つれづれに

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 平凡だが充実した日常が坦々と続いている。
前に取り上げた「夫源病」を、モーニングショーで取り上げていた。
旦那が上から目線とか、退職後の昼飯の面倒をみるのが大変とか、
趣味のない夫に辟易とか、まあ大変だ。

 その対策として、プチ喧嘩でガスをためない。プチ旅行、プチ外出とか、
家の中で時間差で顔を合わせないこととか、全部、私たちのしていることばかり。


・・・・・・
1131, 「藤沢周平」ワールド
2004年05月08日(土)

この一年以上、藤沢周平にはまっている。新幹線では、行き帰りの半分以上は藤沢周平を読んでいる。
庶民のひたむきな生き方を真摯な目で見つめているのがよい。小説の多くは似たような内容であるが、
それでいてストーリーが面白い。生きることの重みと哀しみを知り抜いた人でしか書けない内容である。
彼の本を読んでいると、いつの間にか藤沢ワールドにドップリ入ってしまう。
原風景の中に、忘れさっていた子供の頃の純粋さ、ひたむきさを感じる。
彼の文章の中のところところに何気なく書いてある言葉に胸をうたれる。彼の作品に出てくる女性がすべてよい。
慎ましく、無垢で、深いいたわりのある、暖かい心の美しい女性である。
平凡な何処にでもいそうな、しかし滅多にいない、毅然とした気品を持った女性である。
彼が若き時になくした妻の昇華した女性を、彼の作品で描いているように思える。
忘れていた人生の一番大事な原点を、静かに思い出してくれる優しさが、小説の中から滲み出ている。
人生の波をいくつか乗り越えてきて、つくづく自分の卑小さや、醜い姿を何度かみて自嘲を繰り返したすえに、
昔の汚れてなかった昔の自分に出会った感である。自分に厳しい日本人の原点がそこにある。
苦悩のすえに掴んだ優しさがある。
以前書いた藤沢周平の文章をコピーしておきます。
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2003/06/28
たそがれ清兵衛
 構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。中年男性が目に涙をいっぱいためて
映画館から出てくるという。昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。しかし店頭には中々でなかったが、
やっと3週間前に出た。ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。
 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、普段は見せぬがいざというときに
出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスを
さわやかに織り成しながら、剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲から
あざ笑われている。しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。そして・・・
早速、映画をみて驚いた。小説と映画は全くといってよいほど違っていた。
ー小説のあらすじは
 時は幕末。庄内地方の海坂藩の平侍井口清兵衛は妻を亡くし、家には二人の娘(萱野と以登)、
 そして老母がいる。そのため生活は苦しく、下城の太鼓がなると同僚の付き合いなどを一切断って帰り、
毎日家事と内職に励んでいる。同僚たちはそんな清兵衛をからかって、 陰で“たそがれ清兵衛”と呼んでいた。
ある日、かつて想いをよせていた幼なじみ・朋江の危機を救ったことから剣の腕が藩士の噂となり、
上意討ちの討ち手として清兵衛が選ばれる。藩命には逆らえずやむなく承知した清兵衛は、朋江への秘めた
想いを打ち明け、意を決して邸に向かう。愛する家族に背を向け、命を賭けた果し合いに向かった・・・。
ー映画の「たそがれ清兵衛」では、
人間愛(夫婦愛)が描かれている、それと完全並立するかたちで、武士社会の論理も描かれている。
主人公のもとに上意討ちの討手の役がひそかに舞い込む。実は彼は若い頃には藩内でも一,二を争う剣の腕前。
夕方の城中での上意討ちが刻々と迫る中、愛する女房の下がもれてないか気が気でたまらぬ。
が、そこは主人公、相手を鮮やかな腕で始末した後、いそいで女房の下の世話へと急ぐ・・。
病気の妻に優しい主人公。しかし「上意」(主君の命令)により何のためらいもなく、人を殺す。
いやためらいはある。それは殺害の日には帰りが遅くなるので、妻の介護に差し支えはしないかという心配のため。
また、その後日、殺した相手の護衛が主人公を殺そうとするのですが、この時も、 主人公は実にあっさりと
その人物を殺している。何のためらいも、葛藤もなく。 そして平然とその場を立ち去り、妻の元に急いで帰ってゆく。
  ・・・・・
 私はどちらかというと山田洋次の映画のストーリーが好きだ。やはり、私も映画をみ終わって涙があふれていた。
何ともいえない藤沢と山田洋次の合作がよい。とくに上意討ちにあう男の生き様に、何ともいえない日本人の悲しさ、
美しさが出ていた。

・・・・・・・
2003年05月08日(木)
764, 「カリスマへの階段」
いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」を見ていて、誰もが
「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを信じてしまうのだろ?」と首をひねる。
マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。
7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館でコリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、
あまりの面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。何度読んでも面白いものは面白い。
9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。
彼らは決まって終末思想がある。そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。
オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』と説いていた。
この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?
その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。
ーーー
 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えていた。ユダヤ民族を昔日の栄光に
導くメシア登場である。この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人で、今はスルミナに住んでいるが、
やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗ってエルサレムに入城する手筈なっている。
そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」
と言うと、キリスト教徒も心配を始めてた。・・・
 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、まずは商業が機能停止になった。
ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」
と二者択一を迫られた。これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を吐きかけ、
これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の職を与えた・・・
ーーー 
 こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を始めていくのである。
オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。理想社会は教祖様にとっての意識下の
世界でしかない。95㌫の従順タイプの更なる他人志向を求めている人は、その理想社会の空想社会の餌に
ごく簡単に飛びついてしまう。そして全財産を剥ぎ取られてしまう。
世界中がそれに満ちているといってよい。精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!! それしかないのに!?

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2002年05月08日(水)
400, 末っ子はつらいよー2
姉が見たら(聞いたら)なにをいっているか!と怒鳴られそうだ。
「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!とんでもない」と。確かにそれもそうだ。
特に両親にとって、いつも傍において置きたいペットみたいなものであった。
死ぬ時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に関しても、一番有利に書いて亡くなっていた。
また両親が死ぬまで常にお手伝いがいる家だった。チヤホヤされてきたことも事実だ。
末っ子の特権を充分享受した。それと孤独に強くなる。一人で何かいつも遊んでいた。
長姉がいうに、いつも一人で三輪車で遊んでいたという。今も殆ど同じ一人遊びが好きだ。
ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人だ。ーできればノイローゼにはならないが。
花よ蝶とはいかないが、そういう立場にあったことは否定できない。幼児期・少年期は事業の立ち上げ時で、
非常に刺激的な環境であった。そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。
それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と両親の年齢などによって、微妙に決まってくる。
長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。すぐ上の兄は、私の影的存在で?少し大人しい性格だ。
「積み木崩し」というあるタレント手記があった。長女、次女の次に男が生まれると、
その次女がひねてしまい非行に走るケースが多いという。
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2001年05月08日(火)
BSTVについて
BSハイビジョンTVを入れて5ヶ月、その鮮明さに驚いている。
8年前にハイビジョンTVを入れた当時その鮮明さに驚いたが、
今は一般放送が前のハイビジョンなみになり、今のBS放送は
格段に良くなった。映画を見ると劇場にちかい感覚といってよい。
白黒TVとカラーTVが1000万台普及するのに10年かっかた
がBSTVがそれを超えるのに4~5年といわれているのがうなずける。
それとBS放送の局がそれぞれ特化しており、選びやすいのも良い。
それとBSラジオもよい!それぞれのキーワードで放送がなされている。
音楽がまた素晴らしく、それにあわせて映像が流される。
茶の間生活が一変した。これにCSハイビジョンが流され、光ファイバー
通じると今の情報量の1000~3000倍が家庭に流れてくるという。
それも4~5年以内に。今からわくわくしている。