つれづれに

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 今日のYoutube
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 参院の告示日。このままの勢いでは自民の大勝になりそうだ。
消去法からいくと、やはり維新の党になる。
側面から自民をコントロールするのが公明党がよいのか、維新か。
改憲したら維新の方が良い。 いずれにしても激しい変動が待っている。

 石原が最近、変だが、脳梗塞は大きいハンデになる。 


・・・・・
1553, 宇野千代-2
2005年07月04日(月)
あるHPに彼女の語録が出ていた。突き抜けた明るさが全ての語録の中に出ている。
もし鬱になりそうになったら、彼女の言葉を何度も読んでみるとよい。
私の場合は、十年以上もトイレに中村天風の本が置いてあるが。
あるHPにあった彼女の語録をコピーしておきます。
ー「宇野千代語録」ー 
*信じるということは面白い事である。人の力ではなく、自分の力を信じる、自分にはこれっぽっちの力しかない、
と思っていたときと、そのこれっぽっちの力を大切にし、そして、その上にもまた積み重ねて行く力があるかも知れない、
いや、あると思うようになったときとは、違う。        (「願望」より)
ー感想ー
言葉の力こそ、人間のイメージを作りあげる源泉である。
また自分の中の小さな力を見つけ出して、そこに集中することこそ自分の人生のゲーム化の一歩である。
ーー
*本当のことを言えば、私の九十六年の人生は決して平坦な道ではありませんでした。
それどころか、でこぼこの道の連続と言った方が早いくらいの人生でした。でも、あるとき気がついたのです。
でこぼこがひどければひどいほど、やっと見つけた幸福の味もいっそう美味になると言うことです。
そして、足をくじきそうになりながらあるいは、くたびれて膝をがくがくいわせながら歩いたでこぼこ道の
思い出のほうが、いつまでも心に残り、自分を成長させるものだということを知りました。
そう思うと、でこぼこの道も、ちっとも苦ではなくなりました。    (「幸福に生きる知恵」より)
ー感想ー
こう思えるのに、一生かかったのだろう。
ーー
*私はいつでも明日から後のことを考えていた。明日は何をしよう、と思っていた。
考える事が雲霧のように寄せて来る。明日から後の世界ではいろいろなことが出来るような気がする。
今の現実から明日の夢想にまで梯子をかけて見る。私は一段ずつ上がる。いつでも上の方を見て上がる。
下の方を振り返るようなことはあんまりない。         (「願望」より)
ー感想ー
過去のことを考えていたほうが楽。明日から後のことを考えるほうが本来苦痛のはずだが。
そこが彼女の凄いところである。
ーー
*人間というものは、おかしな、間違ったことをしていても、
一心不乱でしている中に、そこからとんでもない芽が吹いてくることもあるのですね。
                   (「お化粧人生史」より)
ー感想ー
この一心不乱の持続というのが難しい!
ーー
*私は、辛いと思うことがあると、その辛いと思うことの中に、体ごと飛び込んで行く。
まず、飛び込んで行くと、その、辛い、と思う気持ちの中に、自分の体が馴れて来る。
不思議なことであるが、その、体が馴れてくることで、それほどには、辛いとは思わなくなる。
これが私の生活の術なのであった。               (「生きて行く私・下」より)
ー感想ー
正中心一点無という言葉があるが、中心点から目を外さないことだろう。
ーー
*どんなことの中にも、愉しい、と思う要素はあります。
目をみはってその、愉しい、と思う要素を探し出して、愉しく生きて行きたいものと私は思います。
愉しく思うことは、また隣の人にも伝染して、そこら中が、愉しいことだらけになるものです。
すると世の中がどんなに暮らし良くなるものか、想像するだけで嬉しくなります。(「幸福に生きる知恵」より)
ー感想ー愉しいと思えばよいが、なかなか難しい。愉しんでやれ!と思う習慣をつけてしまえばよいが・・
ーー
*幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がある。
幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っているけれど、世の中には、
幸福になるのが嫌いな人がいる。              (「生きて行く私・下」より)
ー感想ー
何気なく使っている普段の言葉による影響に気がついてない人だ。
内なる声はマイナスが多いことに気づいているのだろうか。
ーー
私たちはどの瞬間にも、人の着ているもの、その顔つき、その言葉、話し方の影響をうける。
今会って来た人の顔つきから、仕合わせな感じ、その反対の感じを受ける。
もし、可能なことであれば、いつのときでも人は決して不仕合わせを感得させないような顔つき、
そういう顔つきでいたいものである。 (「幸福人生」より)

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2004年07月04日(日)
1188, 大丈夫!
斉藤一人氏の本に「大丈夫」という言葉を多用すると良い、とあった。
最近その言葉を、おりあるごとに1人つぶやいている。
ところが、それを千回ほど言い終わった辺りから、何か気持が信じられないくらい気持が楽になった。
常に付きまとっていた不安感が半減したのだ。現在の日本経済の実態は、
明日何がおきても不思議でない事態であり、行く末を考えると楽観はしていられない。
ふと言葉の重要性に気づいて[大丈夫]を繰り返したら、気分が非常に楽になったのだ。
人間は、その時その時、誰もが不安を抱えているものである。
若ければ若いほど不安の渦の中にいた。それでも何とか大丈夫であった。
その時、この[大丈夫]という言葉を繰り返す効用を知っていたら、どれほど楽であっただろう。
しかし、その不安感が努力を喚起させていたプラスの面もあったが。
不安感が押し寄せてきた時に、騙されてと思って千回いってみてください。
知人が[う・た・し]
ー「嬉しい、楽しい、幸せ」ーと、「ありがとう」を毎日繰り返していたら
、気分が晴れて、良いことが立て続きにおき始めているという。
今度[大丈夫]を加えるといっていた。
この大丈夫をプラスの言葉に加えると更によい。
貴方はついているからー大丈夫
   性格が良いからー大丈夫
   一生懸命やったのだからー大丈夫
   守護霊が守ってくれるているからー大丈夫
考えてみたら、生きているかぎり人間は大丈夫のようにできている。
死ねば死んだらで、無になるのだから大丈夫である。
大丈夫でないとして、所詮すべて時間が解決する些細なことだ。

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2003年07月04日(金)
821,ある時間の断片ー28
・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。
20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整の為いっぱい飲む。
21時に羽田到着する。河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。
帰りは友愛関係者の萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。
一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。といって一時、気があったが醒めてみれば
如何ということはない。夜半の2時ごろまで勉強して就寝。河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。
それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が傷ついてしまうことを。
それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。

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2002年07月04日
スイス旅行中
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2001年07月04日(水)
[73] 夢についてー4
海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。飛行機に乗っているせいか、
自分の体が空に浮いていく。もうじき下に降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。
ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。そしてほっとして「自分は地上にいる」と思った瞬間、
空中に飛んでいる自分に気づく。自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。
その恐しさは言葉で表現できない恐ろしさであった。バンジージャンプ落下している感覚であった。
そういえば6~7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておきます。
ーーーーー
H0905魂が万代橋の上を彷った話
 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、
“今回の検査はパスしない!...”
一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...
”パニック状態である。それも夕方の飲み会の直前である。
まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。
その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて妙な夢になってしまった。
魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さで
プカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。
そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。