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「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
* 「人プラス物」で書こう!
≪ 描写力の持つ伝える力やイメージを喚起する力を、さらに高める手立てとして、「人プラス物」で書くのがあります。
具体的な描写の大切さはすでに説明しましたが、その描写の中に人と物をうまく取り入れるだけで、その場面はさらに
くっきりと浮かび上がります。物は広く考えてください。事物ととらえていただいてもけっこうです。
より伝わる文章表現は「人プラス物」です。 ・・・ こんな川柳があります。
歯ブラシはそっと寄り添うケンカ後も
夫に先立たれた奥さんはこんな句を詠んでいます。
夫逝きなかなか減らぬ歯磨き粉
ぼくは津村節子さんの短編『遍路みち』のこんな場面を思い浮かべていました。
洗面所のコップの中の二本の歯ブラシを見ると、一本も虫歯のないことを自慢していたことを思い出した。
夫の母親が、おまえは口もとがいいね、と言っていたという話をからかいながらロにすると、かれはふざけて
ロ角を少し上げて笑ってみせた。育子はその笑顔を思い出して鳴咽した。「夫」は四年前に亡くなった吉村昭さん、
「育子」は著者自身でしょう。身近な人の死は新たな形を持ってやってくると言いますが、それは物と一緒の場合が
けっこう多いんですね。 こんな川柳もあります。
亡夫の靴へふと足入れてみたくなり
靴底に足を入れていく感覚から悲しみの深さが伝わってきます。「人プラス物」は伝える力をいかんなく発揮する。
その靴ですが、奥さんをガンで亡くされた国立がんセンター名誉総長である垣添忠生は著書『妻を看取る日』の中で、
ありし日の一日をこんなふうに描いています。
【病室では妻に少しでも明るい気分で過ごしてもらおうと気を張っていたが、病院から一歩外に出た途端、動き続けている
世界に一人でいることになるのだという言いきれない孤独感に襲われた。師走を迎え、買い物客でにぎわう銀座通りを一人歩く。
まわりの人はみな幸福そうに見えた。私のように、心の中に嵐が渦巻いている人もいるというのに……。雑踏の中に身を置くと、
自分のまわりにだけ冷たい風がまとわりついているような気がした。そんなとき、よく立ち寄った病院近くにある帝国ホテルだ。
その地下には靴磨きコーナーがある。そのベテランの職人さんの仕事ぷりを見ながら、たわいのない会話を交わすと心が和んだ。
靴革は見違えるようなツヤを取り戻した。】
▼ 文章に、その時々の物を意識し持ち込むと心の状況が鮮明に浮かび上がってくる事例である。納得である。
金沢のどん底時代の気持ちを表現するに、「私の供は学生時代から使用していた布団と、20冊ほどの愛読書と、
木製の組立本棚と、机と蛍光灯だけ。二人部屋の同室の男は二つ年下の同窓の大学の男だが、何か軽く生活観がない。
同期生は12名。」と表現すれば当時の状況が現れ出てくる。 ただ、「気持ちはどん底」の一言より、文章に幅が出る。
物と状況の描写は、それだけ重要になる。12年も書き続けてきて、この程度のことすら知らなかったが、量を書いてきた
からこそ気づくこと。毎日が気づきと驚きの日々である。すべからく人は無知で涙を流す。「人プラス物」に、僅かな金か〜
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2012年02月15日(水)
3978, よかまん
* よかちん節
学生時代に早大を中心にした学生寮にいたこともあり、三ヶ月に一度の割合で、何処かの部屋で
数人が集まり飲み会が開かれていた。 そこで興に乗ると出てくるのが、よかちん節か、数え歌、そして終は肩を組んで、
「琵琶湖周航の歌」か「知床旅情」で終る。 よかちん節を初めて聞いたというか、見た時には、ただ驚いた。
私が一番親しくしていた早稲田の男が、やおら下着になって一升瓶を股間に挟んで、奇妙な振りで数え歌を歌い踊り始めた。
実家が商家だったこともあり、年に二回は宴会が行われ宴会芸の際どいのを見てきたが、これほど露骨で面白いのは初めて。
そんな遥か彼方の記憶が浮かんだのは、先日、図書館で借りてきた「‘11年版ベストエッセイ集’人間はすごいな」の中の
『よかまん』の文である。「よかちん」芸は東京芸大の宴会芸が出どころとか。 その、さらに元は九州らしいが。
「よかちん」でなく何故か「よかまん」とあったので不思議と思いつつ読んで、仰天である。
次回から、少し長いので数回に分けて紹介するが、ベストエッセイに選ばるに、ここまでやらないと無理。
そのまえに、ネットで調べた「よかちん節」から・・ 下品で、猥雑なのは勘弁を!(二段目から参加者全員がはやす)
ひとつ 一つひねってよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
ふたつ 二つ振ってもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
みっつ 三つ見つめてよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
よっつ 四つ よっぽどよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
いつつ 五つ いつでもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
むっつ 六つ むしってよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
ななつ 七つ なめてもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
やっつ 八つ やっぱりよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
ここのつ 九つ こすってよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
とお 十で とってもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン
▼ 書き手は芸大出身の美術家で、その個展に、これを・・ とにかく面白いエッセイ。次回を楽しみに!
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3613, 旅ばなし 小題
2011年02月15日(火)
* マッターホルンの登山ツアー
先日、BS/TVでマッターホルン山頂の登山ツアーを放映していた。それもNHKの女性ディレクターが、それにチャレンジをする内容。
ここはアルプスの中で最後まで登山を許さなかった標高は4478メールの魔の山。140年前に初めて英国の7人の登山家によって征服された。
しかし下山の途中に4人が足を滑らせて死んでしまった。その山頂へ地元のプロ登山家のガイドが先導して登る内容を克明に記録した内容。
もちろんクライマーは経験者で、登山前に近くの山頂へのロッククライミングで、その人の能力がガイドによって試され、合格者のみが
登山が許される。コースは決まっているので何組も同じコース登っていたことには驚いてしまった。もちろん、一つ間違えば滑落して
死んでしまう。頂上には、登って休んでいる先着者が何組かいて、そのパラダイスを眺めていた。そのガイドは70回以上登っているという。
その頂上から見るパノラマの素晴らしいこと、この上ない。スイスには三回行っているが、学生時代の車窓からみた景色の美しさは
今でも忘れることが出来ない。スイスツアーにトレッキングのコースもあるが、山は、その時の天候で大きく左右される。
外れたら、山頂からの景色は霧一色で覆われて何も見えないリスクが伴なう。近くの丘のビューポイントからのマッターホルンは絶品。
天候に恵まれた場合になるが、スイス山岳ツアーはお勧めである。ここと、カナダのロッキー、ヒマラヤ、
北スペインのピレーネの絶景は、深く心に刻みついている。 一度行ったところは、TV放送で再び楽しめるからよい。
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3248, 閑話小題
2010年02月15日(月)
* 力量と品格
朝青龍の引退について、少し前になるがNHKで特別番組を組んでいた。その中で「強さが抜群だが、品格に問題だが、
その品格というのが、いま一つ分からない」と、解説の元横綱の北の富士が話していた。「国家の品格」という本もあり、
それについて書いたことがある。「知識とか経験の裏づけから滲み出る人間性」と、私は理解している。その番組で、
北の富士氏は「一般にいう常識を守ること」と述べていた。一般でいう常識とやらも何だか分からないが、知識の裏づけのない
常識ほど己を抹殺してしまうものはない。大相撲は品があっても、強くなければ誰も認めない。強い上に、神秘的な綺麗なオーラ
みたいなのが出ているイメージを品格というのだろうか。 相撲は、神事に後に余興で力比べをしたことから始った。
儀式の一つだから、歌舞伎みたいな神秘を保っていなければならない。
それも、その最高の位にいる横綱は神秘的イメージも必要というのも理屈である。
* その人物を知るには
その人物を知ろうとしたら、
・子供時代に、どんな環境に居たか ー家族構成と自分の立ち位置(長男、次男・・・・)
・学生時代など、青春時代に何を求めていたのか? 更に人生に何を求めたか、
・何を恐れ、何に笑い、何に怒り、何を喜び、何を悲しんだのか、
・何の仕事をしてきたか、
・仕事以外のときに何をしているのか、
・誰を愛してきたか、
・それぞれの時代の友人は、どんな人だったか、
・奥さんが、どういう人か、子供がどのような人物に育っているか、
・本棚には、どの本が並んでいるか、
人生を振り返れば自分の外枠が見えてくる。
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2873, 成長モデルから 脱成長モデルへ −1
2009年02月15日(日)
「もはや成長という幻想を捨てよう」ー佐伯啓思
中央公論 08年12月号が、なかなか説得力のある内容であった。
ーまずは、そのいくつかを抜粋してみる。
「今回の経済危機の原因は長期的に見ると、20世紀を通じて続けてきたアメリカ型資本主義による経済発展の行き詰まりである。
資本主義の本質は、物的生産力を無限に拡張していくことにある。だが先進国では70〜80年代に社会が成熟段階に達してしまい、
人々がさほどモノを欲しがらなくなった。その結果、製造業に投資しても大きな利潤が出ないので、余ったカネを金融市場に集めて
バブルを常に起こすことで、経済発展をしてきた。人々が高いお金を払ってまでも手に入れたいと思う『モノ』がもはや亡くなりつつある、
ということであろう。だからそ、製造業は、過酷なまでの価格競争によって、価格を下げるほか無いのである。・・・
今日、『経済活動の過剰』という問題に真っ正面から取り組むべきではなかろうか。確かに、今日、資源はますます希少となり、
食糧も希少化しつつある。食糧の奪い合いが始まろうとしているし、アメリカ人は借金をしてまで貪欲にモノを買い続けている。
人間の欲望は無限であり、モノは有限である。」
ーー
「グローバル化の第2の波である帝国主義の真相を、英国の経済学者でえあるボブソンは恒久的な消費の低下にあると見ていた。
・・・ ケインズこそ、現代資本主義の最大の問題を消費の低迷に見ていたのである。かくも豊かな社会が到来すれば、人々はもはや
その関心を『モノ』には向けなくなるであろう。その結果、消費は低迷し、それが資本主義の長期的停滞をもたらすだろう、というのが
ケインズの予想であった。『豊かさの中の停滞』である。豊かさのまっただ中でこそ資本主義は深刻な問題を生み出す、というのである。」
ーー
「『貧困への恐怖』と『豊さへの渇望』がもはや経済活力の源とならない。・・・もしそうだとすれば、規制緩和や
市場競争促進政策は、いっそうの生産能力過剰をもたらすだけのことであり、それに伴う有効な需要の伸長がないとすれば、
よほど無理なコスト競争、価格競争をしなければ企業は存続できないであろう。
(以下字数の関係でカット 12年02月15日)
・・・・・・・
2008年02月15日(金)
2508, 世界をだました男
「世界をだました男」 (新潮文庫) ー読書日記
フランク アバネイル (著), スタン レディング (著),
以前にビデオレンタルで借りてみたが、あまり印象に残っていない。先日たまたま図書館で借りてきた後に、
アマゾンの中古本を買って読んだが、なるほど面白い!殆どが実話というが、さかりのついた男の
あの手この手の必死さが面白い。色いろな示唆のある内容で満ちている。
この内容の概略をまとめるだけの価値はある。生粋の詐欺師の話として割り切って読むと面白い。
政治家は、この手の詐欺師まがいが多いのは見ているとわかる!
ーー
6歳から21歳までアメリカやヨーロッパで詐欺を繰り返して二百五十万ドルを荒稼ぎだした。
連邦刑務所で服役後、数々の職業を経て、その手法を逆手にとって詐欺対策コンサルタントに。
(以下字数の関係でカット 09年02月15日)
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2007年02月15日(木)
2144, 「狂い」のすすめ −1 (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜 サム!
閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・・一期は夢 ただ狂え」
を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。
まさに何時も、ここで書いていることである。私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、
団塊の世代のマニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。人生に意味など無い、
生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。 あるのは「いま ここ」だけ!
ーまずは、その概要からー ー読書日記
著者:ひろさちや :集英社
世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きようと呼びかける。
ー表紙裏の内容紹介ー
今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、
狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。そうすれば、かえってまともになれるからです。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きましょう。
「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術はここにあるのです。
−面白そうな所を何箇所か抜粋してみた-
*『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』
*「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、エコノミック・アニマル、
すなわち畜生の生き方をしています。日本人は狂っているのです。」
*「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!?
そして、どちらが幸せでしょうか!? わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」
*「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。 だから楽なんです。 ところが
われわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」
*「浄土経典である『大無量寿経』においては、《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》
と言われています。 この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」
・・・・・・・
2005年02月15日(火)
1414, スローフード
欧州でまず驚くのはスローフードとスローライフの生活パターンである。
最近、日本でもスローライフ、スローフードが流行りだした。
(以下字数の関係でカット 2010年02月15日)
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2004年02月15日(日)
1047、「22歳の日記」の終わりに
今日で学生時代の日記が終わっていた。何時から何時までという日付の無いフリーの日記帳なのだが、丁度よいタイミングで
最後のページで、最終日の今日だけレポート用紙が貼り付けてあった。いま一冊の日記帳にあと半年位は書いていたと思うが、
ハッキリした記憶が無い。この日記を書き移していて「恵まれていた環境にいた」とつくづく思う。
「寮生活に、一ヶ月の欧州旅行、ゼミ、クラブ、教授、両親、友人」と多彩な環境が重なっていたことに驚いた。
そこには地方出身の、土がタップリついた、純朴な姿がそのままあった。
この時期に培ったものが一生ついてまわることを、振り返って実感する。それと真面目な姿も、今も昔も一緒である?
大学の専門分野の授業が結構面白かったことと、全く知らない分野を、色いろ知ったのが最大の収穫であった。
また知識や情報や人脈の重要さを実感をした。知的好奇心がこの時期にやっと芽生えたのだから、かなり遅咲きであった。
大学の知識などは、実社会に出てからの経験や読書などの蓄積からみたら、微々でしかない。「大学を出てないから駄目だ」
という自分の思い込みという石をつくらないで済んだのも収穫であった。当時の学生時代の背景が、昭和40年代前半だった
というのも恵まれていた。特別恵まれていたのではなく求めるものがあったから、見返りに対象が反応した部分もあった。
この時代のポップスは黄金時代といわれている。高度成長期の波に乗って、素晴らしい歌が次々出ていた。
恵まれた時代にあたった世代は、最後の最後まで恵まれるようだ。年金も、丁度よいようになっている。
同世代の人をみていると仕事などでハッピーエンドの人が多い。学生時代に真面目に過ごした人は、その後の人生で順調のようだ。
マージャンや女性狂いをしていた人は、あまり恵まれた人生ではない。知識や生活の基盤をつくっていなかったためだ。
その一人が自分でもあるが。寮にクラブにアルバイトに酒にと、全て中途半端であった。
しかし、それに気づいて産能大に入りなおして基盤直しをした?が、それでも取り返しがつかなかった。
それほど甘いものではない。基盤はそう簡単には造り替える事はできない。この日記から、温みを感じ取れるのも確かである。
私の人生を振り返って「恵まれていた、ついていた、面白かった、ありがとう」がキーワードにある。
この日記を見る限り学生時代も全く同じである。この日記を、つまらないという人と、リアルで面白いという人が二分していた
ようだが、少なくとも私にとっては、リアルで面白い内容であった。自分の地偕の、あるフロアーに迷い込んだようなものだからだ。
この日記の最後にも感想を書いてある。 もう、こんな赤裸々な日記は書けない!
・・・・・・・
2003年02月15日(土)
まれに見るバカ −読書日記 −2
ー印象的なところを抜粋するとー
人はバカに生まれるのでない。バカになるのである。親子という縦の系列によってバカになり、友人・社会という
横のつながりによってもバカになる。・・なぜ容易くバカになるのか。理由ははっきりしている。人間は楽な事を選ぶ生き物だからだ。
できることなら責任なんか負いたくない。他人の心配などまっぴらである。難しいことより易しいこと、苦しいことより楽しいこと。
不自由より自由。貧乏より裕福。まどろこしい事よりすぐ成果が見えること、に流される。努力するのも金輪際イヤである。
これらの諸条件を満たすのは必然的にバカになる。自分中心主義で、物知らずに、自分の頭で考えることができない。
考える努力もしない。だから人に頼りたくなり人の責任にしたくなる。このようにして人はいとも簡単にバカを志向する。
だから親がバカだと子供はつらい。「バカ」を刷り込まれるからだ。バカになるのに訓練や努力はまったく必要でない。
欲望と感情だけがあればよい。そしてどんな人間でも欲望と感情だけはもっているのである。・・・
もしバカになったら、それはどこまでも自分の責任である。責任がなくとも自分で負わなくてはならない。
・・・・
バカがひとりで死ぬまで山の中で生きているのならどんな罪もない。しかしそのときは「バカ」であることじたいが無意味であろう。
ひとりだけならバカも賢いもないのである。 バカの罪状以下のごとし。
・・・・・・・・・
2002年02月15日(金)
331、自分を愛すること
我々は「自分を愛することを罪悪」と知らないうちに,教え込まれてこなかったか。人間のいや生物の「遺伝子にはエゴイズムが
書きこめれている」という。まず自分のエゴイズムをハッキリと認めよう。そしてそのコントロールをすべきだ。
(以下字数の関係でカット 11年02月15日)
・・・・・・・
2月15日 1969年
昨夜のことで、本当に自分が嫌になる。いい加減な自分に嫌悪感を感じる。
あとは、思い残すことなく社会に出よう。学生時代は終わったのだ。
ーこれからの予定として
2月17日に先生のところに最後の挨拶 2月19日にゼミの工場見学11時〜18時
その後、2日間長岡に帰る。2月26日にジャスコ入社式のため四日市に出発
3月2日まで、入社前教育
ーーーー
以上で半年続いた日記が終わっている。その続きを書いていたかどうかは記憶がない。書いていたかどうかは五分五分である。
この一年後、カード型の分類日記を一年間書いた記憶がある。その一年後、全てを捨ててしまった。本当は捨てなければよかった。
この日記よりもっと激しいことが書いたあったようだ。それだけ、その後の一年は激しい一年であった。心身ともボロボロになっていた。
大學を出て、十数年は誰もがそうだろうが、一生分の問題を吐き出し解決してきた。三十代半ばからは楽だったのは、それまで
精一杯生きたからだ。それにしても、凄い?20代~30代を過ごしてきたものだ。他の人のことは解らないが、私は限界ギリギリだった。
読んでいて気づいていると思うが、やはり背景は恵まれていたのだ。時代に、両親に、そして先生に、友人に。
月並みの言い方になるが「ありがとうございます」という言葉の重みをつくづく感じる。今も、当時も一番足りない気持である。
「ありがとう」という言葉は、言い尽きないのが人生と振り返って実感する。この時代の人達に「ありがとうございます」
と手を合わせて、この青春日記を終了する。 少なくとも書き写している間は当時にタイムスリップをしていた。
毎日続いた一時のタイムスリップも、今日で終わってしまった!あまり過去に住むのは良くない。今年の9月からの同月同日の日記として、
再び貼り付けるかどうかは、その時考えるが「もう見たくはない」のが現在の気持ちだ。半年も経てば気持ちが変わる可能性があるが。
当時のこの男の頭をなぜてやりたい。そして「35年前よ、さようなら!」と、腕がちぎれるほど何時までも手を振りたい気持ちである。
当時と同じように少し感傷的になってしまった! 「あたらしき 明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に うそは無けれど〜 啄木」
この日記帳の表紙にデザインとして書いてあった詩である。
日記帳の下欄には、啄木の詩や日記や書簡集が印刷をしてあった。しかし詩心は芽生えなかった!
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明日からは、換わりに、次のシリーズとして、 このホームページの「お笑いのコーナー」の、
ジョークと小話を貼り付ける。 少し品のないところもあるが! 100話以上ある。
5月まで続く予定である。