つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=wNPrENu5ocw&feature=related

田中真紀子女史を入閣させた。 これは最期の致命傷になる可能性が高い。
ご本人の意識は角栄。 しかし、パフォーマンス以外の能力はゼロというより、マイナス。
国民の大多数が、知っているのに父親角栄のブランドで、それが見えなくなってしまった
現首相の大失態である。 自分のことは見えないが、人のこととなるとよく分かる。
これが情報化の問題点。

 欧州が静かに混迷を深めている。 それと中国である。トップの政権移譲が、すんなり
いくのだろうか。 それとアメリカ大統領選挙も近々ある。日本も、ここで大きく変化する。
一日一日が静かな混迷に向け動いていく。 
 

  ー今日の随想日記のカット分ー
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2007年10月03日(水)
2374, 人は60歳で何をしたか -3                 
  「人は60歳で何をしたか」藤原治・著    ー読書日記
著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、
それ自体がユーモアに聞こえてくるし、本人が一番勉強になったはずである。それにしても、
選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。彼らに一致しているのは、この時期は
「起承転結」の「結」の時期ではなく、起承転々の「転」である。最後まで転げまわるのも良いものである。
この本では、古今東西の大家の「60歳の時点」の創作を具体的に提示して、そのプロセスで、
その人となりの精神を現わそうとしている。 著者は私と同じ年齢になるが、比べようもない
知識の広さと深さに大きく溜息をつきながら読んでいる。 それよりも紹介されている人たちに驚かされる。
比較しようということ自体が、おこがましいのは解っているが、それでもである。殆どの本がそうだが、
「まえがき」に多くの著者が言わんとすることが凝縮してある。その中に「定年退職する人には、
職探しの前に自分探しをする人が多いという。
企業を離れたとたん、個人としてのアイデンティティの確認に苦しむという話をよく耳にする」とあったが、
解るような気がする。会社という制服を着てきた人間が、それを脱いだ時に初めて自分に直面する。
自分=「私」は哲学的にいうと、過去のトータルの「・・」である。それが制服を脱いだと同時に
自己喪失感にとらわれ、個人としてのアイデンティティの確認を求めざるを得ないのは当然のことである。 
その辺のことを、この本の中では解りやすく説明している。
 ー P・7
それまでの自分は、会社の規範の中で生きてきた。異動や転勤があり、人生の生き甲斐も家庭の悲喜も、
会社の意思で決定された。そのような企業組織に対する依存度が高い人ほど、人生が変わってしまうのが定年。
会社の出世コースを外れた人ほど、第二の人生を生き生きしているという。そこで生き甲斐を見出せないためか、
会社以外に自分探しをしているためである。還暦とは、稀有な長生きの先に、僥倖として新しい人生が
開けたという考え方だ。60歳まで無事生きれたのだか、これを契機に新しい人生を生き直してやれというから、
哲学的な概念である。定年はそれまでの縛りがなくなることだが、還暦は新しい人生を生き直すことである。
なら積極的に新しい人生を探してみて、第二の人生を深くしていって方が良いに決まっている。
 ー P・8
精神科医の中沢正夫は、その著書『人生が二度ある』の中で、
第二の人生計画を練るにあたっての原則を次のようにまとめでいる。
1、第一の人生のなかでの自分とは、自分にとって何であったのか、見きわめること
2、何をしたいのかは徹底的に個人主義的に考えること、配偶者にもそうしてもらうこと
3、計画は終了・完成を目標としないこと  4、道草・浮気の旅を心がけよう
5、働くこと、社会参加することを中心に  6、世にはばかるパワフル・シルバーに
7、挑戦を一つ入れること         8、記録をのこそう
9、早めに計画をたてる         10、もう遅いという人へ
これに加えて自分探しの要諦について、評論家の佐高信は「会社への『離塁感覚』を持て」といっている。 
作家の堺屋太一も「職縁から離れる時だ」といっている。この離塁感覚というのは以前の組織にいた時の自分を
引きずるなということ。あくまで自分の頭で自由に決めることを前提に、自分探しをすべしということであろう。
考えてみれば会社を去るわけだから、束縛されるものはもう何もない。 時間の過ごし方も、考え方も、
自己を規制するルールもまったくないのである。ある意味で、こんな幸せなことはない。
とはいえ、具体的にどうすれば自分探しができるのか。初めての経験だから、途方に暮れる人も多かろう。
僕は気に入っている作家の60歳の著作を書斎で探してみた。文豪といわれた人たちが、60歳という
人生の切れ目でなにをしたかを調べたくなったのである。通常、著作の是非は内容で諭じるもので、
60歳という視点で各分野の作品を斬ることは、おそらく誰も試みたことがないように思う。
その還暦調査を手掛ける前に、実はふたつの予感があった。一つは、巨匠たちが節目ということを意識して、
 自分の代表作をものにしているのではないかという予感。二つ目は、この調査が新しく第二の人生を
模索する人たちの、参考資料になるのではという予感。そして、調べていくうちに、二つの予感が
正しかったことを確信した。
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 以上だが、過去に何回も書いてきたが、座卓犬が突然、首輪をとられ家の外に放り出されるようなもの。 
 家の外は、誰も見向きもしないし、何処の犬だったなど通用しない。そうすると放り出された野犬の群れに
 入るか、 他の家の屋外犬として軒先に入るしかない。それともさっさと一匹狼として、街の外に出て
自然の中の餌を探すか。 逆に考えれば、そのまま老いた座卓犬でいるより、余程よいかも?