つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=Z7MH0b3wiQQ

北朝鮮が核実験をした。小型化が成功して、ミサイルに搭載が可能になると、
アメリカとの緊張感が、ますます強くなる。 これも大きな不安定要素になる。
これも中国にとって、有利な材料になるが、その矛先が北京や上海に向けられる可能性もある。
 これで、超えてはならない一線を超えてしまったのかもしれない。
 
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2005年02月13日(日)
1412, 失敗学の法則ー読書日記
 失敗学とは、事故や不祥事の原因を探る学問で、狙いは「再発防止」にある。
それだけでなく、それが逆に新しい発見を生むこともある。畑村氏が、この「決定版 失敗学の法則」
の中で「『うまくいく方法』だけを学んだ学生たちは、既存の技術のまねや、過去に起きた
問題への対応は上手にできても、設計の分野でもっとも大切な『新たなものを創造する』
という能力がなかなか身につかなかた。(中略)行き着いたのが『うまく行かなかったやり方』、
つまり『失敗』に学ぶことが、ものごとの真の理解につながる」「生産活動には、事故や失敗は
付き物である。これら、事故や失敗は小さなものから、経済的損失につながるもの、
負傷を伴う大きなもの、さらに多数の死傷者を出す大規模なものまである。
特定非営利活動法人「失敗学」は、こういった事故や失敗発生の原因を解明する。
さらに、経済的打撃を起こしたり、人命に関わったりするような事故・失敗を
未然に防ぐ方策を提供する学問である」と述べている。また、「失敗とは、こうなるだろうと
思って行動したが、はじめに定めた目的を達成できないこと」と定義している。
そう考えると、誰も人生が大失敗になる?失敗原因を「要因」と「からくり」に分けて考え、
要因を失敗へと導く「からくり」を探ることで、本当の原因を究明している。
まだ記憶に新しいが、鳥インフルエンザの浅田農産(兵庫県姫路市)が、
隠蔽をして損害を最小限にしようとした為に大失敗をしてしまった。それと、三菱自動車である。
浅田農産の場合は要因は鳥インフルエンザの発生直後の判断にあった。
近くの船井農場(京都府丹波町)は感染そのものを防げなかったが、対処が適切であった。
しかし、浅田農産の場合、会長の一瞬の判断ミスである。
鶏が大量死しているにもかかわらず一週間通報せず鶏も出荷していたことに全ての失敗の要因になった。
浅田秀明社長は「インフルエンザであってほしくないと、希望的観測があった」と話していたが、
「損をしたくない気持ち」が希望的観測を生んだ。これが失敗の「からくり」である。その為に、
会長夫婦は自ら命を絶った。「からくり」は組織の体質やトップー会長の考え方ということにもなる
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2004年02月13日(金)
1045、マ~コー堀井正子に捧げる-2

ー姉の3回忌(3日前)の供養のための思いを書く。亡くなってまだ二年だが、もうズット昔の
ような気がする。20代の頃、遊び相手に丁度良かったのだろう、大学時代は東京、勤めている時は京都、
金沢と訪ねてきた。観光がてらに遊びに来たのだ。12歳違いの姉というので、気が楽だったのだろう。
亡くなる前年の5月に自宅に遊びに来た。本人も、最後かもしれないという気持があったのだろう。
13時から17時近くまで4時間近く、一人話しまくっていた。その時の写真を、当時このHPのサロンに載せた。
大手通の四つ角にいた頃のことや、亡くなった兄のことや、手術のことや、現在の病気の状態を話していった。
「大學を出てなかったことが一生に大きなハンデであった」と言っていたのが印象的であった。
特に芸大に行けなかったことが無念であったと。「取あえず父の死んだ71歳まで生きるのが目標で、
あと4年は生きるつもり」と言っていた。まさか半年後に亡くなるとは本人は思ってなかったようだ。
「スキルス性(悪性)の癌ではないが、保険を有利にもらう為に、知り合いの医者が悪性の癌と
診断書に書いてくれた」と言っていた。その時ピンときたのは、「実際にスキルス性ではないだろうか」
という素朴な疑問であった。数日後にすぐ上の姉に[直感だが、そう長く生きれそうもないから、
理由をつけて、会えるうちに多く会っておいた方がよい」と電話をした。
そして、その年の10月に再入院後、翌年の2月に亡くなってしまった。享年68歳であった。
長女と末弟ということで気が合ったことは事実である。
半分は息子のような気持ちがあったのだろう。昔から「A型、長女、ウエット、お嬢様」
タイプの女性が好きだったが、今から考えるとシスター・コンプレックスだったのだろう。
家内には結婚してからシスコンと言われてきたが。4人も姉がいれば仕方がない。
大人数の末っ子は、兄姉に苛められる?反面、それぞれの生き様を直接見ることができる。
先生の悪口や、恋愛話?結婚話や、色いろな噂などなどが聞いていて、それぞれ見ていて良く解る。
姉兄の中で、一番夫婦仲が良かった。長女と旦那が末っ子という組み合わせが良かったのだろう。
組み合わせも、夫婦の機微に大きな影響を与えるようだ。悪い例もあるが、具体的に書くと差支えが
あるから書くのを止めておく。派手な、カリスマを持った、大姉御というのが正子さんの一生を貫いていた。
自分のステージを持った、本当に面白い人であった!

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2003年02月13日(木)
680、自殺志願
 昨日の朝のニュースで自殺志願を報じていた。インターネットで知り合った若い男女3人が
自殺をしているのが発見されたという。インターネットの検索で自殺志願のキーワードを入れてみたら、
あるホームページに、すばらしい文章が載っていた。以下をコピーしておく。
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 私は死に場所を探していた。脱サラして始めたラーメン屋も、思うように上手くいかずに
借金だけが残り、40を過ぎてやっと手に入れたマイホームも、結局、手放す羽目になってしまった。
働き口も、そう簡単には見つからない。妻も私に愛想尽かして家を出て行き、
弁護士まで立てて離婚を迫ってくる。子供達も皆、妻の味方だ。今の私にあるのは借金だけで、
他にはもう何もなかった。夢も希望も、明日を生きる気力さえ残っていなかった。
「ここにしよう。」私は、自殺の名所で知られる、断崖に立っていた。ここから飛び降りれば、
簡単に死ぬことが出来る。一歩、足を踏み出せば、もう苦しむ必要はない。日が沈むのを待って
実行する事にしよう。沈む夕日は、私の心を穏やかにした。そして、この夕日が消えた時、
私も人生を終えるのだ。最高の演出じゃないか。
「おい!」私はビクッとして振り返ると、一人の老人が立っていた。顔を見て、更に驚いた。
「親父!」 夕日のせいで、ハッキリとは見えないが、間違いなく親父だった。
10年も前に死んだはずの親父が、何故こんなところにいるのだ? 「そう見えるか。」
親父はそう言いながら、私に鞄を差し出した。「5000万円入っている。使え。」
私は訳が分からなかった。夢でも見ているのだろうか?
「これは貸すんだぞ。20年後に、ここに返しに来いよ。まったく、金のせいで命を捨てるなんて、
バカらしいと思わんか。」夕日が沈み、辺りが暗くなると、親父の姿はもう消えていた。
だが、札束のギッシリと詰まった鞄だけは確かに残っていた。
それから私は、その金で借金を返済し、一生懸命に働いた。親父との約束を果たす為に。
妻とも一度は離婚したものの、数年後に復縁した。子供達も結婚して、幸せな生活を送っている。
そして、瞬く間に20年の月日は流れた。私も70を過ぎ、物忘れが多くなったものの、
親父との約束の日が今日だという事は、ハッキリと覚えていた。私は必死で働いて貯めた金を
鞄に詰め込むと、あの時の断崖へと向かった。約束を果たす時が来たのだ。
丁度、あの時と同じような夕日。本当ならもう死んでいたはずの自分が、こうやって、
またここにやって来た。その中で、座り込んで沈む夕日を見つめている男の姿が見えた。
すぐに分かった。親父ではなく、20年前の私がそこに座っていた。
ー感想を書いてみるとー
父親が現れて与えた5千万円は希望・意志ではなかろうか。「20年後に約束どおりそこに行くと、
若いときの自分がいた。そして当時の自分に声をかけたのが父親でなく自分であった。」という落ちがよい。
死ぬほどの苦しみ絶望も、人生で経験しなくてはならない事だ。5千万に匹敵する事かもしれない。
丁度その時の彼にとって、苦しみを超えた意志こそが5千万の価値があったのだろう。
・悪魔の囁き・
ーこれを書いているのは宗教系の巧妙な餌ではないか?ともウガッタ見方もできる。これを求めて
クリックしていったところが、危ない商売の宗教の「??学会」だったり、「??の科学」だったりする。
カルトはやるから、そのへんは! 自殺よりは、それでもいいかあたりがオイシイ餌だから。
簡単に自殺など考えない方が良い。「このカルト教団どもが、アフリカのエイズのボランテアをするか!」
自殺志願者は餌であっても救済の目的でない! 念のために!
・天使の囁き・
悪魔にだまされてはいけません!これは経験を積んだ人間しかいえない究極の救いの物語です。
この人にとっての究極の中から取った人生の真髄なのです。もし貴方が「??学会」とかを自分の価値で
切り捨てているならそれは間違いです。それで救われるなら、その人にとってのベストなのです。
それを乗り越えてこそ人生である。のりこえる時の出会いがそれならそれで良いじゃありませんか!
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2002年02月13日(水)
330,真実の時
 闘牛に「真実の時」という瞬間がある。闘牛士が最後の止めを刺す瞬間、
牛もそれを悟り最後の力を振り絞って突進しようとするその「一瞬の間」
ーこれを「真実の時」という。葬式の火葬場で最後に釜に最愛の人を入れる瞬間もそうだ。
最も親しい人との別れの瞬間もそれだ。何回見ただろうか。いや両親の経験をしている、叔母も。
昨日もその場面を経験した。感動の絶頂の時もそうだ。バンジージャンプの落下している瞬間もそれだ。
純粋に泣いているとき、笑っているとき、怒っているとき、そして悲しんでいるとき、
そして楽しんでいるとき、感動しているとき、をいう。
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2月13日 1969年
 11時に学校にいく。兼古と昨日の件で先生と話した内容を話す。
彼とは1~2年の時親しかったが、このところは何か気持が通じなかったが、
何か以前の感覚になっていた。兼古とも、これが最後の話になるだろう。
一度だけの人生で、本当によい学生時代をおくれたことに感謝している。