つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=9MtdxIlefDE

 今朝も悠久山にいったが,まだ三分咲き。
この時期の広場のラジオ体操も情緒がある。

 写真はパタゴニア辺りの冬の景色みたいだが、実際は不明。郷愁のある景色だが、
70年位前に、日本海から立山をのぞんだ金沢にむかう列車のイメージもある。
 何の情報もない写真を見ながら背景をイメージするのも面白い!



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1482, ラジウム岩盤浴-2
2005年04月24日(日)
スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。 新潟市内にも、先日郊外に開店をした。
数年前に流行したアカスリブームや足マッサージに似ており、 一時的ブームも可能性も充分考えられる。
三~四年が目安であろう? 料金は一回600円~1500円。天然ミネラル風呂と併設されているところもある。
女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。最近は男性も利用者が増えつつある。
取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、
開店直前に失火で全焼してしまった。現在、違う場所で開店準備に入っているという。
失火した店を、その数日後に社長と見てきたが、見るも無残であった。
その時にラジウム石?を一部譲ってもらって風呂に入れたり、枕の下に入れたりしている。
特に風呂に拳大の大きさの石を入れたが、身体に保温効果が出ている。
風呂のタイルに付いていたカビや水垢も不思議なことに自然と消えていた。
また、この素材でできているカップでコーヒーを飲むと一段と美味しい。
また酒やワインも、この小石を入れて飲むと味が一段と美味しくなる。
最近はラジウム石のブレスレッドや、ネックレスも身に着けている。
パソコンに集中しているためか目が異常に疲れるが、その疲れが減っている。
ーあるHPのこぴーです。
 ルルドの泉って何?
フランスのスペイン国境近く、ピレネー山脈の麓にルルドという村があります。
1858年2月11日、この村に生まれたベルナデッタ・スビルーという13歳になる娘が、
たきぎにする流木を拾い集めている時、彼女の前にマリア様が姿を現しました。
それから7月16日まで18回にわたってマリア様は彼女の前に姿を現しました。
2月25日の9回目に、マリア様がお告げになられた場所から湧き出た泉が、
後に数多くの病人を奇跡的に治したと言われる”ルルドの泉”です。
1879年4月16日、35歳という若さで昇天された聖ベルナデッタは、
現在ヌヴェ-ルの聖ギルダー修道院の聖堂に安置されています。昇天されてから
120年以上経った現在も、そのお姿は腐敗しておらず、”もうひとつの奇跡”がここにあります。
この村にある泉の水を飲んだり、身体に接触させると、近代医学では不治の病と
考えられている病気や身体の不調・障害が急速に回復していくという実例があります。
ローマ法王庁からは奇跡と認定されています。後の研究の結果、泉の中には、実は驚くほどの
多量のゲルマニウムが含まれていることがわかりました。
現在この奇跡の泉には年間300万人を超える病人が世界中から訪れています。
また東洋でも評判の良い漢方植物にゲルマニウムの含有が知られています。
ルルドの泉の奇跡が全てゲルマニウムで説明がつくわけではありませんが、現在医学界では
ゲルマニウム(元素番号32)は予防医学の切り札として、大変な脚光を浴びています。

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2004年04月24日(土)
1117, 「ライフ・レッスン」ー6
ー罪悪感のレッスン
・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまったという意識である。
それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。
多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に受けた教育によって形成されるものだ。
それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。
不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは他者の
親愛の情を得るために自己を売るべく育てられてきた。自己のためのアイデンティティを強化するよりも、
他者の願望実現の為に専念するのがいい子であると教えられてきた。真の独立や相互依存よりは、
共依存すべく訓練されてきた。われわれは自己の幸福実現のために自己の欲求を満たす方法を
知らないままに育ったのだ。適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。

・罪悪感は時間とも密接に結びついている。
罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。
罪悪感とは、現在というリアリティを見ないようにするための方法なのだ。
それは過去にまでひきずっていく。過去の罪が未来の罪をつくりだす。
罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来創造ができる。
人は罪に値するものではなく、許しに値するものである。
そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。
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笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。
あぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。それをとがめらると
「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。
良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。自分も両親ー良心ーの片割れだ。

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2003年04月24日(木)
750, ある人生
 先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。
2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋蕎麦屋に勤めにいった。といっても出前持ちである。
一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を持ちたいといっていた。
大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、店を出せるタイプでない典型の人と思っていた。
 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を閉鎖をしたと聞いて驚いた。
涙がドッと出てとまらなかった。大小にかかわらず創業がいかに大変かを身にしみてわかっているから、
彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。
 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、あの大人しい彼が開店から閉鎖まで
自分一人でやったという。彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。
若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わっていた。
そして自分のやってきたことに自信を持っていた。この自信こそ人生で一番大事なことだ。
 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。20数年かけて一心に働き、
店の営業を含め合計30年以上のワンクルーを一心にやりとげたのだ。隣で、その兄が「凄いことだ!」
といっていたが、それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。
「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」というストーリーかもしれないが、
彼の純粋な大人しい性格を知ればこそ感動したのだ。それも独身で!
 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,どんな成功者より凄いことだと思う。
少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。人生の何たるものかをこの人に
教えてもらったようだ。私の尊敬する人が一人親戚にできた。 今は柏崎の実家で母親と住んで、
掃除会社に勤めているといっていた。この経済の暴風の中やる気をもらった。

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2002年04月24日(水)
386, 宗教的タカリ
オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。
宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。仏を盾に集っているのだ。
彼等の法事等の話など聞けたものでない。こちらの知識の数段下レベルである。
プロの素人化の典型といってよい。
戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、
豪奢な生活が問題である。
幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、もっとその共通点を洗い出し、
白日にさらけ出さなくてはならない。信じさせて金を騙し取るという点で、
詐欺師のテクニックとほぼ同じである。特に結婚詐欺に似ている。
夢を売って金を騙す、お布施と称して。