つれづれに

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 スカイツリーがオープンして一周年になるというが、これから連想するのが
カナダのトロントにあるCNタワーで、20年ほど前にのぼったことがある。
足元がガラスで下を見た時に、ゾッとしたおぼえがある。


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2005年05月29日(日)
1517, 酒中日記ー2
 この本の面白そうなところを抜粋してみる。作家の文章を書き写すということは、
文章のレッスンをしていることになる。絵でいう写しをしていると同じことである。
「上手い文章を書いているな~!」と、読み過ごすことと、書き写すことは全く違う。
写すということは、主体的に変化する。だから、このように時間をかけるのである。
ーその後の文章を抜粋してみます。それにしても作家の文章は上手い!
ーー
黒岩重吾
ー飛田にひとり
 某月某月
大阪の西成界隈をバックにした小説を書くので、久しぶりに飛田の近くに飲みに行った。
私は西成の小説を書く時は、必ずその前に散策をしてみることにしている。
十年前に、私がいたころの飲み屋は殆どなくなっていた。
大門通りや飛田商店街の飲み屋は殆ど残っているが、私がよく行ったのは屋台だったから、
水の泡のように消えてしまっている。
ただ一軒、飛田駅の近くに消えずにあった飲み屋に行ったが、女将の顔が違っていた。
私はビールを飲んだ。ここにも娼婦らしい若い女がいて、女将さんとしきりに話している。
昨夜の客が、昔遊んだ女を覚えていて、その女のことをしきりに尋ねたらしい。
ひんがら眼の女らしいけど、おばさんは知っているか、と尋ねていた。
女将は、ひんがら眼なら3~4人は知ってるが、誰かなと興味なさそうだった。
私はその女の話を聞きながら、この娼婦と遊んだ男は、長い間、
ここに姿を見せなかったのだろう、と思った。その間、男は何をしていたのか、
刑務所にいたのだろうか、飯場を転々としていたのだろうか。
そんなことを考えながら飲んでいると、小説を書きたくなった。実際に、飛田界隈は不思議な
ところで、飲みに行くと、必ず創作意欲が湧くような人物にあったり、そういう話を聞く。
これは他の場所では、殆ど味わえない。つまり、飛田界隈には、人間の原液が、そのままの姿で
流れているせいかもしれない。
 某月某日
このところ賭け事につきはじめているので、久しぶりに競馬でもやってみようと思い、
近くに住んでいる新橋遊吉君に電話をして競馬に引張りだした。新橋君は競馬の専門家である。
作家になる前は、競馬で飯を喰っていたような男だから、私も心強い。
仕事がオーバーだったので、競馬で勝ったら夜は大散財をしてやろうと思い、
いき込んで阪神競馬に出かけていったが、結果は損得なしであった。
新橋君も同じである。競馬の帰りに、キタの新地で飲んだ。競馬でいささか興奮したせいか、
酔いが廻り、大声で歌った。最近は酔うと歌うのが楽しみである。ハッキリ言って歌は下手だ。
それなのに歌うのは、得もいえなく自己陶酔を覚えるからである。だから聞かされるものは
実に迷惑に違いない。そのため私は、行きつけの店にマイクを二本寄付をしている。
酔って歌い、よい機嫌になって、午前二時頃、新橋君と大阪読売の角にある屋台の
ウドンを喰いに行く。この屋台は手打ちウドンが実に旨い。
黒門市場の狐ウドンは余りにも有名だが、この屋台も味は負けない。
私は音を立ててウドンの汁を吸った。ウドンなどというものは、音を立てて食べる
ところに味があるので、これが出来るのは屋台に限るようだ。

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2004年05月29日(土)
1152, 「老い」を考えてみる -2
 昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する
思いが偶然そのまま書いてあったが、彼の思いがそのまま伝わってきた。
(実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)
何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情はこんなものであろう。
特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、家族に忌み嫌われた亭主はこんなものかもしれない。
あまりに迫真があったので、何回も読み返してみた。実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。
北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と孤独感が底知れずあるからなのだろう。
この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。何処かの海岸線のリゾートに一人いて、
店とか海岸で、その世界になじめない。一人ウロウロしているじぶんがいる。
まあ、早速こんな夢をみるとは単純なものだ。
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ー妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。
40歳の坂を越えたとき、わずかの迷いがきた。妻子からも、家からも離れて、
一人の人間にたちもどりたいと願ったのは事実だ。
だがそれは、長い道のりを歩いてきた一匹の生きものが、ふと足をとめてかたわらの泉から
水を飲んだような、ほんのひとときの憩いに過ぎなかったのだという気もする。
長い道をわき目もふらず歩いてきたので、生きものは身も心もくたびれ果てていた。気がつくと
老いが忍び込んでいた。それでも道は、まだまっすぐに眼の前につづいていた。
色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。道がか細く消えている地平あたりから、
風が死の臭いをはこんで来るのにも気づいた。
それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。
それが生きもののさだめだった。振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々もある道が見えた。
しかしその道は、振り返ることも出来ても、戻ることは出来ない場所である。
生きものは新しく見えてきた風景の心細さに心を痛めながら,いっとき泉のまわりをうろつき、
一息いれた。新しい、のぞみのない旅にそなえて気持をととのえるために。
あるいは歩いてきた道に、醜い後悔の痕を残さないために。
それだけのことが、そんなに批難されなければならないのか、と新兵衛は
思うのだ。生きものの心に思いをひそめたから、人間の道をはずれたと指さされるのか。
歯車が狂ったもとは、もっと別のところにある。それが何なのか、新兵衛にはわからなかった。
わからないことがもどかしく、ほんの少し不気味であった。
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今でいえば初老性鬱病か、それとも誰もが感じる年齢の心象風景の一つなのか。
まあ、かなり藤沢周平の世界に影響されているようだが。       ー『海鳴り』-藤沢周平

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 2003年05月29日(木)
785, 一期一会(すすき野の夜)
 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。
二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」に行くことにした。
せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るような
エキサィテングな店がないかと数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいを
みせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。暫くすると、他の団体も帰っていった。
隣には、その店の馴染みと思える中年の品のよさそうな男性が座っていた。
何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。
「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、自分は佐渡の出身だという。
その場が急に同郷の会みたいになってしまった。この店の入っているビルと、幾つかの
飲食ビルを経営している専務だった。
 そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。二人が深刻そうな話を始めていた。
「もう店をやめたら!」とビルの専務が言っているのだ。ママが食道癌で退院したばかりで、
店に出れる状態でないが捨て身で店を開いていたのだ。連日入院していた病院の先生も店に
きて忠告しているという。その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。
その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。そうなると、お客全員も
引き込まれて魂の歌になった。どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスの
お相手をしていたと同行の人から翌日聞いた。歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも
昇華して消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、
一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。
その話を翌日、行かなかった人に話をしたら「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。

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2002年05月29日(水)
421,世間とはー2
 前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。
そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。
ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、
世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。神話の世界でいう蛇である。
その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。どういうわけか世界中の
神話に龍が出てくる。縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。
羽仁五郎の「都市の論理」に、両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。
西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。
まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。
次に両親からの影響と環境からの自立である。自分という意志を持った主体の確立である。
世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。
両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。それを自覚する事である。
「短い人生、ただ狂え!」が、世間様の丁度いい噂の餌になるな。
王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」
というのも、世間に縛られた生き方を諌めたものだ。
個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。
私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。誰にもある要素だ。
もちろん自分にある最も嫌っている影である。その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!

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 2001年05月29日(火)
[35] 一人暮らしのあの頃
 今日は終日長男(堀井大)のアパート探し!
よくあれだけ部屋があるものだとビックリ!部屋の中にある人生を感じた。
一人部屋にある何ともいえない哀愁を!私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。
いつも鏡を机の上に置き、独り言を言っていた侘しさ。  でも自由のよさ。
何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。