つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=ieho6HsdB1I

 今日から新年の本格的始動である。
一応、7月末までは、政権も景気刺激で金をばら撒くため、目先、生暖かい風が吹く。
問題は、その後だが、国を悪くした張本人の二人が以前と同じ手口で、日本をインフレに
持っていくという。まあ、末期の、更なる末期現象が起きるのは火のめをみるより明らか。
あの後の責任を、あの二人がとったというのだろうか? とってないのに再登場など
笑止千万と誰も言わない。 マスコミも好い加減なもの。ここまできたら国家財政に最期の
火付けも必要というのか。 


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1375, 人生における成功者の定義と条件-2
2005年01月07日(金)

合間にある「一般の人」の「成功者の定義と条件」が面白いので、
幾つか抜粋してみるが、
要するにそれぞれの価値観を述べているに過ぎないが。
成功も失敗も、あくまでも価値観が決めること、価値論を持ち出すと
根こそぎ、このテーマが崩れてしまうから深く追求はしないで論を進めたい。
年代によって、その答えが深くなっているのが面白い。
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ー20歳代以下のアンケートの面白い内容の抜粋

・生きていくのが永遠でないという事実に死にそうになるほど恐ろしくなる、でも
「そんな死を受け入れられるような、楽しい時間を生きる」それが人生における成功と思います。
ー16歳男性
 ーmy感想ーこの同じ言葉を16歳の人がいうのと80歳の人がいうのとは全く意味合いが変わってくる。
・「自分で自分のレールを敷けること。」
 でもやっぱり、何年経っても、今の自分と変わらない笑顔をつくれることが一番。 ー21歳女性。
・自分自身で考え決定した、好きなことをやっている人。「それが趣味でなく職業であること」
 その職業において自分の理想とする生活がなされていること。
 また満足していること。これを満たし、日々楽しんでいること。    ー24歳女性
・「自分でけっこう幸せなのかな」と思える人。           -27歳女性
 ーmy感想ー日々変わるから、特にこの年代の女性は
・「徳を積み上げ、それに溺れないこと」より多くの人に良き影響を与えた人。-28歳男性 フリーター

ー三十歳だいになると

・百貨店に展示してある「ピアノで飄々とドビュッシーを弾くホームレス風の初老の男性」
 と、迷惑そうに彼を追い払う店員を見かけました。彼らを見て思ったことは、「社会的な」成功と
「人生における」成功とは別物のようだ、ということです。     -31歳男性 会社員
ーmy感想ー
 「う~ん!」でも、「唐文字で、売家と書いてある・・」に似ているが。
 即興劇風に、人生の全てが詰まっている。その男の人の心の中はどうだったのだろうか? 
・「仕事を愛すること。また愛する仕事を見つけること。」
 昔、ドキュメンタリー番組でみた、ある老指揮者の一言が忘れられません。
「仕事をしている感覚が無いんですよ。楽しくて、楽しくて」
 自分が給料を得ている仕事が楽しくてたまらず、なおかつその仕事で
 世界的な名声を得ている。                  -34歳男性 メールマガジン編集
ーmy感想ー
 わかるけど、その人の背後の苦労の積み重ねに気がつかないと!とんでもない誤解をする。
本当に、楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。 でも、毎日「楽しい、楽しい!」を、
千回いい続ければ、 大して変わりはしないのでは?
                                  つづく
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2004年01月07日(水)
1008, 勘違い

マニフェストフェミニスト
 昨年の暮れの「今年の総括」の文章の中でマニフェストフェミニスト
間違えてしまった。帰省中の息子に指摘されて気が付いて半日で書き換えた。
読んでいるほうからみると、このような漫画的な間違いが限りなく見えるから、
面白いだろう。誤字当て字も読み返していると多い。
 実際のところ、この間違いは解っていた。それでも間違えるのだからどうしようもない。
フ「ァ」ミニストとフ「ェ」ミニストの違いと思い込んでいたのだ。
ところが実際はマニフェストの「マ」と「フェ」の違いであったのだ。
人生は全てが同じような間違いで成り立っているのだろう。
 作家の沢木耕太郎が同じようなことを書いていた。
「赤い靴はいていた女の子、いじんさんに連れられていちゃった」
という歌の、「偉人さん」を「いい爺さん」と最近まで勘違いをしていたという。
大学受験のときの問題に、与謝野晶子の「たけくらべ」を「背比べ」と書いたことを思い出した。
ある姉に、それを知られ何度もからかわれた経験がある。またボランティアをボランタリーと
言ってしまったこともあった。それも何度指摘されても、いい違えてしまうのだ。
また、去年の今日の随想日記に「野田一夫」の夫を男と間違えて今さっき書き直したところだ。
恥ずかしい事だ。
 今回は、帰省中の息子に指摘されて氣が付いたので良かったが、この随想日記の中で
数多くあるのだろう。読んでいる方は、それを冷笑しているから逆に書けなくなるのだろう。
書いている方は、「馬鹿の公開」と開き直っているから平気?であるが。今回みたいに明らかに
英語力の無さというより、基礎学力の無さが露出してしまうのだから厳しいといえば厳しい。

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2003年01月07日(火)
639, 自己疎外

35年前の事だが経営学の野田一夫教授の授業をうけて数ヶ月。
同級生が手をあげて「自己疎外とは何ですか?」という質問をした。
それに対しては一瞬詰まって「君にはちょっと早い問題だよ!」と答えた。
その時から「疎外」というキーワードが記憶に鮮明に残った。

これは大不況の今の時代にピッタシだから敢えて書いてみる。
組織や地域社会に所属していると孤立している感覚に陥ってしまう。
全ての人が自分をあざ笑っている感覚であり、取り残されている感覚が疎外感である。
誰もが持っている挫折感と絶望感の一番の空虚感である。死や失業になった時に初めて気づく。
自己疎外感は孤独のブラックホールといってよい。全ての充実感や存在感を吸い取っていく。
宗教業界の商品作成のデザインの一番の落としどころだ。
それを見抜いて神と共同体を与え愛をささやくのだ。
今の日本に自己疎外を持った人が満ちている。
それは絶対神ーラージXを持たない日本の弱点になっている。

大都会の酒場で一人飲んでいるほうが禅寺で座禅をしているより、
孤独感を感じるのは自己疎外に陥っている状態であるからである。
ところでこのホームページを開いてから自己疎外感が激減した。
疎外感退治にホームページを開くことを勧めます。
疎外感を感じている方が真実に気づいている事も事実である。

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1月7日 1969年

11時起床。12時に食事。
午後は本を読み、甥の慶昭と話をしたりする。
夕方、店でコートを買う。0時から3時まで勉強をする。
会社の佐藤さんの分析解剖をしてみる。
文章に書いてみると、やはり気がつかなかった部分が見えてくる。
「内容」は・・・・・・・・・?・

自己実現について考える。
人生はつまるところ自己実現のプロセスを踏むことだ。
自己実現とは、自分の設計図を書いて、その設計図にのっとって
生きていくことである。それも自分に適したものであるべきだ。
ゼミの同期の一人一人を具体的に考えてみると理解しやすい。
それぞれの特性を生かして自己実現を図るのがベストだ。私は何だろか。
自主独立の行動力だろうか、それとも生真面目だろうか。