つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=pgOYP3mgzlQ


 昨夜半から、50センチ以上は積もり、合計150センチ位。
屋根の降雪の必要がないと思っていたが、危なくなってきた。
 
PC遠隔操作で、30歳男が逮捕された。
猫カフェ常連で、05年にも「殺害予告」逮捕され実刑の前科持ち。
当時、≪ 『のまネコ』の使用を即時中止しろ。さもなくば社員を刃物で殺害する」。
エイベックス社員に対する殺害予告事件で逮捕された当時、専門学校生の片山容疑者は調べに
「会社側の態度がおもしろくなかった。騒ぎに便乗し、書き込みで反応を見たかった」と供述し、
容疑を認めたという。
 問題は、この男が冤罪だったかどうかだ。刑事もののドラマ仕立てだと、
【 今回、犯人が使った手法で、当時、当人が冤罪で実刑をうけ、その恨みを同じ手法で警察に復習した】
  という物語になる。どうも、そうではないらしいが・・ これだけは? 


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2140, 幸福はキラキラと輝く瞬間
2007年02月11日(日) 
 「藤沢周平に学ぶ」月刊『望星』・編        -読書日記ー
 ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』ー

山田洋次監督の映画は「男はつらいよ」の48本すべてと、その他の映画の最近のものは殆ど観ている。
彼が「男はつらいよ」についてのTV特集などで渥美清を語る座談で、多く聞いてきた。
しかし、どういうわけか彼が書いた文章は殆んど読んだことはなかった。
ところが藤沢周平についての評論を24人集めた「藤沢周平に学ぶ」の冒頭の「藤沢作品を映画化して想う
ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』」の評論があった。幾つか藤沢の映画を撮っているだけあって、
心打つ内容である。人生で誰もがキラキラ輝いていたのである。 そのとき! は。
 まずは、彼の文章の一節から・・
 
   **幸福とはキラキラと輝く瞬間を持つこと!**
「隠し剣、鬼の爪」で、主人公の侍が行儀見習いで女中奉公に来ていた娘にプロポーズするシーンで、
その瞬間、彼女はキラキラと輝くような、生きていてよかったという幸福感で胸が一杯だったはずです。
僕は、幸福とはキラキラ輝く瞬間を持つことだと思う。人生のうちには、そんなふうに何度かそういう
瞬間がある。あるいはあってほしい。
心の芯から温かいものがフワ~と湧き出るような、そういう短い時間が誰もが持っている。
映画「たそがれ清兵衛」でいえば、父親が幼い子どもを「高い高い」しながら抱き上げる瞬間、
子どもの側からすれば、高々と持ち上げられて、急に視界が高くなったときの嬉しさ、ああ、
いま父親に高く抱き上げられているのだ、という充足感。子どもはその後、大人になるにつれて、
人と争ったり、世渡りで苦労したりするが、あの瞬間の充足感は一生忘れない。
幸福ということは、つまりそういうことなのではないかと思います。
(感想)  字数制限のためカット。
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2006年02月11日(土)
 1775, おひとりさまー2        
アメリカはペア社会で、週末などの一人の食事は異様にみられ「誰にも相手にされない女性」
と受け取けとられるという。「おひとりさま」は、最近出来た日本特有の言葉である。
いい歳をした女性がホテルのバイキングランチなどで群れているのも異様である。
一人での観劇や食事や旅行など慣れてしまえば行動範囲が増える。自己対話の範囲が広まる。
「おひとりさま」という言葉は岩下久美子著「おひとりさま」で流行した言葉である。
著者は、東南アジアの旅行中に不慮の事故でなくなってしまったが、
この言葉は、そのまま女性のあいだに生きている。女性は横の関係が強すぎて「個」の確立が
できていないので、一人で新規の店に入る訓練が必要になる。
イケメン男に女性を独占され、さらに『おひとりさま』が定着したら、その他の男達は、ますます
女性が遠い存在になってしまう。一人でいようが、ペアであろうが、グループで群れていようが、
それは個人の自由である。それぞれの性格もあるし事情もある。
 要は「和して同ぜず」で、自分を確立していることと、自己を見失わないことである。
どういうわけか青年期の一人旅や、一人で飲み歩いたことはリアルに記憶に残っている。
群衆の中の孤独を楽しみは、都会の絶妙な味がする。
                          ☆ミ(o*・ω・)ノ バイ!
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2005年02月11日(金)
 1410, 新潟駅前飲食店事情
事務所近くに面白そうな全国チェーンの居酒屋が17日に開店をする。「かっぽうぎ」という名前の店だ。
中高年狙いの2000円の価格ラインの店である。表看板に大きく、多くのメニューと価格が書いてある。
私の好きな商法だ。店相も明るくサッパリしていて、店として成功するだろう?酒のつまみが150円・250円
・280円・380円に絞られている。家庭料理をカウンターに並べて、注文を受けると温めて出す店である。
何処にもあるが、飽きられて何時の間にか無くなるケースが多い。
不景気の為、飲み客が駅前・駅前と移動して新潟駅前も面白くなってきている。昨秋に、事務所の至近距離に
3Fの大型居酒屋ができた。2F、3Fには10~20人の個室や、ステージのあるスナック風
カラオケルームがある。それぞれの特性を盛り込んだ新奇な店を傍で見ている限り、居酒屋戦争は面白い。
新潟のダウンタウンの古町などの飲食街が廃れ、新潟駅前に移動している。
一軒の店に2-3時間滞在して、3千円あたりで済ませたいのがサラリーマンの本音になっている。
その本音を狙ったスナック、キャバクラ、居酒屋などが、2千~5千円の客単価を狙ってどんどん出店をしている。
もう一つの流れは、隠れ居酒屋である。客同士が顔をなるべくあわせないで済むような席作りをしてある。
最近できたキャバクラ(安価なクラブ)も、3~4千円の店とか。短時間アルバイトの若い娘を多くおいて
時間制で、客を回転させる。席が店内にビッシリ取ってあり、それがエキサイテングになっている。
お客は30~40代のお客で金・土曜日は溢れているという。他に面白そうなところが無いから、
そこに集中しているようだ。
去年の11月に、「路上でのピンク系店の呼び込みの禁止の法律」が成立をしてから、立ちんぼの姿は
ホボ見えなくなった。また21時を過ぎると連れ立ったサラリーマンの姿が消えてしまった。
時代は変わってしまった!かくいう私も本当に飲む回数が減った。家でカウチ族をしていたほうが
よほど面白い。昨夜は御前様であったが。

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2003年02月11日(火)
678, 聞く耳持たぬ人

以前は「話しまくる人」というテーマで書いたが、似ているが少し違う。
喋り捲る人は、相手の反応をみてフィードバックしながら話す(違う人も多いが)。
しかし聞く耳持たぬ人は、相手の言おうとしている事に元々関心もない。
何を言っても耳の中に石が入っているとしか思えないほど、人の話が聞けない。
逆に相手の言わんとすることがストーンと入る人がいる。耳から脳にストレート入ってしまう人だ。
ストーンと入る人が20㌫、全く入らない人が20㌫と大体大別できる。全く入らない人をみわけるのは
意外と難しい。一見聞いている風なのだが。相手の意見をただ薄ら笑いして聞いているふりをしているからだ。
会話にも対話にもならない。その人の声(いや音)位にしか思ってない。「相手は何を言おうとしているのか、
それに対して自分の考えは如何か。それを吸収して・・・」など全く考えられない。20㌫いったが、
もっと多いかもしれない。以前はそうでなかったが、年とともに聞く耳を持たなくなった人がいる。
(自分もだが)読んでいて自分ではないかと思ったら、そう貴方のことだ!
まあそれはいいとして、自分もその傾向が強いと思ったら聞き手側になる事を意識して
日常の生活の中で訓練する事だ。もっともそれすら聞けないだろう。
心を閉ざしているのとも少し違うのだ。性格だろうか。そう本を読まないのだ!
読まないから、何故読まなければならないのかが解らない。
読んでいても、その言わんとする中心からずれたところしか理解できない。
まあこの位にしておこう、20㌫の人も見ている可能性がある。いや見ていない!
聞く耳を持ってないのだから。

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2002年02月11日(月)
328,マ~コ 
 -堀井正子に捧げる

マ~コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の)
姉・正子の幼少年期に呼んでいたニックネームである。彼女の話である。 
  ー供養も含めて書く。
声楽家になりたかった」が口癖であった。「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。
プロのソプラノ歌手の「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが人生の分かれ目になった。
兄がたてつづきに亡くなり婿養子の芳朗さんと結婚。家族の間に立ち、気苦労をした一生だった。
長岡社会から一歩も出たことがなく、その卑小性・特異性を全く自覚できないのが特性であった。
「城下町の特性」をそのまま価値観にして生きた。
性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている可愛い人」でもあった。
常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に、全神経を使っていた。
その面では母に似ていた。「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。独り芝居のパフォーマンスを
会話だけでなく、人生で演じきった。人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。
もって生まれた才能であろう。
後半ー40歳過ぎは事業で失敗。それからは音楽の先生として、200人を越える弟子がいたとか。
好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。
おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を演じているのだろう。
           安らかにお休みください!    さようなら。
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2月11日  1969年
14日の最終コンパの件で河村、石川、田口君のところへ電話をいれる。
あと武澤先生に電話をする。
現在の自分は混乱をしている。 今を支えるのに精一杯である。
特に今年に入って色いろあったが、この数日その反動がきている。
あまりに激しい一日一日の刺激的な日が続いた。
振り返ってみると、この二年間は自分の人生とって大きな分岐点の年になった。
それまでの20年分を圧縮した二年間だった。