つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=FAxI7F6p5Vw

 昨夜は、サッカーを殆ど見ないで寝入っていまった。
家内が言うに、非常に面白かった!とか。
寝てしまうのは、それほどサッカーが好きでないということか。

最近の言葉で
「泣いても笑っても 同じ空」が、よい。
「にっこり笑って ハンカチーフ」というのもある。

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わたしの酒中日記-3
2005年06月05日(日)
金沢編-1
 1971年10月某日
会社の寮から50㍍のところに、「トラちゃん」というホルモン焼屋がある。
まわりカウンターの中で、小太りのトラちゃんというに相応しい小母ちゃんがやっている店である。
この店には月に1~2度位、ブラリ入る。寮に近いわりには、会社関係の人はこない。香林坊には、いくらでも
面白そうな店があるので、こんなところでは飲まないし、彼女が大体いるためか、一人で飲む奴などいない。。
香林坊からバスで10分のところにあるが、何時ものようにモツの炒め物を注文して一人飲んでいると、
寮の2年先輩が嬉しそうな顔をして入ってきた。「おお一人か!実をいうと、今日は競馬で大穴を当てたんだ。
一杯奢るから俺について来な!」断る理由など一切無し、タクシーで香林坊の少し路地に入った店に乗りつけた。
看板には「平家 落人焼き」とある。店に入ってビックリした。油で店の中が黒光りしてギトギトである。
威勢のよい40歳がらみの親父と、女将が愛想良くむかえてくれた。
カウンターの中に大きな1m四方の鉄板に、魚や肉を野菜と一緒に焼いて出してくれるのだ。
メニューは鉄板焼きだけのシンプルなメニューだけである。
ツマミは、手で千切ったキャベツが大きなバケツから手掴みで、皿に入れられて出される。
それを食塩を振りかけて前菜にする。平家の落人が、山に隠れて兜を逆さました中で、
山菜や猪の肉などを焼いて食べていたという由来から名づけたのだろう。
ここの名物は何といっても「夫婦喧嘩」とタクシーの中で聞いていた。
ストレスの溜まったオカアチャンが、いい加減なオトウチャンに切れる。見ていても迫力があるという。
そして何時もの通りに夫婦喧嘩が始まった。両親の赤裸々な夫婦喧嘩もなかったので、その夫婦の迫力に驚いた。
しかし、一戦が終わった後は何事も無かったように穏やかになった。
オカアチャンが休みの日など、一人しょんぼりとしているという。
その親爺が、今度は会社の先輩の絡み始めた。「お客さんには悪いけど、今日は最高の日のように見えるが、
実際は最悪の日なんだよ!博打で当たった味が結局は深みにはまり込むんだ。
その意味で今日は最悪の日だよ!気の毒になー!」聞いていてイヤに納得のいく言葉であった。

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2004年06月05日(土)
1159, 「武士の家計簿

いま話題になっている本に、この「武士の家計簿」がある。
激動の時代が、武士の家計簿でリアルに浮き彫りにされている。
現在我々が直面している金融破綻や地価の下落、利権と収賄等々の問題が、
150年前に金沢で全部経験ずみなのが面白い。
・仕事は経理加賀藩御算用者(おさんようもの)(経理係)、
・小遣い6千円
・幕末の武士は年収の二倍の借金に苦しんでいた。
 禄高(ろくだか)では江戸と金沢との二重生活をまかない切れなかった。
 わが子に英才教育を施し、早くから出仕して禄をもらうことを考える。
 他の部署と違って御算用者は経理等の能力がなければ採用されないので、猪山家も必死だ。
 そのかいあって、息子の成之も早く採用されて俸禄は親子で二倍の収入になる。
幕末の加賀藩士の家計簿を見つけた慶大非常勤講師の磯田道史氏が、地道に書き上げた本である。
平成13年の夏、彼が現金を16万円を持って神田神保町の古本屋に駆け込み買い込んだのが始まりである。
これが猪山直之・成之親子が三十七年間にわたってつけた入払(いりばらい)帳(家計簿)である。
この史料から金沢城下の下級武士の詳細な暮らしぶりが分かるほか、明治維新後に海軍主計として
活躍した猪山一族の隆盛から加賀藩士が日本の近代化に大きな役割を果したことが解る。
漠然としか知られていなかった武家の生活を、家計簿から読み解いたものである。
 天保十三(一八四二)年、高金利に耐えられなくなった猪山家は家財を売り払い、借金を完済。
「もう二度と借金を背負わない」という決心からまんじゅう一個を買っても記録する”完ぺきな家計簿”
をつけ始めた。以来、明治十二(一八七九)年まで親子二代が克明な記録を続けた。
 家計簿からは、武家の婚礼、出産、葬儀などの儀式に伴う出費のほか、習字やそろばんなど
子どもの教育に多くの費用が必要だったことが分かる。金沢の直之から江戸(東京)で暮らす成之への
手紙も含まれており、「犀川の土手でドジョウを焼いて売る士族が出現」
「裕福な商人に武家の娘が嫁ぐ縁組が流行」など明治維新後の激変ぶりが記されている。
 維新後、成之が優秀な経理マンとしての手腕を発揮し、海軍省で出世していくことについて、
著者は「当時、金沢の理数教育は非常に水準が高く、それが明治の近代化に大きく貢献した」とみている。
 猪山家が加賀百万石のそろばん係(財政担当)をしていたことで、数字に細かく、なおかつ収入よりも
支出が多い借金で破産しかかっていたことが当時の生々しい生活や社会の実態を記録したことになる。
  興味深いのは、江戸時代の武士が結構離婚が多かったこと。
これは、妻の側の財産は独立していたことや,婚家よりも実家とのきずなが強いためのようだ。
この文書でも、夫が妻に借金を申し込み借用書を書いたり、という事情が記されている。
冠婚葬祭や病気見舞い、昇進祝いなど、親戚や同僚との義理を欠けない付き合いが、
出世とともに増えていった。そして 交際費がかさんでいった。武家社会特有の通過儀礼や年中行事もあった。
ある年、猪山家が費用を支出した儀礼と行事は合計二十二回を数えていた。 真っ先に何を削ったかといえば、
当主の小遣いだ。また家財を売り払い、借金返済や利息に充てたりしていた場面もある。
主人の使いに出ては、あちこちから祝儀をもらった家来の懐の方が温かだった
ことが多かったのでは、と著者は推測している。
 猪山家は加賀藩では下級武士で、その上御算用者という身分は他の武士身分からは一つ下にみられた。
しかし数字に強いという猪山家の能力が認められる時代が来た。明治維新である。以後、猪山成之は
海軍に勤め出世する。
著者は、この家計簿から当時の社会を分析しているが、この切口が新鮮である。「事実は小説より奇なり」
ではないが、人間の生活や社会は、いつの世もたいして変わらない部分を垣間見た思いである。

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2003年06月05日(木)
792,起業とは-1
 現在アントレブルナー(起業家)という言葉がキーワードになっている。
国家が支援金まで援助して新しい事業を興すことを勧めている。ベンチャーだけでなく、
企業に属している人やすべての社会人にこのマインドが求められるようになった。
 しかしアイデアや着想を練り上げて、プロジェクトを立ち上げ、業績をあげて、拡大し、
次世代にひき継ぐのは至難の業である。うまくいっても大体が25~30年で、その生命を終了する。
営業ー不動産などで「千三つ」といわれることがある。千に三つしか成功しないからだ。
これは2分の1の確立で10回当たった数字である。起業で成功する確率も同じ事がいえる。
無から有を生み出すのだから、想像を絶する苦痛を伴なう。
コンサルタントの林さんも産能大学での講座では、本当は「起業論」をやりたかったといっていた。
 考えてみたら、小さいながらも27歳から事業の立ち上げを数回経験してきた。
決心をしてから半独立ー27歳、そして完全独立ー34歳、と階段を上るように一歩づつ独立をしていった。
私の知人友人に起業をした人が数人いるが、見ていても壮絶である。
想定が甘かったり、少しいうまくいくと拡大ではなく膨張をしてしまう。
自己能力の限界の設定が甘くなってしまうのだ。他人事ではないが。
 私も何回か立ち上げをしてみて大変であったが、両親の創業を見ていたので、その苦労の数分の一でしかない
ことをわきまえていた。時代の変化の中で、それまでとは違った業種・業態を新たに創りあげるのだから簡単な
はずがないが、しかし手順は一緒である。今までの常識を否定して、仕掛けとして違う切り口で組立てをする
のだから、覚悟とエネルギーが要るのは当然である。

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2002年06月05日(水)
428, おしっこをしながら、水を飲む
「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が垂直に排出された感じになる。
 宇宙が身体に流れ込む感じ」という本を読んで、昨日3回も実行してみた。
・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は,
 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな~」という気持ち。
・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事をしてみた自分の可笑しさ。
・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという
 実感が愉快であった。そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。
ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがないが、新鮮な気分と、誰もやったことない体験をしてみた!
という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。
何事も経験です! 貴方も経験してみたら??!
 
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2001年06月05日(火)
[43] オークションサイトについて
 今日インテリア山下の社長が来られて、下取りのダンツーの絨毯を1円でネットオークションに出してみた’
と言われたので早速オークションに1000円で入札をしてみた。
またネット上の新しい世界を垣間見た思いだ(e-ビジネスの新しい可能性の一部を)。
これこそ新しい社会の1つの可能性を現している。
ホームページにしろインターネットで毎日が新しい発見の連続である。
確かにネットバブルの部分があることは否定できないが、といってネット社会の方向は事実である。
是非このサイト見てみる事を薦めます。前の頑張ってます!はパソコン教室の練習です。記念の為残してきます。
http://auction.excite.co.jp/