つれづれに

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 5月から週末に2年間通っていた公営のスポーツジムに行かなくなった。
チャリに切り替えたためだが、暑くなると昼のポタリングも億劫になる。
それと日焼けが目立ってきた。早朝の陽光は強い。

 
・・・・・
1577, 大阪から何がみえるか-1
2005年07月28日(木)
 ー大阪の衰退は日本の近未来の姿か?
大阪と札幌から、いち早く時代の流れが見えると言われている。
特に商人の町の大阪は、いち早く時代の流れをつかんで動いた。
しかし、最近の大阪は全く変わってしまったようだ。
まずは終戦後に総合商社が、そしてメーカーが、そして金融機関と東京に本社を移し始めた。
現在残っているのは、電力・ガス・私鉄という地域産業のみになってしまった。
更に、大阪の企業は生産拠点までもが海外に移転してしまった。
東京などの大都会には、高所得者の住む高級住宅地がある。
しかし、大阪市にはそれが殆どないという。
富裕層は、神戸の芦屋や西宮の高級住宅地に邸宅を構えている。
ある意味で、金持ちの極端に少ない社会主義国の様相を示している。
その結果、何と生活保護が26人に1人になってしまった。もちろん日本一である。
西成区においては、区民7人に1人の割合が生活保護という。
(ちなみに、日本では100人に1人の割合。新潟県もその割合である。)
大阪市は全国平均の4倍の生活保護者がいることになる。
先ほど書いた、大阪と札幌はいち早く時代を先取りをすると書いたが、
生活保護は、その日本の先行きの悪さを暗示しているようだ。
下手に国民年金を払うより不払いで、生活保護を受けた方が得という。
これでは「何で国民年金の金を払う必然性があるか?」という疑問が湧いて当然である。
若いヤクザの夫婦で、偽装離婚をして母子の生活保護を受けているケースが多々あるという。
               ー つづく
・・・・・・・
2004年07月28日(水)
1212,パスカル(1) 
 -哲学についてー22
学生時代には、パンセが常に傍らにおいてあった。
当時の不安な気持をいつも和らげてくれた愛読書であった。
現在、読み返してみて当時の哲学書の幾つかが、心の底の根幹をなしていたことに気がついた。
特に人間観は、大きくパンセに影響を受けていた。生き方はニーチェとロマン・ローランである。
当時のささやかな読書が、人生を大きく左右しているとは。
「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。だが、それは考える葦である」
パンセの第一節である。彼は物理学、数学などで成果をあげたが、哲学者としても名を成した。
あまり知られてないが、慢性的な病による苦痛の中で人間とは何か、生きるとは何かを問い詰めた。
彼の20年の慢性「考える」という一事において、「自分が苦しんでいる」という一事において、
パスカルの「尊厳」のすべてがある。パンセの中の所々に「病の善用を、神に願い祈る」部分が見られる。
パスカルが31歳の時、神秘的な体験した。1654年11月23日22時30分~24時30分の間に、
パスカルの生涯を一変させる出来事であった。「火」の夜の出来事である。
(恐らく)ヨハネ福音書17,18章を読んでいた時に、白光色の「光」が見えた。
彼の死後に、上着の裏に縫い込んだ『覚書き』が発見された。その一節が次の文章である。
 ーーー
アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神よ。あなたは哲学者や学者の神にあらず。感動、歓喜、平安!
ああ、イエス・キリストの父なる神よ。あなたが私の神となってくださったとは!
キリストの神がわたしの神。わたしは、あなたを除くこの世と、その一切のものを忘却します。
福音書に示された神こそ実在の神です。わたしの心は大きく広がります。
裁しき父よ、世はあなたを知りませんでした。しかし、私はあなたを知ります。
歓喜歓喜歓喜歓喜の涙!私はあなたから離れ、命の水の源を捨てていましたが、
わが神よ、あなたは私を捨てたりなさいませんでした。
どうか私が、これより後、永久にあなたから離れませんように。
永遠の命とは 、まことに、唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされた
イエス・キリストを知ることにあります。イエス・キリストイエス・キリスト
わたしは彼から離れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。
しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。
福音書に記されたあなたこそ、実在の神です。ああ、全き心。快い自己放棄。
イエス・キリストよ。私はあなたとあなたのしもべたちに全く従います。わたしの地上の試練の
一日は永遠の歓喜となりました。わたしはあなたの御言葉を、とわに忘れません。アーメン。
 ーーー
以上が、その時の文章である。
心の奥で深い痛苦を抱え、社会のひずみ、欺瞞に満ちた人間関係の幻滅等が、
この一夜で一挙に溶け去った。そして歓喜にいたった。
キリスト教徒でない私が読んでも感動する言葉である。                        
                           ーつづく
・・・・・・
2003年07月28日(月)
845, 親父の小言   わが愛息へ
 -親の小言と 冷や酒は後で効く
火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
人には腹を立てるな    風ふきに遠出するな
恩は遠くから返せ     年寄りをいたわれ
人には馬鹿にさせていろ   子の言うことは八九聞くな
年忌法事は怠るな     初心忘れるな
家業には精を出せ     借りては使うな
働いて儲けて使え     不吉はいうべからず
人には貸してやれ     難渋な人には施せ
女房は早くもて      義理はかかすな
博打は打つな       大酒は飲むな
大飯は食うな      判事はきつく断れ
世話焼きにはこるな    貧乏は苦にするな
火事は覚悟しておけ   水は絶やさぬようしろ
戸締まりは気をつけろ  怪我と災いは恥と思え
何事も身分相応にしろ   小商ものは値切るな
神仙はよく拝ませ    産前産後大切にしろ
人の苦労は助けてやれ   病気は仰山にしろ
浮気は程々にしろ    家内は笑うて暮らせ
 ーさればとて墓に着物は着せられず
・・・・・・・
 実をいうとオヤジに小言を一回も言われたことがない。おそらく8人兄姉の末っ子というのがあるのだろうが。
その代わりに、隙を一部でも見せると鋭い皮肉が飛んでくる。 社員を多く使っていたためだろうが、
父の皮肉ほど恐ろしいことはなかった。父が亡くなったとき、反面ホッとしたところもあった。
ゴッドファーザーの影が消滅をして解き放たれた為である。「親の死は子供に対する最大のプレゼントである」
というが、ある部分当たっている。そうすると私も早く死ななくてはならないが。
両親は最大の教師である。「子を持って知る親の恩」というが、歳を重ねるほど実感をする。
無条件に限りない愛情を与えてくれるのは親しかいない。若い時この文面を見て感じたことと、
今とでは全く感じ方が違っている。経験が、この言葉の奥深い意味を裏付けるためだ。
冷酒と親父の小言はあとで効くというが全くそのとおりだ。身につまされる文章が多くある。
 ところで一昨日、この下書きを書いた直後、家内と新規開店したばかりの全国チェーンの
居酒屋に行ってきた。帰りに大きな湯呑み茶碗を貰って帰ってきたが、そこに「親父の小言」の同じ文面があった。
シンクロニシティー(意味ある偶然の一致)だろが面白いものである。

・・・・・・
2002年07月28日(日)
470, いい人とは
この意味を考えたことがあるだろうか。子狐レベルの対話の「いい人悪い人」の話である。
突き詰めると「自分にとって都合のよい人」でしかない。
「いい人の振りをしよう」というのが子狐の名前の語源といってよい。
「その時の自分の都合のよい権力者に擦り寄っていく」のも、もう一つの語源だが。
あの人は本当にいい人だーそう自分にとってとっても都合のいい人だ。ただそれだけだ。
それが解ってないからお互い傷つけあうことになる。都合などその都度変わるからである。
ゲゼルシャフトー契約社会とゲマインシャフトー血縁社会の差も一生理解できないレベルである。
少し知り合うともう何か相手を利用することだけを考える人がいる。
こういう人間にとっての人脈とは利用できる集団か、人との繋がりでしかない。
人脈とは「自分が過去奉仕し続けてきた貸しのある繋がりである」ことが解らない。
少なくともいい人の振りをしないことだ。ベタベタした人間関係がこういう誤解をつくりあげる。
地方などの非移動社会ー固定社会では、いい人を演じなくてはならないのか? どうであろうか?!
真っ当に生きようとしたら、悪い人を演じなくてはならないのか?
いい人とは善悪という道徳的価値観が、それも小さな社会の縛りが入ってくる。それも気違い部落の?

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2001年07月28日(土)
[90] 人生のコツ
ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。本当に色々な人がいるものだ。
推測だがどこかの高校の校長だったのではないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。
「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り埋め尽くす生き方」を
その人の感化でその旅行で決心した。その人の言うに「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で日本中を車で総て回る計画を立て実行、
そしてその時期がやがてやってきた。しかしどういうわけか死ななかった。それなら一年一年が勝負と
世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中をほとんど回ってしまった。」
この時, これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。「人生は後回しでなく、前回し」
人生だけでなく何事もそうであるが。その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」
の私の質問に「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」との答え。
 後は好きな事だけをやる事だそうだ。 なるほどと考えさせられた。