つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=a8IjMJ8FYBM&feature=related
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2004~2013年の『10年日記』も、あと一年で終了する。
これまた9年も、よく続いたもの。これは何をしたかの日常のメモにしている。
10年単位の、その時節ごとの日常が見えてきて面白い。ランダムに、ページを開いて、
9年分の同月同日の動きをみると、何とも変化に富んでいて、その時点時点の息づかいが
聞こえてくるよう。 何はともあれ、メモをしておくことは大事なことと実感する。


 
今日の随想日記、カット分
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2003年10月20日(月)
929, 忘れられない「悲しい話」
 昨夜は知人の父親が亡くなり、その通夜であった。
87歳の大往生であったが、親の死は傍目で見ているよりずっときつい。 
死は直視できない。死に関しての悲しい話を書いてみる。我家の分家は二軒ある。
父が長男で、弟が二人いたためである。長岡にその一軒がある。母の7回忌にオバが来てくれた。
86歳で影が薄かったのが印象的であった。その半年後にあっさり亡くなってしまった。母の法事で
「こういう会に出れるのは最期では」というのが、もの悲しい。
 その時の酒席で、「人生で色いろ多くのことがあった!」と言っていた。
その数年前に溺愛していた長男が自死をしていた。そして、その数年前には近くに嫁いだ
長女が癌で亡くなっていた。そのうえに、長男の葬式を取り仕切っていた長女の亭主も
数ヵ月後に自死してしまった。その時「自死する気持ちが良くわかる!」といっていたのが気になっていた。
また叔父は40年前に亡くなっていた。 そのことは触れず、ある子供の死のことを打ち明けていた。
「赤ちゃんを病気で死なせてしまった。今の技術では助かっていたのだが、当時は仕方がなかった。
病院から死んだ子供を家に一人で背負って帰る時、段々子供が冷たくなって死後硬直をしていくのが
背中を通して感じた時は、本当に悲しかった!」とシミジミ言っていた。 
最後、私にその悲しみを言い残しておきたいのだろうと思った。聞いているだけで、その時の悲しみが、
そのまま直に伝わってくるようだった。 叔母は天理教の熱心な信者になることで、
その苦しみの数々を乗り切った。最期の最期は、宗教しか人間の苦しみを救うことが出来ないのだろう。
「神はあるかないかでなく、あらねばならない」という言葉が、こういう話を聞くと納得できる。
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555, 針と糸
        2002年10月20日(日)
先日、25年来の知人と酒を飲んだ。
大手の支店長をしていたが、請われて奥さんの実家の専務に3年前に納まった。地元の中堅の会社である。
義弟が社長で大変だろというと、糸と針の喩えで自分が糸に割り切ってしまえば問題がないといっていた。
面白く、ずばり本質をついた喩えにいやに納得をした。 社長業を針というのも上手い喩えだ。
時代に対して一点集中で鋭く縫いこむのが社長業だ。何か耳が痛いが、もっと痛い人が今は多いだろう。
この針と糸の喩えを社長専務の関係だけでなくいくらでも云える。このテーマ随想日記もそうだ。テーマが針、
それに対しての随想記が糸である。なかなか良い針が見つからない。糸なら経験がたっぷりあるから?
いくらでも材料はある。戦略と戦術の関係もそうだし、頭脳と心の関係も、夫婦の関係もいえるだろう。
夫婦では最近はどっちが針か糸かハッキリしないが。それを使い分けるのはあくまで主体の自己ある。
最近は布ー服の流行が激しく変わっていくので大変だ。デザインの選定と工賃も厳しくなっているし、本当!
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「192」 種銭ー2
         2001/10/20
物覚えのついた4~5歳のころから、年末の31日にお年玉を姉兄揃って貰った。それが楽しみだった事を思い出す。 
一旦渡しておいて、次の日に全額取り上げられるのだ。そして貯金通帳に入れられてしまう。高校になるまで
それが続いた。そして高校に入って暫くすると、なにか株を自分で考えて決めろと言う。そしてある株を買った。
その日から株式のコナーを目を凝らしてみるようになった。子供のころから、両親に玩具を一回も買って
貰った憶えがない。友達の家に行くと、箱に玩具が一杯入っているのを見て、信じられなかった事を
今でもありありと憶えている。といってお年玉は自分で稼いだ金でないことも確かだ。株の上達の本を読んだとき、
「まずは種銭をつくれ、それも強い金でなくてはならない。それは自分が汗水を流した芯のある金でなくてはならない。
そういう金でなくては株で利益は絶対にあげることは不可能だ」これは事業でも当たり前だ。
しかしこの強い金を創るのが一番大変なのである。 父は子供たちに、我慢をしてまず種銭つくりを
教えたかったのだ。お金に対してシビアなのは、実際のこういう教育があったからだ。
実際のところ、金に対してみるところあまりにも甘い。