つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=Bc9UG5wLY3s

 今年も、あと三日。個人的にも、国内的にも去年ほどの激変は無かった。
それでも中国と尖閣列島の領土争いを切っ掛けとした中国の官製?暴動があった。
それと日本、韓国、フランスとトップが交代した。何とかEUPIIGSの破綻は避けられた。
 来年は来年で破綻要素が多く控えている。
 
 このように一線から退いてみると、気が緩むのだろう、知らないうちに沈んでしまう。
「機嫌良く面白い状態を保つこと」が一日の仕事になる。 それを意識をしていれば、
ズーッと、しないよりましだが、 そのためには、「一日一生のつもりで生きること」・・・ 
それを意識をし過ぎると、これまた疲れてしまう。

 昨日のことになるが、自動車の運転席の鍵穴に、キーが入らない。
数日前も、同じようだったが、何時の間に直った。そこで、イエローハット
行って、事情を話し、見てもらおうとキーを差し込んだら、直っている。
家を出るときには入らなかったのが、何事も無かったように、直っている。
店の人がいうに、「雪の溶け水が鍵穴から入り、凍った現象で、よくあります」
過去に、こういうことは一度も無かったが・・・ どうでもよい、一寸した出来事。



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998, アマチャアビデオ特集
2003年12月28日(日)

 昨夜NHKで「アマチュアビデオ特集」を放送していた。
単身赴任の父親に赤ちゃんの姿を映像に録って、毎日TV電話に送る姿や、
小学生のグループがテーマを決めてビデオで録って編集をする活動があった。
また庭で雀が、足が何かに絡んで動けなくなった仲間を助けようという
微笑ましい内容が映しだされていた。

 井筒和幸という映画監督が、解説をしていたが、この中で「他人に見せるという
ことになると、全く違ったビデオの内容になる。もっと深く言えば、誰に見せるのかを
意識をした時に内容は全く変わってくる」という言葉が印象的であった。

 ところで私の随想日記を一番意識をしているのは祖先の眼である。
その意識を持ったと同時に、書く内容が変ってきた。
それにしては、あまりに露悪であるが。その経験があるから井筒監督の言葉が理解できた。
反対に、現在書き写している22歳時の日記は、ただ何も考えないで
自分をコントロールする為に書いたものと思われる。(動機が定かでない)

 技術の進化に伴なって、限りない能力が出来てくるものである。
このデジタル化などによる高度情報化社会は無限の進化を遂げていくだろう。
誰もがプロになれる時代になったのだ。その境が無くなりつつある。
そうすると、自分の分野をきっちり決めて掘り下げていくしかない。逆に誰もがプロになれるのだ。
100年後は予測も出来ない社会になっているはずだ。10年後さえ予測不可能だ。
十年前にインターネットや携帯TV電話の普及を殆ど誰も予測できなかった。

個人がより主体的になる近未来が見えてきた。


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2002年12月28日(土) 624,今年の総括

今年の総括の時期になった。
毎年卓上日記に書いている。

・姉正子が亡くなるー9人のうち4人死んだことになる。
・父方のオバがなくなる。父方の叔父の連れ添いだ。
 これで父の兄弟・姉妹とその連れ14人が全てが亡くなった。
 年齢の一つの風景か。
・海外は三回行った。  西アフリカ、スイス、パタゴニアだ。
 これで39回、60歳までの50回の目標に近づいたが。
 来年は戦争の可能性があり、どうなることか。
・子供は長男が再就職と更なる転職。 次男は会社ごと身売り、転籍。
 これは時代の風景だろう。

会社は
・この不景気の中一応順調に経過という事か?
 相変わらず銀行の貸しはがしの予兆があったが。 借り入れも一応順調にいった。
・売り上げも微弱ですんだが利益は2割減った、来年はどうなることか。
 新入社員が6名入って若返った。

国際社会は去年は歴史的な9・11があったが、比較的に落ち着いた年だった。
北朝鮮問題がクローズアップしてきた。国内も比較的安定した年だったが、
景気がますます悪くなって救いがたい状況になった。
国内も国際的にも20世紀的なものが本格的に壊れ始めてきたのが
今年の特徴だった。自民党は仮面を変えてしぶとく残っているが。

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2001年12月28日(金)
283、創業の頃ー2

中途採用は‘男で、一ヶ所でオぺレーションを4~5年以上やってきた
キャリア’以外は入れない。間違えて入れたら、いらない苦労を背負い込むからだ。
ある日のこと,ライバルになる会社の事務の責任者と名乗る女性から電話が入った。
会いたい、どうしても面接をして欲しいとのこと。かなり強引の電話内容であった、
そうして会った。
「取引先から貴方の事を聞いた、ほれ込んだぜひ自分を使ってほしい」とのこと。
私もドライだが、こういう小説みたいな事は、まずいのは解かっている。
それより立ち上げの時は、なるべく汚れてない(癖のついてない)人間を集めないと、
空中分解をする可能性を孕む。当たり前のことだが、人間は過去の経験に縛られて
一歩もそれから出れない性(さが)をもつ、更にそれに対し無自覚だ。

その意味で人選は立ち上げ(創業)の一番の要素になる。当然その話は成立しなかった。
次はマネージャーである。初めは潰れたばかりの建築メーカの元課長。
癖がついていてマネジャーに不適任。すぐ話し合い解消、次の人選。
時計やの2代目!これも一週間でヤメ。あとはリクルートしかないと、東京まで
中途採用の関連会社に出向いて、広告と面接! そして応募してきた今の支配人と出会う。
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12月28日  1968年

11時に起床。
13時に千葉の姉の優子さん宅に向かう。途中花屋で植木の花を買っていく。
卒論の清書をしてもらった分をもらい、16時半に帰路につく。
途中に集団すりを目撃をする。財布を掏ろうとして騒がれて慌てて逃げていった。
17時半に帰寮。20時に帰省バスに乗る為に新宿に行く。21時のバスに乗る。
翌朝の5時に到着。家に着いたあと就寝。

ーこの4ヶ月の日記を見ると字があまりに乱雑である。
他人に見せるものでないとしても、これ自体自分の姿である。
最近自分というものに対して目覚めてきたと同時に、自分に懐疑的になってきた。
そして少しのことで動揺するのだ。この二ヶ月間は特にそうだ。
また同時に脱皮に向かってモソモソしているようだ。

自分の理念とは何だろうか?
・創造、遊び、愛、知性という面から、それぞれをどう位置づけるか。
 自分の理想的なバランスである。
・それと真善美のいう面からも自分のバランスを考えてみよう。
ー 創造について
 男としては、価値基準の一番の指標になる。
 これは生きていく手段としてより、人生の目的として、
 自己の具現化として追求するのが重視されて当然のことである。
 人生の大部分はこれを追求すべきである。
 その追求をしていく過程・・・・・・・
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ー愛について
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ー遊びについて
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ー 省略