つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=Gng3sPiJdzA

 さてと今日はシネマを見に行く曜日。
とはいえ、見たのは全部みている。ディズニーの「オズ」も面白そうだが・・・
子供向けのよう。 明日からは、面白そうなのが幾つかきているが。

 先日、小学校時の同期の人から、6年前の会の時の写真が送られてきた。
で、礼状の葉書を書いたが、最近,ほとんど自筆の手紙を書いたことがない。
パソコンならスラスラ幾らでもかけるが、雑記帳や、手帳は殴り書きしかしてない。
その結果、殴り書きのような、劣等生のような、酷い文字。迷ったが出すことにしたが、
出したと同時に,後悔。 まあ、自分でも驚くほど酷い文字。

 今朝のポタリングで、信濃川の長岡大橋と大手大橋、そして栖吉川の土手の
いつものコース。桜は、明日あたりが開花か。大荒れの後に開花で、タイミング的によい。

 今朝の新聞で、日銀が現在出回っている138兆円を、二年後に270兆円にするというから
驚きというか、唖然とした。ハイパーインフレにしますよ!ということ。
その結果、一番悪い影響は低所得者。危険な博打である。 どうなるか、見もの!
 
 * 一行一会
遠き日は 年とるごとに近くなり

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2004年04月05日(月)
1098, 拾い物

拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。
10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で行った時のこと。
腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。
現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回も
そういう経験をしたこともないし、良心に対してマイナスになる。
早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリであった。
警備の受付のところに直接持っていけという。電話をして呼べばよいのに、本人はタダタダ面倒で
イヤだという態度。(西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)
言われたところに行っても、その事務所がない。
むかむかしながら、乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。
本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。
30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。
数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。これも新潟の駅前の交番に届け出たが、
彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろといわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。
そう考えると拾い物は殆どないということだ。そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。
そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。
もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。
考えること自体が卑しいことだ。

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2003年04月05日(土)
731, 前提を疑ってかかるという事
 「縦社会の人間関係」

「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、
それに対する議論をした事を思い出した。
ー要旨は
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。
これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの縦社会をつくった。
西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。日本社会の人間関係は、
個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。
「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。
「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の
根づいた欧米とは、大きな相違をみせている  ー等々である。
 なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのがその縦社会という視点そのものが、
はたして正しいのだろうかという提示であった。「何々それってどういうことなんだ??」
私が考えていたのは、それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。
根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。
日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。
 逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、縦社会と同じように説得力があるのだ。
士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく
横社会ともいえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中など
それぞれの階級があった。そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。
インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。
横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。
この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を初めて知った。
常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。

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2002年04月05日(金)
367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。

5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。
「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。いや社会を変えてしまった。
空間の溝を取り払ってしまった。それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。
これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、一瞬にして世界中の何処でも
見ることが可能になる。現在でもそのサイトが多くある。これにデジタルTVをリンクさせれば、
想像を超えた使い方が可能になる。インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。
それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。昨日もソニーの出井会長がNHKの
インタビューで、情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に変わっていると言っていた。
これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。

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ースナックジョーク
(ママかホステスをからかうジョーク)ひとつ
  
森に一匹のメス鹿が迷い込んだ。向こうからきた狼に森の出口を聞いた。

狼「ひとつヤラセテクレタラ教ええあげる」

もちろん断り、向こうからきたトラに聞いた

虎「ひとつヤラセタラ教えてあげる」もちろん断った。

熊も狐も同じ答えだった。それでも何とか森から出ることができた。

そこでママ(かホステス)に「どうして出ることができたか知ってる?」

ママ「・・・・・・・・???」


「ひとつヤラセテクレタラ教えてあげる」