真の方を選ぶという。人間は自分に都合よくものを見たり思ったりするもの。
人間で凄いのは、とにもかくにもモノゴトを考えようとしないこと、楽観的すぎるということである。更に悪いことに、
結果を知ると、それまでの考えを無意識に修正してしまい、以前より修正後の考えを持っていたと思い込んでしまう。
大部分の人は世界は自分の為にあり、自分中心に地球が回っていると考えている。 実際は、その正反対であるのに。
その甘い考えで経験を重ねるうち、直接、自分に跳ね返ってきて叩きのめされる。それが小さな事態なら、まだ良いが・・
「楽観は意志、悲観は感情」という言葉は、一面、真理だが、これは意志に裏づけがあり強固であってこそ。
右上がりの時流の時は、「長期、楽観! 短期、悲観!にして、日々楽しく!」で、
右下がりの時は、「長期悲観、短期楽観で、日々可笑しく!」を旨にして、冷静にあるべき。楽観的であるのはよいが、
現象のマイナス部分を見て見えないという、欠点がある。その蓄積が大失敗に繋がる。 自分のことか?・・ いや、貴方も!
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3882, 閑話小題
2011年11月11日(金)
* カラスの怒り
一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと
50センチ位の間近かに鉢合わせをした。カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていった。
しかし体制を立て直したのだろう、30Mも行かないうちに自転車の数メートル先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇してきた。
それを4度も繰り返したことから、怒り心頭が分った。 カラスにも人間のような意地があるようだ。
散歩などで時おり威嚇してくることがある。 黒色系の服装が刺激するのだろう。 鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。
それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。 人間社会との微妙な距離を守り、共存している。
土鳩とカラスと雀は世界の街の何処にでもいる鳥である。
* オリンパスの飛ばし
オリンパスの飛ばしと英国人社長の解任事件、英国人の優秀な人物を社長にしたのはよいが、その男は一神教の堅物。
彼を引き上げた実力者の意図と違った行動を始め即刻、首なった。 ところが、その英国人が内幕を暴露をし、
世界的なニュースになってしまい、実力者の元社長は追放され、司直が入る可能性が出てきた。 これが現在、伝わってくる情報。
飛ばしは、粉飾決算の手法の一つ。 それが銀行と証券会社主導かが問題視されている。 飛ばしは日本だけの慣習なのか?
世界共通の手法かは分からないが、これを切欠に、次の飛ばしの会社が槍玉になってくる。次は、どの会社かは情報筋は
分かっているはず。 この事件はアメリカにとっても、大きな日本バッシングのネタになる。今度は、オリンパスが買収される側になる?
一英国人からみた、日本の経営的慣行は、非常に歪んで見えるのだろう。それが白日に曝されるのだから・・・
アメリカは、TPP交渉に日本を引きずり出す絶好のネタとして、最大限、使ってくるはず。
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3517, 不況景色とは、こんなもの? −1
2010年11月11日(木)
* 繊維業界の不況景色とは?
いずこも似たようなものだが、昨日の朝のNHKニュースのレポートで岐阜を中心とした繊維不況の実態を映し出していた。
デフレに対する人件費の削減のため、中国人を研修目的の名目で入国させて何とか凌いでいたが、研修目的という題目の
低賃金が法律で禁止されることになり、先行き真っ暗という。ついに、来るところまで来てしまったという深刻なもの。
30年前に5年近く実家の衣料量販店をたずさわり、岐阜や広島などの生産現地に仕入れに行っていたこともあり、その深刻度が
直に伝わってくる。現在は業種は変わってもほぼ同じような問題で地域経済は喘いでいる。 住宅も、車も、電気製品も、
エコポイント制度による前倒し需要で何とか今年は凌いできたが、問題は来年はどうなるのか?である。
前倒し需要の反動がモロに日本を覆うことになり、来年は更に冷え込みが大きくなる。考えただけで恐ろしい。
また消費税の増税も待ったなし、ときているし、さらにTPP(環太平洋湾自由貿易)で、農業も例外なく自由化されれば、
日本の農業は大打撃を被ることになる。もし参加しないなら、日本経済そのものが壊滅的打撃になる。
一昨日の同じニュースのレポートは、目と耳を疑う内容。「風俗嬢の派遣会社に一般主婦の応募が急増している」という。
顔を隠しているが、サラ金の借入れが厳しくなって、手っ取り早い風俗に昼間行っているという。週に4〜5日、
6時間で月40万になるという。 朝のNHKが放送する内容ではないが、時代は、そこまで深刻ということ。
もう自明になったが、民主党に政権を取らせたことが間違い。今年の暮れか来年早々、政変で自民党と民主党の小沢派が
大同連合をつくり、この難局を乗り越えないと、国家破綻が現実的になってくる。 アメリカのCIAは、あらゆる手を使って
阻止してくるが、それしかない。 まったく、どうなってしまった日本よ!
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3142, 最近、いやに時間が短く感じるが
2009年11月11日(水)
齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。
還暦を過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。
年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通のこと。 これは実験でも検証されており、
「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」という。
また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを突きつめると面白いはず。
「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、時間に影響を及ぼす主な要因としては
次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で午前がゆっくりで
午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。
・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症の人をクモと
一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。
・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を分節化してしまい、
分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説がある。時計を度々見ると長く感じる!
・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。
受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。目や耳で感じる印象と物理的実在のずれは案外に大きいことがわかる。
時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、
人間の時間経過を操作する技術が発見できるのかもしれない。人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。
ーー
なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。 分子の一年を、生きてきた分母で割ると、
その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると、単純に考えていたが、
他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに刺激の感受性が少なくなるのも理由。
要は老化現象で時間が短く感じるということか。 長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。
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2777, 仮説思考 −4
2008年11月11日(火)
棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。 次の文章で、そのことを上手く表現している。
制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。
羽生は、ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから七割なのだろう。
共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、仮説の世界で生きているようなもの。
棋士の目で経営アドバイスをすれば、良い助言が出来るだろうに。
*天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む
P−32
プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの世界に進んでいたとしても、
かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことをいうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。
羽生の棋風はオールラウンドで幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及している。
羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、それでも「あとはなるようになれ」
という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を支えているのが仮説思考である。
将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の可能性があるが、その八○をひとつひとつ、
つぶさに検証するのではなく、まず大部分を捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、
考える必要がないと瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。これはまさに仮説思考だ。
八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。
大胆な仮説を立てて、「これでよいのではないか」と指しているのだ。 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。
直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こうういうケースの場合はこう対応したほうがいい」という無意識の流れに
沿って浮かび上がってくるものと思う、ど羽生はいう。 こんなこともいっている。
「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。
私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、
怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」
将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても、問題の原因と解決策について、
あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てることが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、
それは、経験に裏打ちされた直感力、勘によるものだ。
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羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。
孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 何事も同じである。
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2007年11月11日(日)
2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1 (ォ'`ョゥ)
この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
バブル当時まで、元の住友銀行が大阪検察の幹部との定期的な会を開いていたことは周知の事実である。
これは検察が定年退職をして弁護士になる時に、銀行の取引先を紹介してもらう見返りに、その銀行に対して逮捕者は
出さない取り決めだという。かなり強引な手法も検察がついているから好き放題できたと、この本にもあった。
やはり本当だったようだ。 地検も法務省の一機関でしかないということだ。
それにしても、恐ろしいことだ。 人間がいるところ仕方がないのか?ーその部分を抜粋してみる。
「反転」 田中森一著
ー地検特捜の恐ろしさー
ーP、178〜179ー
平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。 それが銀行側の特別背任にすりかわった。
本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。
結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。
伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかった
のではないだろうか。 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。
事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日) ○´・ω・]ノヂャァネッ
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2006年11月11日(土)
2048, あたりまえなことばかり −4
b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ ー 読書日記
「生死を問う?ー何のためにいきるのか」は哲学上の大テーマである。
このコーナーでも何回も取りあげてきたが、私が一番好きなのは、フランクルである。
「人生に何を求めるか?ではなく、人生が何を私に求めているか?を問うてみよ」である。
せっかく地球に生まれたからには「良く遊び、良く学び、そして良く働くこと」シンプルに言えば、これに尽きる。
彼女ー池田晶子の生死については解ったような解らないような・・
さわりの部分にこうある、「生死に対する、これはという答えなどないが、人は言語を所有するために、
存在するしかない存在についての意味や目的を問うてしまう。言語のせいです。動物は言語を所有していないので、
ただ生まれたから生きている。言語を持ってしまったから、問えない問いを問う不幸、十全には生きられない。
問いを持ってしまったのだから、問うしかないから、問わざるをえない。『何のために生きるのか』」
生を考えるとき、その対極にある『死』を知らなくてはならない。 しかし、死など解るはずがない。
−−
「あたりまえなことばかり」
ー 生きているとはどういうことか ー
「なぜ生きるのか」と問うても、「生きていることはどういうことか」とは、人はあまり問わない。
意味、目的を問う前に、まずは生きているとはどういうことか知りたい。このことを知った上で、そこから初めて生存の意味や
目的を問うべきである。生存を知る前に、死を知っていなくてはならないが、死とは生きていることじゃない!と答えるしかない。
死を知らないくせに、知ったつもりでいる。普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
(字数の関係で中間カット2010年11月11日11日)
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内容はダンダン面白くなっているが、字数の関係でここで切る。エピクロスは、「人が生きているかぎり死は存在しないし、
死が存在するときには人は存在しない」と看破した。言葉を持った人間が死という言葉を持ったために、死という言葉の影に
脅えているに過ぎないということをよくよく納得しないと、生きかたを間違ってしまう。でも、言葉でわかったつもりでも、
「生きているうち、死んでしまえば、それまでよ!」と思ってしまうから困ったものだ。
しかし、死ぬという言葉自体が生きている人間が死体をみて、いや抜け殻を見て名づけた言葉である。
しかし仏教では「生老病死」というんじゃないか?でも、あれ宗教じゃないか! いや元々は宗教ではなかった。
死という字がよい、一の下に夕ヒである。夕陽が地平線の下に消えるのが人生の終わり!何ともロマンッチクである。
この辺に答えがあるのじゃないか?いや、一は生きている方が勝手に思っていること?当人は、その線の一は無い!のか?
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2005年11月11日(金)
1683, ザ・マインドマップ−1 −読書日記
ブザンのマインドマップに関しては、「頭の良くなる本」「自分が天才に思える本」「人生に奇跡を起こすノート術」
などを読んでいた。特に初めて「人生に奇跡を起こすノート術」を読んだ時は大きな衝撃を受けた。
その前に、「インスピレーション」というソフトを買って使っていたにかかわらず。
これをノートに切り替えるという、着想がわかなかっただけのことだが。しかし、絵入り、手書きという部分が違っていたが。
《字数の関係でカット2009年11月11日11日)
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2004年11月11日(木)
1318, ベスト・エッセイ集ー2
橋本元首相が、数年前に大手術をしたことは、ニュースで知っていた。この本の中に、その時の生々しい心情や、具体的な
日々が書いてあった。何かキザな鼻持ちのならない男と見ていた存在が、急に身近な一人の人間に思えてくるから不思議である。
またTV「お宝鑑定団」に出ている中島誠之助のエッセイもあった。普段知ることのできない骨董品の世界を覗き見ることが出来た。
骨董の世界は本物、偽者が混合している世界。本物の中でも、価値が大きくわかれている深い世界である。
ー中島のエッセイの印象に残ったところを抜粋してみる。「骨董の世界では、初めから人をだますために作られたものを、
偽者にもおよばない最下級におき、『嫌物(いやぶつ)』と呼んで下げすんでいる。
嫌物は、それをこしらえた人化身であるために、そのもの自体に罪がある。それに対して偽者は、その人が作りあげたもので、
品物自体に罪はないといえる」 著名の作家の書く文章は、何気ない日常の描写が鋭く、それを思わせないタッチがプロの凄み。
一流の人は何気ないことでも、その文のタッチで改めて対象を見つめさせてくれる。それが一流の一流たる所以である。
一流の役者が端役を演じると、その役そのものが端役でなくなってしまうから不思議である。何事も魂を込めるからである。
このエッセイ集に選ばれることが、著名なもの書きや、政治家や、エッセイストの大きな名誉となっているという。
この数年分の「ベスト・エッセイ集」をジックリ読んで勉強してみようか。
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2003年11月11日(火)
951, 衆議院総選挙の結果を考える
終わってしまえば、こんなものだろうというのが選挙の結果である。もう少し、投票率がアップするのではと思っていたが、
それにしても低すぎる。総括として「二大政党のカタチが、でき始めた選挙」であった。
以下字数の関係でカット(2007年11月10日)
・・・・・・
577, 一人旅
- 2002年11月11日(月)
(次数制限のためカット 2011年11月11日)