つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=zQV_WcltnsA

 今日の写真は、ネットサーフィンで見つけたもの。
軍隊の墓場の兵士の名前か、戦場での経緯が書いてあるのだろう。
生き延びた元兵士が、思い出している姿が痛ましくみえる。
戦争は、起こしてはならない!犠牲者は若い兵隊か、庶民である。
こういうのが墓というのだろう。


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1046, ノンアルコールに切り替えて
2004年02月14日(土)

ノンアルコールビールに切り替えて10日ほど経つ。アルコール度は0.5㌫ほどで、普通のビールの
10分の一程度だ。500mmのビールを、350mmのノンアルコールしたのだから体調はよい。
紹興酒一合位を今でも飲んでいるので、一晩のアルコール量はオオヨソ半分になったことになる。
今のノンアルコールは一度ビールを造った後に、アルコールを抜く製法をとっているためか以前の
ような不味さはない。面白いもので慣れてくると、こんなものかと気にならないし普通のビールを
飲みたいとも思わなくなった。その代わり週に一度外で飲むビールが、ことさら美味しい。

別に体調を壊したとか、糖尿病とかの対策でない。知人が自宅での晩酌をノンアルコールに
切り替えたと聞いて、試してみただけだ。年齢からみて丁度よいタイミングということもある。
何時でも飲めるという気楽さと、駄目だったら元に戻せばよいという余裕があったためか、
スンナリとチェンジできた。
ノンアルコールに切り替えてから、2回外で飲んだ。ビールは殊更美味しかったが、
普段の外での酒量の半分?しか飲まなかった。これが思わない収穫であった。
家での酒量を半分にすると、外の酒量が反比例でなく正比例することが解った。
身体が受けつけなくなってくるのだろう。
40歳の記念に断酒をして、1年近くで挫折をした経験がある。
今から考えてみると、断酒でなく酒量を半分にする工夫をすべきであった。
それでも10年前から、自宅ではビールと紹興酒だけしか飲まないとか、
外での一人酒はしないとか、自分からは誘わないとかの工夫はしていたが。

日本ではアルコール依存症は7人に一人だという。本屋の立ち読みだが、チェックリストをみて
私はアルコール依存症ではない。しかし酒癖が悪いことは間違いはない。
「私から酒をとったらクソ真面目な面白くない男が残るだけだ」と勝手な理屈をつけているが、
酒飲みの動機は大体こんなものだろう。いずれにしても適量以上の酒は最大の害悪である。
適量以上の酒の味も、「たま」にはいいものだ。
  注[たまー魂、霊、珠、田間]

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2003年02月14日(金)
681,「まれに見るバカ」ー 読書日記 ー1

「ぶざまな人生」が面白かったので、同じ著者のこの本をインターネットで取り寄せた。
とにかくスッキリする!「わが内なる馬鹿」というところか。わたしも辛辣だが、ここまでひどくはない!
読んでいて私など可愛いものだと思ってしまう本である。こんな本を書いてみたいものだが、無理だ。
下手な書評などより「まえがき」と「あとがき」を抜粋した。
ー表紙裏ー
人の世に一定程度のバカがいるのは常識である。「浜の真砂はつきぬとも、世にバカの種はつきまじ」と。
しかし、そうは知りつつも、平成の世にわが日本につぎつぎとバカが異常発生している驚くべき事態をいったい
どう考えればいいのか。性別も年齢も、収入も地位も関係がない。さらには有名人・無名人も問わない。
なぜ、こうした事態がこの国に出現したのか?「バカ」の生態と由来とその現状を
あますところなく伝え、読む人に不思議なことに、生きる勇気が湧いてくる「当世バカ」生態図巻。
【目次】
第1章 バカはなぜ罪なのか
/第2章 バカ本を読む
/第3章 現代バカ著名人列伝
/第4章 現代無名バカ列伝
/第5章 わたしの嫌いな10のバカ言葉
/第6章 一言バカの諸君
/終章 バカを寿ぐ

まえがきー「バカが幸福になると手がつけられない」
わたしはバカがきらいである。なぜなら、バカはバカであるからである。と、厚顔にも公言する
くらいなのだから、当然わたしはバカでない。と、自分で否定する奴に限ってバカだという説があるが、
でもバカでない事を主張する。二回否定するする奴もまたバカだという説を聞いたことがないから、
これでわたしは非バカは証明された、と納得していただきたい。50年も生きていると、さまざまな
バカに遭遇するものである。だが、幸いなことに、バカのかたまりという全身バカには意外と出会わなかった。
そこそこのバカ、「折々のバカ」、時々発症する季節バカには随分とであったが。
わたしもかってはその一員っであることはあったが(30歳まで)。しかし広く世の中を見渡してみると、
感動的なことに、正真正銘のバカはやはりいるものだ。長ずるにつれて、全身バカも少なからず存在するものだ、
ということがわかった。
本書は、そのようなまれに見るバカ(だけでない)の生態に関する物語である。
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本書での「バカ」は、学歴なんかとはまったく関係がない。性別も年齢も、収入も地位も関係がない。
うれしいことに、一流大学を出ていて一流企業に勤めていて法外な収入があって地位がありながら、
掛け値なしの「バカ」という者もいる。悲しい事に、学歴も地位も収入ないけれど、やはりどこから見ても
やはりバカ「としか言えないような人」も当然いるのだが。本書は「バカ」の定義にはこだわらない。
一方的にわたしが、こいつが「バカ」だと思った人間が「バカ」なのである。
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バカになにをいっても無駄である。なぜなら、他人の言葉など右の耳から左の耳に素通りしてこそバカだからである。
内省するバカなど語義矛盾もはなはだしい。・・ 現在の日本は、「幸福になったバカ」の天国である。
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 感想文-1
ーーこの文章だけでも何かすっきりする。わたしの書きたい事をすべて書いてくれているようでいて、
わたしのすべてを書かれているようだ。以前も書いたが、「男はつらいよ」の中で、頭の軽い男に「このバカ!」と
言った人にその男が「バカにバカという奴が一番バカだとお母ちゃんが言っていたぞ」とやり返す場面があったが。
一番バカが書いていると思って読んでいると、奥行きが広い本に思える!?
                           ーつづく
著者: 勢古浩爾 出版社:洋泉社 ☆☆☆

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2002年02月14日(木)
331,、お見舞いの手紙- 堀井正子さんへ

お見舞い申し上げます。
どう見舞ったらよいか?私の仕方で最善と考えてこの本(フランクルの<生きる意味について>)を贈ります。
非常に深い内容のある本です。今度の貴女の病、あなた自身にコペルニクス的大転換(人生に何を要求するかより、
人生そのものが貴方になにを求めるか?)の問いの大転換のチャンスです。この本を読んでいるうちに、何かが
見えてくるのではないでしょうか。<過去の総てを肯定し、容認すべし>
父が死を目前にした時「もう一度、同じ人生を・・」と言っていました。これは非常に深い言葉だったと思います。
それも知識より触発された言葉でなく「苦しみの底より掴んだ言葉」だからこそ父のこの言葉を素晴らしいと思います。
貴女の場合
「池津屋とともに生き、そしてそこを去り倒産、そして音楽の先生という人生」はそのまま安穏とした人生より、
はるかによかったという見方です。自分の人生の総てを肯定する見方です。この数年父の心境が判りかけています。
「社会的自分を一度すてて、真なる自分」を今一度じっくり見つめ直す時期です。「過去の総てを肯定する視点を
もつべし」これは私が言った言葉でなくフランクルがいっている言葉です。
神が一日だけ、この世の中にある人を呼び戻したそうです。総てが光輝いて見えたそうです。

娑婆の人間に「何故それが見えないのか?」「どうでもよいこと、娑婆の表象」に流されているからだと思います。
そのゴミの中で生きているからです。それを餌の種にしているからです。  これを機会に真実に生きてください!
                 ご自愛のほど!
                    ー魂の言葉ー   2000年11月30日
               ー 八郎
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2月14日 金曜日
1969nenn
10時起床。17時に、池袋の松山寿司で行われるゼミの「我々の追い出しコンパ」に
出席をする。和やかな時間を過ごすが、石川と雲行きが怪しくなった。同期の田島も出席をしていた。
卒論を出せなかったのでやめたといっていたが、やはり寂しそうな顔をしていた。武澤先生と話を
しながら泣いていたようだ。
私も気が緩んだのか、好き放題のことを先生に言ってしまった。そんなことを言えた柄でもないのに。
先生の最後の贈る歌が感動的であった。三年生からの贈り物で電気スタンドをもらう。
武澤ゼミに入って本当によかった。自己疎外に陥り、反発も感じ、苦しんだ。しかし、それもゼミに対する
私自身の能力不足が原因である。これだけの思い出を、このゼミに入ったおかげで得ることができたのは
青春の財産になる。本当によかった!
その後、2次会で私が幹事をする。そこで先生の前に座り込んでクダをまく。
先生に見得を切ったのだ。バカもいいところだ。
最後の最後、石川と殴り合いをしてしまった。どういうことか、
過去に一度も乱れたことのない自分が今日は本当におかしい!